SHANTiROSE

HOLY MAZE-51






 ドゥーリオは一緒に逃げた家来と散り散りになったが、追ってきた兵をなんとか撒いた。
 どこをどう走ったのか覚えていない。朝日の当たらない場所に位置する非常階段の踊り場で息を切らせていた。レンガ造りの壁に背を当て、深呼吸しながら座り込む。じっとしていると、遠くから人々の騒ぐ声が聞こえてきた。
 呼吸が落ち着いてきたところで、屈んだまま壁から顔を覗かせた。どうやら城の裏側のようで、ここから城門前は見えなかった。眼下には芝で整備された道が続いており、野薔薇の花壇が並んでいる。向きを変えると、警備兵に誘導されて整列している集団が見えた。おそらく緊急で集められたアルバイトたちだとドゥーリオは思う。王子が意識不明という事件に関係なく、本日の朝に解散する予定だったのだろう。普段着に着替えている人々は兵の指すほうへゆっくりと歩きだした。
 彼らは指示通り、静かにしている。ということは、騒ぎ声は城門のほうからということになる。ラストルのことはどうなったのだろう。もう民衆にも伝えられたのだろうか。ドゥーリオは情報を得る方法がなく、不安を募らせた。
 何よりも、ティシラを置いてきたことを今更ながら後悔する。抱えてでも連れてくるべきだった。あのときは、自分も家来も捕まってしまったら身動きが取れなくなると考えたが、家来もいない、水晶などの道具も何も持たないドゥーリオはあまりに無力だった。このまま逃げ回っても、城が出られなければいすれ捕まる。そのときは言い訳さえ通用しないのだ。完全に袋の中のネズミ状態だった。
 嘆きながら頭を抱えていると、背後から鳥の羽音が聞こえて顔を上げた。
 すると見慣れた白いフクロウが羽を収めて肩に乗ってきた。
「……ニル!」
 ドゥーリオは久々に笑顔になった気がした。しかし喜んでもいられない。
 どうしてと思う前に、ニルの足元から新聞が落ちてきた。彼が運んできたものだった。
 ドゥーリオはその新聞の一面を見ただけで目を見開き、すぐに拾い上げた。ニルは羽ばたき、階段の手すりに止まった。
 新聞には、捕えられたティシラの写真が載っている。ラストルが刺されたことだけではなく、短い時間にここまで大きく報道されていることに恐怖さえ抱いた。
 ティシラはラストルを意識不明に陥れ、たくさんの民を魔術で操った魔女として裁かれる。そう新聞には書いてあった。
「そんな……ティシラは、本当にラストル様を……?」
 今すぐトールと話がしたかった。彼ならすべてを知っているはず。だがドゥーリオは孤立していた。このまま、魔女の共犯者としてシールに裁かれるしかないだろうか。
 ドゥーリオは唯一の味方であるニルを見つめた。
「ニル、どうしてお前がここにいるんだ」
 本来フクロウは夜行性だ。こんな時間にうろついているのも不思議に思う。それに、ニルはメイに置いてきたはず。
 ドゥーリオはまさか、と息を飲んだ。
 ラストルはニルを借りて、夜な夜な外出をしていた。その彼が、シールに向かう前にニルをしばらく借りたいと言ったため、何も聞かずに預けてきた。いくらニルでも主人の命令を無視してまで一匹でここまで来るとは考えられない。
 もしニルが、ラストルにとって重要な人物に預けられていたとしたら、その人物もシールに来ているということになる。
「まさか……ラストル様が密会されていた相手が、ラストル様を刺したということなのか」
 だとしたら一大事だ。ティシラは無実であり、王子を襲った人物が他にいる。
 ドゥーリオは再び耳を澄ます。城門前で騒いでいるのはこの報道を見た民衆。彼らは今まで人々を苦しめていた魔女の裁判を心待ちにしているということだ。
 カーグが事実を歪め、ティシラを犠牲にして正義を手に入れようとしている。
 何としてでも止めなければ。
 しかしドゥーリオには何の手段もなかった。ニルに手紙を持たせても、メイまで移動していては間に合わない。ニルの使う魔術はまやかし程度のもので、主人が傍にいるときに限られており、どこに捕えられているかも分からないティシラを助けるほどの力は持っていなかった。他に使える魔法はないだろうかと考えながら、頭を抱えた。
