SHANTiROSE

INNOCENT SIN-59






「もういい!」エミーは大きなため息を漏らした。「もう十分だ。お前らから得られる情報はこれ以上はないみたいだからね」
 途中から自分の世界の歴史を熱く語り始めて止まらなくなっていたカームは、話の腰を折られて残念そうに眉尻を下げた。
「どうしてですか? これからもっと面白くなるんですよ!」
「ありもしない世界の歴史なんぞただの変人の妄想だ」
「ありますよ! 僕たちの世界は確かに存在するんです」
「知るか。私が知りたいのは『もしも』の歴史ではない。はっきり言えるのは」エミーは格子に縋り付くカームを指さし。「お前らが役立たずのクソ雑魚魔法使いだってことだ」
 カームは強いショックを受けたが、反論はできなかった。
「球根のことは存在すら知らないし、クライセンがこれからどこへ行って何をするのかもまったく分からないじゃないか。別次元の世界から来たなんてご大層な自己紹介しておいて、期待外れも甚だしい!」
 エミーは苛立ちながら言い捨て、踵を返した。
「おい」黙って話を聞いていたジギルが、慌ててあとを追う。「これからどうするんだよ」
「今から考える」
 振り返ってそう言うエミーには、やはりいつもの不適な笑顔はなかった。それがジギルに寒気を起こさせる。こんな彼女は初めてだったから。
「ついてないね。話によるとクライセンのドッペルゲンガーは、こっちのクライセン以上の高等魔法使いのようだ。バカじゃなければこの世界に安易に手を出しやしないだろうが、私たちの計画が大きく狂う可能性が大きい。最悪の状況も想定しないといけないね」
「最悪の状況って?」
「私たちの革命が失敗するってことだよ」
「え? でも、お前、こいつの話は変人の妄想だって言ったじゃないか。信じているのか?」
「可能性の話をしている!」エミーはジギルを睨み付け。「少なくともこいつらの存在は私の計画の中にいなかった。いなかったものが目の前にいる。そして同時にありえないことが起きた。本当にドッペルゲンガーなんてものが出現したかなんてどうでもいいんだ。それに相当する異常が発生したことが問題なんだよ!」
 ジギルは何も言い返せずに口を結んだ。意気消沈する彼に、エミーは呆れた表情を見せる。
「まったく、らしくないね。いいよ、ジギル、お前はもう少しそこにいな」
 ジギルが動揺して顔を上げると、やっとエミーがいつものように口の端を上げていた。
「嘘だろうが本当だろうが、お前が好きそうな話だもんな」
 ジギルは図星をつかれる。
「その妄想大好き小僧も話し足りないようだし。たまにはガキ同士で無駄な時間を過ごすのも、いい気分転換になるだろうよ」
「……エミーさん!」
 ジギルが黙っている代わり、カームが慌てて声を上げた。
「あ、あの、僕たちが元の世界に帰れるように、協力して、もらえるんでしょうか……」
 エミーは再び口元を歪めて一同に背を向けた。
「私には関係ない。ジギルに頼んでみな」
 そう言って、早足で暗闇の中に姿を消した。
「あの、ジギル君……」
 暗い顔をしているジギルは、カームに呼ばれて目線だけを向けた。
「さっきの話だけど、協力、してもらえるのかな……」
「そんなこと言われても、俺、魔法のことなんか何にも知らねえし」
「そんな……あとで、エミーさんに、いや、別の人でもいいから、そういうの得意そうな人に掛け合ってもらえたら、嬉しいんだけど……」
「それは別にいいけど」
「本当?」
「別次元に帰る魔法なんて使える奴、エミーくらいしかいなくないか?」
「うーん……そうだね。もう一度エミーさんに、頼むしかないか……君が口添えしてくれたら、どうにかなりそうかな?」
「さあな。どっちにしても、俺だってまだお前の話を信じたわけじゃないぞ」
「え、そうか……」
「気になるってだけだ。とりあえず……ノーラって奴のこと、もう少し聞きたい」
「あ……」
「それって、もしかして、俺のことなのか?」
 カームは気まずさを隠せなかったが、話さない理由はなかった。改めて地面に腰をおろし、鉄格子を挟んでジギルに向き合う。
「クライセン様の話だと、同じじゃないみたい。ノーラが生まれるのはもっと後だし、名前も違うし」
