SeparateMoon



3





 三日後の夜、ジギルの部屋のドアがノックされた。
 返事をするとドアが開き、意外な人物が入ってきた。
 元マーベラスの魔法使い、アシュリーだった。
 アシュリーは机とベッド、積み上げられたぼろぼろの本が無造作に置いてある生活感のない狭い部屋を見回しながら、ガラスのない窓の縁に腰かけた。
「こんばんは、ジノ」
「……何の用だ」
 ジギルは警戒して、小さな蝋燭の明かりだけで照らされた机の上に本や資料を重ねて片づけた。
「忙しい?」
「別に」
「本が好きなの?」
 アシュリーは足元にあった本を一つ手に取る。それはただの童話だった。
 ジギルはこの建物を修復する際、瓦礫に紛れて落ちていた本を何冊かかき集めていた。癖のようなものだった。内容は何でもよかった。スカルディアで集めた資料も、気に入って擦り切れるまで読んだ本ももう手元にない。それでも知識は頭に残っている。ただ本と紙とペンが欲しかった。それが絵本だろうと誰かの日記でもよかった。ジギルは線の塊から新たな感性や想像力を生み出す作業が好きだったからだ。
 ジギルがレオンに連れてこられた最大の理由は、魔薬に関することだと思う。いずれは当時の設備や知識を構築しなおし、更にそれらを超える能力を生み出さなければいけない。
 今もあのときの感覚は覚えている。材料も道具もなくては再現できないとはいえ、できることなら書き起こして資料を作っておきたい。しかしジギルはまだしなかった。誰かに見られ、自分の正体がばれて不要に怖がらせてしまうことを恐れていたからだった。
 今のところ室内に見られて困るものは何もない。それでもジギルは親しくもないのに突然訪れてきた人物を信用しなかった。
「先に用件を言えよ」
 アシュリーは本を元の場所に置き、目を細めて微笑んだ。
「君が愛想なしなのは分かってたから驚かないわ。あのね、聞きたいことがあるの」
「なら早く言え」
「君、シルオーラの城跡に行ったことある?」
「ない」
「そう……」アシュリーは静かに腰を上げながら。「じゃあ、今から行かない?」
「は?」
「今日は月もきれいよ。お散歩しましょう」
「なんでだよ」
「君に見て欲しいの」
 アシュリーは言いながら部屋を出ていった。問答無用だ。彼女の物腰は優しいがかなり扱いにくいことが伺える。ここに来てあまり魔法使いの脅威は感じていないが、アリュリーも元マーベラスだ。何を考えているか分からない。ジギルは仕方なく蝋燭の火を消して彼女のあとを追った。



 夜は資源の節約のため早く就寝するよう皆が務めている。ゆえにどこの部屋も暗く静かだった。
 舗装されていた道もすべて壊れておりどこも足場が悪い。ジギルは手に小さなランプを持ったアシュリーを目印に歩を進めた。
「おい」
 声をかけるとアシュリーは足を止めずに肩越しに振り向いた。
「歩いていくのか?」
「そうよ。森も建物もないから月明かりがとてもきれいでしょ」
「鳥は使わないのか」
「彼らは絶滅危惧種よ。昼間にたくさん働いてくれるから、夜は休ませないといけないの」
 以前は野生にもたくさんいた巨大な鷲は大量に死亡してしまっていた。魔力がなくなった今、もう鷲があれほど大きく育つことはなくなり、生き残ったものの寿命がすべて尽きると完全に絶滅することになる。鷲がどういう原理で魔力を吸収していたのか分からないため、増やすこともできず、残ったものを大事に守っていくことになっていた。
「歩いてどのくらいかかるんだよ」
「そんなに遠くないわ。お話しながら歩きましょう」
「俺は何も話すことはない」
「どうして?」
「あんたのこと、何も知らないし」
「それもそうね。私はアシュリー。魔法使いよ。他に聞きたいことはある?」
「ない」
「そう。じゃあ私から質問するわ。あなたはどこから来たの?」
