SeparateMoon



6






 次の日の早朝、まだ薄暗い空の下、ジギルはヴェルトに起こされて建物の外に連れ出された。
「こんな時間に何なんだよ」
 寝ぼけ眼を擦りながらぼやくと、壁の向こうには普段この時間はまだ寝ているはずの巨大鷲の姿が見えた。不穏な雰囲気にジギルの目が覚めていく。しばらく歩くと、この場に相応しくない容貌の者が鷲の傍に立っている。
 フリルの重なった黒いドレス姿の小柄な少女だった。
 消え入りそうなほど透き通った白い肌、艶のある長い黒髪、そして、不適な笑みを浮かべた赤い唇と瞳――他でもない、ティシラだった。
 まるで人形のようだとジギルは思い、一瞬足が止まった。
 この荒廃した世界に、これほど強い生命力に溢れて出ている人物がいることが信じ難かった。
 ティシラのことを見知っているヴェルトは、ジギルの反応を見て改めて彼女の異様さを再確認していた。一見はか弱そうな少女なのに、不安や悲哀の感情は欠片もない。それどころかこの悲惨な状況を心地よく思っているような微笑みを浮かべている。誰もが形振り構わず働くため身なりなど気にしていられなというのに、彼女は身軽さを取り除いたデザインのドレス姿で細いヒールのかかとを揃え、優雅な仕草で佇んでいる。だからと言って嫌味はなく、彼女は「そういう生き物」なのだという明確な壁を感じる存在だった。
 それにしても、極端だとヴェルトは思う。こないだ会ったときの、角と牙の生えた見事な「化け物」姿だったティシラにも驚かされたが、今日の「全身お姫様」な彼女にも違和感しかなかった。
 と言っても、彼女を呼んだのは一時的なものである。この行動が正しいかどうか分からないまま、話を進めることにした。
「ジギル、彼女はティシラ――」
 ヴェルトが紹介すると、目を伏せて浅く膝を折り気取った挨拶をするティシラに、ジギルはまだ状況が把握できず何も応えなかった。
「――クライセンに相談にしたくウェンドーラの屋敷に行ったつもりだったんだが、先に彼女が出てきて、クライセンは落ち込んでいるから自分が話を聞くと言って聞かなかったんだ」
「は?」ジギルは呆れた声を上げる。「クライセンに相談? で、それもできずにこの女を連れてきたって?」
 自分でも情けないと思っていたヴェルトは気まずそうに更に目を逸らした。
「というか相談って何だよ。レオンを守れって言ったあれか? それがお前の仕事だろ。なんでそんなに弱気なんだよ。こいつ連れてきて何の役に立つんだよ」
 何から話すべきか悩むヴェルトより早く、ティシラが口を開いた。
「ちょっとあんた、こいつって何よ」
 人形が急に動き出したような感覚に、ジギルは怯んで目を見開いた。
「私が誰か知らないの? 魔王の娘であり、魔界の姫よ。本来ならあんたみたいな貧相なガキじゃ口もきけない高貴な美女なの。失礼にもほどがあるわ」
「魔界の……」と呟いたあと、ジギルはあっと短い声を上げた。「ああ、確か、クライセンの、押しかけ……居候」
「婚約者よ!」ティシラは牙を剥いて怒鳴りつけた。「あんたが悪名高きジギルね。聞いてるわよ。どうしようもなく不躾で生意気で口だけ達者なクソガキだって」
「ティシラ」ヴェルトが小声で。「間違ってはいないが、私はそこまで言っていない……」
 が、ティシラには聞こえていなかった。
「人類を滅ぼしておいて図々しく生き残って、素知らぬ顔で英雄気取りしてるらしいわね。エミーが死んだんだからあんたも後を追って死ねばよかったのよ。この悪党が! 厚かましい!」
 呆然とするジギルを見て、さすがに言い過ぎだと思ったヴェルトは慌ててティシラを止める。
「ティシラ、落ち着いて」次にジギルに顔を向け。「ジギル、言う隙がなかったが、彼女はクライセンとのことを少しでも悪く言われると怒り出す。他の会話は成立するから、そこだけ気をつけてくれないか」
 ジギルは目を泳がせたあと、状況の一部を把握して我に返った。
