SHANTiROSE

HOLY MAZE-50






 ルミオルの来訪の報せを聞いて、トールはすぐに治療室を出た。
 直後、ライザも飛び出してきた。今にも息を引き取りそうなラストルの傍を離れたくなかったが、ルミオルも同じ大事な息子。なんでもいい。救いが欲しくてじっとしていることができなかったのだった。
 正面玄関から城内の門を潜り、エントランスを抜け、更にまっすぐ進んだ廊下の突き当りにある大きな部屋へトールは向かう。要人が国王との謁見の際に使用される室だった。
 報せに来たディルマンは早足でトールとライザの後を追いながら、赤いマントと金の王冠を差し出す。
「親子の対面なのだからそんなもの……」
 そうトールは言うが、ディルマンは声を潜めて状況を説明した。
「客人はルミオルという名の旅人ということになっております」
「え? どうして?」
「ルミオル様のご意向でございます」
「やけに遠回しなことを……だったら謁見の間に呼ぶのは不自然じゃないのか」
「旅人は国を救うかもしれない重大な情報をお持ちとのことです。謁見の間にお通しすることはダラフィン様のご判断です」
「国を救う?」
 トールは更に足を早めた。ルミオルがこの混乱の中やってくるということは、不本意でありながらも、役目を感じたのだろうと思う。トールもライザも胸にこみ上げるものを強く感じ、抵抗せずに受け入れた。


 トールは慣れた手つきで王冠とマントを身に着け、開かれた謁見の間へ足を踏み入れた。
 室内の段上にある王座の前に立ち、先に来ていた旅人を見つめる。ライザも感情を抑え、トールの隣に並んだ。
 旅人はフードを被ったままで顔が見えない。背後にはダラフィンが頭を下げていた。更に後ろには警備兵が等間隔に左右に並んでいるはずなのだが、それらの姿はなかった。勘当されたルミオルが旅人を装って国王に会いに来た。それだけで国家機密に値する出来事であり、その二人の会話がただの雑談であるはずがない。ダラフィンが時間短縮のため、既に人払いを済ませていたのだった。
 旅人はゆっくりと右手を胸に当て、丁寧に一礼する。
「国王陛下、女王陛下に御目見得でき至極光栄に存じます」
 わざとらしい……とトールは思いながら王座に腰を降ろす。茶番に付き合っている余裕はなかった。
「今は僅かでも時間が惜しい。速やかに話を進めたい。重大な情報とは、一体なんだ」
 普通なら一国の王が顔も見せず名乗りもしない者と話しをするなどあり得ないこと。ルミオルはフードの中で笑い、顔を上げる。
「御国の一大事は存じております。ですが、私はただの旅人。私にとってその情報は重大ではない可能性もございます」
「なんだと?」
「ティオ・メイにとっては国を救うほどの情報でも、私の腹は膨れぬ些末なこと、ということです」
 トールは眉を潜める。ルミオルは情報の提供と引き換えに見返りを要求しているのだった。本来ならこのような無礼は重罪。だがその場にいた誰も、旅人を止めようとしなかった。その代り、ダラフィンもディルマンも、密かに頭を痛めていた。
 トールも同じだった。ライザはそれどころではなく、今すぐ抱きしめたい息子をじっと見つめていた。
 面倒な、とトールは思うが、これがルミオルなりの復讐であり、けじめなのだと思う。反乱に失敗し、王家を追放された彼が、何もなかったかのように王子として国に貢献しては誰に対しても示しがつかない。ルミオルは自分のため、王家のために道化を演じていたのだった。
「分かった」トールは多くを語らず。「お前にとって些末な情報、私が買い取ろう。お前の望む報償を、好きなだけ与える。ただし、内容に見合っている分だけだ」
「さすが聡明なトレシオール国王陛下。感謝いたします」
「……とりあえず」トールは皮肉な笑みを浮かべ。「顔を見せてくれないか」
