SHANTiROSEINNOCENT SIN-60ジギルは二人に背を向け、一人でブツブツ呟いていた。そんな彼に、カームが「あのー」と声をかけるとはっと我に返った。 「とりあえず、ここから出してもらえませんか?」 「は? どうして?」 「どうしてって……」 「お前らは捕虜なんだぞ。俺は何の理由でお前たちを解放するんだ?」 「えーと」カームは困った顔で。「僕たちが敵ではないことは確かだと思うんですけど」 「だから、どうして?」 「僕たちから敵意を感じますか?」 「いいや」 「でしょう? それに、僕は同じアンミール人ですし、ミランダさんも半分はアンミール人なんですよ。敵性民族ではありません。敵意も悪意もありません。それどころか、僕はあなたと友達になりたいとさえ思っているのに」 ジギルは更に疑問を重ね、頭を傾げる。 「友達?」 「ティシラさんにこの世界のことを聞いて、ジギルという人は怖い人なのかと思っていました。でも実際会って話してみて、僕たちとそれほど変わらない、普通の少年だと分かりました。それに、とても素直で好奇心旺盛で、僕はあなたと話していて楽しいと思います。それって、仲良くなりたいってことなんです」 真面目な顔で言うカームの背後で、ミランダは「また始まった」と呆れていた。 「生まれ育った世界も違うし、さっき知り合ったばかりですけど、僕はあなたのことをもっと知りたいです。だから友達になりましょう。そしたら、僕たちをここから出しても何も問題ありませんよね」 ジギルは唖然とし、力が抜けたように肩を落とした。 「お前はバカか?」 思ってもいなかった言葉に、カームは強いショックを受けて青ざめた。 「それで俺を騙しているつもりなのか? 友達だって? お前は自分の立場が理解できていないのか? それとも俺がそんな、説得力のない、口先だけの臭い台詞に絆されるようなアホだとでも思っているのか?」 もちろん本心だったカームは更にショックを受けて震え出す。 ただ呆れるばかりのミランダだったが、このままではジギルを怒らせてしまう。カームを押しのけて身を乗り出した。 「待って、ジギル。彼はこういう人なの。本当よ。私も、クライセンも勝手に友達だと言われて迷惑してるの。きっとマルシオもそうだったはずよ」 「えっ! そうなんですか!」 カームが飛び上がって大声を上げたが、ミランダは黙れと言わんばかりに一瞥する。 「口車に乗せようなんて気はまったくない。私たちにはあなたたちの計画を邪魔する理由も何もない。信じるかどうかじゃなくて、考えてみて。私たちの言動に矛盾はないはずでしょう?」 ジギルは言われるとおりに考えてみた。別次元から来たなんてあまりに突拍子のない話だが、確かに、それが本当ならおかしなところはない。 アンミール人がクライセンの屋敷の近くにいたこと、この世界にはない製法で作られた服、混血なのに隠そうともしない態度。二人にあるおかしなことすべて、カームが語った妄想のような話が本当なら辻褄があう。 メノウの報告では、彼女が二人の前に出る前から妙なことを話していたらしく、会話がかみ合わなかったからここに連れてこられたのだ。工作員としてスカルディアの内部に潜り込むための演技にしては不自然で、彼らの話が嘘なら「頭がおかしい」以外の答えが見つからない。混血や謎の服が物質的な疑問点だが、スカルディアを騙すための道具にしては微妙すぎる。彼ら自身、なぜ、どこで、どうやってそうなったのか、相手を納得させる説明をできない。それどころか余計に相手を困惑させるだけ。マーベラスの工作員にしてはあまりにもお粗末としか言いようがない。 「だから、好きとか嫌いとか、友達とかどうでもいいから、私たちをここに閉じ込めておく必要はないってこと。私たちは元の世界に帰りたいだけなの。力にもなれないけど、邪魔もしない。まだ聞きたいことがあるならなんでも話すから、ここから出して」 ジギルは二人を信じることも信じないこともできなかった。決定的な証拠が何もないからだ。だったら、と思う。 「どっちでもいいや」 そう呟き、深く息を吐いた。 おかしなことが起きた。エミーの言うとおりだ。この二人はともかく、いないはずの場所にクライセンがいて、球根が奪われた。これからどうなるのか、先が見えなくなったのが現実だ。 「……ねえ」疲れたようなジギルを見て、ミランダがずっと気になっていたことを訪ねた。「あなた、もしかして、エミーが何をしようとしているのか、知らないんじゃないの?」 ジギルは驚かなかった。否定も肯定もしなかったが、遠くを見つめた虚ろな目が答えを語っていた。 「それでいいの? あなたは利用されているんじゃないの?」 「……違うよ。俺がエミーと手を組むには、理由はいらないんだよ。俺はただ、好奇心に忠実になっているだけだ。