SHANTiROSE

HOLY MAZE-08





 マルシオはルミオルと食事を済ませたあと、少しの話をして別れた。
 ルミオルは退屈そうで、自分も屋敷に行くと言い出したのだが、マルシオがいいと言っても森が許してくれないのだからいい加減に諦めろと突っぱねられた。
 しかしルミオルはそれほど切望しているわけでもなく、ダメだと言えばあっさりと引き下がってくれる。ティシラを好きだと言っているのも大して本気ではないようで、「女なら誰でもいいんだろ」と聞くと、「まあね」と素直に頷くような男なのだから。
 それに、幼い頃から最低限の教育は受けてきている。国の歴史や経済、軍事、もちろん、この世界に大きな影響を与え続けてきた魔法のことも一般人よりは知識があった。故に「長い間、魔法王が息衝いてきた屋敷」の重さを心のどこかで理解できる部分があり、遠慮することに抵抗はなかったのだった。
 ルミオルは王家の者であるため、魔力に近い存在ではある。しかし今現在、魔道の象徴である魔法王は不在。魔薬戦争後に生まれた若者には幻でしかなかった。


 屋敷への帰り道、マルシオは彼とのやり取りを思い出して暗い顔になっていた。
「本当はさ、魔法王って死んだんじゃないのか?」
 悪気なく尋ねるルミオルに、マルシオはむっとした表情を向けた。ルミオルはそれに気づいたが、目を逸らして続ける。
「もし生きていたとしても、もう長いこと誰も顔も見れない、声も聞けないわけだろ。それじゃ死んでるも同然じゃないか。どうして新しい魔法王を選出しないんだ? 四代目に固執しなければいけない理由でもあるのか?」
 マルシオは眉を寄せて俯いた。反論したい気持ちは山々だが、何から説明するべきかという以前に、自分に説く資格があるのかということに迷いがある。
「魔法王は青い石を持った者がなれると聞いているが、その石は屋敷にあるんだろう。それを誰かに譲ればそれで済むことじゃないのか? 魔法に長けた者ならいくらでもいる。まあ、その魔法王には及ばないのかもしれないが、いないものはどうしようもないんだ。いる中から選べばいいこと」
 ルミオルの言葉に、マルシオは内側から沸々と怒りがこみ上げた。魔法王の存在理由を、彼が不在の時代しか知らない者に理解できないのは仕方がないことだとしても、いないなら代わりを探せばいいという単純な意識だけは、思っても口にして欲しくないことだった。
 もうこの話はしたくない。詳しく知りたいなら専門家にでも聞いてくれと、マルシオは終わらせようとした。
「いっそのこと、もう魔法王なんていらないんじゃないのか?」
 だが、このルミオルの一言で黙っていられなくなる。
「……あいつは」怒鳴りそうになったのを、ぐっと堪えて。「まだ、一人で戦ってるんだ。魔法王じゃない。クライセンという、一人の人間が、誰も知らないところで、一人で戦ってる。何も知らないくせに、いらないなんて、そんなこと軽々しく口にするんじゃない」
 殴りかかってきそうな気迫を見せたマルシオに、さすがのルミオルも戸惑った。
「な、なんだよ……そういう意味で言ったんじゃないよ」気まずそうに口籠りながら。「魔法王っていう立場が、この世界に必要ないんじゃないかって言いたかっただけだよ。そんなに怒るなよ」
 かっとなって早とちりしてしまったようだ。マルシオは口を噤む。それでも、やはり何も知らない者にどうこう言われたくない気持ちは変わらない。
「……お前がそう思って、世界の多数の人も同じ意見なら、廃止すればいい。だけどもしそうなっても、歴代の魔法王の功績や歴史をないがしろにすることだけは、俺は許さないからな」
 言いたいなら自分のいないところで勝手に言っていればいいと思いながら、マルシオは挨拶もせずに彼に背を向けて立ち去っていった。
 取り残されたルミオルは、余計なことを言ってしまったと軽く後悔しながらため息をついた。つい、彼が相手だと軽口を叩いてしまうことは、最近自覚し始めていた。ルミオルの周りにいた魔法使いは完成度の高い者が多かったため、未熟なうえに、マントも羽織らない無所属のマルシオが「一応」魔法使いであることを忘れてしまいがちだったのだ。
 ほとんどの魔法使いにとって魔法王は特別な存在であり、その心理は特別な道を通らなければ教えてもらえない。それでも一般人には「魔法王は最も優れた魔法使い」として漠然と敬愛されている。ごく一部だけ、そのあり方に疑問を持っている者もいるようだが、実際に魔法王を叩く要素があまりないためにあまり相手にされていなかった。
 魔法王がここまで信頼されている理由は、変人と言われている現魔法王のクライセンさえ、いざ世界が危機になったときは彼にしかできない方法で救ってくれてきたからだった。
 しかし、と思う。もし、今世界の危機が訪れたら、どうなってしまうのだろう。
 現在、魔法王は「いるかいないか分からない」ではなく、「いない」のだ。
 その危機が人間では適わない力だった場合、人々は最後まで「きっと魔法王が救ってくれる」と幻想を抱きながら死んでしまうのだろうか。それとも――?
 存在する者の中に魔法王に匹敵する実力者がいないのであれば、もう彼に頼ることをやめて、いる人間でできることを強化していったほうが建設的なのではとルミオルは考えていた。
 それで及ばないことがあるのなら、諦めるまで。それとも、どうせダメなら夢を見ながら滅んでいったほうが幸せなのだろうか。
(……まあ、そのときにならないと分からないよな)
 ルミオルは考えることを止めて、宿へ向かって足を進めた。
(世界滅亡なんて、そんなに簡単に起こることでもないし。どうでもいいか)
 クルマリムはいつもどおり平和だった。ルミオルの知らないところで争いが起こっているのかもしれないが、見えないものに太刀打ちできる力は人間には、ない。