「小さな村にいた」
「レオン様と仲がいいようだけど」
「よくねえよ。俺は聞かれたことを答えているだけだ」
「今みたいに?」
「そうだよ」
「ヴェルトに聞いたけど、アンミール人をまとめているんですってね」
「ガキと老人と怪我人ばっかりだからな」
「みんなはどういう様子なの?」
「精神的に参ってる奴ばっかりだよ。世界が崩壊して家族もバラバラ。当然のことだ」
「そうね。それが普通。私たちは訓練されてるから心と体を切り離せるけど、彼らはそうじゃない。分かってるつもりよ」
「何が言いたいんだよ」
「あなたたちは私たちを恨んでる?」
「どう接したらいいか分からないだけだろ」
「私たちは仲良くなれると思う?」
「知るか。別に仲良くならなくてもいいんじゃねえの」
「どうして?」
「合う合わないなんて誰にでもあるだろ。大体、長い間アンミール人を虐げてきたのはお前らの方だ。恐怖で支配されてた奴がそう簡単に懐くわけがないんだよ」
「……正直な子ね」
「時間がかかるって言ってんだ。今はみんな身一つだからな。思想を是正するどころか他人を思いやる余裕なんかないだろ」
 ジギルは本音を隠す気はなかった。ヴェルトに、アシュリーは何を考えているか分からないところがあると聞いている。普段はのんびりしているように見えるが、強い芯があり情に流されて失敗を犯すことはしない、というのが彼女の情報だった。変に繕っても余計に怪しまれるし、他のアンミール人とは違うところを見せておいたほうがレオンとよく話している理由になる。それはジギルも納得した。
 ジギルの正体については、ここに居るためには隠さなければいけないと思う。自身はいっそ偽ることなくみんなに裁いてもらっても構わなかった。生存者が「ジギルは死ぬべきだ」と判断するならそうして欲しい。ただ、その理由が衝動的な感情によるものなら受け入れ難いと思う。そのために生き残ってレオンと行動を共にしたわけではないから。だからジギルは正体を隠して、償い、いつか人々が冷静な判断ができるようになるまでは生きて行こうと考えていた。
 アシュリーがどこまでジギルの本質を見抜いているのかはまったく未知数だ。いつも微笑みを浮かべているだけで表情も読めない。そこにいるだけで優しい花のように空気を和らげる魅力があるが、本人は決してそれが自分の役割だとは思っていない。ジギルもただの穏やかな女性としてみるつもりはなかった。
「ほら、見て」
 アシュリーは城跡の方向を指さした。ジギルは月明かりで明るい夜空を見つめる。星が動いているように見えた。錯覚ではなかった。小さな光がゆらゆらと揺れている。
「あれは……?」
「いつからか、城の上空に小さな白い光が浮遊するようになったの。昼間は見えないし、触ろうとしても実態がないみたいですり抜けてしまって何だか分からないの」
「見て欲しいって、あれのことか?」
「そうね。でも他にもあるの。もうすぐだから、行きましょう」
 近づくほど光の数が増えていった。


 数日前に凄惨な戦闘があったとは思えないほど静かだった。
 世界一美しかった大きな城は、土台だけがかろうじて残っている程度で、雨宿りにすら使えないほど崩壊していた。輝き賑わっていた人々の息吹は失われている。常に生命の循環を繰り返していた騒がしく優雅な空間は、広大な空の下、忘れられた物語のように色を失って佇んでいた。
 空には小さな光が上下左右に舞い踊っている。
 ジギルはアシュリーのあとを追い、瓦礫を上ったり下りたりしながら、時折顔の近くを掠めていく光に驚き体勢を崩していた。
「何なんだこれは。虫か?」
「それがね、掴めないのよ。生体ではないみたい。夜しか見えないし。昼間はいないのか、ただ見えないだけなのかも分からない」
「動く光……」ジギルは上空を仰ぎ。「死者の、魂……」