エミーの目的がなんであろうと、俺はこの世界の動きや変化、未来をこの目で見られたらそれでいいんだ」 「エミーはあなたを利用してたくさんの人を殺しているのよ。世界そのものを脅かしている。罪悪感はないの? 悔しくないの?」 「ないよ。そもそも利用されてないからな。俺は好きでやってる――俺の調合した魔薬が何をどう変えていくのか、知るのが楽しいんだよ。エミーはその舞台を俺に貸してくれてるんだ」 「楽しいですって? たくさんの人が不幸になっているのよ?」 「そうさ。俺はそういう人間なんだよ。俺は悪人なんだよ。エミーが来て、自分の役目を知って、認められるようになった。そしたら楽になった。楽しいんだよ」 「よくもそんな……」 眉を吊り上げたミランダを慌てて止めたのはカームだった。 「ジギル君! それでも、僕は君が好きだよ」 ジギルは「はあ?」と声を上げた。 「誰にでも悪いところはある。でもいいところもある。それは君も同じだし、僕も同じ。人に言えない秘密もある。本心を打ち明けられずに一人で抱え込むこともある。でも、大丈夫。きっと誰かが許してくれるから。だから……自分は悪人だと開き直るのは、よくないと思うよ」 ジギルは厚く長い前髪の傘の向こうで目を見開いていた。 誰かが許してくれる――誰が? もう元には戻らないほど壊した。誰かが許して、それでどうなる? 失ったものは戻ってくるのか? 「……もういいや」ふっとジギルは目線を落とし。「いいよ。出してやるよ」 「え?」 まだ話の途中だと思っていたカームは、突然の彼の心変わりに戸惑った。 「どうせ、お前たちにとってはよその世界の話だもんな。だからそういう無責任なことが言えるんだ。聞くだけ時間の無駄だ」 「……そんな」カームはがっくりと頭を垂れる。「僕の真剣な気持ちは届かないんですね」 ジギルは素直に牢の鍵を開けた。二人が出てくる前に、エミーが消えた廊下の先に向かって歩き始めた。 「本当にいいの?」ミランダは彼の背中を見つめ。「エミーに相談もなしにどうして出してくれるの?」 「一応俺もスカルディアのトップなんでね。別にあいつの許可はいらない。俺もエミーもその場その場で自由に行動してる」 「……だから、エミーの本当の目的も知らないままでいられるのね」 「そうかもな」 「じゃあ、もしかしてあなたも、エミーに隠してることがあるってことかしら?」 ジギルは答えなかった。背を向けたままで顔は見えなかったが、それほど動揺は感じられなかった。ジギルは歩きながら胸元から水晶のネックレスを取り出し、口に当てた。 「ハーキマー、聞こえるか」 誰かと連絡を取っているようだ。 「フードのついたマントを二つ持ってきてくれ。ボロでも汚くてもいい。すぐに」 二つ、ということはカームとミランダに貸すつもりのようだ。二人がそう考えていると、ジギルは水晶をしまいながら説明をした。 「ここを出るまで、身を隠したほうがいいだろ。その服じゃ目立つし、混血がうろついてたら騒ぎになる」 「協力してくれるんですか?」 「お前たちがここにいても邪魔なだけだからな。エミーに頼んでみるが、おそらく今は気が立ってる。無理だったらここから追い出す。他に助けを求めるなりなんなりしてくれ」 親切なようで薄情なジギルに戸惑い、カームとミランダは顔を見合わせた。 思っていたより長い廊下を歩いているうちに、反対側から足音が近づいてきた。先ほどジギルが呼んだハーキマーだった。薄暗い空間に、槐のマントを深く被った少女がぼんやりと浮かび上がった。彼女の背後にはもう一人、同じ格好で、ハーキマーより背の低い者がいた。ジギルたちと向き合って足を止める。 背後にいる者の顔は、フードに隠れて見えない。 「ジギル、マントを二つ。これでいい?」 ハーキマーが、自分が着ているものと同じ槐色のマントを差し出すと、ジギルは受け取って「ああ」と呟いた。 すると、背後にいた者が肩を揺らした。それに気づいたジギルはやっと「彼女」に目を向けた。 「誰だ、そいつは」 「ああ」とハーキマーは目を細めて笑い。「新しい子。入ったばかりでまだ魔法は使えないけど、エミーに面倒見てやれって言われて、預かっている。あなたに紹介しようと思って連れてきた」 「またガキか。しかも女だろ」 「そのほうが適正があるんじゃない?」ハーキマーは少女の背を押し。「ほら、挨拶しなさい」 少女は俯いたままジギルの前に立ち、震える手でフードを握った。 「ジ……ギ、ル」 ジギルは少女の声に違和感を抱いた。まるで赤ん坊のようなたどたどしさがあった。一際小柄とはいえ、あまりに弱々しい。 「聞、こえる……ジギルの声、が、聞こえる……」 少女が顔を上げると、フードの中で微笑み、目に涙を浮かべていた。 ジギルに戦慄が走る。 