MurderousWorld
22-Eve




 数十分歩くと森を抜けた。空はもう暗くなっている。
 ブラッドが道を見つけ、そこを辿ればどこかの町に入れるはずだと歩を早めた。後に続くルークスがため息を漏らす。
「……元気だな。疲れないのか」
 ブラッドはいつもの笑顔で振り向く。
「若者が何言ってるんだよ。まだ移動してるだけじゃないか。これからが本番なのに」
 そうだったと、ルークスは更に落ち込んだ。こんなことなら車でのんびりして、乗り遅れていたほうがよかったのかもしれないとまで思う。
「体の鍛え方もまだまだ足りないみたいだね」ブラッドは道なりに進みながら。「仕事をするためにはただ力をつければいいってわけじゃないんだよ。でも君はこれからだから、自分の特性や能力を見極めてそれに合った訓練を受けていけばいい。あんまり気にしないで大丈夫。いきなり一級者と同じ行動なんか、付いていけなくて当たり前なんだから」
 ブラッドは慰めているつもりだろうが、ルークスには面白くない話だった。あからさまに不貞腐れてみせるが、ブラッドはからかうような目を向ける。
 その先に、町の明かりが見えた。二人は迷わずにそこに向かった。


 小さな田舎だった。自然に囲まれた平和な町で、武器を装備したブラッドとルークスは少々目立った。冒険屋であることはすぐに察され、なぜこんな辺鄙なところにと言わんばかりの表情で注目されたが、ブラッドは気にせずに宿を取った。
 礼儀と笑顔を持って料金も先払いすれば誰も文句は言わない。元々目つきが鋭く愛想の悪いルークスはできるだけ人と目を合わせないようにしていた。
 無事に三人部屋を確保し、ルークスはどっと疲れたようにベッドに転がった。ブラッドは大通りに面した窓を全開し、町を眺める。
「ここならランが来ればすぐに見つかるね」
 どうでもいいし、むしろ来なくていいと思うルークスは黙って目を閉じた。そのまま眠ってしまいそうだったが、空腹だったことを思い出す。ずっと緊張していて忘れていたが、今日口にした食べ物といえばトカゲの背中で二回ほど、乾物を少々だけだった。ここで精のつくものを食べておかないと体が持たない。横になったまま誰かが口に運んでくれればどんなに楽だろうと思うが、自分に尽くしてくれる女などここにはいない。仕方なく体を起こす。
「あ、来た」
 ブラッドが窓から身を乗り出した。ランの姿を見つけたのだろう。またあの無言の圧力で隅に追いやられるのかと、ルークスはやはりこのまま眠ってしまいたくなった。