*****



 落ち込んだ気分のまま屋敷に戻ったマルシオだったが、玄関の前であっと我に返った。そういえば、ティシラが切らすなとうるさいパンとクッキーを買ってくるのを忘れていたのだった。
 ティシラは最近、庭の畑をいい暇つぶしにしている。屋敷の裏の庭にはサンディルの趣味で様々なものが栽培されていた。その気になれば野菜でも果樹でもなんでも育てることができるらしく、少し前にサンディルが繁殖させた木苺などでジャムやデザートを作るのがティシラの趣味になっていた。
 それだけなら、珍しく女の子らしいことをやっているように見えるが、材料や付け合せの素材はほとんどマルシオが用意しなければいけない羽目になる。自分のしたいことしかしないティシラは、いくら自分で買いにいけと言っても聞くはずがなく、そのうえ欲しいものがたまたまないというだけで八つ当たりをされる始末だった。
 おそらくもう起きているはず。気分に合った朝食がないと機嫌を損ねているだろう。もう昼に近い時間に朝食などとほざくだけで呆れるというのに、今日もまたティシラのわがままに振り回される一日が始まる。
 しかしこんな毎日も、いつか終わる。そう、クライセンさえ帰ってくれば――マルシオも、サンディルも他のみんなもそう願っている。その日が一日でも早く訪れることを夢見ながら、マルシオは重そうに玄関の戸を開いた。

 買い物を忘れていたとはいえ、もしかするとティシラが家にあるもので満足してくれる可能性もある。そうでないなら、欲しいものを聞いて、そのついでに他の必要なものも確認して町へ戻ったほうが効率がいいと思い、マルシオは足を進めた。
 扉を開けると、ふわりといい匂いが流れてきた。同時、マルシオの心配が一つなくなる。この匂いはサンディルの得意のスープのものだとすぐ分かったからだった。
 どうやら、サンディルがティシラに朝食を与えてくれたようである。それなら機嫌も悪くないはずと、マルシオは足取りを軽くしてリビングへ向かった。

