SHANTiROSE

HOLY MAZE-23





 深夜と言うにはまだ早い時間。舞台は中止になり、本日は休日となったが、ゆっくりしていられる状態ではなかった。団員のほとんどは起きており、それぞれに宿の中を行き来している。
 荷物をまとめたアミネスとフィズは再度エンディの元へ戻り、今すぐ出発することを伝える。キリスは何度も二人に頭を下げて、どうか気をつけてと繰り返していた。
 二人は裏口から出て行くことにした。今みんなに言えば俺も私もと混乱し兼ねないからだ。エンディが、明日の朝にみんなに話し、それでもし他に、暇を欲しいと言う者がいれば好きにさせるつもりでいた。


 アミネスとフィズは泥棒のように裏口から抜け出し、敷地内を出たあと、しばらく走った。
 まずは、まだ明るい城下町へ紛れ込み、行く先を決めるため街頭の下で立ち話を始めた。
 自分たちの顔を知った者に見つかれば騒ぎになり、シオンのことを問い質されるだろう。普段は声をかけられれば笑顔で応えていたのだが、今はそんな余裕はない。二人はフード着きのマントで顔を隠し、通りすがりの旅人を装っていた。
「……シオンはもうここを出てるのかな」
 アミネスが周りを見回しながら呟く。
「シーちゃんは昼のうちに出てったんだから、馬車に乗ればもう遠くへ行ってるよ」
「そうだな……まあでも、旅行じゃないんだし、同じ目的地へ向かえばきっと会えるよ」
 シオンの単独行動など今までなかったため動きを予測するのは難しかった。だが逆に考えれば、悪知恵など持たない彼女の行動は単純なものなのかもしれない。
「よし、俺たちも真っ直ぐシールへ向かおう」
 幼いフィズは少し眠そうに目をこすった。馬車の中で眠っていいからとアミネスが言うと、こくんと頷く。
 二人はすぐに馬車を頼み、シールへ、最短距離を行くようにと頼んだ。荷物を下ろしてシートに体を預け、馬車が出発するとフィズはすぐにアミネスに寄りかかって眠ってしまった。
 もしかすると道に迷ったシオンがいるかもしれないなどと考え、アミネスは窓の外を見つめていた。


 しばらく走っていると馬車はメイを出た。そこでアミネスはいったん気を緩め、窓のカーテンを閉めて背を丸める。隣ですっかり熟睡しているフィズの頭を撫で、息を吐いた。
 フィズは置いてきたほうがよかったのではないかと、今更思う。しかし、シオンを見つけても無理やり連れて帰るのではない。ちゃんと話を聞き、彼女の気が済むまで付き合ってやるつもりなのだ。
 それがどんなことで、どれだけの時間を要するのか分からない。その間、シオンと二人っきりで、見知らぬ場所で過ごすとなると、エルゼロスタに戻ったときに何を言われるか分からない。それに男の自分では分からないこともあるだろうし、お互いに気まずくなるときもあるかもしれない。
 やはりフィズは必要だ。フィズが自ら追ってきてくれたことに、改めて感謝していた。
(……こんな小さな子を頼るなんて、俺、かっこ悪いなあ)
 そうアミネスは自嘲しながら、寝息を立てて眠るフィズを見つめていた。


 カーテンの隙間から差す朝日で、二人は目を覚ました。アミネスは体中で感じる振動で、自分が馬車に乗っていることを思い出す。フィズはあくびをしながら体を起こしていた。
 カーテンを開けると、外は早朝の見慣れない町並みだった。アミネスは前方にある小窓を開け、馬車引きに声をかける。
「おはようございます。一晩中走っていたんですか?」
 優しそうな恰幅のいい馬車引きは、肩越しに微笑んだ。
「おはようございます。一度、少しだけ休憩しましたよ。喉が渇かないか声をかけようと思ったんですが、よくお眠りだったので、そのまま進みました」
「ありがとうございます。ここはどこでしょうか」
「メイから二つ目の町です」
「止めてもらっていいですか? あなたも休んでください」
 馬車引きは返事をして、馬車を止める場所を探した。


 アミネスはここで少し休むことにした。長旅には慣れているつもりだったが、グレン・ターナーに腰を下ろしてから移動は減ったため、やはり久々のそれに疲れを隠せなかった。
 体のあちこちが痛い。フィズも同じのはず。体を伸ばして横になれる場所と時間が欲しかった。
 いったん馬車引きとは別れ、次の移動のための足はこの町で頼もうと思う。馬車引きに礼を言い、見送った。
 フィズが固まった体を捻りながら、アミネスを見上げる。
「こんな知らない町で降りてどうするの? シーちゃんはもう先に進んでるかもよ」
「シオンだって俺たちと同じ心境だろう。ここで休んでるかもしれないじゃないか」
 言いながら足を進めるアミネスのあとを、フィズが着いてくる。馬車小屋の見えるところで休んでいれば、もしかしたらシオンが現れるかもしれない。僅かな希望を抱いて、休憩所を探した。


