SHANTiROSE

HOLY MAZE-31






 ティシラからの連絡が途絶え、気が気ではなかったマルシオはしばらく眠れずに水晶の前から離れなかった。しかしそれっきり水晶が光ることはなく、まさかティシラが酷い状態にあるのではないかと不安を募らせ、マルシオは自分から魔力を送ってみようかと何度も考えた。
 そんな彼の気持ちを察していたロアが声をかけてくる。
「そんなに思い詰めないで。連絡をしてきたということは、きっと大丈夫ですよ」
 マルシオは、まるでロアに監視されているような気分になっていた。
「お前はどうしてそんなに落ち着いていられるんだよ。ティシラはただでさえ危険な状況に飛び込んでいったのに、近付く相手はあのラストルだ。あいつが簡単にティシラに心を許すとは思えない。ティシラは今一人で敵に囲まれているかもしれないんだぞ」
 マルシオの言いたいことが分かるロアは、ため息をついた。
「予感に過ぎませんけど、今はまだ無事でしょう」
 ロアの考えはこうだった。
 予想としては、ティシラはうまく娼婦に化けていたため、ラストルに近付くことは成功したのだろう。だが、マルシオの懸念通り、ラストルが快く彼女を受け入れるわけがなく、顔を合わせてだけでそれなりにもめたのだと思う。
 そう言われてマルシオは、そのときの二人の様子がなんとなく想像できた。
「そこでもう失敗したならティシラは戻ってくるしかありません。しかしティシラにはまだ戦意がありました。きっと手段は残っているということなんでしょう。仮にラストル様に突き出されて拘束されたとしても、ティシラには『ロゼッタ王家公認の上で、正式に依頼されて来た娼婦』という名義があります。いきなり罪に問われて暴力を受けるなど、考えられません」
 マルシオはロアの話で少し安心し、肩を落とした。
「……でも、もし娼婦に化けたスパイだってことがバレたら……」
「そう簡単にはバレませんよ。本人が『王子さま』に近付きたくて侵入したとでも言えば、つまみ出されるくらいで済むでことしょう。大手の売春小屋の後ろ盾がありますし、ティシラは武器も持たない、魔法も使えないただの若い娘なのですから」
 確かに、今のティシラに戦える手段はない。魔法は忘れ、魔力は封じられている。人間に簡単に捕まることはないというだけが救いだった。
 だけど、とマルシオは息を飲んだ。そんなティシラがなぜ知らない国の城に侵入しなければいけないのか、その理由が肝心なのだ。
「ティシラは、魔女だ」マルシオは眉を寄せる。「ティシラの話が本当なら、捕まってる魔族は無理やり魔女ってことにされてるんだよな。じゃあ、本物の魔女であるティシラが捕まったら、何をされるか分からないじゃないか」
 再び不安をマルシオを襲ったが、ロアはそれでも動じなかった。
「ティシラの話が本当なら、今現在、明確な魔女の定義がない。つまり、悪人にとって魔女が本物である必要はありません。もっと掘り下げれば、この世界に本物の魔女はいない、ということになります」
「どういうことだ? 現にティシラは魔女で、人間界にいるじゃないか。もしかして、お前はティシラが魔女だって信じてないのか?」
「違いますよ。ティシラが魔女かどうか、私は問題にしていません。そういうことではなく、何をもってして魔女と言うのか、その明確な定義がなければ、この世のすべての女性を魔女だと言うことも可能になります。もし、女性をイコール魔女とし、『魔女』でも『女性』でも同じ意味になってしまったら、魔女という言葉に価値はなくなります」
 マルシオは何度も瞬きをしながら考えた。マルシオの知る魔女は、異性を誘惑する魔性を持ち、悪夢を見せて廃人にし、精力を搾り取って虜にする魔族のことだった。そんな能力を持つ人間は、まず存在しない。
 なのに、普通の人間を捕まえて「魔女」と呼び、それだけで罪を負わせようとしている者がいる。
「理由はなんでもいいんです。日常の中でちょっとした嘘をついたとか、夫のいる女性が他の男性と会話をしたとか……定義はないのですから、それが魔女の行動かもしれないと言ってしまえばその人には魔女の疑いがかけられます」
 そんなことがあるわけがない、と思いつつ、マルシオは汗を流した。そんな彼の表情を読み取ったのか、ロアは続ける。
「バカバカしいと思うでしょうが、魔女の事件を起こした者の本当の目的によってはあり得ますよ。本当に邪悪なものを排除することが目的なら、そんなことは誰も考えないでしょう。しかし、邪魔なものを排除することが目的なら、手っ取り早くて楽な手段ですからね」
「……そ、そんなことをしたら、シールはどうなるんだ。国王のカーグは何を考えてるんだよ」
「さあ。ティシラがそれを調べてくれているところでしょう。今私たちは待つことしかできません」
 ロアは言いながらマルシオに背を向ける。
「今日はもう休みましょう。ティシラから連絡があればすぐに知らせますから。そこで水晶と睨めっこしていても何もなりません……それに、心配すべきは、万が一ティシラが捕まってしまった場合、黒幕が『本物の魔女』を必要とするのか、邪魔とするのかということですよ」
「……え?」
 隣の部屋に戻っていくロアの背中を見つめながら、マルシオは彼の言葉の意味を考えた。そして、ぞくりと寒気を感じた。


