MurderousWorld
21-Malformation




 一時間ほど、二人は森の中を黙々と進んだ。
 森が深くなればなるほど、それまで気だるそうにしていたルークスは何かを感じて、自然と緊張していた。
(……妖気?)言葉に出さず、辺りの空気を読んだ。(近くに妖魔がいる。それも、かなりの大物のようだ)
 危険なのは間違いないはず。なのに、ブラッドは物怖じせずに先に進んでいる。これほどの妖気に気づかないはずがない。気になるが、ブラッドが何も言わないうちはきっと大丈夫なのだろうと、ルークスは呼吸を顰めながら歩き続けた。


 しばらくして森が開けた。今まで所狭しと茂っていた木々が夢だったかのように、突然地面がむき出しになっている。
 空は晴れているが、地面には濃霧が雲のようにかかっており地平線が見えない。きっとこの先は、ブラッドが言っていた崖なのだろう。そこから発生した霧が地面を覆っているようだ。そして、今まで圧迫するほど押し寄せていた妖気もまた、霧と同じ崖から流れ出ているものだと、ルークスはすぐに気づいた。
 何のつもりだろうと疑問が疑問を呼ぶうちに、霧の中に人影を見つけた。ブラッドはその影に向かって早足で進んだ。
 近づくにつれ、それの姿が確認できた。ランだ。ブラッドは彼に駆け寄る。
「おはよう。先に着いてたんだね」
 ランは返事もしない。警戒して少し離れたところで足を止めたルークスに目線を移すが、すぐに逸らした。
「どう? 『彼』の機嫌は」
「悪いな」
「えっ。なんで?」
「三人も連れて飛ぶんだ。文句くらい言いたくなるんだろう」
 その言葉はルークスの耳にも届いた。「彼」が何者なのかは分からないが、いかにも自分を「邪魔者」と言わんばかりだと、ルークスが機嫌を損ねた。二人はそんな彼を無視して話を進める。
「まあ、そこは僕が多めに出すから。なんとか頑張ってもらおうよ」
「えらく気前がいいんだな」ランは牙を見せて皮肉る。「そんなに金を余らせているのか」
「まさか。今回のことでマイナスだよ。これでも反省してるんだから。その証し」
 二人の会話に入れないルークスは、まず周囲を眺めた。ランとブラッドの足元の地面には、大きくて深い亀裂があった。濃霧と妖気は間違いなくそこから溢れ出ている。崖の下には、何かがいる。それがきっと「彼」なのだろうと思う。
 ふと、霧が揺れた。途端に二人が崖に注目した。ルークスも気を張った。霧と一緒に恐ろしい妖気が上昇してきていることを、痛いほど体で感じ取ったからだ。
「来た」
 ランが呟く。ルークスは息を飲んだ。
 霧が散った。そこから、深い緑色の、巨大な「彼」が姿を現した。
 一見、岩の塊かと思わせるようなゴツゴツしたいびつな肌は、不揃いな鱗で覆われている。人間の四・五倍はありそうな大きな体に長い首、尖った口、鋭い牙、そしてヒレのついた長い尻尾。爪の生えた四肢は、体長と比較すると小さく細いが、それでも人の頭を軽く鷲掴みできる大きさである。艶のある真っ黒な両眼は、迫力はあるが、どこか虚ろで不気味に感じた。
 ルークスは青ざめる。大きな翼を羽ばたかせて空中を旋回するその「彼」の姿は、空想の世界の生き物だとしか思っていなかったものだったからだ。ルークスは「彼」に目を奪われたまま、その言葉を無意識に零していた。
「……りゅ、竜?」
 信じられなかった。だが、目の前にそれはいるのだ。竜の羽ばたきが起こす風で髪を揺らしながら、ブラッドはルークスに声をかけた。
「出発するよ」
 ルークスはすぐには動けなかった。竜はゆっくりと地面に着地し、依頼主であるランとブラッドに首を向けた。
 奇妙な光景だった。伝説では、竜は凶暴で世界の創生神として描かれている。だが目の前にいるそれからは、そういった神々しさのようなものは感じられなかった。まるで野生の妖魔のようである。しかし、こんな姿の妖魔など聞いたことがない。
 そうだ。何が不自然なのかと思えば、竜の首から背中に装着されている鞍である。そして操縦するための手綱。これではまるで、飼い慣らされたペットのようである。ルークスはやっと、少しだけ警戒を解いてそれにゆっくりと近寄った。
「怖がらなくて大丈夫」
 ブラッドが手綱を掴んで笑顔を向けた。
「彼はイグレイ。デスナイト専用の運び屋だよ」
「運び屋……?」
「そう。大昔、竜に憧れたマッドサイエンティストがいてね、そのバカな科学者がトカゲを改造して竜を作ろうとしたんだ」
「ト、トカゲ……これが?」
「元は小さなトカゲとは言え、残酷なことだよ。バカはトカゲにいろんな新薬を投与したり、翼や鱗を欲して鳥や魚を混ぜたり、強くしようと妖魔と融合させたりとやりたい放題。犠牲になった生物は数知れないらしい。失敗したトカゲはこの崖の下に捨てられ続け、強い生命力を持った彼らは暗闇で行き場を失っていたんだ。でも、ある日その科学者は捕まり、死刑になった。で、可哀想なトカゲたちを救う方法がないかと思案される中、デスナイトが真っ先に目をつけて、飼い慣らして組織専用の運び屋に育てたってわけ」
 ルークスは素直に驚いていた。こんなに大きな生物が行き来していればどこかで噂でも耳にしそうなものだがと思う。そんな彼の気持ちを悟ったかのように、ブラッドは続けた。
「でも、彼らはあくまで生き物だからね。滅多に人に利用されることはないんだ。あまり活躍してしまうと、敵に目を付けられる可能性も高くなる。デスナイトは、いざというときに力を貸してくれるという条件で、彼らが安心して暮らせる環境を守ることを約束したんだ。だから、ほんとに特別なときしか彼らが自分たちの土地から出ることはない」
 理由を聞いてみると、どうでもよくなってくる。これが本当に竜なら戦争どころではないほど大変なことだが、どうやら、ただの奇形トカゲということのようだ。奇形の状態が並ではないが、ここまでくれば立派なものだと感心する。
 出発するだけでここまで神経をすり減らすことになるとはと、ルークスは先を思いやられながらトカゲに近寄った。