 旅人に人差し指を向ける。するとルミオルは惜しみなく片手でフードを下ろした。
 何も変わらない、いや、依然より大人の表情を浮かべるルミオルを見て、途端にライザが唇を噛んだ。今すぐ駆け寄りたかった。兄が生死の境を彷徨っている悲しみを一緒に共有したかった。
「ラストル王子のこと、心中お察しいたします。先に申し上げておきたいのは、私の持つもので王子のお命を救うことはできないでしょう」
「では、お前は何を持ってきた?」
「真実です。ラストル王子は魔女に呪いをかけられたため危険な状態に陥ったとシールの報道ではなっておりますが、王子に致命傷を負わせたのは、魔女ではない別の人物の可能性が高くございます」
 トールは目を見開き、身を乗り出した。
「結論から申し上げます。ラストル王子には情を交わす女性がいたのです」
「ルミオル、それは誰だ。お前は知っているのか」
「ええ、だから来たんですよ」
「その者がラストルを刺したのか。教えてくれ。誰なんだ」
「その前に、陛下、少しお尋ねさせてください。犯人を特定し、どうなさるおつもりでしょうか」
 突然のルミオルの質問に、トールは息を飲んだ。彼の疑問はもっともだ。犯人を特定してもラストルが助かるわけではない。ではその犯人をどうするべきだろうか?
 隣のライザはまるで子供のように困惑した表情で二人を交互に見つめていた。彼女は冷静ではない。トールは自分で考え、答えを出した。
「今、ティシラが疑われて捕えられている。カーグはラストルを利用する計画に失敗し、代わりに捕えた魔女を問答無用で処刑することで手柄をものにしようとしているんだ。そんなことのためにティシラを犠牲にするわけにはいかない」
「では、王子を刺した者への処罰はどうなさるおつもりでしょうか」
「その者が犯した罪は裁かれるべきだ。だがラストルは誰にも言わず、隠れて交際をしていた。だったら二人のことは二人の責任だ。ラストルが刺されるに値するような残酷なことをしたのなら、相手が誰であっても、私はその者に報復を与えるつもりはない」
「もし、ラストル王子がこのまま息を引き取っても、受け入れますか?」
「……受け入れるも何も、抗いようのない現実にどうして逆らうことができるだろうか。だが私はまだラストルがいなくなることは考えていない。今は、なぜこんなことになってしまったのか、真実を知りたいだけだ」
 そうでなければ正しい行動を起こせない。そうでなければ、ティシラを救うことができない。トールはルミオルに、本心を伝えた。
 二人は対等の立場で会話を続けていた。ルミオルは、父親が自分を必要としているような気がして、ずっと閉ざしていた心が開かれたような気がして、嬉しかった。
 あとは国王に任せていい。ルミオルは必要な情報を、トールに渡した。
「ラストル王子が交際していた女性は、エルゼロスタ武芸団のシオンという剣舞を得意とする娘です」
 トールとライザは強い衝撃を受けた。ダラフィンもディルマンも同じ表情を浮かべている。
 エルゼロスタのことは当然知っている。城に何度も招いたことがあるし、国が補助金を出しているのだから当然だった。
 シオンという娘のことも、ここにいる皆がすぐに顔を思い浮かべることができるほど、印象深い美しい女性だった。「まるで女神」だと言われるのも納得できる美貌と非凡な才能を持ち合わせている。誰もが目を奪われるほど魅力的ではあるが、まさかラストルも例外ではなかったことに驚きを禁じ得なかった。
「そうだ……」トールは無意識に立ち上がり、額に汗を流した。「エルゼロスタは数日前に、突然休演している。理由は団員の体調不良と聞いていたが」
「ええ」ルミオルは小さく頷き。「シオンはラストル王子を追っていったのでしょう」
「それでは、シオンがラストルを刺したと……?」
