SHANTiROSE

HOLY MAZE-04





 エルゼロスタはエンディの祖父が設立し、二百年ほどの歴史がある。
 エンディの祖父は妻と二人で、田舎で農業に勤しんでいた。しかし、二人は子宝に恵まれないという悩みを持っていた。前向きで働くことが好きな夫婦は、このまま一生畑仕事で終わるよりもと、ある日、家と土地を売って二人で旅に出た。
 その途中で一人の少年と出会った。少年は両親を事故で亡くして一人で旅をしていた。夫婦は不憫に思い、少年に食べ物を与えた。すると少年はお礼に芸を見せてやると言って、近くにあった木に軽々と登り、太めの枝の上で逆立ちをして見せたのだった。
 こうして少年は、行く先々で人を探してささやかな芸をしてみせ、施しを受けて空腹を凌いできたと話した。少年は風呂に入り温かい布団で眠りたい、なんでもするからずっと一緒にいてくれる家族が欲しいと言った。
 子供が欲しかった夫婦は、これはきっと運命の出会いだと思い、少年を受け入れた。少年は喜び、優しい夫婦のために一生懸命働いた。
 数年が過ぎ、少年は青年となった。芸は子供のそれではなく、趣味とは言えないほどの収入を得るようになっていった。息子に才能があることに気づいた夫婦は、彼の活躍の場を模索して各地を回った。そしてある役所に相談したときに、劇団でも作ってみればいいと教えられ、すぐに行動に移した。
 批判されたこともあった。惨めな思いをしたことも、恥をかいたときもあった。だが、日々輝きを増しながら成長していく息子の姿に励まされながら努力を怠らなかった。
 そうしているうちに、彼の周りには夢を抱きながらも叶える手段を持たない少年少女が集まり始めた。夫婦は身寄りのない子は引き取り、親のいる者は家族とよく相談させた。そうやって一人二人と息子の仲間は増えていった。
 エルゼロスタが有名な武芸団に成り上がるまで、何もかもが順調だったと、辛いことが苦にならないほどの成功を手に入れることができたと夫婦は語っていた。
 息子は団員の一人だった女性と結婚して子を授かり、エルゼロスタはますます栄えていった。
 夫婦は、順風満帆で円満な家族の姿に満足し、天命を全うした。
 今も順調にエルゼロスタは成長し続けている。こうしてティオ・メイという大国に贔屓にされ、立派な舞台や生活の保障をされることがどれほど幸運なことなのかを分からない者はいない。
 エンディの祖父はこうも言っていた。「恵まれていたのは才能ではない。人との縁、それだけだ」と。
 夫婦の間に最後まで子供は生まれなかった。しかしそのおかげで芸達者で家族思いの少年と出会い、今があるのだ。
 現団長のエンディは、夫婦の養子となった少年の実子である。血の繋がりはないのに、なぜか、数年前に他界した夫婦が本当の家族のような気がしていた。


*****



 嫌な客を追い払って清々したシオンを始めとする団員たちは笑顔で楽屋に戻った。
「みんな、お疲れ様」
 シオンは団員一人ひとりの肩や背中を叩いて挨拶していく。
「シオン、かっこよかったぞ」
「最後のパフォーマンスは余計なサービスだったけどな」
 そう言いながらシオンの頭をこつく彼は、炎を使った芸が得意なアミネスだった。シオンは彼の手を振り払って口を尖らせた。
「なによ。あれくらいいいじゃない。私を買おうとしたのよ。失礼にも程があるわ」
「ま、そうだけどな」アミネスは肩を竦め。「でもあのまま体を触られたらどうするつもりだったんだよ」
「――そうだ」
 アミネスの言葉に、低い声が続けた。途端、楽屋から笑みが消えた。声はエンディのものだった。一同は緊張して彼に注目する。
「ルールを冒したのはあの男だ。毅然とした態度で断るのは当然のこと。しかし、神聖な芸の道具で脅すなど、シオン、お前も度を過ぎている」
 エルゼロスタで団長エンディの言葉は絶対だった。彼女を庇いたい者は多かったが、目線を下げて黙っていた。
 シオンもしゅんとなってエンディに近寄った。
「ごめんなさい。もう二度と剣で脅したりしません」訴えるように顔を上げ。「でも、私も怖かったの。魔女だなんて言われて……あのまま何もしなかったら、私、どこかへ連れていかれていたかもしれないのよ」
「そうだな……だが、そんなことは、俺がさせない。だから二度とあんな真似はするんじゃない」
 シオンに少し笑顔が戻った。
「……ありがとう。そうね、お父さんへの信用が足りなかったかもしれないわ。でも、私はお客さんのことを信じたの。きっとみんなが助けてくれるって。危険な賭けだったけど、みんなは私を裏切らなかった。嬉しかったわ。全部が悪いことばかりじゃなかった。でも、もうあんなことはしないって約束します」
 シオンは深く頭を下げ、体を起こしたあと、厳しいエンディの目を見つめた。
 エンディはしばらく瞬きもせずに、睨むようにシオンを見つめ返している。そのあいだ、わずか数秒だったのだが、団員たちが押し潰されそうなほど室内の空気は凍りついていた。
 ふっと、エンディが彼女から目線を外した。
「……今度、剣を芸以外の目的で使ったら、舞台から引き摺り下ろす。いいな。シオンだけじゃない。他の者も、心しておくように」
 エンディは言いながら奥の部屋へ立ち去っていく。許しを得たシオンは、確実に彼に聞こえるように「はい」と大きな返事を返した。


