SHANTiROSE

INNOCENT SIN-37






 落陽線の村の夜は暗い。
 貴重な資源を無駄にしないため、ほとんどの人が眠りにつく。
 月のない深夜はあまりの静寂に、この世界には自分しかいないような錯覚を抱く。こんな夜、ジギルはいつもある場所へ向かう。小さな火の灯った燭台を手に、足音を潜めて。そこは城跡の地下だった。ジギルは何年もかけて行き止まりの壁を崩し、柔らかい土を削って秘密の部屋を作った。村人には当然、モーリスにさえ教えていない場所だった。ここにこそ、彼の本当の安らぎの地がある。
 部屋を作るのは簡単だった。ある日、ジギルは城跡の地下から気配を感じた。何か小動物でも住み着いているのだろうかと探した。だが足跡も糞尿も何も見つからなかった。気のせいだ……とは思わなかった。ないものをあると仮定して行動を起こすのはジギルの得意とするところだった。そうして、誰も知らない知識を得てきたのだから。
 地下を隅々まで調べたが、何もなかった。だからジギルは気配のある壁を壊し、穴を掘った。どうしても手を止めることができなかった。気配の正体を知りたい。そんな好奇心だけが、彼を突き動かした。昼間はいつ村人に呼ばれるか分からない。だから深夜という限られた時間だけで、こつこつと土を削り続けた。
 どれくらいの月日がかかったなんて、ジギルには関係なかった。もうそろそろ城跡より外側まで掘り進んだような気がしていた。
 ある日、ボロリと土が崩れた。まるで、その向こうにいる何かが、やっと自分を迎え入れてくれたような感動さえ覚えた。
 穴の向うは洞窟だった。
 灯りなどあるわけがないのに、うっすらと、細い月の光を浴びているかのように空間が浮かび上がって見えた。ずっと暗い場所で土を掘り続けていたジギルには眩しく、見慣れるまで何度も目を擦った。
 巨大な洞窟は白く、湿気のある堅い土でできていた。
 ジギルは滅多に見せない笑顔を浮かべた。
「……ここだ」興奮し、両手で拳を握る。「ずっと感じていた気配はここにあったんだ」
 ジギルはゆっくりと洞窟に足を踏み入れた。不思議な空間だった。白い地面には不規則な穴が開いており、つなぎ目の部分は細いが、人が乗っても崩れない強度があった。ジギルは細い道に乗って、穴の中を覗いた。そこに、確かに何かが蠢き、息衝いていた。
 植物だ。暗くてはっきりは見えないが、細い蔦がちらりと動いた。微かに水の音がする。深い穴の下は浅い池のようになっているだろう。断崖の壁にもいくつも穴が開いている。その奥からも気配はあった。地面の穴のなかのものとはまた違う植物が生息しているのだと、ジギルは思った。
 不思議な光景だった。まるで人工的に造られた空間のようだった。溜まっている水分は、地上からしみ込んできた雨水。もしかしたら、更に地下深くに水脈があり、植物の根が汲み上げているのかもしれない。この完成された洞窟は、人知れず植物が長い年月をかけて自分たちが生きていくために形を変えていったものなのだろう。
 地上の植物と何が違うかというと、決定的なものは、「彼ら」が自ら触手を動かし、意志を持っているところだった。こんなものが、誰も知らない地下で「国」を作っているだなんて、ジギルは感動で体が震え、しばらくそこから動けなかった。
 緊張でうまく動かない足を持ち上げたとき、小さな石が穴の中に落ちた。すると、中の蔦が驚いて飛び出してきた。ジギルが尻もちをついて悲鳴を上げると、穴という穴から様々な形の蔦が飛び出してきた。
 ジギルは恐怖で飛び上がり、慌てて洞窟を出た。何度も転びながらトンネルを抜け、崩した壁に、近くにあった板を立て掛けた。既に蔦は追ってきていなかった。ジギルは胸を撫で下ろして息を吐く。その場にへたり込んで、改めて洞窟のことを考えた。
 急いで自分の部屋に戻り、ノートを開く。今日の日付と、洞窟のことを記した。
 この日から、ジギルは取りつかれたように洞窟に通い詰めた。大きな音を出さぬよう、細心の注意を払いながら。
 見える範囲でスケッチをし、それぞれの特性をノートに記した。そのうちに虫や小動物の死骸を持ちこんで植物に与えた。種類によって貪るものもあれば、まったく反応しないものもあった。それもすべて記録に残した。音を立てないように梯子を用意し、横穴にも侵入を試みた。調べていくと、奥へいくほど狂暴な植物が多かった。刺激を与えたら人間ですら容易く殺されるほどの力を持つものがあることも分かった。ジギルは慎重だった。危険を省みず、しかし慎重に、丁寧に、植物を調べ続けた。いつしか植物はジギルという人間を認識し始めているようだった。彼の気配を感じると、まるで挨拶をするように蔦や葉を揺らすものもあった。ジギルも彼らに愛着を感じ始めていた。人間といるよりも心休まる。この洞窟にいると、生まれてきた甲斐があったと思えるようになっていた。