*****



 次の日の朝、水晶が光った。相手はルミオルだった。
 ルミオルはティシラの状況を聞いたあと、ため息をついた。
『二人がどういう対面をしたのかは、なんとなく想像はできる。それと、起こる問題もな』
「問題?」
 マルシオはあれから眠ることはできたが、やはりティシラのことが気になって止まなかった。こうしている間にもどんな苦しい目にあっているのか分からないのに、まだ他に問題があるのかと身構える。
『父上だよ。今朝、従者に捕まって、父上にすぐに連絡するように言われたよ』
「トールが? どうして?」
『兄上の寝室で何があったのかは俺も知らないけど、あの兄上が娼婦を部屋に入れて、二人で一晩過ごしたんだ。それだけで何事かと思うさ。状況が状況だからね、早速何か罠を仕掛けられたんじゃないかと心配になって当然だ』
 ああ、そうか、とマルシオは納得して肩を落としたが、それも一瞬のことだった。
『で、もちろん、相手は誰だ、どんな女だってことになるよな』
 ルミオルが水晶の向こうで笑っているのが分かる。
『報告したのは兄上の側近、ドゥーリオ……彼が全部バラしたよ』
 マルシオは目を見開く。胸を鳴らしながらトールやライザのことを、今更ながら思い出した。
「そうだ。トールには秘密だったし、今俺たちがどこで何をしているかもまだ知らせてなかったんだ……」
 絶対に怒られる。マルシオは背を丸めて頭を抱えた。
『凄い剣幕だったよ』ルミオルは平然と追い討ちをかけながら。『もうシールの城内に潜り込んでしまったわけだし、話すしかないんじゃないか』
 確かに、このまま隠していられるとは思えないし、ヘタに逃げていては、何をするか分からない。
『ということで、父上が今すぐにでも連絡を寄越すようにって言ってたよ』
 大事なことは伝えたからと、ルミオルは通信を切る。マルシオは腹を括り、トールに話をすることにした。