 ――私は何と非力なのだろう。
 ドゥーリオは具体案を考えるより先に、自分を責めた。
 ラストルを守れなかったどころか、体を張って仲間を助けようとしていたティシラまで見捨ててしまった。そして今行き詰まり、ただ泣き言を吐いて挫けてしまっている。
 ラストルに忠実に尽くしてきたつもりだった。いつか役に立てると思っていた。だが現実は逃げてばかりで、行き場を失くしただけだった。
 ラストルに見限られたことは正しかった。こんな自分が大国の未来を背負う王子の側近だなんて、相応しくなかったのだ。
 ――そうだ。
 今、ドゥーリオは孤独だった。
 ――私は、もう王子の側近ではない。
 なんの肩書きもない、ただの魔法使い。体裁など気にする必要はない。
 ドゥーリオは一つの決意をし、立ち上がった。


 階段を駆け下りるドゥーリオのあとを、ニルが追ってきた。
「ニル、魔女の疑いをかけられて捕まっている人たちがいる牢獄が、どこにあるか分かるか?」
 ニルは返事をしないが、主人の言葉を理解していた。
「そこにはリジーもいるはず。誘導してくれ」
 そう言うとニルは駆け下りていくドゥーリオから離れて、空高く飛び上がっていった。
 ニルを視界の端に捕えたまま、ドゥーリオは近くに兵がいないか気にしながら走った。ニルは城の上を一通り旋回し、戻ってくる。今度はドゥーリオの前を進み、彼を誘導した。
「捕まっているリジーと女性たちを助け出す……私にできるのはそのくらいだ」
 ドゥーリオは、ティシラが不本意な仕打ちに耐え続けていた理由がリジーにあったことを思い出していた。今更リジーを解放しても、魔女を手に入れたカーグにダメージを与えることはできないかもしれない。
 それでも、ドゥーリオはティシラの切実な願いを叶えたかった。
 あの夜、彼女は「あとはお願い」と、リジーを助け出して欲しいという気持ちを自分に伝えた。
 ティシラはできることは全部やった。誰も憎まずに。そんな彼女がラストルの命を奪うわけがない。
 ドゥーリオは誰の命令も指示も受けず、自分の判断だけで動き出した。


 ドゥーリオはニルに案内されるまま階段を下り、城の裏庭に出た。
 運よく兵の姿も気配もなかった。おそらくカーグは魔女の処刑を急ぐため、裏側の警備を疎かにしているのだと思う。だとしたら、自分を探している兵も手薄のはず。この状態を不幸中の幸いと思い、ドゥーリオはニルのあとを追った。
 裏庭を駆け抜けていくと陰気な建物が見えた。監獄だ。二階部分に城から繋がる通路がある。ラストルが通った道はそちらの管理室への道だった。王や担当者の許可がない限りその通路は使うことができない。それ以外の者は一階の、頑丈な鍵のかけられた大きな石の扉から行き来するようになっている。
 ドゥーリオの予想どおり、警備は扉の前に二人だけと手薄だった。しかし中ではどれくらいの警備や管理が行われているか分からない。
 ドゥーリオはいったん建物の影に隠れた。ニルも傍に降り立った。
 見つかったらすぐに捕えられてしまう。しかし、とドゥーリオは考え直す。もう難しいことを考える必要はない。改めて腹を括った。
「ニル、門番の二人を眠らせてくれ」
 ドゥーリオが言うとニルは飛び立ち、門番の頭上を舞った。門番はこんな昼間にフクロウとは珍しいとでも言うように、呑気にニルを見上げて見つめている。そのうちに、目を回して倒れてしまった。
 ドゥーリオは間髪入れずに物陰から飛び出して扉の前に走った。やはり鍵がかかっておりびくともしない。倒れた門番の胸元や腰を探るが、鍵は見つからない。彼らはただの見張りで監獄の行き来を許可する権利がない者だった。
 仕方ない、とドゥーリオは扉に両手をついて目を閉じた。心の中で呪文を唱え始める。それは正確で、迅速だった。自然と力が入り肩を怒らせていくドゥーリオの周囲の空気が淀み始めた。彼の手のひらを通して、監獄の中に魔力が侵入していく。空気と同じ軽さのそれは、監獄中を満たしていった。ドゥーリオの流し込んだ魔力に触れたものは、理由も分からないまま脱力していく。警備兵も管理者も、捕えられている罪人たちもすべて、ゆっくりと夢の中に落ちていった。
