MurderousWorld
24-Father




 デスナイトの特殊な戦術、ゼロ。
 敵からすれば、それは「計算された災害」だった。一級者の力を持ってすれば皆殺しも可能である。だがそれは、依頼がない限り冒険屋としては任務外の所業と見做され、ただの暴力に過ぎず、社会的にも許さることのない行為だった。
 この世には割り切ることのできない事件は後を絶たない。そこでいつの間にか生まれた戦術が「殺すことを許さずに、敵に降伏させる」ものだった。常人離れした能力を持った短気な誰かがが、ストレスを解消するために始めたことだと言われている。ゼロの決まりごとは――これも誰が決めたことなのか分からないが――行う権限のある者は直接依頼を受けていない者であり、ゼロにかかる費用はすべて本人の負担であるということだった。いわば「娯楽」に位置付けられるものだった。
 もしも組織に苦情が来たとしても、司令官も誰も命令を下したわけでもないため、あくまでも「すべてをゼロにする力」を持った「個人」の気まぐれだと言えば、誰も逆らうことのできない災害なのである。
 ゼロの存在を知る者は内部の限られた人物だけであり、いくら金を積んでも依頼することができないという、おかしな戦術だった。これを認めてしまうと戦争の価値が変わってしまうからだ。できるからやればいいというものではない。本来冒険屋というものは、力を持つ者が使い方を間違えないように制御するための組織なのである。表舞台に立ち、世界や秩序を支配することは禁じられていた。
 社会にはルールがある。それが暗黙であろうと、破れば居場所を剥奪される。そして冒険屋という存在は、そのルールの隙間に息衝く者の集まりなのである。ゼロはそれを象徴するような戦術だと認識されていた。


 敵味方の入り混じる戦場の中で、一人の戦闘員が何かに気づいて顔を上げた。男は敵国に雇われたルチルスターの傭兵だった。デスナイトの陣営のある方角に目を奪われる。そこには見たことのある、ここにいるはずのない「彼」の姿があったからだ。
「……ランウォルフェン」
 間違いない。忘れるはずがない。彼とは一度、別の戦場で戦ったことがあり、そして敗北したのだから。嫌な汗が流れた。参戦していないとは言え、雇われていないはずの彼がなぜこの場にいるのか。男は息を飲んだ。まさかと思う。突然の襲撃。この戦い難さ。何か理由があるのだ。その理由が見えた。ランの存在だ。彼が何かをしかけようとしているのだ。
 まずい。一度撤退するべきかと考えるうちに、男の戸惑いはランとブラッドの目に止まった。
「気づかれたか」
「知り合い?」
「前に応戦したことがある気がする。逃げられると面倒だ。そろそろ行くか」
「了解」
 二人は岩場を降りた。ルークスも慌てて後を追う。
「おい……」
 未だ困惑するルークスを無視して二人は武器に手をかけた。
「僕は極力援護に回る」
 ブラッドは目立つことを嫌う。変に顔を覚えられてしまうと仕事がしにくくなるため、今回はさほど必要ではなかったが、僅かでも顔を隠すために自前のゴーグルを装着した。
「爆弾は使うなよ。所持も禁止だ」
「分かってる。今回は持ってきてないよ」
 歩き出しながら、ランは肩越しにルークスを振り返る。
「もうお前は用無しだ。暇なら参戦していいが、殺すなよ。殺すくらいなら死ね。いいな」
 そう言い残し、二人は地を蹴って駆け出した。


「ブラッド、まずはさっき目が合った奴を仕留めろ」
「あれがルチルの責任者かな。探してくる」
 ブラッドは肩から下げたライフルを両手に持ち、ひらりと飛び上がって人混みを越える。すぐに身を低くして戦闘を除けながら目標を探した。
 ランが敵味方構わずに大きな剣を振り回すと、まるで竜巻でも起こったかのように彼の周囲の戦闘員たちが薙ぎ倒された。それに巻き込まれた者のすべてが意識を失い、酷い者は肉の一部が千切れ飛んでいる。
 ほとんど同時に奥ではいくつかの血飛沫があがった。小柄な体を更に小さく縮めたブラッドが敵側の人員を狙い撃ちしているのだ。一人、一人と悲鳴を上げる間もなく倒れていく。
 まるで嵐のようである。その様子に目を奪われていたルークスは、瞬きをするのさえ忘れて見入ってしまっていた。
「……くそっ」
 ただじっとしているだけの自分が腹立たしい。腰に下げた剣をぐっと掴み、抜く。何も考えるなと、自分に言い聞かせる。
 殺すな? いいだろう。そんなこと誰でもできる。そんなこと、簡単だ。
 僅かに震える手足に力を込め、走り出した。


