MurderousWorld
12-Dominant




「つまり、そこのガキも同じだ」
「……ラン」
「どうせいらない人間なんだ。わざわざお前が手を焼く必要があるか? 今ここで殺してしまえば、お前のミスもなかったことになるかもしれないぞ」
「……そ、それは」
 ブラッドは戸惑っていた。ランの言うことも分かるが、昨夜一緒に飲んだ相手を殺すだなんて、ブラッドには考えられなかった。
「できないよ……」
「じゃあどうする?」ランは肩を竦めて嗤う。「言っとくが、俺はノースのお遊びに付き合わされただけなんだ。これ以上関わるのはごめんだぜ。そいつの処分はどうするか、ブラッド、お前が決めろ」
「僕が……」
 ブラッドは唇を噛んだ。とんでもないことをしてしまったようではあるが、どこかで、あのままルークスを任務に行かせていたら彼は戦場で死んでいたのかもしれないと思う。しかし、真実を知らされた今、今から戦場へ行けとも、ここで死ねとも言えるはずがなかった。
 ブラッドが悩んでいると、体の痛みを抑えてルークスが大きな声を上げた。
「……ふざけんな!」
 ランとブラッドはルークスに注目する。ブラッドには彼を止めることができなかった。
「黙って聞いてりゃ、人をなんだと思ってやがる。てめえが俺の何を知ってるんだよ」
 ランは腕を組み、粋がる少年に冷ややかな目線を送った。
「なんでもない、ただのガキだろう? そんなもの、見れば分かる」
「勝手に決めるな。お前に何の権利があるんだよ」
 ランは鬱陶しいと言う言葉の代わりにチッと舌を鳴らす。次の瞬間にブラッドが顔色を変えて突然ランに飛びついたが、それとほとんど同時にランの強烈な蹴りがルークスの腹部に見事に決まる。ルークスは体ごと浮き、すぐ後ろにあった壁に背中を強打する。骨どころではない、今度は内臓が潰れたのではないかとまで思う。床に落ち、瞳孔を細らせて何度も咳き込み、吐きそうになる。止めようとしたブラッドも、結局間に合わないままランに突き飛ばされた。
 殺される、そうルークスは思うが死への恐怖はなかった。ただ、たった一人の男に、武器も武術も使わずこうも簡単に自分のすべてが無力化されてしまっている現実に恐れをなしていた。
 脳が揺れ、視界がぶれるルークスに、ランは追い討ちをかける。
「お前は進んで組織に足を踏み入れた。その瞬間に組織の所有物に成り下がったんだよ。上に不要だと、死ねと言われたなら黙って死ね」
「なんだと……」
「それが冒険屋だ!」
「…………!」
「生き残ったところで、いずれそのことを知るだけだ。それが嫌なら、今のうちに消えてなくなってくれ。これ以上俺たちの手を煩わせるな。楽には死ねるのは今のうちだからな」
 ルークスは言い返せなかった。それが組織、それが冒険屋。自分が想像していたものとはまるで違っていた。自分は特別で、強者だと思っていた。しかし現実では、歯牙にもかけられず、名前も覚えてもらえないまま死ねと言われている。あまりにも理不尽で納得がいかない。
 だがルークスは、それに逆らえないことを体で感じ取っていた。俯いて言葉を失うブラッドの態度、そして、目の前にいる恐ろしい獣人の存在がルークスを黙らせていたのだ。銀の狼、ランは、ルークスが今まで見てきた獣人とは何か違うものがあった。床に叩きつけられた段階で、彼の並外れた戦力が自分など足元にも及びもしていないことを思い知らされていたのだった。ランの力はこんなものではないことも分かる。腕力や暴力だけではない。肉体は当然、精神も頭脳も戦うことだけのために作り上げられているのだろう。
 ルークスの脳裏に、あの言葉が過ぎった。組織に来てから何度か耳にしていたが、その存在は確認したことがなかったもの。
(……これが、『一級者』)
 組織のトップに立つ即戦力。二級までは努力で通用するが、一級は何か特別なものがなければなれない、影に潜む最終兵器。そのときは大袈裟な、と気に留めなかったが、今なら分かる。「言われてみればそう見える」などのレベルではない。そこにいるだけで威圧される。得意の挑発も、負け惜しみさえ出てこない。「桁外れ」「常人離れ」「神童」などと、ルークスは様々に形容されてきたが、本物を目にした今、彼は己のあまりの幼さに身を震わせた。
 こんな感覚を彼は味わったことがなかった。今までどんな豪傑にも、経験豊富な大人にも誰にも負けたことがなかったルークスがまるで赤子扱いである。
 悔しい。
 ルークスは頭を垂れた。ランはその様子を見て、心の折れた子供などもう興味はないとでも言うように足を引いた。
「ブラッド。後で本部に来い」
「あ、ああ」
「お前の処分は、また別だからな」
「……う」
 ブラッドは目に涙を浮かべる。ランは同情の余地もなく、背を向けて立ち去った。