 二人は馬車小屋の近くにあった店に入り、食事を摂った。次第に気温が上がり、人の姿が増えてきた。この町はメイとそれほど遠くない町だからか、そこと雰囲気は似ていた。ここからメイへ足を運んでエルゼロスタを観にくる人も少なくないはずだと思い、アミネスたちは目立たないように行動することにする。
「フィズ、宿を借りて少し休もう」
 アミネスが腰を上げると、フィズはすぐ発とうとマントを引っ張った。アミネスには強がっているのが分かった。フィズはシオンが気になって仕方ないのだろう。こんな少女に心配をかけるなんて、と、アミネスは胸の中で、シオンを僅かに責めてしまった。
「そんなに焦らなくていいから。目的地はシオンと同じなんだ。必ず会えるよ」
 そう言われ、フィズは俯いてマントから手を離した。
 町を歩いていると、フィズが突然あっと声を出した。アミネスが振り返ると、フィズは並ぶ店の窓ガラスに向かって走り出していた。
 まさかシオンの姿を見たのかとアミネスが追うと、なんのことはない。フィズの大好きな「占い」の看板に興味を示しただけだった。
 窓から中を覗いてみたが店内は暗く、人の気配もない。
「こんな時間に、まだ開いてないよ。出発する頃にもし開いてたら、そのときに寄っていいから」
「シーちゃんのいるところを占ってもらいたいなあ」
「はいはい」アミネスは軽く笑い。「占ってもいいけど、どうせ当たらないよ」
 フィズはむっとした顔でアミネスを睨んだ。
「バカにしないでよ。当たるんだから」
「へー、どんなのが当たった?」
「エルゼロスタが人気になるって占いで出てたから、私はずっと前から知ってたわよ」
 そんなこと、どうとでも言えるものだとアミネスは肩を竦めた。
「それにね、数日前にも不吉なカードが出たのよ。シーちゃんがいなくなったとき、これだって思ったんだからね」
「ふうん、そういえばお前、昨日転んで骨が折れたって泣いてたじゃないか。それのことじゃないのか? だったら大当たりだな。占いって凄いねえ」
 からかうようにニヤニヤするアミネスに、フィズは顔を赤くした。確かにフィズは、昨日練習で転んで騒いでしまった。しかしこのとおりピンピンしており、周囲に笑われてしまったことを思い出したのだった。
「アーちゃんのバカ! どうしてそんな意地悪言うの!」
 フィズが大きな声を出すと、店の二階の窓が開いた。二人は同時に言葉を失って窓を見上げる。そこから、初老の女性が顔を出して微笑んできた。
「ここの占いは当たるって評判ですよ」
 しまった、今の会話を聞かれてしまっていたようだ。アミネスは気まずさを隠せず、頭を下げて立ち去る、立ち去ろうとする。
「――何か、お探しですね」
 引き止めるでもなく、女性は続けた。
「近くに、あるんじゃないかしら。よく探してごらんなさい」
 女性はそれだけ言って窓を閉めた。二人はぽかんと立ち尽くしていたが、すぐにフィズがアミネスを小突いてきた。
「ほら、ほら、凄い。見ただけで私たちのこと当てたよ」
 やはり占いを信じる気になれないアミネスは、それよりも店の前で悪口を言ってしまったことに気が引けていた。
「ねえ、さっきの人にもっと占ってもらおうよ。シーちゃんのことが分かるわ」
「ま、まだ店は開いてないだろ。迷惑だから、行くぞ」
 アミネスは一刻も早くここから消えてしまいたく、フィズの腕を引っ張った。
「もう、アーちゃんのバカ!」