 室内から人の意識が完全に消えたことを確認し、ドゥーリオは手を離して顔を上げた。ニルが監獄を一周回り、主人の元に戻ってくる。
「ニル、私をこの中に送ってくれ」
 扉を開けることなく、ニルの力で監獄の中に入ろうという考えだった。本来なら重罪である。
「お前はここまででいい。あとは私がやる」ドゥーリオはニルの頭を撫で。「ご苦労だった。安全な場所で休んでいなさい」
 ニルはドゥーリオの肩の上で、大きな翼を広げた。その翼でドゥーリオを包み込み、淡い光を零していく。強めの発光でドゥーリオの体が掻き消え、光が収まったときには彼の姿はそこになかった。


 ドゥーリオが瞬きすると目前にあった監獄の重い扉は背後に移動していた。
 室内は耳鳴りがしそうなほど静かだった。その理由は自分で分かっている。足元には中から開門の操作を行う警備兵が二人、倒れて眠っていた。
 室内を一望できる鏡張りの監視室にも人影はなかった。彼らも床で眠っているのだろう。エントランスの先にはまた扉があり、そこは手で開くことができた。その先は狭い石の廊下が続いており、進んでいくと視界が開け、右手に監視室、左手に牢がある部屋に出る。牢の中には囚人たちが眠っていた。ここにいる者は本当の罪人だ。ドゥーリオは先に進んだ。
 次の室には女性たちが眠っていた。
(……彼女たちが、冤罪で捕まっている女性ですね)
 ドゥーリオは罪なき女性の顔を見ていった。中には年端もいかない子供もいる。誰も薄汚れ、やつれており、哀れに思った。
(彼女たちも開放しなければ。しかしリジーを探すのが先決。もう少しお待ちください)
 ドゥーリオは声を出さず語りかけ、次の部屋に向かった。
 階段を下りた先の部屋は重罪人が閉じ込められていた。人の姿を失い、もう戻れない「化け物」たちが醜い顔で眠っている。
 ドゥーリオは暗い室内に籠った異臭に顔を顰めるだけで、それほど驚かなかった。
 こういう輩は何度も見てきた。
 昔は世界最強と言われているティオ・メイ魔法軍の一部隊の指揮を任せられていた。化け物よりも、同じ人間の惨殺死体のほうがよほど心に圧し掛かり精神を蝕むことを知っている。王子の側近になってからは、安全な場所できれいなものばかりを見ていた。ドゥーリオには堕ちた人間の醜態に、懐かしささえ感じていた。
 牢の奥に白い光を感じ、感傷に浸ることを止めた。
 ドゥーリオが駆け寄ると、人間と虫が混ざったような者を見つけた。人の形を失った罪人とは明らかに違う造形である。ドゥーリオはこれが魔族であり、リジーだとすぐに分かった。
 通路で倒れている兵の剣を借り、鍵を壊して眠っているリジーを抱き起した。彼女を縛り付けていた魔法陣は人間には害のないもので、すぐに光を失い床にはただの線だけが残った。体を揺らして声をかけると、リジーは複眼の大きな目の奥に光りを灯した。
「リジーですね。助けにきました」
 リジーは抵抗することも受け入れることもできないほど衰弱していた。何が起きてももう驚く気力はなかった。今以上に悪いことなどないと思うほど絶望していたから。
「……誰?」
「私は……」ドゥーリオは少し悩み。「魔法使いです」
 話し合っている時間も、その理由もなかった。ドゥーリオはリジーを背中に抱え、牢を出る。あとは帰り際に女性たちの牢の鍵を開けて一緒に外に連れていく。そうすれば、多少の罪の意識は薄れるはず。そう信じて出口に向かった。
 だが、廊下の先を人影が道を遮っていた。
「……感じたことのない魔力を察して、まさかと思っていたら、やはり貴様だったのか」
 ドゥーリオの前に現れたのはノイエだった。
 ドゥーリオはただでは脱出できそうにないと思い、リジーを床に降ろした。
「元ティオ・メイ魔法軍の部隊長、ドゥーリオ……ただの役立たずではなかったということか」
「ティオ・シール魔法軍兼国王陛下の参謀、ノイエ殿ともあろうお方が、買い被りを。私はただの役立たずですよ」
 ノイエは皮肉に笑った。
「だから見逃せとでも?」
「ええ。ノイエ殿が本当にご賢明なお方なら、そうなさると思います」