 再び気を緩めた団員たちは片付けを終え、専用の馬車を使って宿舎へ帰った。
 数十人が生活するそこはエルゼロスタのために設けられた大きな屋敷だった。郊外から少し離れたところにひっそりと建ち、武芸の練習が十分にできる広い庭もある。周りをぐるりと囲む塀は、練習風景を覗かれないように高めに作ってあった。その向こうには植林をされており、団員たちはのどかに、のびのびと過ごすことができる。
 仕事が終わったあと、団員たちはまっすぐにここへ戻り、エンディの妻であるキリスが用意した夜食をいただく。今夜も一階の広間に集合し、本日の舞台の反省会に談笑を交えながら寛ぐのだった。


 食事や風呂を済ませると、一同はそれぞれの部屋へ戻ってぐっすりと眠る。
 シオンが自室で灯りを落とし、長い髪を梳いているところに戸がノックされた。
「……シオン、私よ」
 キリスの声だった。シオンはすぐに戸を開ける。
「疲れているところにごめんなさい。少しだけ話をしたくて」
 シオンには彼女の話したいことすぐ分かった。キリスをソファに座らせ、自分も隣に腰を下ろす。
「お父さんに聞いたのね。今日の騒ぎのこと……」
「ええ」
 キリスはエンディの後妻だった。
 シオンの産みの母親は、幼い頃に事故で亡くなっている。彼女はエルゼロスタの一員で、シオンによく似た美しい女性だった。シオンと同じく剣を使った舞踊が得意な花形芸人だった。シオンは今でも、昔を知る人に「母親の生き写しだ」と言われることがある。
 エンディは妻を失くし、気落ちしていた。数年が経ち元気を取り戻した頃に、キリスと出会った。再婚を望んでいたわけではなかったのだが、人一倍面倒見がよく献身的なキリスは魅力的で、「彼女はエルゼロスタの母だ」という、シオンを含めた団員の総意に押されて一緒になった。
 キリス自身は、前妻のような美貌も華もなければ、芸の一つも持たない自分がそんな資格はないと遠慮していた。
 だが、「前の妻には無理をさせすぎた、シオンにまで同じ道を進ませないように、影で支えてやって欲しい」というエンディの言葉に心を打たれ、ここに腰を下ろす決心をしたのだった。
 キリスはシオンの手を取り、目を伏せる。
「……嫌な思いをしたそうね。大丈夫?」
 シオンも、彼女の少し荒れた手を握り返した。
「私は大丈夫よ。お父さんも許してくれたし、また明日から頑張るわ」
「無理をしなくていいのよ……魔女だなんて、酷いことを言われたんでしょう?」
「なんてことないわ。だって私は魔女じゃないもの。私は人間よ。体一つで踊っているの。何もやましいことなんかないんだから、平気よ」
「そうだけど……」
 晴れない様子のキリスの手を、シオンは胸元まで持ち上げた。
「大丈夫。私には、エルゼロスタには強運があるの。何か見えないものに守られ、力を与えられているのよ。信じて。私たちの未来は、もっと明るくなる。もっともっと繁栄するの」
 屈託のないシオンの笑顔に、キリスは戸惑いを隠しながら微笑み返した。
「……ええ、そうね。先のことは分からないけど、真っ直ぐに進んでいれば、きっとこの幸せが続くわ」
「そうよ。私たちの幸せはずっと続くし、きっと今以上の幸運を掴むことができるはず。だから私はもっと綺麗になって、もっと芸を磨くの。お父さん、お母さん、家族である団員のため。そして、私たちの後継者のために」
 シオンの家族思いの優しい心も、実力と努力に相応する自信も、彼女の魅力の一つであるとキリスは認めていた。だが、何かが引っかかっていた。
 シオンは何の抵抗もなくキリスを母と呼び、いいことも悪いこともすぐに話してきた。母子として、女同士としてのいい悩み相談相手でもあった。
 しかし、シオンはそんなキリスにも、団員の誰にも言えない秘密を持っていた。いつかきっと堂々と打ち明けられる日が来ると信じ、今は一人で内に秘め続けていたのだった。
 キリスも、エンディもその気配を感じ始めていた。それが何なのかは分からず、今はまだ見えない「不安」でしかなかった。
 エンディは、シオンはもう一人でものを考えて判断できる。だからしばらくは様子を見ようとキリスに話していた。だから、キリスはそれ以上何も言わなかった。