「エミーが革命を起こさなかったから、ノーラが代わりに台頭し、魔薬を支配したんだろ? 結局、どんな時代であっても、魔薬で世界を動かそうとする人物が生まれるということなのか?」
「えーっと……」
「だとしたら――」
 魔薬が自分やノーラ、エミーを呼び寄せているのだろうか――。
 ジギルは一人で思い耽った。
 ――魔薬には魔力が宿っている。魔法の大地から自生している、人間よりずっと昔から存在している生物だ。意識や知性はない。自ら動く触手もあれば、エミーと会話しているというのも嘘ではないと思う。しかしエミーは魔薬の「言葉」は抽象的だと言った。つまり、彼女が人間風に意訳しているだけで、実際に魔薬が人間のように苦悩したり憎しみを抱いたり談笑したりしているわけではないのだ。
 魔薬が人間の運命を操ろうとしているとは思えない。ただ彼らは自然に生まれ、生物の仕組みに従って生きているだけ。なのに、なぜこうして魔薬を利用する人間が、「都合よく」生まれてくるのだろう。
「おい」ジギルはふとカームに目を向けた。「魔薬戦争ってのはどうなったんだ」
「え……伝え聞きですが、クライセン様がノーラを倒して、それに同行していたトレシオール王子が、戦争で傷ついた国王陛下の跡を継がれて……」
「そこはいい。そのあと魔薬はどうなった」
「元々危険なものとして取り締まられていたのですが、魔薬王ノーラが死んでからは悪いことに使うための技術がほとんど失われ、被害者は数を減らしていってるようです」
「じゃあいいことに使われているのか?」
「その研究は続けられています。あまり話題にはなりませんが」
「どうして?」
「うーん、よく分からないのですが、副作用が強いからとか、あまり役に立たないとか、そういう感じじゃないでしょうか」
「お前たちはそれでいいのか? 大きな争いだったんだろう? たくさんの人が死んだんだろう? 魔薬を巡って。悪い奴が倒されて難を逃れた。得たものがそれだけで納得しているのか?」
 カームは眉間に皺を寄せて首をひねった。そんなことは考えたことがなかった。ミランダにも意見を求めようと振り返ると、彼女はいつの間にか牢の隅に移動して座り込み、黙って話を聞いていた。
「ミランダさんはどう思います?」
 ミランダは横目で二人を見たあと、すぐに逸らした。
「さあ。魔薬には、それほど興味がないの」
「ああ、僕も同じです」カームに向き直り。「情報があまりないからかもしれませんが、僕たちにとって魔薬は悪いものとしての認識が強いんです。今のところ積極的に利用しようというより、二度とあんなことが起きないように管理して欲しいという気持ちが大きいですね」
「それじゃあ、魔薬は管理されているのか?」
「多分されているんじゃないでしょうか」
「どうやって?」
「国が、悪いことに使われないように、厳しく取り締まって……」
 具体的に答えられないカームに苛立ちながらも、ジギルは質問を続けた。
「リヴィオラは? リヴィオラはどうなっている?」
「え? リヴィオラは、クライセン様が所持されています」
「所持? あんな大きなものをどうやって」
「僕が知ってるのは手の平サイズの綺麗な石ですよ。この世界のは大きいんですか?」
「大きいよ。でも面倒だからお前は質問するな」
「ええ……」
「どうしてクライセンなんだ?」
「魔法界の頂点に立つ、魔法王だからです」
「魔法王? それは誰でもなれるのか? 人間が勝手に決めた人物なのに、リヴィオラを所持できるものなのか?」
「誰でもではありませんよ。魔法王という位は人間が決めたものですが、誰がなるかはリヴィオラ自身が選んでいると聞いています」
「リヴィオラ自身? どういうことだ?」
「それは、あまりに神聖な取り決めなので、僕ではうまく説明できません。でも歴代魔法王は誰もが一目置く、魔法使いのなかでも特別な方ばかりです」
「歴代って、いつからその制度は始まったんだ」
「魔法戦争後です。失われたランドールの魔法に敬意を示すために、魔力の源であるリヴィオラを所持することで、その時代の最高位の魔法使いである証明とされました」
