SHANTiROSE

HOLY MAZE-32






 白い綿の塊のような雲がゆっくりと形を変えている。
 ずっと地下にこもっていた彼に、目が眩むほど強烈に日差しが降り注いだ。サンディルは庭に出たとたん、まぶしい空に手をかざす。
 何かを成し遂げたわけではなかった。サンディルが長い時間をかけて研究していることは、いまだ行き詰ったままで何も変化はない。それでも、やめることができなかった。
 この研究に没頭すると時間を忘れる。だからマルシオには行先は言わずに出かけると伝えてきた。今回も例外ではなかった。
 つい、自分が空腹なことにも気づかず、体力の限界を感じて意識を失いかけることもあった。そんなことをしても意味がないと反省し、最近は適度に休憩を取るように気をつけている。
 明るく大地を照らす太陽の光を浴びていると、今まで地下にこもっていた自分の暗い気分を浄化してくれるようだ。少しずつ、何か一つの終わりが近づいていることを予感しながら、愛情こめて育てた花や木々たちのもとへ足を進めた。
 サンディルが育てている植物は数えきれないほど、種類が豊富だった。一般的に親しまれているものから、誰も名を知らないような奇妙なものまで、育てた彼にとってはどれも愛しいものである。サンディルはそれぞれの植物の性質を研究し、それに合った土や水、栄養分を自作することも多かった。彼の手にかかればどんな植物にも季節に関係なく成長していく。あまり好き勝手にすると季節感を失い庭の景観がめちゃくちゃになるため、色や配置も考えるようになった。昔は息子にセンスがないと文句を言われることも多かったが、今は誰が見ても、よく手入れの行き届いた、成熟した庭と感じてもらえる。と言っても、これを目にする者は限られているのだが。
 サンディルはそんな愛しい庭をゆっくりと歩き、一つ一つに微笑みかけていった。
 ふと、足を止める。そこには、まだ種を撒いたばかりの平地があった。たくさんの植物に囲まれた中にぽつんとある、小さな地面だった。
 そこは、ティシラに貸した――いや、あげた土地だった。
 暇な時間の多かったティシラに、サンディルは花を育ててみないかと声をかけた。
「花は好きだけど……」
 育てたことなんかないし、そもそも花がどうやって成長するのかも何も知らない。そう言いながら乗り気ではなかったティシラを、サンディルは強引に庭に連れ出した。
 最初は日の光を眩しそうにしながら渋々着いていくティシラだったが、いろんな植物を見ているうちに、興味を示し始めた。
「魔界の植物はどんなものがある?」
「魔界の植物は暗い色のものが多いの。枯れたまま生きてるものもあるし。でもきれいな花もあるのよ。人間界から持ってきたものか、天使からもらったものかわからないけど、一部の職人が特殊な場所で育てているって聞いたわ。だから魔界では花はとても高価で、身分の高い者しか鑑賞することができないの」
「道端に咲く小さな花も草も、すべて平等に命がある。だからこそ美しく、人々に愛されるんじゃ。そして育てた者が心を込めたものは、さらに感情が宿ると言われている」
「感情が?」
「花はしゃべりも動きもしないが、毎日見ていると日によって、今日は機嫌がいい、今日は調子が悪いなど変化を読み取ることができる。儂はそれが花の表情だと思っている」
「それって、人間の思い込みじゃないの?」
「そうかもしれない」サンディルはもっともだと思い、小さく笑う。「だが暖かい光、おいしい食事、家族からの愛情をもらって不幸になる命はないじゃろう?」
「家族? 花なのに?」
 変なの、とティシラは理解できずに首をかしげる。
「大事に育てれば花は与えた愛情に応えてくれる。花がきれいであればるほど、儂の悩みや疲れを軽くしてくれる。お互いに与え合う関係になることは、家族と変わらんと思わないか?」
 ティシラは分かったような分からないような顔で肩を竦めた。そんな彼女にサンディルは「やってみれば分かる」と話を進めていった。
 まずは空いた土地を均し、いくつかの種をティシラに見せた。ティシラにはどれが何の種か分からない。
「どれでもいい。どれも、きれいな花を咲かせる」
 ティシラは眉間にしわを寄せつつ、ちょっとだけ時間をかけて種を選んだ。

 最初は面倒くさそうにしていたティシラだったが、うまく芽が出ないこと、すぐ周囲に関係ない雑草ばかりが出てくることにいら立ち始め、それが彼女の闘争心に火をつけた。花一つにバカにされているようで、絶対に成功させてみせると、自ら庭に出るようになっていった。
 サンディルはその様子を嬉しそうに見ていた。与えられてばかりいたわがままな彼女が、自分から命を育てようとしている。魔界にはない植物の生命力の輝きをその目で見て体で感じることで、きっと人間界を好きになってくれると信じた。

 そうやってティシラが不器用ながら育てていた種が、芽を出していた。
 サンディルは腰を折ってじっと見つめた。間違いない。雑草ではなく、確かにティシラの撒いた種が命を宿したのだ。
 サンディルの胸がいっぱいになる。
 あのとき、ティシラが何も知らず、無作為に選んだ種は、「紫蘭」。
 宿る言葉は「あなたを忘れない」。
 蘭の種だと教えると、ティシラは好きな花だと喜んでいた。だけど、それだけではないはず。サンディルはティシラの無意識のところにある心の声を聴いたような気がして居た堪れなくなった。
 この花は絶対に咲く。サンディルは確信していた。
(芽が出たことを知ったら、喜ぶだろうな……)
 それまでは自分が守っていこうと思う。反則かもしれないが、ティシラに感動を知ってもらいたく、自作の肥料を与えて早く成長させようなどと考えていた。
 サンディルは空を仰ぎ、ティシラが早く帰ってくるよう祈った。