「証拠はありません。分かるのは、エルゼロスタにシオンの気配がないこと……あとは私の憶測です。ラストル王子は魔女に心を奪われ、その姿をシオンに見られた。理由を知らないシオンが逆上し、使い慣れていた短剣で王子を襲った……それほど無理のある流れではないかと思うのですが、いかがでしょう」
 簡潔なルミオルの話は、トールには十分に価値があった。トールはディルマンを呼び、王冠とマントを外して手渡した。
「あなた、何をなさるの」
 ライザもすぐに腰を上げ、トールに近寄る。
「今からエルゼロスタに行く」
「なんですって?」
「本当にシオンがラストルと交際していたのか、そしてシオンが今どこにいるかを確認しなければいけない」
「どうやって確認なさると仰るの」
「シオンの父親は団長だっただろう。彼と話をする」
「今ですか?」
「ああ、今すぐだ」
「陛下」ダラフィンが一歩前に出て。「陛下が直々に面会なさると? 今国は混乱しております。使者をお使いになれば……」
「いいや。私が行く。ここで使者が行って戻ってくるのを待っている理由はない」
 誰もトールを止められないと思った。ディルマンは重みのある王冠とマントを両手で抱え、俯いた。
 トールは身軽になって段上を下り、ルミオルの前で足を止めた。
「ルミオル。感謝する」息子の肩を軽く叩き。「ラストルに会っていってくれ」
 トールは半分冗談、半分本気でそう言って笑った。ルミオルは苦笑いを返す。
「結構です……私は、ラストル王子に嫌われていますから」
 トールはもう一度ルミオルの肩を叩いて扉に向かって歩を進めた。そのあとをダラフィンが着いてくる。
「ダラフィン、馬を用意してくれ」
「御意。御付きの者は……」
「不要だ。一人で行く」
 二人はあっと言う間に退室していった。
 ルミオルは見送り、トールに叩かれた肩に片手を置いた。
「……ルミオル!」
 ライザの悲鳴に似た声に呼ばれて振り返ると、ライザが堪えきれずに涙を流しながら抱き着いてきた。
「ルミオル。よく来てくれました。ラストルが……ラストルが……」
 それ以上を言葉にするのが怖くて、ライザはルミオルの胸に顔を埋めて泣き崩れた。
「女王陛下……」
 戸惑うルミオルを、ディルマンがじっと見つめている。ルミオルは仕方なさそうに、ライザの背中に手を添えた。
「母上……お気を確かに」
「ルミオル。私、もうダメかもしれません。私は父を目の前で亡くしました。何もできませんでした。トレシオール様がいたから立ち直ることができたけど……我が子まで失ってしまうなんて、母親として、生きていく自信がないのです」
 ルミオルに同じ気持ちを共有することはできないが、ライザの苦しみは伝わってくる。トールがラストルとシオンの関係を暴いたとしても、ラストルの容態がよくなるわけではない。
「……まだ兄上は生きていらっしゃいます」ルミオルでも、慰めの言葉が見つからなかった。「さあ、兄上のところへお戻りください。傍にいてあげてください」
 ライザは肩を揺らして顔を上げる。そのやり取りを見ていたディルマンは悲しくもあり、感慨深くもあり、しかし涙を拭う両手が塞がっているため、必死でこみ上げるものを我慢していた。


 ルミオルはライザが落ち着くまでここに居ることにした。彼女を支えながら、ディルマンに尋ねる。
「ディルマン、サイネラの姿がないが、どうしている」
 ディルマンはあっと短い声を上げた。
「探しているところでした。お二方は部屋で休んでください。お呼びしてまいりますので」
 そう言って一礼し、マントを抱えて退室して行った。
 いつの間にかライザの涙は止まっており、ディルマンの消えたほうを見つめていた。
「母上?」
 ルミオルが首を傾げると、ライザは何かを思い出したように駆け出した。


 城門前は変わらず人だかりができていた。