「ティシラ……だったか」まだ驚いているような表情のまま。「お前、喋るとバカだな」
「なんですって!」
 ティシラの暴言で少しは傷ついているかと思ったが杞憂だったようだ。ヴェルトは懲りずにティシラの神経を逆撫でするジギルの頭を素早く殴った。
「二人とも……頼むから、落ちついて、話を聞いてくれ」
 ここ数日、自分の判断に迷うことが増えたヴェルトは、更なる間違いを犯してしまった気がして目眩を起こした。



 三人はいったん呼吸を整え、それぞれに距離を取り直した。
「……で」ジギルは殴られた頭を擦りながら。「話があるなら早くしてくれ。重要な部分だけ、分かりやすく、抜粋してからな」
 そのつもりだったヴェルトを遮り、ティシラが元気に手を挙げる。
「はい、じゃあなぜ私がこんなしみったれたところに来てあげたのかの説明から」
「ティシラ、それは後にしてくれ」とヴェルト。
「後もいらねえよ」とジギル。
 また不機嫌そうな顔になるティシラに構わず、ヴェルトは強引に続けた。
「昨晩、就寝前にレオン様と密談したんだ」
「ああ、アシュリーのことか」
「そうだ」ティシラに目線を向け。「ティシラ、アシュリーというのは……」
「なに?」
「元マーベラスの魔法使いなんだが、君はスターブロンというものを聞いたことがあるか?」
「知らない」ティシラは早口で。「でもいいから話して」
「え……しかし」
「どうせつまんないことでしょ。要件だけ話して」
「…………」
 なぜ彼女がここにいるのか、と、自分で連れてきておいてそんな疑問を抱くヴェルトだったが、今それを考えている暇はないと話を進めることにした。



 レオンは寝室にはおらず、屋上で夜空を見上げていた。
 彼が一人で星見をしていることは珍しいことではなかった。ただ、何を見ているのかは語らない。
 ヴェルトが背後から近づくと足音に気づき、レオンは振り向いた。
「レオン様、今お時間よろしいでしょうか」
 その日の夜は大小の雲が絶えず流れており、細い月の弱い光を遮っていたため、レオンの顔は陰り表情は見えにくかった。
「先日、アシュリーがジギルと話をしたそうで……」
 深夜に二人が会っているところを見ていたレオンは驚きもせずに黙っていた。
「アシュリーがスターブロンであることは報告しましたが、その内情を知らないジギルを連れて城跡の『墓場』へ向かったそうです」
「墓場へ?」
「はい。アシュリーはそこでジギルの正体を確かめ、殊の外……ザイン様のご遺体について案じていたとのこと……」
 ザインの名を出したところでレオンが反応するかと思っていたが、彼は動揺の色を見せなかった。
「そうですか」レオンは冷たい声で返事をし、空を見上げる。「それで、アシュリーはなぜジギルを連れて行ったのでしょう」
「同じ魔法使いであるレオン様でも私でもなくジギルだったのは、おそらく、魔法使いではない彼にあの墓場をどう思うか聞いてみたかったのだと思います」
「それだけですか?」
「それと……ジギル本人は言いませんが、アシュリーは彼の才覚を見抜き、あの鋭い観察力で客観的な意見を聞きたかったのではないでしょうか」
「それは、例えば……」レオンは目線を落とし。「魔法大国は愚かを極め、英雄だった父に死に場所さえ与えず無様な最期を遂げさせた、とか?」
 ヴェルトは心臓を掴まれたような激痛を感じ、目を見開いた。
「レオン様……! なぜ、そのようなことを……」
「そう解釈する人がいてもおかしくないでしょう? 逆に父の死を美化することも可能なのですから」
 レオンの声にも顔にも感情はなかった。柔らかい風が、いつの間にか冷たくなっているように感じる。ヴェルトはゆっくりと体が冷えていく感覚に襲われた。
(……やはり、レオン様は、ザイン様の最期に立ち会われているのか)
 しかも、その様子を「無様」とまで表現している。
(ジギルの憶測どおり、レオン様が……?)
