SHANTiROSE

INNOCENT SIN-57






 死んだように眠っていたジギルは、槐(えんじ)色のマントを羽織った魔法使いのハーキマーに体を揺らされた。
「ジギル、起きて」
 落ち着いた雰囲気の彼女は、エミーが育てた魔法使いの一人だった。ジギルは重い瞼を上げてしばらく天井を見つめたままだった。窓からさすオレンジ色の太陽の光が、もうすぐ夕刻になることを教えてくれる。
 スカルディアが拡大し資金が潤っても、彼の質素で粗末な部屋は変わらなかった。次々に作戦が成功していくうちに、エミーの側近であるジギルへの見る目は羨望のものに変わっていったが、ジギルは跪いてくる者を拒絶し続けた。
「ここは王国でも帝国でもない。弱者が寄り集まったただの群衆だ。地位だ名誉だ財産だ、そんなものはここにはない。欲しければここを出てランドール人に頼め!」
 そう語り出すジギルの言葉には、誰もがじっと耳を傾けた。
「いいか、俺たちは虫けらだ。この大地に生まれて、ただ死んでいくだけの、枝から落ちて地面に還る枯葉と同じなんだ。だがそれらと違うのは、知能があり感情があること。向かい風に逆らうことができる。人同士で会話ができる。自分の生まれた証を形にして残すことができる。お前たちはいつか死ぬ。怖くてもいい、逃げてもいい。それでも死はすべての命に必ず訪れる。だからその命は自分のために使え。国だの神だの誇りだの、そんなもののためには死ぬな。もう一度言う。俺たちは烏合の衆だ。人間も魔士も式兵も、動植物も、空も雲も、すべてが対等だということを忘れるな」
 ジギルはただ自分を特別扱いするなということを伝えたいだけだった。なのに、皆に心打たれて酔った顔を向けられ、喋りすぎたことをすぐに後悔した。
 城跡の中で聞いていたエミーは、暗い顔をしたジギルに大袈裟な拍手を送り、口を開けて笑っていた。
「さすが先生。素晴らしい演説だったよ。勉強ができるだけじゃなくカリスマ性まであるとは、ほんとによくできた先生だ」
「か、からかうなよ」ジギルは怒りと恥ずかしさで目を合わせられなかった。「あいつらバカだから、ちゃんと説明しないと分からないと思って、つい、長くなった」
「その通りだ。あんたは正しいよ」
「でもあれは、俺が、なんとか様とか呼ばれたくないから言ったことなんだ。お前はリーダーとしてちゃんと敬って欲しいなら、あとで訂正しとけよ」
「いや、あんたは正しい。私も同じだ」
「何が同じなんだよ」
「私もお前らと同じ、虫けらなんだよ」
 やっぱり馬鹿にされている。ジギルはそう思い、もうこの話はやめた。

「――ジギル、どうしたの」
 ハーキマーに聞かれ、ジギルはとぼけた顔になる。
「何が?」
「ぼおっとして。具合でも悪いの?」
「い、いや」目を擦りながら体を起こす。「ちょっと疲れてるだけだ。で、何か用か」
「緊急事態よ」
「は? 早く言えよ」
「今が最速」
「ああもう」魔法使いは面倒だと思いながら。「いいから、緊急って何だ」
「エミーのところに行って」
「行くけど、少しくらい話せ」
 ジギルはベッドから降り、草臥れた上着を羽織ってドアに向かった。ハーキマーもあとを負う。
「ウェンドーラの屋敷に向かった魔士がやられた」
「え? 誰に? あの魔女か?」
「クライセン」
「そんなわけないだろ。あいつは囮のトリル軍と睨み合いしてるはずだ。気付いたとしても斥候レベルの魔士を潰しにいちいち戻るとは思えない」
「そう。おかしなことが起きた。だから緊急事態なの」
「おかしなことねえ」ジギルは軽く笑い。「クライセンが二人に分裂でもしたか?」
 ハーキマーは真面目な顔のまま、少し考えたあと頷いた。
「そうかも。だったら不可解な出来事の謎が簡単に解ける」
「冗談だよ。いくら何でも短絡すぎる」
 そんな話をしているうちに、ジギルはエミーのいる部屋に着いた。



