SeparateMoon



1





 地上で誰がどれほどの不幸に見舞われようと空は変わらず青く透き通っている。
 大地は割れ、木々は倒れ、人類の大多数は死亡した。
 長い時間をかけ、多大な犠牲を伴って築き上げた文明はあっという間になくなった。生き残った人々がこれからどういう道を作っていくのか、まだ誰も分からない。


 生き残った人間の一人であるジギルは、上空を飛ぶ大きな鷲の影を追い顔を上げ、太陽の光に目を顰めた。
 革命が終結したあと、レオンに連れられて来たのはシルオーラ城の近くの瓦礫の上だった。辺りを見回すが、天を貫きそうなほど巨大で美しかった城はどこにも見当たらなかった。当然だ。贅の限りを尽くした建造物も、使い古された汚れた犬小屋も分け隔てなく原型を失ってしまったのだから。
 レオンはジギルに背を向けて瓦礫を踏み進んだ。ジギルは戸惑いながら着いていくが、彼が何かを探すように遠くを見つめている様子に疑問を抱く。
「おい」とジギルが声をかけても、レオンは振り向かなかった。
「どこに行くんだ」
 レオンは足を止めずに答えた。
「生き残りを探しています」城の方向を指さし。「あそこに城がありました。生き残った魔法使いがいるならこの辺りにいるのではないかと思って」
「だったら城に行けばいいじゃないか」
「もうあそこには何もありません。魔法使いたちも目印を失い彷徨っているでしょう」
「目印……」
 ジギルは違和感を抱いて思案した。間もなく、あっと声を上げる。
「リヴィオラ……! おい、リヴィオラはどこだ?」レオンに駆け寄り。「あれ、でかくて宙に浮いてたんだろ? 水晶や絵で見たことがある」
 ジギルはレオンが答えるのも待たずに続けた。
「え……そういえば、お前、リヴィオラを壊したって……急に根や茨が枯れた。あれらは魔力を糧に生きていた。それが一瞬にしてなくったってことなのか? じゃあ、まさか、壊したって、文字通り粉々にしたってことなのか……?」
 狼狽して喋り続けるジギルに、レオンはため息をついた。
「壊す、に他の意味があるんですか?」
「めちゃくちゃじゃねえか……お前、エミーより出鱈目だよ」
「本来私は世界を滅ぼす運命を持った魔法使いなので。これでも制御したんですよ」
 レオンは足を止め、ジギルと向き合った。
「少し、残しておきました」
 胸元から青く透き通った美しい宝石を取り出して見せる。宝石は片手で握れるほどの大きさだった。魔法に疎いジギルでもその石から発せられる重く深い光に息を飲む。
「……そうだ。カームが言ってた。別次元の世界では、リヴィオラは小さいって……お前も、それを聞いていたのか?」
「はい。参考にさせていただきました」
 レオンはリヴィオラをしまい、再び歩き出した。
「それで……この世界の魔力はどうなってるんだよ」
「大地はリヴィオラのものです。そのうち安定するでしょう」
「でも、前みたいには戻らないんだろ?」
「戻る必要はありません。新しい世界を創るのですから」
 ジギルはここに連れて来られた意味を思い出した。俯き自分が何をすべきなのか考える、考えようとした。そのとき、遠くから人の声が聞こえた。
 レオンはすぐに反応し声のしたほうに向かった。瓦礫の山の先から現れたのはヴェルトだった。
「レオン様!」
 傷と汚れに塗れ憔悴していたヴェルトは、レオンの姿を見て目を見開いた。
「ご無事でしたか!」
 レオンは表情を変えずに彼に近寄っていくが、ジギルは後退し、傍にあった折れた柱の影に隠れた。
「ヴェルト、あなたも無事でしたか」
「はい……しかし、リヴィオラは一体……」
 レオンの無事で安堵したものの、城だけではなくあの青い宝石までも見当たらない光景にヴェルトは喜ぶことができなかった。