 報道関係者が先ほどの侵入者は誰だ、どうなったと、門番を問い質している。門番は困り果てるだけだった。
 ここで今度は国王が一人で出かけてはまた騒ぎが大きくなる。トールは裏門から出ることにし、城門前で兵の一人にフードを被せて囮にし、それをダラフィンが追いかけるという小細工をすることになった。
 作戦はうまくいき、野次馬がちりぢりになったところで、トールは大きな馬を走らせた。
 早朝から城下町は混乱状態にあり、まさか国王陛下が武装もせず、一人で町を走るなど考えたこともなかった人々は目に映ったものを信じなかった。それよりもラストルの容態のほうが気がかりで、不安なまま次の情報を待ち続けていた。


 エルゼロスタの団員の専用寮も暗い空気で包まれていた。
 暇をもらって実家に帰省する者や、息抜きに数日旅行に出かける者もおり、残っている人数は少ない。閑散としている広い寮内は静かで寂しい日々が続いていた。残った少数の者たちは「たまにはこういうのもいい」と気楽に過ごしていたものだが、今朝の報道で団員も町人と同じく、ラストルの行く末を案じていた。
 その中でも、エンディとキリスには重いものが圧し掛かっていた。シオンが家出した理由を知らない団員は多かった。しかしここ数日の二人の様子から勘付く者も出てきた。エンディは、シオンのことはアミネスとフィズに任せてあるとしか言わなかったため、シオンの話は彼女が帰ってくるまで禁句として扱われていた。
 エンディは自室に閉じこもり、早朝に立て続けに配られた新聞をずっと睨み付けていた。シオンが追っていったはずの王子が短剣で刺されて意識不明。嫌な予感しかしなかった。
 そんなわけがない。今頃アミネスたちと一緒に帰路に着いているだろう。そう何度も考えては不安が押し寄せ、悩み果てた挙句、万が一そうだとしても、シオンが好きでやったことならそれでいいと投げやりになる。
 ほんの数時間でたくさんのことを考えた。次から次に溢れ出てくる思考を止めることができない。早く帰ってきてくれと、何度も何度も心の中でシオンに呼びかけた。
 そんなエンディの背中を、キリスは辛そうに見守っていた。一人にしておくべきか、傍にいるべきか分からず、部屋を行ったり来たりを繰り返している。
 そのとき、一人の団員がキリスに声をかけてきた。
「あの、お客さんが尋ねてきていますが」
「お客さん?」キリスは慌てて髪を整えた。「どなたかしら。お店の常連や報道関係の方なら……」
「いえ、団長とお話したいそうです。トレシオールという男性です」
「どこかで聞いたことがあるわ」キリスはエンディの様子を伺ったあと、声をかけてみた。「あなた……お客さんだそうです」
 エンディは居眠りから覚めたかのように丸めていた背を伸ばして振り返った。
「客? 誰だ」
「トレシオールとおっしゃる男性だそうですが、ご存じですか?」
 エンディも聞いたことがあると思い、考えた。その時間は短く、エンディは突然、鬼の形相に変わっていった。


 寮の玄関でトールを迎え入れ、エンディを待っていた団員は奥の客室へと案内しようとした。だがトールは遠慮し、それ以上室内に入ろうとしなかった。
 国王を見たことがなかった団員でも、彼が高貴な身分であることくらいは分かった。何かいい話でもあるのだろうかなどと考えていると、大きな足音が聞こえてきた。団員はエンディのものだとすぐに気付いた。しかも、怒っている。なぜかは分からないが、あの踏みつけるような足音は何度か聞いたことがある。団員はまさか自分に何か落ち度があるのではと不安になり、少し下がって首を竦めた。
 エンディはやはり怒りを露わにしていた。トールも、自分が歓迎されていないことはすぐに察した。そういえば、エルゼロスタとの交渉のとき、団長は気難しい人だと言われていたことを思い出した。