 予想通り、二人は笑顔でテーブルを囲んで朝食をとっていた。と言っても、食事をしていたのはティシラだけであり、サンディルは自慢のハーブティで寛いでいる。いつもと香りが違う。また新しいブレンドを試したのだろう。
「あ、マルシオ、おかえり」
 声をかけてくるティシラがいつもこう笑顔だとどれだけ楽かと思いながら、マルシオもティシラの隣の椅子に腰掛けた。
「ルミオル君は元気だったかね」
 サンディルは言いながらマルシオにもハーブティを淹れ始めた。
「もちろん、あいつが元気のないときなんてありませんよ」
「そうか。それはよかった。一国の王子さまの世話係を請け負ったんだ。彼になにかあったら君が大変なことになるからの」
「ええ? 世話係? どうしてそんなことに」
 目を丸くしているマルシオに、ティシラが茶化してくる。
「違うわよ。護衛よ、護衛」
「な、何言ってるんだよ。冗談じゃない」
「王子さまの話し相手も立派な公務じゃない。ちゃんと給料もらいなさいよ」
 ティシラとサンディルは同時に笑い声を上げた。マルシオはなにかと雑用を任されることが多い。ティシラとサンディル、その上にルミオルのそれまで背負わされることになったことに気づき、ため息を漏らした。
「そういえば、トレシオール殿に儂からもお礼を言わんとな。お土産の中には種や苗には高価なものや稀少なものがあって感謝している。今度連絡があったら儂にも知らせてくれ」
「はい。あ、もしかして、このハーブティにも新しいものが?」
「そうじゃ、分かるか?」サンディルはこの手の話が好きで、白い眉毛の下の瞳を細めた。「この中には魔力を浄化してくれるアブンという薬草も入っておる。アブンはあまりいい匂いではないのだが、もらったジーシャとセシュいうものを混ぜると、こうして甘い香りになるんじゃ」
 このままでは育て方から薬草の組織構造の話にまで発展する。そう思ったマルシオはさりげなく話を変える。
「苗床はどこに保管してあるんですか?」
「ん、地下室じゃ。いくつか乾燥を嫌うものがあるからの。とくにもらったものには繊細な苗が多い。最近新しく部屋を設けてある」
「へえ、地下室って物置になってるって、昔聞きましたが、そうやって活用してるんですね」
 この屋敷は建物自体が魔法使いのようだった。外見は普通の屋敷だが、中は見た目よりも明らかに広大だった。とくに双頭の鷲がいる奇妙な空間から先は無限かと思うほどであり、昨日入ったはずの同じ扉の向こうが、次の日には別の部屋になっていることもあった。自由に行き来できる部屋は、内装はとくに変わったところはないものばかりだが、この部屋は一体どこから沸いてくるのだと不思議な気分になる。屋敷の中央に鷲が存在し、彼らが案内してくれるために迷子になることはない。特殊な力の働くところには当然、意識しなければ近付くこともできないようになっていた。
 その中で、地下室にはあまり近付くことがなかった。ジンの召使として働いていた頃は地下があることさえ教えてもらえていなかったくらいで、魔薬戦争後、マルシオが家族としてここに住み始めた頃にたまたま入り口を見つけたのだった。
 マルシオはうかつには足を踏み入れず、先にサンディルに、地下には何があるのかと尋ねた。サンディルはなぜかしばらく黙ったあと、ほとんど物置であり、深入りすると迷子になるから気をつけるようにとだけ言った。マルシオはそれほど興味は湧かなかった。というのも、地下から特別な何かを感じなかったからである。
 そのことをサンディルは分かっていて、あえて入るなと言わなかったことに、マルシオが気づくことはなかった。大事なものは幾重もの隔たりで守り、一番奥の見えないところに隠してあるからだった。
 しかし、マルシオは時折、屋敷全体から重い魔力を感じることがあった。どこから流れてきているものなのか、それが何のためのものなのかも何も分からなかった。昔だったら、きっと魔法王の秘密があるに違いないという好奇心で探ったのかもしれないが、今は違う。
 ここには魔法王と賢者と、遠い昔に滅んだノートンディルのすべてが凝縮されている。知るべきことはいずれ知る。それまでは不要な詮索はすまいと、黙っていることにした。
 この屋敷での住み方を分かり始めていたマルシオに、サンディルから地下への誘いがあった。
「よかったら、マルシオも地下室に来てみるか?」
 意外だったマルシオは少し驚く。
「一度君に見せたいものがあったんじゃよ」
「俺に?」
 サンディルは頷き、食事を終えて窓の外を眺めていたティシラにも声をかける。
「ティシラも来るか?」
 話半分に聞いていたティシラは無表情で顔を向けたが、興味がないらしく、さっと席を立った。
「ううん。私は庭に行くわ。そろそろ私が撒いた種が芽を出してるかもしれないから、見てくる」
 ティシラは扉の近くにかけてあった、ツバの広い黒い帽子を被って室を出ていった。
 マルシオは、相変わらず協調性のない奴だと思いつつ、いつものように彼女の使った皿などを片付け始めた。


