MurderousWorld
11-Storm




 次の日の朝、時間はもう午後に近かった。
 鍵をかけないまま眠ってしまっていた玄関のドアがもの凄い音を立てた。爆睡していたブラッドはその音で体を揺らしたが、まだ酒が抜け切れなくて起き上がることができなかった。大きなベッドの足元でルークスも同じ反応をし、唸りながら布団を引っ張る。
 酒の匂いが漂う寝室に、何か巨大なものが足音を立てて近づいてきた。二人はまだそれが恐ろしいものだと判断できる状態ではなかったが、そのまま寝ていられるほど甘くはなかった。
 恐怖の正体は、怒りで喉を唸らせる銀狼の獣人、ランだった。
 ランは開けっ放しになっていた寝室のドアをわざわざ蹴破り、布団に潜るブラッドの胸倉を掴みあげた。
 ブラッドはさすがに目を覚ましたが、なぜ彼が怒っているのか、どうしてここに来たのかまったく理由が分からなかった。それに何よりも、まだ頭痛が酷くまともに話をできる状態ではない。しかしランはそんな彼の都合など知ったことではない。
「ブラッド」牙の隙間から漏れる声は、脳に響くほど重かった。「てめえ、一体何のつもりだ」
 ブラッドは何が起きているのか必死で考えるが、どうしても頭が働かない。
「な、なんのこと? なんで怒ってるんだ?」
 ブラッドが何も知らないことは、今は分かってるのだが、ランはそれでも許すことができなかった。ブラッドの具合が悪そうなのを考慮し、あえて耳元に怒鳴りつけた。
「何の恨みがあってお前は俺の仕事の邪魔をするんだ!」
 ブラッドは体中に電気が走ったような衝撃を受け、目を回しながら気絶しそうになった。ランは人形のように脱力するブラッドを床に投げつける。無防備なブラッドは全身を強打し、悲鳴を上げる。
「うう……酷いよ。突然何なんだよ」
 ランは涙目の彼にも容赦しない。隣に屈みこんできつく睨み付けた。
「よく聞け」ブラッドの髪を乱暴に掴み。「今日は新人を戦場に送り込む大事な任務があったんだよ」
「え……」ブラッドは抵抗する力もなかった。「そんなの、聞いてないし……それと僕と何の関係が……?」
「連絡しろと言われてただろうが。それを無視して、しかもわざわざ該当人材を連れ出して泥酔だと? お前はどこまでマヌケなんだよ」
 ランはブラッドの髪を離し、床に頭を叩きつける。額を強く打ち、ブラッドはそこを震える手で擦った。
「え、え……あ、そうだ」
 ランから話があるのは聞いていたし、それを忘れていたのも事実だった。しかしなぜ彼がここまで怒っているのか、とりあえず考えてみる。
 新人を戦場に――そんな任務がランにあったとする。そして、該当人材。思い当たるのは、ルークスだ。確か、ルークスは「明日、仕事がある」と言っていた。と言う事は、もしかして、もしかして……。
「えっと……」
 そうだとしか思えなかったが、まだランが怒っている的確な理由にまでは辿り着けない。ルークスが次の日に仕事なのは聞いていたのだから、早く帰すつもりだった。自分は内容までは知らなかったとしても、ルークスは把握していたようだし、ちゃんと間に合うように帰ったのではないのか? ブラッドは、ルークスは帰ったはずだと、そのときの光景を思い出そうと呻いた。しかし、どうしても思い出せない。そもそも自分はいつ、どうやって家に帰ったのだろう。だめだ。分からない。
 それも当然だった。ブラッドはまだエイダがいた時間の段階で、完全に記憶をなくしてしまっていたからだ。しかしブラッドはそのことすら思いだせずにいた。考えるよりも、ルークスに聞いたほうが早い。ブラッドはふと思い立ち、体を起こした。
 電話を、と思うより早く、自分の隣で腰を折っているランの向こうに、「彼」の姿が視界に飛び込んできた。ブラッドの目が点になる。ルークスは寝ぼけた顔で、自分のベッドの上に座っていた。彼も酷い頭痛に襲われていたが、騒がしさで目を覚ましていたのだ。
 そこにいるルークスの姿を見て、ブラッドは頭の中が真っ白になった。
 まさか、彼はエイダに飲まされて潰れてしまったのだろうか。
(でも……そうだとしたら僕がちゃんと送って……)
 ――違う。
 ブラッドはやっと、自分の記憶がないわけに気づこうとしていた。なぜ、なぜとどれだけ考えるよりも、「自分も酔い潰れて記憶をなくしてしまった」と素直に認めれば、今目の前にあるすべてに説明がつくからだ。
 ブラッドは元々悪かった顔色を、更に青くしていった。