『君たちは一体何をしているんだ!』
 いきなりマルシオはトールに怒鳴りつけられた。
「ティ、ティシラがどうしてもって聞かなかったんだ。お前なら分かるだろ?」
『だからって、どうして僕に隠す必要がある。あれだけ心配してたのに、まさか自分たちから進んで敵地に乗り込んでるなんて……』
 水晶の向こうからため息が聞こえた。トールは身内でもない自分たちをずっと気にかけてくれていた。それを思うと、申し訳なかった。
『それで、どういうことなんだ。ティシラが娼婦のふりをしてラストルの寝室に入り込んで、二人は一晩、何をしていたか、知っているのか?』
「し、知らないよ。夜中にティシラが泣きながら恨み言を言ってただけで……俺も心配してるんだ」
 トールはもう一つ、大きなため息をついた。責められているようで、マルシオは更に小さくなる。
『……僕は聞いてるよ』
 マルシオは短い声をあげ、反射的に水晶を両手で掴んだ。教えてくれと言う前に、トールが答える。
『ティシラは一晩中、トイレに閉じ込められていたそうだ』
 聞いた途端、昨夜のティシラの言動の理由が分かった。マルシオの頭の中でいろんなものが繋がる。ラストルならそれくらいの陰湿なことをやってもおかしくないし、そんな仕打ちを受けたティシラが殺意を抱くのも当然だと思う。
 それでも、ティシラは堪えたのだ。あの我がままでプライドの高いティシラが。そう思うと、マルシオは居た堪れなくなる。
『……で、今、君は一人でシールにいるのか?』
 どき、とマルシオは肩を揺らした。離れた場所にいるロアを横目で見たあと、すぐに目線を戻し、うんと返事をする。トールと何を話そうが、ロアの存在だけは隠すようにと言われていたのだった。
『ティシラと二人でそこまで行動したのか? 手引きしたのはルミオルだろうが……』
「ル、ルミオルは、アドバイスくれたりしたけど、手引きってほどじゃ……自分はシールに行くわけにいかないからって留まったけど」
『当たり前だ。ルミオルまでシールに潜入してたら、僕はどうしていたか分からない。ラストルのことだけでも頭が痛いのに、これ以上悩みを増やさないでくれよ』
 泣きそうなトールの声を聞き、この件で一番苦しんでいるのは彼かもしれないと、マルシオは更に気が重くなった。
 何を言ったらいいか分からずにいると、弱音を吐いている場合ではないとでも言うようにトールから尋ねてきた。
『それより、ティシラが言ってたことは本当なのか?』
 魔女、魔族のことだ。マルシオも気持ちを切り替え、顔を上げる。
「トールはどこまで聞いてる?」
 トールは早朝にドゥーリオから連絡をもらった。そこでティシラの名前を聞いただけで卒倒しそうなほどショックを受けた。そして、なぜ彼女が来たのかを聞き、目眩を起こした。
『ドゥーリオは朝にティシラから話を聞いたらしい。ラストルは信じないどころか、聞く耳さえ持たないそうだ』
 そんなラストルの様子を想像するのは容易かった。
「俺は、その魔族も何も見てないから分からないんだ。でもティシラだって、確信もないのにあそこまで強引に、危険を犯してまで行動を起こすとは思えない。嘘にも聞こえないし、でも、俺はまだ実感が湧かないのが正直なところだけど……」
『そうならそうで、どうして……』
 トールは重い口調で、語尾を濁した。どうして自分に相談してくれなかったのか、彼はそう言いたかったのだろう。だが、言えなかった。なぜティシラとマルシオが自分の言わずに行動したのか、その理由が分かったからだった。
 ティシラの言うことには、証拠がない。彼女がどこかで何かを見たという証言だけでトールがカーグに疑いをかければ、酷い侮辱であると、逆に分が悪くなるのだ。それに、カーグが本当に無罪の魔族や村人を拘束しているとしたら、証拠隠滅のためにそれらの命さえ危うくなる。
 ため息が止まらなかった。ティシラや無罪の被害者たちのことも気にかかるが、ラストルの身が危ない。やはりカーグはラストルを潰すことを目的にしていたのだ。
『……希望は、ティシラだけってことか』
 今は、そうだ。マルシオも分かっている。自分も、トールも、何かしら事が形にならない限り手出しすることはできないのだから。
 心配しても無駄だが、心配するしかできない。二人して虚ろになっていると、トールの背後から別の声が聞こえてきた。
『マルシオ』
 ライザだった。話を聞いて飛んできたのだろう。取り乱した様子で、声を荒げている。