 アシュリーも足を止め、傍に浮く光に手のひらを添えた。
「意外ね。君がそんなロマンティックなことを言うなんて」
「ロマンとかじゃねえよ。それ以外に何がある」
「他には……死者の悲しみに影響を受ける精霊のようなもの、かもしれないわ。どっちにしても証明しようがないけど。ここに集まるのは、きっと、かつて魔力の源のあった場所だからなのかもね」
 ジギルは聞きながら足を進めた。寂しく幻想的な風景は誰が見ても心を打たれる。ジギルも例外ではなかった。
 少し進むと瓦礫のない開けた広間に出た。
 中央には大量の枯れた蔦が絡まり沈黙していた。周囲にはリヴィオラを収め宙に浮いていた大きな銀の籠が捩じれたり千切れたりして散乱している。誰もが心洗われるほどの神々しさはもう欠片もなく、敗北や終焉を絵に描いたような侘しさがあった。
 ジギルはその光景に目を奪われた。大きな蔦の塊の横たわる広間に棒立ちし、ここで何が起きたのかを想像する。アシュリーも隣に立ち、同じものを見つめていた。
 彼女が見せたかったのはこれだと、ジギルは気づいた。
 しかしアシュリーはそれには触れず、その先にあるものを指さした。そこには人工的に造られ、等間隔に並べられた長方形の石が立てられていた。
「お墓よ」アシュリーは手を下ろし。「ラムウェンド様と、アンバー。あと、アカシック・レイを使ったから遺体はなかったけど、ハーロウもここに眠ってる。他の魔法使いもね。バラバラになってた人も多かったから、誰なのか分かる人の墓石には名前を刻んである。人手が少ないし魔法もろくに使えない。墓石を磨き装飾する職人なんているはずもなく、恥ずかしいくらい拙い出来よ。でも、ここだけはちゃんとしなければいけないって、みんな思ってた。終わりの始まりの場所だから。ちゃんと終わらせないといけないって、私も思った」
 ――終わりの始まりの場所。
 ジギルは自分の知らないところでたくさんの人が死んだことを改めて実感し始めていた。何も見なかった。何もできなかった。だけど自分のしたことで世界が終わっていた。
「魔士とスカルディアの魔法使いたちは、申し訳ないけど少し離れた場所にまとめて埋葬したわ。怒らないでね。私たちにとっては仇なの。でももう亡くなってる。彼らの遺体は、みんな私たちと同じ人間だった。だから情けをかけたの。気に入らないなら君たちでお墓を作ってあげて」
「……別にいいよ」ジギルは俯き。「いや、そこまでしてくれて、感謝するよ。十分だ」
「あら、素直なのね。また突っかかってくるかと思ったわ……レオン様にしてるみたいに」
 ジギルは小さく肩を揺らし、アシュリーに顔を向けた。
「聞いてたのか?」
「いいえ。私はそんな悪趣味なことはしないわよ。遠くから見かけただけ」
「そうか……」とジギルは小さく息を吐いた。
「聞かれたくない話をしているの?」
「そういうわけじゃないけど……」
 ジギルが問題にしているのはレオンがすぐに自分の本名を口にしてしまうことだった。
「私には君がレオン様の友人に見えるわ。今までそんな人いなかった。だから、君に聞いてみたいことがあるの」
「友人でもなんでもねえけど、一応聞くよ」
「レオン様は、どうしてここに来たがらないのか、分かる?」
 ジギルは何かに気づいて瞳を揺らした。
 確かに、レオンは城のあった場所ではなく、少し離れた場所を居住地を選んだ。初めてこの近くに来たときも、遠くから眺めるだけで近づこうとしなかった。
「レオン様はね」アシュリーはジギルが何か考えていること察しながら話を続けた。「この城跡全体を墓地にするとおっしゃったの。だから今後整備することはあっても、ここはずっと死者の眠る場所であり、新しく城や町を作ることはない。この地は長年王の座る場所として繁栄し続けてきた。それには理由があるの。世界の中心であり、地盤や地理、気候すべてが人が栄えるに最適な場所だから。だけどレオン様はここではなく、少しずれた場所に居を構えることにされたの。その理由、ジノには分かる?」