 エミーがやって来た騒がしくも不愉快な日の夜、ジギルは心の安らぎを求めて洞窟に足を運んだ。エミーとはモーリスも含めて話し合い、しばらくこの村に滞在することになった。エミーは特に、村に貢献しようだとか、村人と仲良くしようだとかそういう考えは一切なかった。だからといって行くところがあるわけでもなく、様子を見て気が向いたら協力してもいいと、いい加減な返事をし、城跡の空いた部屋を借りることになった。
 エミーの部屋の灯りは消えていた。もう眠っているのだろうと、ジギルはいつもと変わらぬ夜を過ごすつもりでいた。
 しかし、いつもと違った。
 洞窟の薄い灯りの中に、あの黒い魔法使いが立っていたのだ。
 ジギルは目を見開いて立ち竦んだ。どうしてここが分かったのだろう。それよりも、植物がいつもと違う気配に驚くかもしれない。大きな音を立てず、彼女を連れ出さなければいけない。
「おい、お前……!」
 ジギルが声を出すと、エミーは振り返ってにやりと笑った。
「ジギル先生」エミーの声が洞窟内に響いた。「ここがあんたの本当の家か?」
 穴から蔦が延びてきた。まずい。ジギルは慌ててエミーに駆け寄る、駆け寄ろうとした。しかし蔦はエミーの近くまで触手を伸ばしたあと、すっと穴の中に引っ込んでいった。
「何をそんなに怯えているんだ。可愛い奴らじゃないか」
「……どうして」
 ジギルは困惑して何から質問すればいいのか迷った。ここにいる植物たちは神経質で狂暴だと、思っていた。
 秘密にしていたこの洞窟にエミーがいること、そのエミーに植物が警戒心を解いていることに驚きを隠せない。いつもと違う空間に、気楽に足を踏み入れることができなかった
 エミーはそんな彼の心理を察し、目を細めた。
「怖がらなくていい。こいつらは家族だろう。お前の欲を唯一、満たしてくれる愛する家族。こいつらがいるからお前は楽しく生きていられる。そうだろう?」
 ジギルの全身に冷や汗が流れた。この植物たちをそんなふうに考えたことなどなかった。だけど、心を見透かされているような感覚を覚え、快感に似た恐怖を抱く。
「エミー……お前は、一体なにを知っているんだ」
「特別なことは何もない。私は森で生活していた。傍に人間はいなかった。いたのは、草木だけ」
「植物に育てられたとでも言うのか」
「育てられた覚えはない。だが言葉は、森に教えてもらった」
「どういうことだ」
「私は、植物と会話ができる。それだけだ」
 エミーの向ける冷笑に、ジギルは息を飲んだ。
「だったら、そいつらは、何と言っている」
「あなたは誰と訊かれたから、名乗った」
「他には」
「わざわざ話す価値もないほど、他愛のないことだ」
 エミーは想像を超えた異常な女だ。彼女の性質や本心を知るには時間が足りない。
 ジギルは核心に迫る。
「お前は、まさか、これを狙ってここに来たのか」
 奥歯を噛み、怯える目でエミーを睨み付けた。そんな彼をエミーは笑い飛ばした。植物たちは驚いたようにざわついている。
「私が最初にここの存在に気づいたのは、お前の汚いノートの切れ端を見たときだ」
 エミーはジギルの部屋でいくつかのノートや書類を眺めていた。整理整頓が得意ではないジギルは、大事なものもそうでないものも乱雑に扱う。ここの植物に関する記録や資料も、分かりやすくまとめた覚えは一切ない。どうせ村人は学のないものばかりだし、部屋には入ってこない。モーリスも雑な字で書きなぐられた資料などただの落書きにしか見えず、村には必要のない知識だと思って興味を示さなかった。だからジギルは油断していたのだ。
「黒い森にこいつらの存在のことは聞いていたんだ。地下のどこかで、静かに暮らしていると。私はそれを探してみようと、森を出た」
「……森が?」ジギルの心拍数が上がっていた。集中して話を聞くが、情報が少なすぎて理解ができない。「こいつらは、一体何なんだ? お前はどうして探そうと思ったんだ」
「ジギル先生ともあろうお方が、何を混乱している。みっともない。もう分かっているんだろう? こいつらは、ただの植物だ。意志を持ち、毒にも薬にもなる、ただの植物」
 エミーは両手を広げ、深呼吸をする。とても、気分がよさそうに。
「だが、人間にとっては脅威。なぜなら、情報がないからだ。人間は知らないものに恐怖を抱く。彼らを知らない人間は、きっと口をそろえて『化け物』だと言うだろう」