*****



 運び屋イグレイの背中に乗っての飛翔は、それは爽快で絶景だった。
 イグレイは腕力の強いランを先頭に、真ん中にブラッド、一番後ろにルークスを乗せて上空を舞った。
 あれだけ警戒していたルークスも、今は素直に感動している。ランが手綱でイグレイを操りながら肩越しに声を張る。
「ブラッド、天候はどうだ」
「今のところは晴天で異常なし」遠くに目線を投げて。「でも、他所はどうか分からない。おかしな風や湿気を感じたらすぐに教えるよ」
「ガキみたいにはしゃいでないで、しっかりしてくれよ」
「分かってる」
 なぜ天候をブラッドに確認しているのか、ルークスにその理由は分からないがそれほど気にしなかった。次第にスピードが上がっていく。呑気に風景を眺めてもいられなかった。腰をベルトで締めているとはいえ、イグレイが翼を上下させるたびに大きく揺れ、苦痛を伴うほどの衝撃に襲われる。気を抜けば簡単に振り落とされてしまうだろう。
「ルークス」ブラッドは身を屈める。「気をつけて。軌道に乗れば安定するから。それと、空気が薄くなってくるけど、落ち着いて、ゆっくり深く呼吸をするんだ。落ちようが気分が悪くなろうが助けてあげないからね」
 言われなくても、とルークスは全身の神経を集中させ、身構えた。


 イグレイが安定するまで、そう長くはかからなかった。一同は緊張を解いてそれぞれに体制を整えていた。
 その中で、ルークスだけが苦しそうに胸を押さえている。ブラッドは肩越しに彼の様子を伺う。
「大丈夫?」
 ルークスは目線をあげたが、返事をしなかった。呼吸が整わなかったのだ。頭痛が酷く、目眩がする。
「体が過剰に酸素を求めているんだろう。慌てて呼吸しないで、ゆっくり、下っ腹から大きく息を、一度全部吐き出して。それからいっぱい息を吸うんだ」
 ルークスは素直に言われたとおりにする。何度かやっていると体が慣れ始めたようで、呼吸が落ち着いてきた。このまま死ぬんじゃないかとまで思ったルークスは、やっと肩の力を抜いた。ブラッドも安心して、前方に向き直る。
「このまま何もなければ夕方まで飛び続けるよ」
「……このまま」ルークスはそれだけで気が滅入った。「休憩もないのか」
「どうしても辛くなったら下ろすから、そこからは一人で移動してもいいよ」
 冷たいのか彼なりの親切なのか、ルークスは複雑な気分になる。いつもの彼なら冗談じゃないと強がるところだが、今はそれができないほど空の旅に不安を感じていた。


 風景は目まぐるしく変わっていき、難なく陽が傾き始めていた。
 長い時間、トカゲに跨ったままの三人だったが、あまり会話はなかった。ランは操縦に、ブラッドは周囲の空気に集中していなければいけなかったため、体のあちこちに痛みを感じて顔を歪めていたルークスに気を遣う余裕はなかった。ルークスも自分だけ弱音を吐くのが恥ずかしいと思い、必死で我慢し続けていた。
「そろそろ降りるか」
 今まで黙って操縦していたランが呟き、イグレイの身を隠せる森を探した。大きなそれを見つけ、手綱を引く。方向転換したその様子で、ルークスはやっと地面に降りられると安堵した。
 しかし、着地したからといってすぐに楽にはなれなかった。やっと酸素の薄い状態に慣れていたところで地上に戻ったため、ルークスは再び嫌な頭痛に襲われたのだ。それだけではなく、緊張したまま同じ体勢を保っていたせいで筋肉が凝り固まり、イグレイから降りるだけで無様にもブラッドの手を借りるしかなかった。絶対バカにされると覚悟していたのだが、二人は仕方ないという表情で何も言わなかった。
 三人が降りた森も未開地のようで人の気配は感じられなかった。ランは疲れた腕を伸ばしながらブラッドに向き合う。
「俺はイグレイに餌をやっておく。お前はどこか近くで宿を探せ。なかったら戻ってこい」
「うん。よろしくね」
 ブラッドはそう返事をしてルークスに目で合図を送る。ルークスは黙ってブラッドに着いていくが、まるで自分をいないものとして扱うランの態度が気に入らなかった。無意味に嫌味を言われるよりマシなのかもしれないが、無視されるのも居辛いことこの上ない。
 しかし、これも現地に着くまでと、今は感情を抑えることに徹することにする。



   




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