 ティシラは一人で屋敷の裏へ向かい、柵を潜って果樹園に入った。そこには様々な木々が並び、まるで季節感がない場所だった。
 さらに奥へ進むと木々に囲まれた畑が広がる。一体この庭はどこまで続いているのか、庭の先はどこに繋がっているのかと首を傾げそうなものだが、ティシラはそんなことを考えたことはなかった。
 畑の隅に自分の場所を確保し、そこに栽培が簡単なハーブの種を撒いた。どんな香りや効能があるのかは知らないが小さな白い花が咲くらしく、ティシラはそれを楽しみに毎日世話をしている。魔界にいた頃は園芸など無縁だった。魔界には畑など存在しないから当然だった。ティシラにとっては初めての経験であり、初めての「生命」の育みだった。
 ティシラは自分の場所に屈みこみ、何か変化がないものかと目を凝らして土を見つめた。昨日取ったばかりだというのに、周辺には小さな雑草が生えている。なのにお目当てのものは見当たらなかった。
「もう……まだなの?」
 ティシラは頬を膨らませながら周辺の雑草を毟り取る。
 当初は手や服が汚れると嫌がっていたのだが、今は「洗えば綺麗になる」ということを学び、多少の作業は自分でやるようになっている。
 毎日成長している隣のサンディルの別の苗を視界の隅に捕らえ、つまらない、と呟いてその場に腰を下ろした。
 心地よい風が吹き抜け、緑が騒いだ。眩しい日差しは嫌いだが、魔力の温床である自然に囲まれていると心が安らぐことは否めない。魔界は世界そのものが魔力でできているが、人間界は自然が生み出す見えない法則よって保たれている。その自然が豊かであることに疑問はなく、この複雑な世界を面白いと思うこともあった。
 ティシラは帽子のツバを少し引っ張り、日光が当たらない程度に顔を上げて空を眺める。済んだ青が広がっていた。流れる薄い雲の動きは、まるで風が目に見えているようで不思議な気持ちになる。
 ティシラはたまに考えることがあった。なぜ、空は青いのだろう、と。そこには何もないはずなのに、何が空を青という色に染めているのだろう。夜は真っ黒になる。それは光が当たらないからだと分かる。ならば、光が当たる空は白く光るものではないのだろうか。
 だけど、そこは青かった。
 そんなことを考えていると、ティシラは宙に浮いているような感覚に陥る。まるで綿にでもなったようで、そよ風が吹くとどこかに流れていきそうだった。

 ――誰か……。

 ティシラは瞳を揺らした。
 どこからか、声が聞こえたような気がしたのだ。今の状態を壊さないように、眼球だけを左右に動かして周囲を見る。周りに、言葉を喋るものはなかった。
 ティシラはもう一度集中した。風に紛れて、魔力を感じた。自然のものではない。ティシラだからすぐに分かる、魔界のものだった。

 ……助けて。

 再度届いた声に、聞き覚えがあることをティシラは思い出した。
 確か、ティオ・メイの城にいたときだ。どうして忘れていたんだろう。あのときも同じ声、同じ言葉がどこからから聞こえたことを、はっきりと思い出す。
(――誰? どこにいるの?)
 ティシラは心の中で返事をしてみたが反応はなかった。
 相手はティシラにではなく、誰にともなく助けを求めているのだろう。それにこの魔力の脆弱さからして、近くにいるわけではなさそうである。
 まったく正体は見えないが、少なくとも何か困っていることがあることは確かだった。
 無視する理由はない。
 ティシラは目を閉じ、声の発信源を探して意識を空に飛ばした。


   

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