 ジギルは改めて、枯れた蔦に目線を移した。
 なぜか、気になってしまうのだ。蔦は長く続き、壊れた城の奥にずっと続いている。この蔦が二度と動き出すことはないのも分かる。死んでいるからだ。魔薬も一度死んだら蘇らない。この蔦も同じであることは見ただけで分かる。
「なあ、リヴィオラが解放されたとき、石はどういう状態だったんだ?」
 ジギルはアシュリーの質問には答えず、自分の疑問を投げかけた。アシュリーはとくに驚きもせずに、話を続けた。
「私はこの場にいなかったから見てないけど、話によると、この広間の上空辺りに浮いてたらしいわ。自ら移動したというより、戦闘に巻き込まれて籠が破壊された場所がこの辺りだったみたい」
「……あの枯れた蔦のあるところがそうなのか?」
「おそらくね」
「じゃあ、あの蔦は何なんだ? 前からあったのか?」
「いいえ。誰にも分からないの。魔法だとしても、誰が、何のために使ったのか。こんな魔法は見たことないし、これで戦うことも守ることもできるように思えない。君には何に見える?」
「俺は知らない。魔薬の蔦なら魔力の消滅とともに消えてしまうはずだ。革命が始まって終わるまでそう長くなかった。その短い時間にここまで延びて、しかも何年も昔に朽ちたかのように枯れ果てている」
「ええ。不思議よね。もし魔法だとしても、城の中にいた人はアカシック・レイの破壊と共に息絶えてるはず。なのに、この蔦は城の中から延びているのよ。だからこれも魔薬なのかと思ったけど、そうではないと思いたい」
「なんで?」
「この蔦、ザイン様の寝室から延びているの」
 ジギルの背筋に小さな寒気が走る。ザインの名を聞くと同時にレオンの顔が脳裏に浮かんだ。
「……ザインはもうずっと寝たきりだったんだっけ」
「そうよ。もしこれが魔薬だとして、エミーはザイン様を狙っていたの? 何のために?」
「知らねえよ。ザインが寝たきりだったのは俺でも聞いてた。代わりに担がれたのがレオンだってのも。ザインが脅威になるなんて誰も思ってなかった」
「スカルディアは悉く私たちを欺いた。武器を生む根を世界中に張り巡らせ、飛行型の魔士を異空間に隠し育て、アカシック・レイを研究し模倣し弱点を見出した。そしてレオン様が未熟な皇帝であることを利用し、魔法大国の精鋭魔法軍の動きを制限させた。まあよくやってくれたと感心するわ。でもね、もしザイン様の寝室に魔薬を仕掛けたとしなら、まったく理由が分からない。魔法使いにとって大きな損失ではあるけど、あくまで気持ちの問題に過ぎないし、どうせやるならもっと早くやらなければ意味がないと思うの」
「だから魔薬じゃねえんだろ。この蔦には争った形跡がない。魔薬なら誰かを攻撃したりされたりするはずだ」
「つまり、この蔦は戦闘のあとに生えてきたということ?」
「そう考えたほうが自然だろ」
「じゃあ、ザイン様が魔法を……?」
「さあ……」
 曖昧な返事をするジギルを見て、アシュリーは肩を竦めて笑った。
「気づいているんでしょ? 戦闘のあとということはアカシック・レイが壊されたあとということ。つまり、そのとき既にザイン様は亡くなられていなければ辻褄が合わない」
「死んだあとも魔法を使う奴っていないのか?」
「いない。今のところはね」
「ならいくら考えても想像の域を越えられねえってことか」
「でも考えることをやめたら人間である意味がなくなる。そう思わない?」
「そうかもな。だとしても魔法使いのことは魔法使い同士で語り合ってくれ。ところで――そいつの墓はどこだ?」
「…………」
「ザインの墓だよ」




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