 二人は宿を探して再び歩き出した。フィズは先ほどのことを根に持っており、フードの下で頬を膨らませている。アミネスも店に悪いことしたと反省し、時間さえあれば後で客として足を運ぶつもりでいた。
 町が起き出していた。人が増え始め、店が色付き、歩いているうちに、目の前の風景が変わっていくのが分かる。
 アミネスはこういう感じを懐かしく思っていた。グレン・ターナーに居着く前は、よく目にしていたような気がする。起床や練習の時間が変わったわけではない。今でも、伝統と言っていいほど規則正しい生活を送っている。
 今のエルゼロスタには何でも揃っているのだ。国が用意した立派な宿、庭、食材、家具……みんなで早起きして朝食を摂りに行ったり、役割分担をして必要なものを買出しに行くことがなくなった。
 町へ出ることはあるのだが、空いた時間や休日の娯楽に過ぎない。
 どっちがいいか悪いかなんて、アミネスには分からなかった。ただ、楽しかったと思う。
「――あれ?」
 そのとき、フィズが足を止めた。目を見開いて、通りの先を凝視している。アミネスは首を傾げてフィズを見下ろした。
「どうした?」
 フィズは黙って腕を持ち上げ、道の先を指差した。そこにあるのは、珍しくはない風景だけ――の、はずだが、アミネスも目を見開いた。
 人々が行き交う中に、自分たちと同じようなフード付きのマントを羽織った、細く小柄な者の背中が見えた。
 右手に大きめのバッグ、左手には布のかけられた釣鐘型のものを提げている。
 あの後姿、体系、そして、もし左手に提げたものが鳥かごだとしたら、あれはきっとシオンだ。
「ア、アーちゃん、ほら、あれ、シーちゃんだよ」
 フィズは今にも走り出しそうに興奮していた。
「ほらほら、占いの通りだ。近くにいたんだよ!」
 確かに、占いは当たっていた。いや、きっと偶然だ。アミネスはそんなことを思いながら、「彼女」に向かって足を出した。
 彼女はとぼとぼと歩いていた。この町に旅人は少なくない。周囲は顔の見えない彼女をとくに気に留めることはなかった。
 ゆっくりとアミネスとフィズは近付いていった。騒ぎを起こしたくないのは、彼女も同じのはず。
 もう少しで肩に手が届く、はずだった。
 彼女はふっと足を止め、不自然に揺れた釣鐘型のものに目を落とした。中のものが動いているのだ。やはりあれは鳥かごで、中にはニルがいる。やはり、彼女はシオンだ。間違いない。
 よし、とアミネスが手を伸ばす寸前、彼女は突然走り出した。
 気づかれた。しかも、逃げられた……? シオンの味方でしかないアミネスはショックを受ける。フィズがそんな彼のマントを引いた。
「きっとニルが私たちのこと、教えたんだ。ニルは魔法を使えるって言ってたし」
「でも、なんで逃げるんだよ。俺たちだって分かってないのかな」
「そんなの知らない」
 とにかく、と、二人は彼女の後を追った。


 彼女は左右を見ながら通りを走り、さっと右側の小道に入った。アミネスたちもそれに続くが、通路のような細い道に、既に彼女の姿はなかった。
 アミネスはフードを取って周囲を見回す。すると視界の端に動く影を捉え、反射的に顔を上げると、塀から屋根の上へ身軽に移動する彼女を見つけた。
 やはり、彼女はシオンだ。あんな動きを、普通の女性ができるわけがない。アミネスは確信した。
「……シオン」
 周囲に人がいないことを確認しつつ、身を屈めて屋根を走る彼女に声をかけた。しかし、シオンは立ち止まらなかった。
 仕方ない。強引にでも捕まえて、話をするしかない。後を追おうと、アミネスも塀に登ろうとする。しかし、それをフィズが止める。
「私が追うわ」
 そう言ってリュックから縄を取り出す。フィズは綱渡りが得意で、縄の扱いに慣れていた。
 アミネスが「でも」と戸惑っていると、フィズは縄でワッカを作りながら塀に登った。
「アーちゃんは体が大きいから目立つでしょ。ここで待ってて」
 フィズの行動力は分かっているつもりだったが、こんな知らない町の中でも発揮するとはと驚きを隠せなかった。
「シーちゃんを捕まえたら、占いは当たるんだって認めてよ!」
 フィズはそう言い残し、屋根の上に消えていった。


 フィズはすぐにシオンの姿を捉えた。
「シーちゃん!」
 大きな声を出すと、シオンはふっと振り返った。フードで表情は見えなかったが、フィズは自分の姿を見た彼女がきっと止まってくれると信じた。
 だが、シオンは何も言わずに背を向けてしまった。
「……そんな。どうして?」フィズは愕然とした。「何よ……シーちゃんのバカ!」
 涙を堪え、フィズも走った。手に持った縄に細工をしながら。
 シオンは両手に大きな荷物を抱えながらも、足場の悪い屋根を器用に移動していた。ほとんど振り向かず、声も出さずに走っていく。その足が止まる。屋根が途切れたのだ。下は広めの道になっており、落ちればもちろん怪我を避けられず、大騒ぎになるだろう。
 人に見られたくない彼女はさっと体を引いたが、背後からはフィズが追ってきている。
 迷っている時間はなかった。シオンは向かいの屋根との距離を目測し、少し下がった。
 フィズははっと息を吸う。シオンはイチかバチかで飛び移るつもりなのだ。彼女なら可能かもしれないが、危険すぎる。それに、体の小さいフィズではシオンのマネをすることはできない。
 逃がすものか。フィズもイチかバチかで、縄を投げた。
 シオンが飛び出すより僅か早く、フィズの投げた縄が上手く彼女の引いた足にかかった。
「!」
 フィズは手応えを感じて、力いっぱい引く。縄の先に作られたワッカが収縮し、シオンは体勢を崩した。
 シオンは慌てて荷物を手放して縄を解こうとしたが、駆け寄ってきたフィズに抱きつかれ、また体勢を崩す。
「……シーちゃん、捕まえた!」
 間違いなかった。フードの下には、不安に染まったシオンの表情があった。彼女の顔を見た途端、フィズは声を上げて泣き出した。釣られるように、シオンも涙を浮かべた。
 隣で、鳥かごに入ったニルが布の隙間から、まん丸の目で二人を見つめていた。


   

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