*****



 皆が寝静まった深夜。
 団員は疲れて熟睡している者がほとんどで、人一人が起きて宿舎を出ていっても気づかれることはない。
 だからと言って泥棒にまで自由にさせるわけにはいかないと、ティオ・メイから二名ほど派遣された警備員が日替わりで、塀の外で見張りをしてくれる。
 だが彼らもそれほど厳戒ではなかった。そのことを知っているシオンは、マントとフードを深く被った姿で裏口から抜け出した。


 シオンは足音を潜めて城下町へ向かった。人の少ない狭い通りを潜り、周囲を気にしながら目的地へ向かう。
 シオンが夜中に抜け出すのは初めてではない。極力人の少ない、道というよりただの通路のようなところを慣れた様子で進んでいく。間違って大通りになんか出れば大変なことになる。夜の城下町は酒飲みたちで賑わっているのだ。その周辺に近寄らないようにするだけではなく、すれ違う人さえ皆無である静かな道を選んでいた。


 迷路のような通路を複雑に曲がり進み、あるボロアパートに入る。
 あまり手入れのされていなさそうな廃れたこのアパートに住んでいるものは数名だけだった。それも住むところを持たない乞食のような者が寝泊りし、いつしか消えていなくなる程度である。そのうちに幽霊アパートと言われ始め、好き好んでここに近寄る者はほとんどいなかった。
 廃墟になりつつあるそこの階段を、シオンはゆっくりと上った。三階で足を止め、廊下に出る。並ぶ部屋は四つ。その一番奥から、僅かに灯りが漏れていた。
 シオンはそれに気づき、すぐに足を進めた。
 ドアには鍵がかかっていた。従来の鍵は壊れて使い物にならないのだが、その部屋だけは内側から、誰かが持ち込んだ南京錠で閉じられている。そのことを知っているシオンは指の節の先でコンコンと叩く。
 ドアはすぐに開いた。シオンはしつこいほど周囲を確認しながら、素早く部屋へ姿を消した。
 部屋には先住者が置いていった古いソファや壊れかけた机だけで、壁も剥がれている状態だった。部屋から漏れていた灯りは、机の上に立てられたろうそくの光だった。
 シオンは中へ迎え入れてくれた「彼」に、フードの中から微笑んだ。
 相手もまたシオンと同じようにマントにフードという怪しい恰好をしており、顔は見えない。
「……誰にも見つからなかったか」
「彼」はフードの中から低い声で囁いた。シオンは深く頷いたあと、我慢できなくなったように彼に抱きついた。彼もシオンに腕を回し、優しく力を入れる。
「急に呼び出してすまなかった」
「ううん。嬉しいわ」
「疲れているだろう?」
 シオンは彼の胸に顔を埋めたまま、首を横に振った。
「疲れも、嫌なことも全部吹き飛んだわ。あなたの傍にいられる時間が、私にとって一番幸せなの」
 しかしその時間は短い。だからこそ尊く、愛しいものだった。
「……愛しているよ、シオン」
 彼は指先をフードにかけ、ろうそくの灯りの元にその姿を晒した。シオンが顔を上げると、彼女のフードは自然と背中に落ちる。二人は誰にも見せたことのない表情で見つめ合い、シオンは彼の高貴な緑の瞳に引き込まれていく。
「私もよ……ラストル」


   

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