「……イジュー」 そこにいたのは、耳が聞こえず話すことができないはずのイジューだったのだ。 「どうして……!」ジギルは震えあがり、蒼白する。「まさか、魔薬を使ったのか!」 怒鳴りつけられ、イジューは体を縮めて耳を塞ぐ。ハーキマーがイジューを庇って二人の間に入った。 「そんなに大きな声を出さないで。イジューはまだ訓練中」 「ふざけるな! 村人には手を出すなと言っただろう!」 「彼女が望んだ。何かできることはないかって私に相談してきた」 「どうしてお前なんだよ」 「ときどきここに来てた。絵を見せてもらったりして、仲良くなった」 「だからって……どうして俺に言わなかったんだよ! 魔薬の管理者は俺なんだぞ!」 「既に完成してる魔薬は革命軍が共有している。使用許可は必要ない。それに、エミーがいいと言った」 「……エミーが?」 「エミーに話したら、やってみればいいと言った。魔薬は死にかけの者の命を救った。障害のあるイジューなら、調節すれば聞こえるようになるんじゃないかって、うまくいけば仲間にしてやると言った。イジューは、ジギルの力になれるなら嬉しいと言った」 「エミーが……畜生、あの女……」 ジギルは怒鳴りたい衝動を抑えた。興奮して呼吸が乱れる。 「イジューは耳が聞こえるようになった。ここ数日で、声を出す練習をした。他に異常はない。なぜそんなに怒っているの」 魔薬の恐ろしさは誰よりもジギルがよく知っている。それを、あの純粋だけが取り柄の少女に投与したなんて……彼の中の罪悪感が増幅し、押し潰されそうになる。 だがそれを言葉に出すことはできなかった。今までに魔薬を使って化け物になった者は山ほどいるのだから。魔薬を使っていい者といけない者がいるなんて、開発者の口から言えるわけがなかった。 イジューは怯えた顔でジギルを見つめていた。怒られることは覚悟していたが、彼女も何の考えもなかったわけではなかった。慣れない「言葉」で伝えられるか不安を残したまま、ジギルの前に出た。 「……困らせた、なら、ごめん、なさい」フードの中で涙を堪え。「でも、薬、って、こうやって、使う、もの、でしょ」 ジギルは何も言えなかった。 イジューはジギルを勇気づけたかったのだ。自分のしていることを責めないように、自信を持ってもらうように。自らを犠牲にして、教えたかったのだ。 「ずっと、ジギルの、声、聞きたかった……魔薬が、なかった、ら、一生、叶わ、なかった。私、本当に、嬉しい、よ」 ジギルは思い出した。彼女にだけ、「エミーは悪い人」だと伝えたことを。 イジューが何を思ってそんなことを尋ねたのかは分からなかったが、彼女には簡潔に分かりやすく伝えたほうがいいと思った。だから、イジューの質問に「はい」か「いいえ」で答えた。それだけのことだった、そのつもりだった。 その一言が、弱い少女の優しさに付け込んだ。 イジューは、ジギルに「あなたは悪くない」ことを証明したかったのだ。 ただの傍観者だったカームにも、健気でか弱い少女がジギルに体を張って尽くそうとしたことは十分に伝わり、背後で感動していた。顔を赤らめてこみ上げる嗚咽を飲み込んでいる。 だがミランダは違った。いい話のようだが、嫌な予感が頭から離れない。 ――魔薬を使って、幸せになれた者はいない。 それが魔薬戦争という歴史を持つ世界の住人の認識だ。きっと、ジギルも同じなのだろう。だからここまで落胆しているのだ。 ジギルはマントを二人に渡すのを忘れたまま、ふらつく足取りでイジューの隣を通り抜けて行った。 「ジギル?」 ハーキマーが声を掛けるが、ジギルは振り向くことなく廊下の先に消えていく。 イジューはハーキマーの影に隠れて、またフードで顔を隠して俯いた。 ミランダはカームの肩を叩いてジギルのあとを追った。 「ミランダさん? どうするんですか?」 「ジギルに着いて行かなくちゃ」 「ジギル君、落ち込んでいるようです。こんな時は一人にさせたほうがいいですよ」 「バカ。彼とはぐれたら私たちの行き場がないでしょう。いい加減に友達ごっこはやめなさい」 「あ、そうか……」 二人はジギルに追いつき、少し距離を置いて静かにあとを着いて行った。 ミランダが手を伸ばして、彼の腕の中に丸めてあったマントを引っ張る。すると、ジギルが力を抜いたため、するりとミランダの手に移動した。ミランダはマントの一つをカームに渡し、それぞれに身に付けた。サイズは丁度良かった。マントは微量の魔力を帯びており、多少の防御力を持っていた。 「ジギル君……これ、借りますね」 カームが小声で言っても、ジギルは黙って歩いていくだけだった。 Copyright RoicoeuR. 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