 床にも天井にも大きな魔法陣の描かれているエミーの部屋は、常に黒いカーテンで外の光が遮断されており、魔法や魔術の道具で散らかっている。
 無数のろうそくが途切れることなく灯る部屋の中央で、エミーはあぐらをかいて水晶と向き合っていた。
「エミー、何があった」
 ジギルが室内に入りながら言うと、エミーは一瞬だけ彼を見てすぐに水晶に目線を戻した。
「ハーキマーは来るな」
 エミーが命じると、ハーキマーは一礼して部屋には入らずジギルの背後で戸を閉めた。本当に緊急事態のようだ。ジギルの眠気はすっかり消え、緊張して彼女の傍に腰を降ろした。
「おかしなことが起きた」
 エミーにいつもの不適な微笑はなかった。彼女が手をかざしている水晶の内側には靄のような黒や紫の光が渦巻いている。
「少しだけ聞いたが」ジギルには水晶に何が映っているのか理解できない。「ウェンドーラの屋敷に向かった魔士がやられたそうだな」
「ああ」
「何が問題なんだ」
「球根が奪われた」
「え……! 誰に?」
「それが問題なんだよ。万が一計画に失敗した場合は球根ごと自爆するよう命じてある。だが魔士は自爆することなく殺された。一緒にいた式兵も全滅している」
「誰がやったんだ。クライセンはトリル軍と対峙していたはずだ。あのときいたのは、あいつの恋人の魔女だけだろう。その魔女が独断でそこまでできるものなのか?」
「いいや。あの魔女はただの家出娘だ。魔界の姫とはいえ大した魔力もなければ知識も経験もない」
「そうは言っても、多少の戦闘能力はあるだろう。偶然が重なって魔士がやられたんじゃないのか。球根は森の中に落ちたか、拾われたとしてもあれが何かまで分かるはずがない」
「そんな都合のいいことがあるか。何が起きたのか、ここから透視したが、分かったことは球根は植えられていないこと、かといって消滅もしていないこと。ということは、土の中を移動してきた少数の兵の気配を察知し、球根の存在に気づき、自爆を瞬時に阻止したということだ。相当な手練れでなければこんなに器用な真似はできない」
「相当な手練れって……」
「本当に偶然そこにマーベラスクラスの魔法使いが通りかかったのならこちらの不運だ……しかし、そうではない気がするんだ」
「そうだ。メノウはどうした。あいつもやられたのか」
「まだだ。死んだという報告は入ってない。メノウが帰れば何か分かるかもしれない。敵に捕まっていなければいいが」
 エミーは真剣な目で水晶を見つめていた。笑っていない彼女は珍しい。その様子がジギルの心拍数を上げていく。
 革命が始まっても、思っていたより変わらない日々が続いた。前線に出向くことのなかったジギルは、好きなことに没頭できて後先のことなど忘れかけていたことに気づいた。
 これは戦争だ。たくさんの罪なき人々が死んでいる。目的を達成するために。
 いずれ終わりがくるのだ。
 それが近づいているのかもしれない。
 ジギルはふっと、先ほどのハーキマーとの会話を思い出した。
 クライセンが二人に分裂した――。
 バカげている。しかしハーキマーは、それなら謎が解けると言った。
 そんなバカげたことでも、あり得ないと否定すれば一つの可能性が消えてほんの少し答えに近づくのかもしれない。
 そう思ってジギルが口を開こうとしたとき、ドアがノックされた。
「エミー、メノウが戻った」
 ハーキマーの声だった。
 エミーは素早く立ち上がり、入れと命じた。するとドアが開き、項垂れていたメノウが顔を上げた。彼女が部屋の中に入ると、ドアが閉まった。
 メノウはエミーに早足で寄り、両手両ひざをついた。
「申し訳ない……作戦に失敗した!」
「それは知ってる。何があったか話せ」
「私にも分からないんだ。短時間で魔士と式兵が殲滅され、球根は行方不明だ」
「それで、何も調べずにノコノコと戻ってきたのか」
「許してくれ。本当は一瞬で魔士と式兵を殺せる何者がいる場所に、一人で乗り込もうと考えた。だがそれが得策かどうか判断できなかった。だから……」
「だから?」
「代わりに、近くをうろついていたおかしな人物を捕まえてきた」
「おかしな人物?」
「おかしいんだ。今牢の中に閉じ込めている。会ってみてくれ。まるで別の世界から迷い込んできたような、おかしなことばかり言う。会えば分かる」
「で、そいつらが球根を持っていたのか?」
「いいや、所持はしていなかった」
 エミーはメノウから目を離し、奥歯を噛んだまま思案した。
「……分かった。そいつらを調べてみよう」
 メノウはすぐにエミーとジギルを二人のところに案内した。