*****




 ティシラはあのあと、疲れたと言ってそのままドゥーリオの部屋のベッドに倒れこんだ。
「あ、あの……」ドゥーリオは困った様子で駆け寄り。「ここで休まれても……シールの従者や派遣先にも報告しないといけないのでは」
「そんなのてきとうにやっといてよ」ティシラは枕に埋めた顔をあげ。「あ、でもうまく話してよ。おかしなことして失敗したら許さないからね。ラストルだって大変なことになるんだから」
 ティシラのいうとおりだ。ドゥーリオは重い責任を感じ、息を飲んだ。
 ティシラは返事もきかずに、数秒で眠りに落ちた。それを見つめ、ドゥーリオは頭を抱える。
 ソファに腰かけてしばらく考えた。しかし考えてもどうしようもないことに気づく。そして、いつから自分がこうなったのかを思い出した。
 ラストルの側近という重要な立場をいただいたときは、身に余る光栄だと気を引き締めたものである。もう何人も解雇されている理由ははっきり分からなかったが、今までの者ができなかったことを成し遂げてみせると心に誓った。
 あの頃は自信があった。魔法軍の軍人としての実力も実績もあったし、たくさんの部下を育て、従わせてきた。陛下や魔法軍長に信頼されているという自負があり、だからこそ自分が選ばれたのだと誇らしくさえ思った。
 しかし現実は違った。ラストルにはどんな力も通用しなかった。彼がすべてを拒絶していたからだ。
 いるだけでいい。何もするな。逆らおうものなら解雇する――今までの者と同じように。
 そう言われ続け、ずっとそうしてきた。いつしか、諦めていたのだ。
 違う、とドゥーリオは拳を握る。そんなことのためにこの仕事を受けたのではない。ラストルを守り、支えたい。これまではその手段が彼の言いなりになることしかなかった。今は違う。いや、これまでも他に手段があったのかもしれない。それを見い出せなかったのは自分の未熟さゆえ。
 ドゥーリオはそう考え、次の作戦のため、めげずに逞しく英気を養うティシラを見つめた。
 ラストルも人間。必ずどこかに隙がある。彼に歩み寄るため、ドゥーリオは重い腰に力を入れて立ち上がった。



 ドゥーリオは勇気を出してラストルの部屋をノックする。名乗ると、「入れ」と返事があった。
 ラストルは既に着替えを済ませており、あとはマントと装飾品をまとうだけの状態でソファに座っていた。ドゥーリオは急いで茶を入れ、彼の前にそっと置く。
「あの、昨夜は……」
 そう切り出すと、ラストルは眉を寄せてドゥーリオを睨み付けた。
「あ、いえ、昨夜のことは存じております……ティシラ様のこと、いかがなさいますか」
「誰のことだ」
 目をそらして白々しい返事をするラストルにドゥーリオは戸惑うが、機嫌を損ねないように話を進めなければいけない。
「陛下のご友人の方です。少しお話しましたが、彼女のいうとおり、ここにご滞在の間は置いておいたほうがよろしいのではと思うのですが」
 ラストルはティーカップを口に運び、今日も曇りの空を窓越しに眺めた。
「どうせ、来るなと言っても来るのだろう?」
 意外な反応に、ドゥーリオは目を丸くした。それを悟られないよう、慌てて顔を伏せる。
「確かに、敵国に妙な噂を立てられるのも不名誉だ。あんな小娘に情を抱いていると思われるのも屈辱だが、人前で私に恥をかかせないと誓えるなら、許可してやってもいいかもしれないな」
 ドゥーリオは一つの難関を超えられたと、胸中でほっとした。しかしこんなこともあるものなのかと、驚きは否めない。
 不名誉、屈辱というのも本音なのだと思うが、ティシラは中身はともかく、黙っていればラストルとつり合いが取れるレベルの姿をしている――実際、魔界で最高位の血筋であり、絶世の美女である母を持つ正真正銘の姫であるのだから当然なのだが、ラストルもドゥーリオもそこのとはまだ知らない――利用価値があると考えたのだと思う。
 それに、意外にもティシラがラストルの言いつけどおり、一晩中おとなしくしていたことで少しは気が変わったのかもしれない。ラストルが彼女のことを何も知らないが故とはいえ、これはいい転機の前触れではと、ドゥーリオはひそかに期待を抱いた。
「仰せのままに」
 ドゥーリオははっきりとした言葉を聞かぬまま、頭を深く下げた。
「どうした」ラストルは皮肉に口の端を上げる。「嬉しそうだな」
「いえ……ティシラ様は陛下のご友人。一人でも信頼できる者が多いというのは心強いと思いまして」
「私はあの者を信頼したわけではない。身の振り方を、お前からよく言って聞かせておけ」
「は。心得ました」
 ドゥーリオは再び深々と頭を下げ、今日の予定を確認しますと言って室を出て行った。





   

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