 エンディは相手が国王だと分かっていても謙るつもりはなかった。会釈すらせず、トールに向かい合った。
「私がエルゼロスタ武芸団長のエンディです」
 着いてきたキリスも、トールの名前と出で立ちで国王だと気づく。エンディの背後で深く頭を下げたあと、隅で小さくなっている団員に自分の部屋に戻るように伝えた。
 なぜ突然国王がこんなところにやってきたのか、エンディもキリスも心当たりがあり、疑う余地はなかった。だがまさか国王直々、たった一人でやってくるなんて、この光景を見た者しか信じることができない出来事だった。
 トールは物怖じせず、鬼瓦のようなエンディに挨拶をする。
「私はトレシオールと申します。今騒ぎになっておりますラストルの父親です」
「ええ。存じております」エンディも態度を変えず。「一体なんの用でしょうか」
「失礼を承知で、率直にお尋ねします。あなたの娘のシオンさん……ラストルと会っていたことはご存じでしょうか」
 途端、エンディは顔を真っ赤にした。
 トールが来た理由はそれしかない。分かっていたが、許せなかった。
「知らん!」
 エンディが怒鳴りつけると、キリスが青ざめて駆け寄ってきた。今にもトールに殴りかかりそうなエンディの腕に両手をかけ、落ち着くように宥めた。
「では、シオンさんは今どこにいらっしゃるのでしょう」
「知らんと言っているだろう!」エンディは握った拳を震わせていた。「知っていたとしても、貴様に教える義務はない。一体なにが知りたい? 権力を振りかざし、私を脅して何を得ようとしているんだ!」
 トールはエンディという男がなぜ怒っているのかを理解した。彼は権力が嫌いなのだ。自分の周りにはあまりいないが、エンディのような者は少なくないことは承知している。
 これは厄介な相手だと、トールは思う。何も自分が国王だから言うとおりにしろという考えはまったくない。しかし彼にはそう見えるのだろう。
 問題は、ラストルがこの偏屈な父親の娘に手を出してしまったことから始まっている。
 話し合う必要がある。トールはエンディの目を見つめた。
「私は一人の父親としてあなたに会いにきました。身分のことは忘れて、どうか、話を聞いていただけないでしょうか」
「何も話すことなどない! シオンが貴様の息子と会っていただと? ふざけるな。シオンは身分はなくとも誇り高く、賢い娘だ。城で生まれただけのボンクラを、シオンが相手にするわけがないだろう」
「あなた……やめてください!」
 キリスはエンディのあまりに無礼な言動に憤りさえ抱いた。相手が国王であろうとなかろうと、暴言が過ぎる。掴んだ手に力を入れて抗議した。
 トールはエンディの態度を意に介さず、ルミオルを思い浮かべていた。彼は自分の立場を捨てて来てくれた。長い時間をかけて積み重なっていたわだかまりを消化し、一人で考え、自由を正しく理解し、大人になっていた。彼の成長を無駄にしてはいけない。
 トールは目を伏せ、その場に跪いた。
 エンディとキリスは一瞬息をするのを忘れて固まった。
「……お願いします。私は真実を知りたいのです。どうか、同じ父親として、対等に話をしてもらえませんでしょうか」
 トールが頭を下げたまま返事を待っていると、キリスの泣き声が聞こえてきた。耐えられなくなったキリスはエンディから手を離し、床に伏せてトールに土下座した。
「国王陛下、どうかこの人をお許しください。この人は、本当にシオンを愛しているのです。もしかしたら愛娘が危険な状況に陥っているかもしれないという不安で、平静を欠いてしまっているんです。どうかどうか、責めないでやってください」
 エンディはとうとう折れ、眉尻を下げて俯いた。意気消沈し、突っ張っていた棒が折れてしまったかのように、キリスの隣に崩れ落ちた。
「……何なんだよ。どうして王家の人間が俺たちに関わってくるんだよ」