「突然魔力が消えてしまいました……まさか、リヴィオラは、エミーが……」
 エミーの死は確認した。だが守るべきものを守れなかったのであれば彼女の野望を阻止できたとは言えない。エミーを倒すのが目的ではなかったのだから、これは敗北を意味する。
 許せない。エミーへの怒りが再度こみ上げるが、それをぶつける相手はどこにもいない。この感情をどう処理すればいいのか、すぐには答えを出せそうにない己の未熟さへの苛立ちも重なり、涙が溢れそうだった。
「いいえ。エミーではありません」
 悔しさで奥歯を噛むヴェルトに、レオンは真実を伝える。
「私が破壊しました」
 ヴェルトは一瞬、頭が真っ白になった。間をおいて、自分の耳を疑いながら顔を上げる。
「球根を止めるには他に方法がなかったので」
 それはご尤もだと、ヴェルトは思う。突いて出そうになった「だけど」という言葉をぐっと飲み込んだ。
「今後、この世界の魔力の在り方は変わってくるでしょう――ところで、他に誰が生き残ったかご存知でしょうか」
 人の気も知らずに話を進めていくレオンに、ヴェルトはまだ着いて行けなかった。感情が制御できない。つまり、それは、どういうことなのか。返事をしない彼をレオンは不思議に思い、しばらく様子を伺った。やっと様子がおかしいことに気づく。
「ヴェルト」
 レオンに呼ばれ、ヴェルトは我に返った。
「エミーの望みの一つであった人類と文明の破壊は成し遂げられました。ですが、リヴィオラを大地に還すという大義は妨げられたのです」
 言いながら、胸元の小さな青い石を取り出して見せた。
「勝利か敗北かと言えば、敗北です。それでも希望は残りました。少なくとも、私の見た悪夢が現実になる可能性はなくなったのです」
 レオンの言葉はヴェルトの心に響いた。絶望している場合ではない。今までのこと、これからのことを思い、そして古から人々を照らし続けた青い光が残っていたことに感動し、とうとう涙が零れ落ちた。
 ヴェルトは慌てて涙を拭ったあと、レオンの前にひざを着いて頭を下げた。
「……とにかく、まずは今現在のことを考えなくてはいけません。歩ける範囲にどれだけの人がいてどういう状況かを知りたいのです」
「はい。取り乱してしまい、失礼いたしました。報告します。私は少し前まで、クライセンとサンディル様、ティシラと一緒にいました」
「クライセンは見つかったのですね」
「はい。ティシラは重症ですが、一命は取り留めています」
「あなたは一人で来たのですか?」
「クライセン達はティシラの治療と療養のためその場に残りました。私がそう指示しました。一度引き裂かれた家族がやっと再会したのです。せめて傷が癒えるまでは、クライセンの魔法使いとしての役目を休ませてやりたいのです。その分、私が働きますので、どうか、ご慈悲を」
 友人の気持ちを察し思い図るヴェルトに対し、レオンはやはり表情を変えなかった。
「それでいいと思います」目線を遠くに移し。「他に誰かいませんでしたか?」
 功労者に対しあまりに軽いレオンの反応にヴェルトは戸惑うが、そういえば彼はもう皇帝ではないし、そもそも国も崩壊している。誰がどこで何をしようと干渉できるものは何もないのだ。割り切ることは難しいが、レオンにはそれができる。いつかそのことに慣れなければいけない。
 それでもやはりレオンへの忠誠心や敬愛の気持ちは消えなかった。冠がなかったとしても、彼が世界最高峰の魔法使いであることには変わりないからだ。
 ヴェルトは痛む体に鞭打ち腰を上げ、姿勢を正した。
「周辺に負傷した魔法使いが数名います。こちらに向かっている者もいると思うので、動ける者を集めて状況を整理しましょう」
 ――離れたところで二人の会話を聞いていたジギルは、青ざめて体を震わせた。