*****



 嵐が通り過ぎたような室内で、ルークスはぼんやりとタバコを吹かしていた。ソファにも移動せず、叩きつけられた床の上で胡坐をかいていた。ベッドの横の大きな窓はカーテンが開けられ、高くなった太陽の光が差し込んでいる。
 彼の足元には灰皿代わりの空き缶と、酔い覚ましにとブラッドが炒れてくれたコーヒーが置いてあった。ブラッドはバスルームでシャワーを浴びていた。寝室にまで水の音や蛇口を開閉する音が聞こえてくる。しかしルークスの耳には残らなかった。
 ルームウェアに着替えたブラッドが濡れた髪のままで戻ってくる。まだ呆然としているルークスを見てため息をついた。
「灰が落ちるよ」
 ブラッドが呟くと同時、ルークスの咥えたタバコの先から灰が落ちた。運よくそれはルークスの足や腕を避けて、床を汚す。
 ブラッドはベッドに腰掛けて、自分の分のコーヒーを一口飲んだ。
「なにか考えた?」
 ルークスは返事どころか反応もしない。だた、幽霊のように短くなったタバコを空き缶に押し付けた。
「……気持ちは分かるけどさ、そうやってぼーっとしてても仕方ないよ。責任もあるし、僕が君を殺させやしないから、どうしたいかくらいは自分で考えてくれないか」
 やはりルークスは反応しない。ブラッドは、どうせ出かけなければいけないしと、髪を乾かしに行ったり服を着替えたりとしばらく彼を放置した。
 身なりを整えてからもルークスの状態は変わりそうになかったので、ブラッドは部屋を片付けたり壊れたドアをできる範囲で修復したりと落ち着かなかった。時折、グチグチと何か文句を呟きながら。


 しばらくしてやることがなくなったブラッドは寝室に戻り、未だ脱力しているルークスを横目にベッドに転がった。
 このままルークスが動かなかったとしても、もうそろそろ本部へ足を運ばなければいけない。彼をどうするか考える。
 最終的にランはルークスを見捨てている様子だったし、おそらくこのまま組織へ戻さなくても文句は言わないと思う。ルークスがどうしたいかは分からないが、まずは自分が正式に謝罪を行い、罰を受けなければいけない。そのことを考えるとため息が出そうになるが、逃れられるわけもなく、そのときにでも今回の任務の詳細を聞いてみようと思う。
 それにしても、あのルークスがここまで落ち込むなんてと意外な気持ちもあった。やはりランが怖かったのだろうか。確かに彼は怖い。だけど、と思い、ブラッドは枕を抱えて顔を埋めた。自分も同じ立場にいるのに、この差は一体何なのだろうと気分が落ちていく。考え方を変えると、一級者の特性はそれぞれで、誰にも向き不向きや相性というものがある。エイダのような奔放な者はランやサクラのように力で支配する上司よりも、自分みたいに自由にさせておくそれが合っていると司令官からも認められている。実際に二級に上がってからの彼の成績は目に見えて上昇しているのだ。だから、とブラッドは自分に言い聞かせた。自分がランに劣っているのではなく、種類が違うだけなのだと。
 それでも、無意識にため息は漏れていた。
 そのとき、「あ」とルークスが声を上げた。ブラッドは反射的に顔を上げる。
「どうした?」
 やっと動いてくれたと、ブラッドはベッドの上で座りなおした。ルークスは何かを思いついたかのように口を「あ」の形に開けたまま、ブラッドに目線を移した。
「?」
 ブラッドが首を傾げていると、ルークスはゆっくりと彼に向かって人差し指を向けた。
「……もしかして、そうなのか?」
 ルークスは何かに驚いてはいるようだが、まだ寝ぼけたような表情である。今までの自信たっぷりな彼とは別人のようだった。
「……な、何が?」
「ああ」ルークスは独り言のように呟いた。「そうか……だからか」
 何が言いたいのか分からない。しかしここはちゃんと聞いておこうと思う。ブラッドは意味もなく相槌を打った。
「ブラッド……お前、アレか」
「あ、あれって?」
「お前も、一級者?」
 室内に沈黙が落ちた。ブラッドはなんとも言えない気持ちになる。
 確かに言ってなかった。しかし、「今更」という文字がブラッドの脳裏に大きく描かれていた。やはり、今までまったく、少しでも疑われたことがなかったのかと思うと悲しくなった。
 無理もない、とは認めたくない自分もいた。
 しかし現実には逆らうことができず、ブラッドはガクリと肩を落とす。



   




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