 化け物――ジギルは何度も瞬きを繰り返した。今までたった一人で、誰に言わずにただ黙々と植物の生態を調べていた。新しいことを知ったところで、それをどうするということは考えたことがなかった。強くなりたいとか、偉くなりたいとか、誰かの役に立ちたいとか、憎いやつを殺したいとか、そんなこと、今まで思ったことがなかったから。
 だが、この植物たちは確かに「化け物」という言葉が似合う。悪い意味ではなく、意志を持って動き、攻撃し、簡単に人など殺せる力を持つ植物は、誰が見ても「化け物」なのだ。
 その「化け物」を背にして笑うエミーは、巨大な軍隊を従えた「悪魔」のようだった。
 安らぎの空間を奪われた気分になったジギルは、その場を去ろうと足を引いた。
「どうした? どこへ行く」
 意外そうに目を丸くするエミーに、ジギルは恨めしそうな目を向けた。
「ここはお前が乗っ取るんだろう? 好きにしろよ。俺はもういい」
「は? 何だよ、もういいって。なんでそうなるんだよ。お前はここが好きなんだろう? 大事な場所だったんだろう? 私に見つかったからってそんなにあっさり身を引くのか」
「そりゃあここの研究は楽しかったし、まだまだ知りたいことはたくさんある。だがお前みたいな女と取り合いしてまで執着する気にはなれない」
「はあ? 普通ならここは俺のものだ、出て行け、とかなるだろう?」
「普通がどうだか知らねえよ。俺はまた別の生き甲斐を見つける。見つからなかったら死ぬまで生きるだけだ」
 エミーは開いた口が塞がらず、唖然となった。ジギルは彼女が何に驚いているのか分からず首を傾げる。その様子に、嘘でも強がりでもなくそれが彼の本心だと理解したエミーは、また笑い出した。
「やっぱりお前は面白いな。頭のネジがいくつも曲がってるらしい」
 ジギルは不愉快になり、もうエミーと話したくなく、再び踵を返した。しかし、また足止めされる。
「早とちりするな。私はお前から横取りしようなんて一言も言ってないだろう」
「だからってお前なんかと仲良くしたくねえよ」
「仲良くだって? お前みたいな本物のバカと仲良くできる人間なんか、この世のどこにもいやしないさ。だが、ここにいる『化け物』は違う。こいつらは、お前の家族だ」
「……何が言いたいんだよ」
「そして私はこの『化け物』が好きだ。だが私たちは仲良くないし、なろうとも思わない。つまり、向いてる方向は同じなんだ。だから共存しようじゃないか……って話だよ」
「共存?」
「そう。この『化け物』たちはただの植物だ。しかし、人間である私たちにとって、どれくらいの力を持っていると思う?」
 ジギルは不信感を拭えず、斜に構えたまま、考えた。
「未知数だ。だから俺は夢中になった。お前は知っているのか?」
「いいや。私にとっても未知数だよ。それでも、少なくとも、私の分かる範囲でこれだけは確実だと言えるレベルを言葉がある。それは『人類を滅ぼす』程度、ってところかな」
 エミーは身震いがするような言葉を簡単に口にした。それでもまだ笑っている。
 ジギルは平静を装い、反論する。
「……大袈裟だ。そうだとしても、それが可能ならもうとっくに人類に害を及ぼしているはず」
「私の分かる範囲だと言っただろう。可能性の話だよ。彼らは植物だ。理由もなく人間を攻撃することはない。しないだけで、それほどの力は持っている」
「…………」
「どうだ、知りたいだろう?」
 明らかな挑発だった。なぜエミーがジギルを引き止めているのか、理由はまだ分からない。それでも、ジギルが目の前にいる「化け物」に魅きつけられ、知りたいという欲求を掻き立てるには十分な言葉だった。
『人類を滅ぼすほどの力』――知りたい。それがどれだけのものなのか。どうやって人類を滅ぼすのか。想像しようとしても、鮮明なイメージは浮かび上がらない。
 人同士が殺し合うのは嫌というほど見てきた。そこにはいつも勝者と敗者がいた。偽ってでも恨みや怒りを募らせ、それを原動力にして無意味に血を流してきた。そこに真の危険はなかった。人間は分かっていたから。殺し合っても数が減るだけで、何も得られないということを。
 だけど、自然の驚異によって人類が滅ぶとしたら、そこにどれだけのパワーとエネルギーが渦巻くのだろう。損も得もなく、言葉も感情もなく、計算も手加減もない。邪魔だから排除しようとする単純で強大な力とは、どれほどのものなのだろう。
 もうジギルがそこを立ち去る理由は、なくなった。





   

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