「それは後付よ」と、ミランダが口を出してきた。「実際にリヴィオラを所持したのはイラバロスとクライセンだけよ。初代と二代目は戦後に、別の理由で魔法王だったってことにされたんでしょ」
「そうなんですか?」
「美化された歴史ってやつか。そういうのがあるのは理解できるが、興味はない」
 ジギルは再び自分の世界に入った。
 ――どうしてリヴィオラが大きくならなかったのか。それは……。
「そうか。ザインの死と共に、ノートンディルの大地も無くなったからか」
 ――ノートンディルはリヴィオラの母体。この世界にはノートンディルがある。大地そのものに魔力が宿っていて、その源がリヴィオラで……。
「そのリヴィオラは、人間が、支配している」
 リヴィオラには宿る母体が必要。カームたちの世界では無くなったノートンディルの大地の代わりに「魔法王」が母体を務めている。
「そういえば」とジギル。「マルシオという天使、アカシアのドッペルゲンガーなんだよな」
 カームはうんと頷いた。
「母体を必要とするのはリヴィオラだけではない。天使の石も母体を失ったから無意識にドッペルゲンガーを作り出した。原始の石にとって、それだけ母体は重要ということだ」
 この世界のリヴィオラは魔力豊かなノートンディルという母体があるのに、ランドール人の魔法で大地から切り離されている。
(もしかして、エミーの言う『リヴィオラを大地に還す』ということは、ランドール人の魔法を解けということだろうか)
 それだけなら難しいことではない、そんな気がした。
(原始の石を元の大地に還す……それで、一体なにが起こる?)



*****




「――世界は、原始に戻ります」
 目の前の広がる「夢」の映像を見つめたまま呟いた。
 そこに映るものを見たクライセンは、今まで見たことも想像したこともない世界に言葉を失っていた。
「時間が遡るのではありません。今までの、人間との関わりを経た歴史を周到した、新しいルールが構築されるのです」
 そこに映っていたのは、あまりに悍ましい光景だった。
 太陽の光を遮る白い大木の集合体。地面にはいくつもの沼が、網状の細い苔の道に区切られている。樹木、地面、苔、沼のあちこちには、あまり見たことのない虫や小動物が彷徨っていた。それぞれがその暗い世界に適応して進化した生物なのだろう。
 しかし二人はそれら以上に意識を釘づけにされるものがいた。
 沼に体を浸して蠢く、二足歩行の生物たち。
 弛緩した青白い肌。体毛はほとんどなく、水と草、一部の虫を主食とし、顎も口も小さいが、薄暗い世界で光を求めた末か、二つの目はまるで魚のように大きく飛び出している。
 彼らに知能も理性もなく、本能のままに体を絡め合い、場所を選ぶことなく排泄を行っている。
「これは……」さすがのクライセンも憔悴している。「人間だな」
 レオンは落ち着いた様子で「はい」と答えた。
「沼に浸って、赤子を生む様子もあります。 地面の所々には死肉や骨の欠片のようなものが落ちています。彼らの死骸です。この世界の人間はただ繁殖を繰り返し、捕食者に食われるだけの下等生物」
「捕食者というのは、この白い樹木か」
「はい。この樹木は沼の中にいる人間を、根から喰い漁っています。しかし食い尽くしているわけではありません。人間を滅ぼしてしまったら彼らの食糧が無くなってしまいます。だから栄養の含まれる沼を用意し、そこで人間を繁殖させているのです」
「この世界の食物連鎖の頂点はこの樹木で、人間は樹木が生いきていくための餌というわけか。この樹木は一体どこから生まれてきた?」
「分かりません。こんな奇妙なものが、小さくても存在しているのなら誰かが気づいているはずです。だけど見たことも聞いたこともないのです」
「ということは、これから生まれてくるかもしれないってことか」
「これから……どうやって、何のために生まれてくると思いますか?」
 クライセンは滅入る気分を圧し、うーんと唸ったあと大きな息を吐いた。
「まあ、つまり、これがエミーの『革命』なんだろうな」
 レオンは確信を突かれ、肩を揺らして奥歯を噛んだ。
「やはり、そう思いますか?」