 ドゥーリオの気弱な表情は変わらなかった。これが元々の顔なのだから。
「そうだとしても、ここを通すわけにはいかない」ノイエはマントの下で指先に力を入れた。「貴様は工作員である魔女の共犯容疑だけではなく、許可なく監獄に侵入し罪人の脱走を手引きした犯罪者だ。魔法使いの風上にも置けぬ卑劣な行為。裁きを受けよ」
「あなたの仰ることはごもっともです。しかし、私は魔法軍を解雇され、王子の側近をも役目を奪われました。もう法に従う義務はありません」
「なんだと……」
 ドゥーリオの足元から緑の光が溢れ出した。彼が戦闘態勢に入ったことを察知し、ノイエもマントを翻し印を結ぶ。
「だったら」ノイエの足元にも青い魔法陣が光を放った。「どこにも属さない貴様を殺しても罪にはならないということだな」
「ええ、もちろん。殺すつもりでお願いします」
「開き直った愚者ほど恐ろしいものはない。言われなくても本気で貴様を潰す……私の名はノイエ・サハル。イエラ(信)の魔法使い」
 魔法使いと魔法使いが対峙し、名乗ることは正式な決闘の申し込みである。ドゥーリオは迷うことなく、受けて立った。
「私の名はドゥーリオ・アンキス……エヴァーツ(死)の魔法使い」
 ノイエは一瞬目尻を揺らした。エヴァーツの魔法を使う者を初めて見たからだった。エヴァーツは自らの命を惜しまずに敵を殲滅する魔法。ゆえに狂魔法としていつからか表舞台からその存在が消えていたものだった。
 ノイエの目つきが蔑んだものに変わったのを感じ取り、ドゥーリオは自分を恥じつつ、覚悟を決めた。
「そうです。お察しのとおり、私の魔法は非人道的であると判決が下ったため、魔法軍を解雇されたのです。しかし、それでも、王は私が正しい心を持っていると信じてくださった。だから王子のお傍に置いてくださったのです」
 だから、ドゥーリオもラストルを信じ、見放すものかと心に誓った。
「その役目を失っても、私の心は変わりません」
 穢れた空間に、二人の魔力が満ちてきた。
 足元には緑と青の魔法陣が、縄張り争いをするかのように陣地を広げていく。細い光が線を引き円を描き文字を書き拡大していき、ついに二つの魔法陣がぶつかり合った。
 それでも魔法陣は広がりを止めなかった。次第に緑の魔法陣が圧され、青い光が地面を埋めていく。空間を勝ち取ったのはノイエだった。青い魔法陣は勢いを増し、魔力を放ち、二人を結界に閉じ込めた。
 視界から牢や罪人の姿が消えていく。代わりに青い斑の壁に囲まれ、二人は果ての見えない異空間で向き合う形になった。
 ノイエは狂魔法に対しての恐怖はなかった。自分の魔力が相手のそれを上回っていれば負けることはない。彼とて、王の信頼を得るほどの魔法使いなのだから、実力と経験で培った自信は並大抵のものではなかった。
 ドゥーリオの表情は変わらなかった。俯き加減で両手を開く。すると左右に大きな赤い矢が現れた。エヴァーツを象徴する、防御力のない武器だった。
 今度はノイエが同じように両手を広げる。左右には、戦闘の相棒である馬が浮かび上がる。イエラを象徴する「信頼」を形にしたものだった。
 ノイエがドゥーリオを指さすと、馬が流星のように彼を襲った。矢は壊れ、ドゥーリオは体制を崩す。
 ノイエは恐れるに足らずと確信し、口の端を上げた。ドゥーリオは攻撃するしか能力がない。空間はノイエが支配している今、戦闘馬は限りなく生み出すことができる。身を挺して猛進する馬で攻撃を続けていればいずれドゥーリオの魔力は尽きるのみ。
 ドゥーリオは体制を整えて、五十本の矢を作り出した。対抗し、ノイエも五十頭の馬を彼にぶつけた。
 最初は矢で抵抗していたドゥーリオだったが、真っ直ぐにしか飛ばない矢に対し、馬は軌道を変え、変幻自在。ドゥーリオは十頭以上の体当たりに耐えられず、背後に転がった。
 ドゥーリオはふらつきながら立ち上がり、眉間に皺を寄せて百本の矢を用意した。
 何度やっても同じことだとノエイは笑った。それどころか、数を増やせば増やすほどドゥーリオが不利になる。そのくらいのことも分からないのかと嘲りながら、百頭の馬を作り出す。
 その光景は圧巻だった。鼻息の荒い大きな馬が目を血走らせ、弱ったドゥーリオに向かって威嚇の声を上げた。