 トールは顔を上げてキリスの手を取った。キリスも顔を上げたが、涙が止まらず、顔を覆って泣き続けていた。
「エンディさん、聞いてください。ラストルは今まで女性とは一切関係を持たず、女嫌いなどと不名誉な噂が立つほど潔癖な男です。決して娘さんと戯れで会っていたとは思えません」
「……嘘だ。信じないぞ、俺は」
「本当です。我々王族にとって異性関係は跡継ぎ問題に直結する重要な事柄。自由な恋愛など許されない血族なのです。ラストルは時期国王としてそのことを理解したうえで、シオンさんを選んでいたのでしょう」
「……だったらどうだって言うんだ」再び、エンディの頭に血が上る。「シオンはお前たちに振り回されたんだ。身分の低い者が、名誉や権力を餌に誘惑され、いいように利用されたとしてそれを責められるのか? 俺は、家族に少しでも稼がせたくて、お前たちと契約を結んだ。エルゼロスタには才能と努力があったんだ。それに見合う報酬を戴くだけで、それ以上は望んでいなかった。なのに、お前たちは卑怯だ。生まれついて恵まれたお前たちが、こんな貧しい武芸団を見下して弄ぶなんて、暇にしても悪趣味すぎるだろう!」
「いい加減にしてください」トールは声を落とした。「私たちも人間です。あなたと同じように、家族を愛しています。王族として国を守っていくため、規律に従い、歴史や伝統を尊重しながら、人々の手本となるため道を踏み外さぬよう窮屈な毎日を送っています。暇だというのは酷い偏見です。父親同士で話がしたいと、何度言えば分っていただけるのでしょうか」
 エンディは奥歯を噛み、隣で泣き続けるキリスの背を撫でた。
「……俺はシオンと王子がどんな関係だったのかも、今どこにいるのかも何も知らない。あんたはそれを調べてどうするつもりなんだ。まさか、王子を刺したのがシオンだなんて、悪夢みたいなことを考えているんじゃないだろうな」
「魔女のことを、ご存じですか」
「魔女?」
「ええ。ラストルを刺したのも魔女の仕業と疑われ、捕えられています。そして、今にも処刑されようとしています」
「それがどうした。本当の魔女なら、処刑されて当然だろう」
「いいえ。魔女に罪がないのなら、裁かれる理由はありません。人間が犯した罪を魔女に着せて、何の解決になるというのでしょう」
「やっぱりお前は、シオンがやったんだと言いたいんじゃないか」
「私は真実を知りたいのです」
「シオンは人を傷つけるような娘じゃない! 恋愛もしたことのなかった純情な女だったんだ。ましてや王子に惚れていたなら、どうしてそんなことをしなきゃいけないんだ!」
「魔女は短剣など所持していない!」
 トールは聞き分けのないエンディを怒鳴りつけた。キリスは目を丸くし、エンディも初めて、怯えたような表情を浮かべていた。
「捕えられている魔女は、私の大事な友人なんです」
「……なんだと?」
「その魔女はわけあってラストルの傍にいました。シオンさんがラストルの後を追っていき、誤解されたとしたら、問題が起きてもおかしくないと思います」
 エンディとキリスは、想像していた中でも最も最悪の状況が現実になっていき、震えが止まらなくなっていた。
「シオンさんを責めたいのではありません。私は友人を救いたいのです。犯人が誰であれ、どんな理由であっても、無実の者が処刑されるのを黙って見過ごすことはできません。だから教えてもらえませんでしょうか……娘さんのことを」
 エンディはがっくりと肩を落とし、両手を床についた。
「結局、お前はシオンを罪人にしたいんじゃないか。あんたの友人を救うには、シオンを捕える必要があるってことなんだろう?」
「……私の息子も、命の危険に晒されています。しかしそれがラストルの受けるべき罰なら、致し方ないこと。だからあなたにも覚悟を決めていただきたい」