 ルークスは剣を振り上げて敵に襲い掛かった。殺さずに、戦闘不能にしてしまえばいいのだ。急所さえはずせばいくらでも切り刻んでも構わないだろう。それが戦だ。
 ルークスに襲われた敵も応戦してくる。だが相手は訓練された軍人だ。ルークスの野生で培ってきた戦術はあまり通用しなかった。
(……まずい)必要以上に息が上がる。(このままじゃ……殺される)
 手加減などできる余裕はなかった。辛うじて自分の剣が敵の首に届いたが、安堵は訪れなかった。首から大量の血を流しながら倒れる敵を見届け、足が震えた。
「……おい」
 慌ててそれに駆け寄る。倒れた男は痙攣を起こして、体が揺れるたびに血を吹き出している。
「おい! 死ぬなよ」
 奇妙な光景だと、どこかで思った。戦争で敵を倒し、死んで欲しくないと懇願している。ルークスはただ混乱するしかなかった。
「!」
 男が絶命するのを見届ける暇もなく、別の男が背後からルークスに刃を向けてきた。紙一重で弾き返したものの、除けるのが精一杯だった。
(殺される……)
 今までと何が違うのか、ルークスは考えた。そうだ。誰もが極限状態なのだ。殺さなければ殺される。死の恐怖に支配されたそれらが手加減などできるはずがない。
 なのに――あの二人はそれをいとも簡単に行っているのだ。彼らは悪魔か、化け物か。そんなものを信じたことなどなかったルークスは、自分がまともではなくなっていることに今は気づけないでいた。
 大きな声を上げながら敵に向かう。殺さなければ殺されるのだ。もうランに言われたことなど心のどこにも留めることなどできなかった。
 剣を交わし、相手の隙を見つけてそこに切っ先を滑り込ませる、込ませようとした。だがその寸前、敵が目の前で血飛沫を上げた。返り血を浴びながらルークスは我に返る。敵は右肩を骨ごと撃たれ、崩れ落ちる。
「命令無視か」
 背後から聞きなれた声が届き、ルークスは体を揺らした。振り向くと、離れたところからブラッドが自分に銃を向けていた。その銃口は確実にルークスの眉間を狙っている。殺すなら死ねというランの言葉を思い出し、ルークスは汗を流した。固まるルークスに、ブラッドは銃を下げてにっと笑い、何も言わずに再び背を向けて人混みに消えていった。この状況でまだ人をからかう余裕があるのかと驚かずにはいられないと同時、ルークスは少しだけ冷静を取り戻した。
 足元に倒れる自分が刺した敵を確認する。やはり、男は息絶えていた。次にブラッドが撃った男に目を移すと、彼は呻きながら悶え苦しんでいる。それだけではない。今まで倒れた男たちも、よく見るとほとんどが気絶しているだけのようである。深い傷を負った者も少なくはないが、その違いは大きい。ルークスは納得のいかない敗北感を噛み締めた。


 次第にデスナイト側の人員が引き始めていた。動けなくなった敵が増えるにつれ、後はランとブラッドに任せるためだった。
 元々「T-3」の指示を受けた時点で、人員は敵を混乱させることを目的としてしかいなかった。運悪く命を落とした者もいるが、それは「災害」である二人がやったことではない。「戦争の被害者」という名の亡骸だった。


 剣一本で暴れているランの元にブラッドが寄ってきた。
「弾が切れたよ」銃を離して、剣に持ち替えながら。「必殺じゃないから余計な弾を消費するね」
「そのくらいの計算はしてこいよ」
「だってゼロなんて初めてだからそんなの分からないよ。これでも多めに用意してたんだけど」
「そこらに転がってるのは使えないのか」
「残念ながら、僕の武器は安物じゃないから合わないんだよね」
「じゃあ安物を扱えるように訓練を受けろ」
「ん。考えとく」
 二人は背を合わせて、まるで踊るように息を合わせて交戦した。
「そろそろ限界だな。敵国にある陣営の護衛はどの程度なんだろう」
「向こうも極貧だからそんなに余裕はないはずだよ。でもルチル本部に僕たちのことが伝わってるかも。あまり時間をかけると面倒なことになるかもしれない。急ごう」
 二人は簡単な打ち合わせの後、すぐに離れた。ブラッドは援護に回ることをやめて正面から敵を打ち払う。ランの剣は振るだけで風を起こし、近くにいた敵は必要以上に後方に吹き飛ばされていた。
 再び二人が背を合わせると、ランが独り言のように呟いた。
「やっぱり、やり辛いな」
「今更何言ってるの」
「いっそ皆殺しにできたらと思う」
 ブラッドは笑いながら眉尻を下げる。
「それは同感」
 切っ先で弧を描きながら、ランは周囲を見渡した。
「エンジはまだか」
「とっくにイグレイは飛んだよ」ブラッドは空に目線を向け。「そろそろじゃないかな……あ!」
「どうした」
 ブラッドが上空で何かを見つけたようだが、ランは戦闘に専念するために顔を上げられなかった。その隣でブラッドはゴーグルを外して空を仰いだ。
「イグレイだ。戻ってきた」
 イグレイが上空を横切ったようだが、それは人の肉眼では確認できないほど高い位置にあった。空の空気を読むことのできるブラッドが集中して初めて感じ取ることができる程度の変化だった。
「そうか。それなら、もう終わるな」
 ブラッドは頷いてランの傍を離れた。背中の空いたランは大きく回転し、気合を入れなおして最後の締めに入る。