 ヴェルトは深い瞬きを繰り返しながら余計な思考を止めて自戒した。
(追及してはいけない。レオン様が何も考えずに、若しくは、負の感情の末に手をかけられたわけがない)
 レオンは自身の複雑な感情を整理できずにいる「少年」なのだ。彼の言葉に惑わされてはいけない。行動にこそ真実がある。その真実を暴くことはできない。ならば、信じるしかない。
 ヴェルトは改めて決意を堅くし、冷静を取り戻した。
「……その話は、どうか内密にお願いします」
「なぜですか?」
「答えを出す必要がないからです。アシュリーは不審な動きがないか私が監視いたします。なので……」
「それは」レオンは冷たい声で遮り。「ジギルの指示ですか?」
 ヴェルトの胸に鋭い刃が刺さったような痛みが走る。言葉を失い俯いていると、レオンはその横を素通りして背を向けた。
「でしたら、従いますよ……仰せのままに」
 そう言いながらレオンはその場を立ち去った。ヴェルトには、笑っているように聞こえた。



 神妙な表情で語られる内容に、ジギルは酷い嫌悪感を抱いた。
「なんだそれ。機嫌でも悪かったのか?」
「さあ。分からない。だから他に相談する相手が欲しかった」
「ああ、そう……で、その相手がこの女か」
 ジギルが呆れたように言うと、ヴェルトは気まずそうに唇を噛んだ。
「ほんとにね」ティシラは意外にも落ち着いていた。「私にそんな話されても困るんだけど」
 まさかの反応にヴェルトはつい大きな声を出してしまう。
「君が来ると言ったんだろう。クライセンの代わりに」
「そうよ。だってクライセンは落ち込んでいるんだもの。私にはどうにもしてあげられないことだし、少し一人にさせたほうがいいと思ったのよ」
「お前、婚約者なんだろ」と、ジギル。「落ち込んでるなら慰めてやるものなんじゃねえのか」
「普通はね。でもこればっかりは共感できなくて」
「こればっかりって何だよ」
「ロアが死んだことよ。しかも自分の家の庭で。迷惑な話よね」
「そうだ」とヴェルトが顔を上げ。「ロアは……彼のご遺体はどうした」
「火葬して庭にお墓を作ったわよ。遺骨の一部は保管して、もし親族が生きてたら渡したいんだって」
「そうだったのか……」
「待てよ」とジギル。「ロアってクライセンの親友だったんじゃないのか。お前はなんでそんなに他人事なんだよ」
「他人事だとは思ってないわ。邪魔者がいなくなってくれて喜んでるわよ」
「はあ?」
「ロアは私とクライセンの結婚を反対していた唯一のクソ野郎だったのよ。私を化け物と罵り、クライセンに別れるよう説得してたの。それがいなくなったんだから嬉しいに決まってるじゃない」
「…………」ジギルは少し考え、ヴェルトに顔を向けた。「そうなのか?」
「私に聞かれても……」
「そうだとしても婚約者の親友だろ?」再度ティシラに向き合い。「少しは悲しくないのか? 悲しんでる婚約者に同情はしないのか?」
「どう思おうが私の勝手でしょ。大体ね、クライセンが落ち込んでるのはあんたにも責任があるのよ」
 ティシラはジギルを睨み、人差し指を胸に突きつけた。
「あんたたちがクライセンを罠にかけて閉じ込めたんでしょ。身動きが取れなかったあいだにロアが死んだ。だから自分の未熟さのせいだってひどく苦しんでるの。レオンに合わせる顔がないって、ずっと悩んでるのよ。あんたこそ他人事みたいに言わないで」
「罠? 何のことだよ」
「しらばっくれるんじゃないわよ」
「いや、本当に分からない。革命の数日前からエミーは行方不明で単独行動をとっていたんだ。そのときにクライセンと対峙したということか……?」
「何であんたが知らないのよ」
 ジギル自身も自分が何も知らないことに驚いていた。
「そういえば……革命が始まったときも、俺はその場から動けずに、何もしなかった……」