 エンディは二の句が次げなかった。悔しい、が、ラストルはシオンの手で命を奪われようとしている。これ以上トールを責めるのはお門違いだと理解した。
「……シオンが出ていく数日前に、白いフクロウがやってきた」
 話し出したエンディの弱々しい声に、トールは耳を傾けた。
「迷い込んできたとシオンは言っていたが、まるで前から知っているかのように懐いていて不自然だった……俺には、そのフクロウが、城の魔法使いの傍にいたそれと、似ているように見えた」
 白いフクロウといえば、ドゥーリオの使い魔だ。そして、ドゥーリオはラストルの側近であり、ラストルに忠実すぎるほど忠実な男。
「ニル……?」
 そのドゥーリオもラストルに同行している。ニルの力で二人を引き合わせたのなら、深夜に人気のない場所で事件が起きたことも説明がつく。
「ああ、そうだ。シオンはニルと名付けていた……やっぱり、王子の近くにいたあの魔法使いのフクロウだったんだな」
 憶測だけではなく、ニルという存在がラストルとシオンとの繋がりを明確にした。ラストルが周囲に見つからないよいうにニルの力を借りていたこととを考えると、どうやって隠し続けられていたのかが分かった。
 エンディは諦め、誰にも見せたことのない涙を目に浮かべる。
「シオンがどこに行ったのかは、本当に知らない。だが、おそらくティオ・シールだろう。シオンを探しにアミネスとフィズという団員も追っていってる。一緒にいてくれればいいんだが……」
 シオンの罪を受け入れ、項垂れるエンディにキリスは寄り添った。
「ありがとうございます。すぐに兵を手配し、シオンさんを探して保護いたします」
 トールからは恨みも怒りも感じられなかった。エンディはぐったりと頭を下げ、震える声で国王に懇願した。
「頼む……シオンを守ってくれ。シオンは本当に心優しい娘なんだ。だが世間知らずで弱いところがある。人前では女神を演じていても、シオンはどこにでもいる、普通の娘だったんだ。きっと、王子に目が眩んだのはシオンのほうだったに違いない。だからこんな間違いが起こってしまった。今頃、酷く後悔して苦しんでいるはずだ。頼むよ。これ以上不幸なことにならないよう、シオンを守ってくれ」
 トールは誤りを認めたエンディの勇気を称え、彼の手を掴んで頭を上げさせた。
「分かっています。娘さんは外見だけではなく、内面も美しい女性なのでしょう。あのラストルが唯一、心を奪われた相手なのですから、私にはよく分かります」
 その言葉はエンディとキリスを救った。エンディが憎んでいたのは「権力や財力を振りかざして貧しい者を見下す輩」だ。しかしトールは違う。冷静に物事を判断し、どんな人間も平等に愛することができる王だ。そうでなければこの大国の頂点に君臨し人々を治めるられるわけがない。
 エンディは己の浅はかさを後悔した。もっと柔軟にシオンに接していれば、彼女が一人で思い詰めることもなかったかもしれない。そのことを教えてくれた国王陛下に頭を垂れ、強く手を握り返すことで気持ちを伝えた。
「約束します。私は娘さんに、ラストルが初めて愛した女性として敬意を払います。私は二人の出会いを祝福いたします。ラストルに必要な経験だったと信じています」
 トールはすぐに寮を出て、外の柱に繋いでおいた馬の手綱に手をかけた。エンディとキリスはせめて見送りだけでもと寮を飛び出して追ってきた。
「なあ、国王陛下……もし、二人がうまくいってたとしたら、あんたは結婚を認めてくれたのか?」
 トールは少し考え、答えた。
「反対したでしょうね、断固として」肩越しに微笑み。「しかし本人たちが相応の努力をし、二人で幸せになる道を拓いていこうとするのなら、親として見守っていけたのではないでしょうか」





   

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