(……しまった)息を潜めたいのに、呼吸が上がっていく。(そうだよ。考えたら分かることじゃねえか……どうしてノコノコ着いて来たんだ、俺は)
 レオンの周りには魔法使いが集まる。当たり前のことだった。
 その魔法使いたちは、ついさっきまで殺し合っていた敵であり、自分は彼らからすれば「人類滅亡を導いた大罪人」なのだ。いくらレオンが何を言おうと大事なものを残酷に奪われた憎しみがそう簡単に消えるわけがない。
 このまま逃げようか――逃げてどうなるのか分からないが、とりあえずこの場を離れたい。ジギルは震える手足に力を入れる、が、うまく動かない。体勢を崩して音を立ててしまう。
「誰だ!」
 その音に素早く反応したヴェルトが大声を上げてジギルに駆け寄った。
 もう逃げられない。ジギルは怯えた表情のままで物陰に隠れたまま座り込んだ。
「……少年?」ヴェルトは俯くジギルに首を傾げる。「君は誰だ。なぜここにいる」
 ジギルの代わりにレオンが答えた。
「私が連れて来ました」
「え? 彼は一体……」
 ゆっくりと近づいてくるレオンに、ジギルは救いを求めるような目線を送った。レオンはそれに気づいたが、なぜ彼がそんなに怯えているのか理解できなかった。しかし何か理由があるのだろうと考えて今は彼の素性は言わずにおこうと判断する。
「ここに来る途中、彷徨っていたので……」
「さようでございましたか。しかし彼はアンミール人でしょう。ここに連れてきても……」
「魔法使いもあまり役に立つ状況ではないでしょう。もう人種の違いによる能力の差はさほどありませんよ」
「それは……」
 レオンの言葉にヴェルトは言葉を失った。
 確かに、その事実は自分自身が証明している。突如魔力の源が消えてしまってから、思い通りに魔法が使えなくなってしまった。発動を試みても魔力が足りず不発で終わることがほとんどである。こんなことは初めてで心も体も不安定になりやすく、途中で会った魔法使いの中にも現実が受け入れられず精神崩壊している者もいた。それらを責めることはできない。
 人種の間にできた深い溝は簡単には埋められるものではないが、これから乗り越えていくべき課題として受け入れなければいけない。
「では、少年……」ヴェルトは改めてジギルを見つめ。「怪我はないようだな。だったら君も周辺にいる者の捜索を手伝ってくれないか」
 ジギルは口を堅く結び、睨むようにヴェルトを一瞥した。
 レオンが誤魔化してくれたとはいえ、問題が解決しわけではない。正体を隠したままで魔法使いたちと行動し続けられるわけがないのだから。
 こんな針の筵に連れて来たのはレオンだ。自分の居場所を作ってくれなければ協力もクソもない。そのことにも早く気づいてくれと、ジギルが心の中でレオンに訴え続けた。
「どうしたんだ。なぜ返事をしない?」
 時間が経つほどヴェルトのジギルへの不信感が募っていく。無視してこの場を立ち去ろうかとジギルが悩んでいると、レオンが二人から離れて行きながら声をかけた。
「ヴェルト、行きましょう」
 ヴェルトはレオンの判断ならばこれ以上問い詰める必要はないと、ジギルに背を向けた。
 ジギルはほっと息を吐き、肩の力を抜いた。やはりこのまま逃げようかと考えながら腰を上げる。だが周辺には他の魔法使いもいる。途中で鉢合わせすれば、それはそれで無事で済むとは思えなかった。今は大人しくレオンの近くにいるべきだろうか。一応、レオンはジギルを庇った。少しは信用してもいいのかもしれない――そう思った矢先のことだった。
「ジギル、何をしているのですか。あなたも早く……」
 レオンは肩越しに振り向き、大きな声を出した。
 ジギルとヴェルトの体が同時に固まった。
 見て取れるほど二人の表情が恐ろしいものに変わっていく様子に、レオンはあっと自分の口を塞いだ。
「……ジギル?」
 ヴェルトは呟きながら自分の中の記憶を整理した。