 気を失っていたカームは目を覚ますと同時、湿った土の匂いを感じた。
 見慣れない空間は薄暗く、あちこちに苔の生える黒い土壁に囲まれた不衛生な場所だった。慌てて上半身を起こすと、足元にミランダが倒れていた。
「ミランダさん……!」
 声をかけて肩を揺らすと、ミランダも目を覚ました。
「……ここは?」
「地下の、牢屋みたいですね」
 太い鉄が組み込まれた格子を見つめて、カームが呟いた。ミランダは鉄格子に駆け寄り、隙間から牢の外を覗いた。左右に廊下が続ているが、同じ土壁以外は何もなかった。
「さっきの女の子、魔法使いだった」ミランダは項垂れ。「ティシラの話だと、この世界のアンミール人の魔法使いはエミーの手下だけのはず。じゃあ、ここはスカルディアのアジトなの?」
「そうだと思います」
「私たち、捕まってしまったの? どうして? どうしてあんなところに革命軍がいたのよ。捕まるならランドール人に捕まりたかった。どうやってここから逃げ出せばいいのよ」
 悲しみや後悔が押し寄せて困惑するミランダに、カームはかける言葉が見つからなかった。
「……何よ。カーム、あなたが、出しゃばって、余計なことをするから……」
 そう言われるのは覚悟していた。カームは、また自分自身の悪いところが出てしまったことを後悔していたのだから。
「ごめんなさい……」
 俯いて言うと、ミランダが悔しそうに格子に拳をぶつけた。
「バカじゃないの……何が、ごめんなさいよ。そうじゃないでしょ」
「はい……」カームは情けない顔で、自嘲した。「僕、死ぬまでこのままかもしれませんね。でも、君がいるあいだは、少しでもこの災難を乗り越えられるように努力し……」
「そうじゃない!」ミランダは苛立った声で遮る。「私が勝手なことをしたせいだって言いなさいよ!」
 カームは面食らって目を丸くした。
 ミランダも自分の行動を後悔し、自責の念に苛まれていたのだった。
 やはり気の利いた言葉など思いつかないカームが膝を抱えた。
 そのとき、廊下の奥から足音が聞こえてきた。
 ミランダは格子から離れて後退り、カームは緊張して腰を上げた。
 足音はどんどん近づいてくる。逃げるどころか、隠れる場所もない二人は自然と体を寄せ合っていた。
 足音の主は、エミーとジギルだった。先頭にいたメノウはフードを深く被って顔は見えない。カームとミランダの前で立ち止まると、一礼してすぐにその場を後にした。
(この人が……エミーさん)カームはその背後にいる少年を見て。(それじゃあ、彼が、ノーラの代理の、ジギル……)
 カームの世界では、二人とも手の届かない大物だ。きっとこの世界でも同じだと思う。いつの間にか体が震えていた。
 エミーは鋭い瞳で二人を交互に見つめていた。恐ろしいほど強い目力は、見慣れているはずのジギルも息を飲むほどの迫力だった。そんな目に心を割かれる二人は気が気ではなかった。
「一人はアンミール人で」エミーは目を見開き。「もう一人は、混血だな」
 カームは震える手足をの力を振り絞り、ミランダの前に出た。
「お前、名前は?」
「……カームです」
「カーム。お前は何者だ。アンミールの魔法使いのようだが、私は育てた覚えはない。それにその服はなんだ。どこかの制服に見える。貴様は一体どこから来た」
 カームが身に着けているのはティオ・メイ魔法軍の軍服。少し調べれば精密な計算の元、専門の技術で狂いなく制作されていることはすぐに分かる。しかしそんな組織はこの世界に存在しない。
 カームは短い時間に必死で考えた。黙秘を貫き抵抗するか、従うふりをして隙を狙うか。だが何もいい案は思いつかない。
 せめてミランダと話し合う時間が欲しいと思った。何が最悪の中で最善の方法か。何かヒントだけでもと、カームはミランダにちらりと目線を送った。
 ミランダは真っ青な顔で震えていた。唇を噛んで耐えているが、今にも倒れてしまいそうなほど怯えきっている。カームも同じ気持ちだった、が、気の強いミランダのその様子は彼にヒントを与えた。
「僕たちは、別世界から迷い込んできたんです」
 そうはっきり伝えたカームに驚いたのはエミーとジギルだけではなかった。ミランダも潤んだ目でカームを見つめた。
「僕たちは、『魔法戦争でアンミール人が勝利した世界』から来ました。この服は、アンミール最強の魔法軍の軍服です」
「へえ……」
 エミーにやっと、僅かな笑みが灯った。
「僕たちの世界では、魔法戦争はザインの死で終結しました。そのあと魔法大国ノートンディルは海に沈み、当時のアンミール人最強の王ガラエルと、裏切り者のイラバロスが協力して世界を立て直したんです」
 短い話だが興味深い。エミーは更に口の端を上げる。ジギルも同じように強い興味を持ったが、心が騒いで落ち着かなくなった。
「おい、エミー。こんな話、信じるのか?」
「嘘でも面白そうじゃないか」
「それより、球根がどこに行ったのかが先だろ」
「それもそうだな――カーム、捕まる前はどこにいた?」
「……ウェンドーラの屋敷です」
「お前たち二人以外にも、その別世界から来た者はいるのか?」
 カームは息を飲み、質問の意図を考えた。しかし考えても分かるわけがなかった。エミーの目を見つめ返してみたが、彼女の目力には敵わない。すぐに逸らし、覚悟を決める。
「クライセン様です」
 その言葉に体を大きく揺らしたのはジギルだった。冗談が真実になった。そう思った。
「クライセン様は魔法戦争で生き残った、最後のランドールの魔法使いです。魔法の王として僕たちの世界の頂点に君臨する、偉大な魔法使いなのです」
「なるほどね……」
 不可解な出来事の謎が解けた。問題はここからだ。エミーはまた口角を下げる。
「そいつが魔士を返り討ちにし、球根を奪ったというわけか」
 だとしたら納得がいく。嘘かどうかの判断ができるまでは話を聞く価値があると考えた。
「エミーさん、あなたたちの知りたいことを話します」カームは鉄格子に縋り付き。「だから、僕たちが元の世界に戻れるよう協力してもらえませんか?」





   

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