『どういうことですか。ティシラがラストルのところへ? なぜそんなことに……!』
 マルシオが返事に困っていると、トールがライザを宥め始めた。会話の内容まで聞き取れなかったが、二人の言い合っている声だけが水晶の中でこだましている。
 ライザはいつもラストルとルミオルのことを気にかけていた。トールと同じように、ただでさえ不安なのに、そこにティシラが飛び込んでいったと知り、じっとしていられないのだろう。
 次第に二人の声が落ち着き始め、ライザの「分かりました」という言葉が聞き取れたかと思うと、マルシオに向かって彼女のいつもの声が届いた。
『……マルシオ、話は聞きました。今はまだ驚いているけど、簡単にティシラを連れ戻す方法などないと、割り切ることに努力します』
 ライザの声は少々震えていた。感情が昂ぶっているのを抑えているのが分かる。
「勝手なことをしてしまって……ごめん」
 マルシオが素直に謝ると、ライザは自分の中にある感情のぶつけどころはどこにもないことを重く思い知り、更に声を落とした。
『あなたが謝ることはありません。私は、ティシラを信じることにします。それしかできることはないのですから……』
 ライザの苦悩はマルシオにもひしひしと伝わり、水晶の向こうでも蔓延しているのが分かった。やはり何も言えなかった。ライザも言葉を失い、とうとう沈黙してしまう。
 どうしよう、とマルシオが困っていると、トールが空気を壊すような軽い発言を始めた。
『それにしても、ラストルが寝室に女性を入れて、しかもそれがティシラだって聞いたときは倒れそうになったよ』
 すっかり目線が落ちていたマルシオとライザははっと顔を上げた。
『まさか二人はそんな関係だったのかなんて、頭の中がぐちゃぐちゃになったんだけど、ライザもそうだったんじゃないか?』
 トールなりにライザの気持ちを解そうとしているのが、マルシオには分かった。そして、ライザが水晶の向こうで顔を赤くしていることも、感覚で伝わった。どうやら図星のようだ。
『そ、そんなこと……!』
『そういうことじゃないって聞いて、ほっとしたような残念なような、複雑な気持ちになったんだ。まあこないだまでティシラはルミオルと仲良くしてたんだから、こんな短時間でラストルに乗り換えたなんて、さすがにないとは思ったけど』
 トールの失礼な言い方に、マルシオもむっとなった。それより早く、ライザがトールを怒鳴りつける。
『何を仰っているのですか! ティシラには息子たちと仲良くして欲しいですが、乗り換えるだとか、そういう下品な言い方はおよしください!』
『あ、ああ……ごめん。そういう意味じゃないんだけど。いや、でもさ、ティシラがラストルと結婚したら面白そうだなー、なんて、ちょっと考えたんだよね』
 どうして怒られると決まっているようなことを平気で口に出せるのか、マルシオは呆れるしかなかった。
「トール、いい加減にしろ。こんなときにふざけるなよ」
『ふざけてないよ。僕は、ティシラならラストルみたいな奴だって付き合えるんじゃないかって思ったし、今回のことでもしかしたら親しくなるかもしれないだろう? そうなったら、僕は見守るつもりだよ』
『やめてください!』とうとうライザが大きな声を上げた。『ティシラには好きな人がいるんですよ!』
『わ、分かってるけど』
 マルシオでさえライザの怒鳴り声に耳を痛めたというのに、トールにはもっと効いているだろう。だが、それでも話は続いた。
『でも、ティシラがラストルを好きになったら、それは僕たちがとめられることじゃないだろう』
『なりません! そんなことはありません!』
『そうかなあ。ほら、ティシラっていつも意外なことばっかりする割りに、口が結構堅いから。何が起きても不思議じゃないと思うんだ』
 もうやめればいいのに、トールはいつもこうなのだろうか。ライザも周囲の人たちも苦労しているだろうなと、マルシオは他人事のように思った。
『あなたがそんなことを仰るなら、私は今すぐティシラを連れ戻しに行きます。ティシラは今でも彼を、クライセン様を待っているんです。記憶がないからって、その隙に心を乱そうだなんて、私が許しません!』
『ちょ、ちょっと待って。ごめん。分かった。もう言わないから……』
 さすがにトールも焦ったようだった。マルシオが口を挟むまでもなく、話は収束していった。





   

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