 聞いたことがある。その言葉は「ジギルという少年」。何度も聞いた。革命の重要人物でありながら、一度も表に出てこなかった、人類を滅亡させた大罪人。
 ヴェルトからただならぬ殺気を感じ、ジギルは身震いしながらレオンに怒鳴った。
「……レオン、てめえ! お前はやっぱりそういう奴なんだな。早くそいつをなんとかしろ!」
 レオンは静かに怒りを沸騰させていくヴェルトを見て、やっと事の重大さを理解した。
「ああ……あの、ヴェルト」しかし彼の気持ちを理解することができなかった。「とりあえず、今は、何も聞かなかったことにしていただけませんか?」
「レオン様は……彼が何者なのかご存知で、ここへ……?」
「はい」
「なぜ……」
「彼の力が必要だと思ったからです」
 ヴェルトは必死で感情を抑え、この場で自分にできることを考えた。激しい葛藤で割れそうになる頭を片手で抑え、声を絞り出す。
「レオン様……」
「は、はい」
「あの、少年の名は……何と……」
「え……?」
「今、彼を、何と仰いましたか……?」
 この状況で何を言い出しているのだろうとレオンは戸惑う。
 だがジギルには分かった。
 ここにいる少年は「ジギル」ではない。そういうことにして、今は「ジギル」への消すことのできない感情を収めよう――彼を裁くべきときまで。それがヴェルトの決断だった。
「……ジ、ジノだ」察したジギルが慌てて偽名を使った。「俺はジノ。その辺にいたら、レオンと会って、着いて来た。それだけだ」
「……ジ、ノ?」
「そうだよ!」ジギルはレオンに向かって。「おい、そうだろ? 早くそうだと言えよ!」
「はあ……」レオンはとりあえず頷く。「そうです。彼はジノ。分かりましたか? ヴェルト」
 レオンの声にだけ耳を傾け、ヴェルトは目を閉じた。
 そこにいる少年はジノ。ジギルという者はどこで何をしているか知らない。まだ生きているのなら、いずれ裁かなければいけない悪人……そう自分に言い聞かせた。ただ、レオンのためだけに、刃を収めると心に決める。
 ヴェルトが気持ちの整理をしている隙に、ジギルはレオンに駆け寄った。
「レオン、お前なあ……」
「すみません。つい」
「せっかく誤魔化してたのに、なんで秒で台無しにしてるんだよ」
「そもそもあなたの素性を隠す理由が分かりませんので」
「それがダメなんだよ。お前はよくても他の奴らはそうはいかないんだ」
「なぜですか?」
「仲間や家族が殺されたんだ。しかも、俺のせいで」
「私もですが」
「だから、ああ、もう……この話はあとだ」ジギルは頭を掻きむしり。「とにかく、俺はこれからジノだ。それくらいは合わせてくれないと、俺はその辺の奴らにあっという間に殺される」
「そうなんですか」
「そうだよ。俺に協力して欲しいんだろ。だったらお前が盾になるんだ。頼むから……」
 こそこそと話していると、ジギルは背後から首根っこを掴まれレオンから引き離される。
 振り返ると、そこには冷たい目をしたヴェルトがいた。
「……分かりました。君は、ジノという少年なんですね」
「そ、そうだ……」
「レオン様が連れていらっしゃったということは、何かしら理由があるのでしょう。ならば、私も歓迎いたします」
 その目つき、声はとても歓迎しているものではなかった。ジギルを掴む手も力が強く、今にも首を締めあげたそうなほど乱暴だった。
「だが……レオン様に無礼を働くのはやめなさい。私は常に君を見張ります。少しでも、レオン様に失礼があったときは、この手で……」
 殺したくて溜まらない。その理由さえあれば、いつでも――。
 ヴェルトからのメッセージを受け取り、ジギルは息を飲んだ。




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