 合流した三人は、先にやるべきことを済ませて体を休めていた。ランとブラッドは仕事の話で余念がない。それを横目に、ルークスは窓際に腰掛けて一服していた。
 二人の会話が時々耳に届く。
「明日、現地の人員に一斉に出撃できるように準備を進めさせている」
「僕たちが出る前に敵を陣営から呼び寄せる必要がある。頭はどこに?」
「おそらく、本部の中心だろう。正確な位置は現地で確認する」
「動ける人員はどれだけ残っているの?」
「二週間前に少し増やしたから……」
 聞き耳を立てたところでルークスの身になる話ではなかった。それに、未だに戦争と言う事実に実感が湧かない。一緒にいるのがこの二人でなければもっと緊迫していたのかもしれないが、何をしても自分は役立たずどころか、邪魔者だとしか思えない。やる気がなくなるのも当然だと心の中でぼやいた。
 ぼんやりと風景を眺めていると、ブラッドが伸びをしながら立ち上がった。
「あーあ、もう疲れた」
 話が終わったのかどうかは分からないが、ブラッドはまるで子供のようにベッドに向かった。
「おやすみ」
 言いながら、あっと言う間に眠りにつく。なぜか置いていかれたような気分になったルークスは、タバコを咥えたまま呆然とした。何も言わずに資料を見返しているランは、相変わらずルークスの存在を無視しているようだった。気まずい。ルークスは自分も就寝しようとタバコを消した。
 なぜこんなに肩身の狭い思いをしなければいけないのかと、ルークスは不満が募る。気にしてない振りを装って立ち上がったとき、目を合わせないまま、ランが呟いた。
「参ってるんじゃないのか」
 ルークスは体が固まった。独り言ではないのなら、ランは自分に話しかけているのだ。言葉の意味を考えた。参っているとは、何に対してなのだろう。ルークスが困惑していると、ランはそのまま続けた。
「ブラッドに」
「…………」
「安心しろ。お前だけじゃない」
 ルークスは、力を抜いて窓際にもう一度腰を下ろした。ランは資料から目を離さずに、僅かに口の端を上げた。
「みんなこいつには手を焼いている。今回のことは巻き込まれただけだ。お前も、俺もな」
 意外でしかなかった。ずっと敵視していたランの方がよっぽどまともではないか。途端にルークスの緊張の糸が緩んだ。
「……やっぱり、そうだよな」
「そうだ。普段はヘラヘラして仕事嫌いなんだがな、やると決めたらそこからは目茶苦茶な奴なんだ。歯止めが利かない」
 久しぶりにまともな会話ができたような気がして、ルークスはため息をついた。
「正直、ついていけない。自信がなくなった。俺は、向いてないのか?」
 ランは、やっと素直になったルークスに顔を向けた。
「何に向いてないと?」
「いや……組織に入ればただ仕事が与えられて、それをやっていけばいいものだと思ってた。だけど、そうじゃなかった。何も分からないうちにあれこれ自分で考えて、選ばなければいけないことばかりで……気がついたら変なトカゲに乗せられてここまで来てる。心身ともに疲れ切って、これからどうしたらいいのか、一体何が起こるのか、何も分からないんだ」
 自然と頭が垂れているルークスを、ランは笑った。
「普通はそうでもない。お前の言うとおり、最初は仕事が与えられてそれをやっていればいいだけだ。だが、お前は道を誤った。疲れて当然だな」
「これから、俺はどうすればいいんだ」
「まあ、お前はまず人を見極める目を養うことだな。それだけでだいぶ楽になる」
 ルークスにはその一言が温かく感じた。理由はすぐに分かった。今まで人の顔さえ見ようとしなかったランが腹立たしく、時間が経てば経つほどそのストレスが積み重なり、重く圧し掛かってきていたのだ。しかし、そうではなかった。彼は自分を見ていた。言葉も碌に交わしていないのに、一人の人間としてのルークスの内面までを見抜いていたのだ。
 これが人の上に立つ者の才覚なのだと、ルークスは重く受け取った。「大人」だと一括りにはできない。自分勝手で、弱者を平気で迫害する大人だっている。きっとそういう大人の方が多い世の中なのだと思う。少なくとも、自分の周りにいた者はほとんどがそうだった。
 同時に、ランが情でそうしているわけではないことも理解していた。デスナイトという巨大組織のトップに立つまで、常人には想像できないほどの困難を乗り越えてきたのだろう。彼の養われた目は、ここまでくるために必要として身に付けたもの。そう思うと、今までの反動もあるせいか、尚更ランを信頼していいのではないかという感情をルークスは抱こうとしていた。
「でも……今更やり直すことなんかできないだろう。逃げる気も起きない。とりあえず、このままあんたらについていけば何とかなるのか?」
「さあな。たぶん、ついて来ても来なくてもあまり変わらないような気がする。別に逃げてもいいんじゃないのか。それも選択肢の一つだ」
 ルークスは顔を持ち上げた。彼の言葉の意味を考えようとするが、頭が働かない。
「どういう意味だ」
「よほどのドジを踏まない限り、お前は死なない。ついて来ることで俺たちの仕事を見ることはできるだろうが、終わればまた組織に戻るだけだからな。お前にとってそれ以外の収穫はないだろう」
 もっと分かりやすく説明して欲しかったが、ブラッドと同じくランもこれ以上は話してくれないのだと思う。今日はもう休んで、また明日考えればいい。ランの言うことを信じれば、自分に危険はあまりないようだ。どっちでもいいと言われれば、どっちでもいいのかもしれないという甘えが出てきていた。
 いずれにせよ、今は正しい判断ができる状態ではない。ランと言葉を交わしたことで一つの不安が消えた。それだけで十分気が楽になったと、ルークスは重い腰を上げた。
 虚ろな顔でベッドに向かうルークスを目で追いながら、ランは付け加えた。
「一つだけ教えてやる」
 ルークスは足を止めて振り向いた。
「今の組織内で一番怖いのは、俺や他の一級者でも、ましてや司令官でもない。他ならぬ、ブラッドだ」
 ルークスはぼんやりとそれを聞いていたが、妙に納得してしまっていた。
「ブラッドはお前みたいな神経質な奴には合わない。上司としてはな」
 自分の上司。そんなことまで考えたことなどなかった。だが、組織に留まるのであればいつかは決められることである。
 パテーション一つで区切られた寝室の端のベッドで熟睡しているブラッドに目を移す。その寝顔は腹立たしいほど安らかだったが、彼もまた養った目で自分を見ていたのだということに気づく。今までの時間で、おそらく本人さえ気づいていないことまでを知っているのだろう。ただ、ブラッドは多くを語らないだけ。
 こんなに近くにいるのに、今はまだこの二人が、ルークスには手の届かない存在なのだということを思い知る。
 自分は特別ではないということを教えられた。それだけでルークスはここに来た甲斐があったと思う。虚ろな目のまま、ルークスは呟いた。
「……今は、ついてきてもいいんだよな」
 ランはその弱気な彼に意外そうな顔をした後、吹き出した。
「そんなツラして、なに女みたいなこと言ってんだ」
 皮肉を言われ、ルークスは我に返り少し顔を赤らめた。途端にバカバカしくなって乱暴に空いたベッドに潜り込む。似たような言葉で散々ブラッドを罵ってきたルークスは、今のやり取りを彼にだけは聞かれなくてよかったと心底思う。いろんなことを振り返り、悔しさと恥ずかしさがこみ上げてきた。忘れようとしているうちに、ルークスは逆らえない深い眠りに落ちていった。



   




Copyright(c) RoicoeuR. All rights reserved.