 仲間が死に廃人寸前の状態だったジギルに時間の感覚はなかった。気がつくとすべてが破壊され、目の前にレオンがいた。
「俺、しばらくのあいだの記憶がない……」
 戸惑い、頭の中を整理しているジギルを見て、やはり彼はエミーに利用されていたのだとヴェルトは少しの同情を抱く。いくら知識があったとしても経験だけは時間が必要。ジギルはまだ少年で、自分の加担していた大罪を実感して初めて事の大きさを知ったのだろう。すべてを受け入れるほどの器がなく、溢れ出て壊れたのだ。命のやり取りを何度もしてきたヴェルトには、想像を超える状況に陥り精神が壊れる人間を何度か見てきた。それらのあまりに哀れな状態に、責めることはできなかった。
 だからと言ってジギルを安易に許すことはできないが、彼に贖罪の意識があるなら希望はある。ジギルはこれから自分の足で歩き自分の目で見て数多の人々の心に触れ、勉強だけでは得られない経験を積んでいくだろう。彼を裁くのはそれからでいい。
 ヴェルトは気持ちを切り替え、脱線した話を戻そうと口を開いた。
 しかし、それより早くティシラが邪魔に入る。
「記憶がないなんてよく言えるわね。私だって相当ひどい目にあったのよ。そのあいだ、あんたは寝てたってわけ?」
「……別に寝てたわけじゃねえよ。お前がひどい目にあったって何だよ。お前が何したってんだ」
「それも知らないの? あの状況でよくそんなに寝ていられたものね。そのまま死ねばよかったのに」
「……お前めちゃくちゃ性格悪いな」ジギルは引き気味で、ヴェルトに向かい。「おい、こいつ本当にクライセンの婚約者なのか? 女の趣味悪すぎだろ。レオンにしろ、顔がいい奴は頭おかしい奴ばっかりだな」
 ヴェルトが頭を抱えると同時、ティシラの手の平がジギルの頬を襲った。見た目以上の力の強さに目眩を起こすジギルを気にかけつつ、ヴェルトは脱線して戻りそうにない事態を収束させるべく努めた。
「ジギル、君の持つティシラの情報がどんなものなのかは知らないが、彼女は魔王の力を覚醒させている。悪態をつくのも程々にしたほうがいい」
「……魔王の力?」ジギルは涙目で打たれた頬を擦り。「って、吸血鬼だっけ」
「それと、業火を操る力だ。レオン様のお力添えもあり、ティシラは眠っていた力を呼び起こしエミーと対等に戦った」
「え? エミーと?」
「そうだ。彼女の覚醒がなければもっと悪い状況になっていただろう」
「対等に? エミーと?」とジギルは繰り返し。「レオンの力添えってことは、レオンも覚醒したあとってことだよな。エミーは、俺と一緒にいたとき魔王の娘は戦力外だと判断してたんだ」
「……混乱の中、ティシラは突然現れた。詳しいことは……あとで聞こう」
 ジギルは言葉を失ったように呆然としていた。
 彼が珍しく怯えているように見えたヴェルトは、この話は終わらせて本題に入ろうとした。
 だがティシラの暴走は止まらなかった。
「そうえいばあんたたち」ジギルを睨みつけ。「パパとママに酷いことしわよね」
 ヴェルトは頭が痛くなった。
「え?」
「おかげで私も死んでたかもしれないのよ。そのときはパパが人類滅ぼしてたけど、クライセンがいなかったらとんでもないことになってたのよ」
 大きな声を上げるティシラを、ヴェルトが慌てて止めようと二人の間に入った。
「ティシラ、気持ちは分かるが、そこまで遡るのは……」
「パパは優しいから見逃してくれたけど、私はそうはいかないわよ」ティシラは無視して。「自分のしたことを後悔しなさい。私の手で今すぐここで……!」
「あ!」
 ジギルはティシラ以上に大きな声を出してしまう。命乞いをしているような様子ではなく、二人は一歩引いて驚いていた。
「もしかして……」ジギルはゆっくりとティシラに人差し指を向け。「お前がロアを殺したのか?」




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