「どうしてこうなるかなんて考えても無駄だろう。これは予知夢だ。エミーの言う、リヴィオラを大地に還すってのは、世界がこうなるってことなんじゃないの」
「予知夢……」
 認めたくなかった。ずっとただの悪夢だと思っていたかった。
 だけどそれが自分の弱さであり、悪いところなのだ。怖くても受け入れるしかない。
「でも、こんな世界になったら、エミー自身も植物の餌になってしまうのでは? それともこの植物の更に上で彼女が世界を統治できるのでしょうか」
 エミー自身も犠牲になる。この可能性がレオンにとっての最後の希望だった。エミーがそんな愚かなことをするわけがない。だったら自分の予感は外れている。レオンはそう思いたかった。
 だがクライセンはその僅かな希望を軽く打ち砕いた。
「ないない。エミーは自分だけ助かろうとか、世界を支配しようとか、そんな野望は持ってないよ」
「で、では……彼女も、この退化した人間になっても構わないと……それほどの覚悟を持っているということなのですか?」
「覚悟なんて概念は彼女にないよ。ただ自分のやりたいことの末にそういう結果が出るならそれでいいって感覚じゃないのかな。と言っても、この光景も突然なるわけじゃなく、一度ほとんどの人間が死滅して、環境に合わせて生態系がゆっくりと変化していくんだとは思うけど」
「エミーは、死が怖くないのですか?」
「怖くないと思うよ。彼女には守るものも何もないし」
「どうして? これがエミーのやりたいことなのですか? 何のためにこんなことを?」
「さあ」クライセンは首を傾げたあと、ああと声を上げた。「そう言えば、ブランケルが暴れたとき、『人類の滅亡に立ち会えるなんて光栄だ』と言ってたらしいね」
「……え?」
「多分、エミーは人類を滅亡させたいんじゃないかな」
「な、何のために?」
「あんまり意味はないと思う。この世界の本来の姿を見てみたい、そんな感じかな」
「本来の姿? これが?」
「リヴィオラは大地が母体だ。人間が支配するものではない。だから本来は大地に根付く植物が支配するのがこの世界の正しい在り方……視点を変えてみれば、完全に間違いではないと思う」
「これが世界の正しい在り方だなんて……人間が知能や文明を持つことは悪なのですか? 人を愛し伝統を守り、学び、洗練し、意志を受け継ぎ歴史を紡いでいくことは、大地にとって迷惑なことなのでしょうか」
「言葉にすれば尊く美しいもののようだけど、いっそそんなもの捨ててしまえば人間だって本能のまま、争いも悩みもなく楽に生きていけるわけだし」
「人が幸せになるために、苦しみと戦ったり悩みを乗り越えていくことは、決して愚かなことだとは思いません」
「嘘や嫉妬、怨恨、見得、悪意、洗脳、後悔、差別や損得勘定などの負の感情が争いを起こす。そんなものはないほうがいいと、誰も一度は考えるよね」
「そ、それは、高みを目指すために、争うこともときには必要なものです。そこに敬意があれば、予測もしなかった素晴らしい結果を生み出すこともあります」
「敬意を持って、相手を蹴落とす。そしてありがとうと感謝する。人間特有の矛盾した行為だ。人は皆、愛ゆえに苦しめ、傷つけ、否定したいのに肯定し、苦痛を喜んで受け入れる。なぜ矛盾が生まれるのか、誰も説明ができない。その歪みが解消されるとしたら、それはそれで、人は奇跡と呼ぶかもしれないよ」
「……そんな」
「もし革命が始まって植物に屈した場合、思ったより早く人間は諦めて新しい覇者に従うだろう。潔く敗北を認めることもまた、人間の美学だから」
「…………」
 レオンにはクライセンが薄情に見え、怒りに似た熱い感情を抱いた。
 だがすぐに、違う、と否定する。彼は間違っていない。いいも悪いもなく、ただ思うことを正直に話しているだけ。
 エミーは間違っている。そう思いたいのに反論できない自分が腹立たしかったのだ。
 クライセンは話した相手が葛藤に苛まれる状態には慣れている。レオンの心情を察しつつ、気遣いなく続ける。
「理由は?」
「え?」
「エミーを止める理由は? ないと、君は動けないんだろう?」





   

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