 戦闘員の大半が死体のように血塗れで倒れる中、ルークスも赤く染まった姿で息を上げていた。返り血なのか自分のそれなのか区別がつく状態ではなかった。精神も限界に近く、錯乱寸前で剣を握り締めている。
 あれから誰も殺さず、そして逃げもしなかった。そこに踏み止まることに何の意味があるのかは分からなかったが、ルークスは敵の急所を外すことばかりで頭が一杯になり受けた傷の痛みも忘れるほどだった。まるで何かに取り憑かれたかのように血走った目で次の敵を探す。
 そのとき、遠くから一つの煙と爆音があがった。
 意識のある者のすべてがそれに注目し、動きを止めた。その意味を理解してランが深く頷くと、ブラッドが笑って拳を握った。
 デスナイトの勝利宣言だった。
 直接依頼を受けたエンジが一人の部下を連れ、戦闘の隙をぬって、崖の上で待機していたイグレイを使って敵国の頭の元へ向かっていたのだ。そして、手透きになった敵国本部に進入し、頭を捕らえた。爆音はその知らせだった。
 ランが黙って剣を掲げる。その雄々しい姿は勝利を象徴するものであり、視界に捉えた者は大きな声を上げた。アステリア側の者は歓喜に満ち溢れ、敵側の者は意気消沈していく。
 その中でどちらともつかないルークスは一人で立ち尽くし、戦意の失われたこの場で目眩を起こした。
 ふとランと目が合う。嬉しいとも悔しいとも思わないまま、ルークスは気が遠くなった。
 ぼやけた視界に映っていたランが大きく目を見開いた。その尋常ではない彼の表情の意味を、ルークスはすぐには理解できなかった。自分の体中の力が抜けて倒れていくのも、疲れのせいだと思う、思おうとした。
 違う。背中が熱い。異常なほど。薄れる意識の中でブラッドが自分の名を叫ぶ声を、辛うじて捕らえた。一体、何が起きたのだろう。焼けるように熱を発する背中を振り返るように顔を傾けた。そこには、今までルークスの足元で気を失っていたはずの敵の一人が最後の力を振り絞って立ち上がり、彼のすぐ傍で剣を振り下ろしている姿があった。二人の間には血が舞っていた。
 これは、自分の血――ああ、そうか、俺は、斬られたのか。
 正気を失ったその男は止めを刺すべく、もう一度剣を振り上げた。それからどうなるのか考えれば分かることだが、地面に倒れたルークスには抵抗する力など残っていなかった。
 殺される。そう確信した。
 再び流れた大量の赤いそれは、ルークスのものではなかった。男の両腕が、ほとんど同時に体から切り離されたために起こった現象だった。男の左右の肩の隣で回転した二本の剣が地面に落ちるより早く、男は完全に意識を失った。剣はランとブラッドが咄嗟に投げたものだった。急所だけは避けて。
 ルークスに二人が駆け寄ってくる。地面につけた耳から足音が伝わった。このまま死ぬのかどうか、すぐには判断できなかったが、暗闇が落ちる寸前、ルークスの脳裏にはある人物のことが思い描かれた。


 あの頃の自分は小さくて、彼の腕や背中がとても大きく感じた。それは強く、たくましく、そして温かく、必ず自分を守ってくれるのだと信じていた。ずっとそこにいて、些細なことで一緒に笑ったり怒ったりしていくのが普通だと思っていた。
 いなくなるなんて、死んでしまうなんて想像もしなかった。
 だけど彼がいなくても自分は生きた。生きていられた。そして自分も大きくなったと、強くなったのだと思っていた。あの時欲しかったものを手に入れた。もっと手に入れられると、そう思っていた。
 だけど、やっぱり自分はまだ小さく、弱い。何一つ持ってなどいなかったのだ。

 何も変わっていない。

 その思いは夢現の境で、あの時と同じ温かさを、強さを、体中で感じながら思い知らされていた。

 もう俺は子供じゃない。だけど今は、一人で歩くこともできない。
 少しだけ、最後にもう一回だけでいい。

 その手に、寄りかからせてください。



   




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