 最悪だ。まさか新人に与えられた初任務が、まさか寄りにも寄ってランが担当する重要な仕事だったなんて。ブラッドは一気に酔いが覚めた。頭痛は治まらないが、酔っている場合ではないと、体が危険信号を激しく点滅させていたのだ。
 ブラッドの目線の先にいるルークスも、まだ状況を把握できずにぼんやりしている。一通り室内を眺めた後、ランの背中、そして絶望しているブラッドに目を合わせた。
「……なに」ルークスは空気が読めない。「騒がしいな」
 目の前にいる怒髪天のランの目が揺れた。ブラッドは心臓を掴まれたように体を揺らすが、今の彼にはルークスを助ける言葉が思いつかない。
 ランがゆっくりと振り向く。据わり切った恐ろしい視線で、ルークスを睨み付けた。
「……誰、あんた」
 正気のルークスであれば、ランから発せられる尋常ではない怒りに身構えたのだろうが、彼も先ほどまでのブラッドと同じく頭痛に支配されている。ランは腰を上げ、牙を剥き出してルークスを威嚇する。
「てめえか……ガキの分際で、初任務をサボって二日酔いとはいい度胸してるな」
 その気迫に、ルークスは飲まれそうになった。寒気が走る。獣人など今まで何人も見てきたが、目の前にいる狼男は何かが違う気がした。だが何が違うのかまでは、今のルークスには答えを出せなかった。なぜ睨まれているのだろうと考え、あっと声を出した。
「仕事……時間は?」
 やっと思い出したらしく、慌てて時計を探した。体を倒してベッドの枕元にあった目覚まし時計を掴み、確認する。そしてもう一度あっと大きな声を上げた。
 時計の針はもう昼前。仕事の集合時間は、早朝の六時――。
 ルークスはしばらくその姿勢のまま固まった。やっと頭が働き出す。どう考えても、もう間に合わない。怒られるのは当然であり、その罰がどれだけのものなのか想像もできなかった。どうしようと悩んでいると、背中に寒気を感じ、ルークスは素早く体を起こした。振り向くと、今にも襲い掛かってきそうな狼男が自分を睨んでいる。
 もしかして、と思う。彼は組織の上部の者なのだろうか。だとしたら、この異常なほどの迫力が理解できる。だとしたら……ヤバい。ルークスは冷や汗を流した。
 いや、しかし、とルークスは気を取り直した。こうなったのも全部ブラッドが悪いのだということを思い出す。自分は、確かに飲みすぎてはいたが、ちゃんと予定までに帰るつもりでいた。それをブラッドに邪魔されただけなのだ。自分は悪くない。ブラッドはどうやら組織では地位があるようだし、彼に責任を取ってもらえばいい。そう主張しようと背を伸ばそうとした瞬間、ルークスはランに胸倉を掴まれ、ブラッドと同じように床に叩きつけられた。
「……ッ!」
 骨が砕けたかと思うほどの衝撃を受け、ルークスは呼吸を乱す。すぐには立ち上がれずに床を這う彼に、ブラッドが急いで駆け寄る。
「ラン、ちょ、ちょっと待って」
 本気で切れているランにブラッドは怯えながら、必死でルークスの前に出た。
「あの、その、これは……ぼ、僕が悪いんだ」
 ランはピクリと目を揺らした。
「えっと、どうしたらいいのか今は分からないけど……僕が責任取るから、許してやってくれないか」
「責任……?」ランは喉の奥から声を出した。「どうやって?」
「え、あ、あの、それは」ブラッドは目を泳がせた。「わ、悪いんだけど、後で任務の内容を説明してくれないかな。それで、僕にできることを考えるから、さ」
 ランは探るようにブラッドを見下ろしていたが、怒りが収まった様子はない。ブラッドは縮み上がり、どうしようどうしようと体中から汗を吹き出していた。
 ふっとランが口の端を上げたが、友好的な表情ではなかった。ブラッドは彼の僅かな動きにさえ敏感に反応する。
「今回の任務はな……」
「は、はい」
「邪魔な新人を排除するための運試しなんだよ」
「え……?」
 ランは、一部の者以外には極秘だった内容を暴露した。ブラッドはその真意が分からず、その背後でルークスが目線を上げた。
「何の覚悟も経験もないガキが、いきなり戦場に放り込まれて無事で済むわけがないだろう。陰険ジジイのノースの悪ふざけだ」
「な、なんで、そんなことを」
「その中で、万が一生き残れたという、脅威の悪運の持ち主だけ組織に残ればいいってことだよ」
「それって……」
「そうだ。つまり、別に誰もいらないってことだ」
 ランは鋭い緑の目を、ブラッドの背後にいる「少年」に向けた。



   




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