 誰もが恐れ戦き逃げ出す状況の中、ふっとドゥーリオを囲んでいた百本の矢が消え失せた。
 戦意喪失した、わけではなかった。
「私の魔法が非人道的と言われた理由を、お教えいたします」
 ドゥーリオは開いていた両手を重ね、ノイエに向かって突き出した。
 途端、百頭の馬がすべて、矢に変化した。
 ノイエには何が起こったのか、すぐには理解できなかった。自分を囲む矢はドゥーリオが作り出していたものとよく似ていたが、同じではない。矢尻の下に、馬の顔が描かれている。それは、ノイエの馬が矢に変化したことを示している証拠だった。
「信頼する味方を敵に変え、同士討ちを強要する残酷な魔法だからです」
 ドゥーリオが片手を振り下ろすと、鋭い百本の矢が一斉に、ノイエを貫いた。
 勝敗は一瞬で決まった。
 ノイエの結界は消失し、空間は再び薄暗い監獄に戻っていった。ノイエは冷たい石の床の上に仰向けで、白目を剥いて気を失っていた。
「……止めは刺しません。私は正規の魔法使いではありませんから」
 ノイエは「悪い魔法使い」ではない。ティオ・シールに属し、国を守るために尽力し、王に忠誠を誓う立派な魔法使いだ。本来なら、国の防衛に関わる者はノイエのように無情で冷酷なほうが正しいのだと思う。だからドゥーリオはノイエに憧れさえ抱いていた。もしドゥーリオがメイ以外の国に属していたなら、この能力は歓迎されたかもしれない。だが彼はメイの王に従った。それが正しいのかどうかはまだ分からないが、この国には法が必要だと、改めて思った。
 そしてこの「疑似魔法」の世界には、指導者が必要だということも強く感じていた。
 もしドゥーリオがティオ・メイに属する高等魔法使いなら、敗れたノイエを見逃すことは相手への侮辱になる。だが今のドゥーリオは自由の身。彼に責任を背負う義務はない。目的さえ果たせれば彼の命を奪う理由はなかった。
 ドゥーリオは背後で横になっていたリジーに駆け寄り、再び背負って足を進めた。倒れているノイエの横を素通りし、階段を上がっていく。女性たちの牢の鍵を開け、一人一人に声をかけて起こし、それらを連れて監獄を出た。


 久しぶりの日光を浴びて、女性たちは抱き合って喜んでいた。ドゥーリオに何度もお礼を言い、涙を流す。
 木の上で休んでいたニルが戻ってきた。肩に止まる彼を撫で、ドゥーリオは微笑んだ。
「リジー……!」
 一人の少女が、日陰で震えていたリジーに駆け寄ってきた。
 サフィだった。リジーに抱き着き、自分たち以上に傷ついた彼女の姿に心を痛めた。
「リジー、大丈夫?」
「……私、本当に助かったの?」
「うん」サフィは汚れた顔で、傍にいたドゥーリオに縋り付いた。「そうだよね。もう私たち、森に帰れるんだよね」
「ええ。もうあなたたちは自由です」
「だよね。あなたは、いい魔法使いなんだよね? 信じていいんだよね?」
 ドゥーリオは頷くだけで返事はしなかった。
「ただ、森へはまだ戻らないでください」
「どうして?」
「魔女の問題はまだ解決していません。ですがあなたたちを追う者はもういないでしょう。しばらくどこかに隠れていてください」
「リジーも一緒にいていいの?」
「ええ」
「魔法使いさん、あなたは? あなたも一緒にいてくれるの?」
 ドゥーリオは口を噤んだ。
 これでもう言い逃れはできない。ドゥーリオは魔法を乱用し、罪人となった。もう、ティオ・メイに戻ることはできない。
 しかしドゥーリオは後悔していなかった。無垢な少女に「いい魔法使い」と言ってもらえた。それで十分だった。
 ドゥーリオは「いいえ」とだけ答え、リジーと女性たちを裏口から城の外に誘導した。
 ふと振り返り、城のどこかに捕えられているティシラに向かって、届かない声で叫んだ。
(ティシラ……リジーは無事です。もう耐える必要はありません。どうか、お好きなように、暴れてください)
 胸の前で両手を組み目を閉じるドゥーリオの祈りは、神ではなく、ティシラに向けられていた。





   

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