MurderousWorld
25-Common




 目を開けると視界には白い天井だけが映った。頭も体も重く、それらを働かせる元気はすぐに出なかった。外からの日差しが白を反射し、室内は清々しいほど明るかった。少しだけ目を横に動かす。そこから見える窓の向こうは晴れた空だけだった。
 ゆっくりと状況が把握でき始めた。白い壁やベッド、体中に巻かれた包帯、腕に刺さった点滴の針。根無し草だったルークスが今まで世話になることのなかった場所だったが、ここが病院だということはすぐに分かった。
 ああそうだ、と思う。気を抜いた途端に敵に背中を斬られたのだった。あれほどの肉体的苦痛は味わったことがなかった。死んでいなかったのが不思議だった。
 確認したいことがある。ルークスは眉を寄せながら上半身を起こす。背中だけではなく、体中に激痛が走った。うめき声を堪えていると、突然、黄色い歓声が起こった。
「意識が戻ったわ」
 ルークスが廊下側のドアに顔を向けると、いつからそこにいたのか、数人の看護婦が小さな窓から室内を覗き込んでいた。
「早く先生呼んできなさい」
「あんたが行きなさいよ」
 などと仕事を押し付け合いながらドアを開けて傾れ込んでくる。呆然としているルークスはすぐに囲まれ、必要以上に体を触られ始めた。
「気分はどう? どこか痛みますか?」
 看護婦たちは、腹は減っていないかだとか、熱はないか吐き気はしないかと次々と質問を浴びせてくる。
「……いや、あの」
 ちやほやされるのは慣れているが、今は人の好意を受け入れる余裕はなかった。まずは状況を把握したい。
「こ、ここはどこだ」
 一番派手な化粧をした看護婦が率先して答える。
「ここはアステリアの中央病院よ」
「アステリア……そうだ、戦争はどうなった」
 その質問に、看護婦たちは再び高い声をあげた。
「やだ。あなたたちのお陰で勝ったのよ。やっと平和になったのよ」
「そうよ。こんなに酷い傷を負って私たちの国を守ってくれるなんて。あなたは私たちの王子様だわ」
 看護婦たちは顔を赤らめてはしゃいでいる。ついていけずにルークスは掴まれた腕を振り払った。
「俺の仲間はどこだ」
「仲間?」
「他の冒険屋だよ。まだ陣営は残っているのか」
「落ち着いて。もう軍人もみんな引き上げたわ。あなたは三日も眠っていたの」
「三日……?」
「そうよ。死ぬかどうかギリギリの状態だったのよ。一命は取り留めたし、傷もなんとか塞がったけど、まだ無理をしてはだめ」
 三日も眠っていたなんて。ルークスは少し瞼を落とした。隣でその様子を見つめながら「可愛い」と呟く若い看護婦に苛立ちが湧く。
 そこに、担当医らしき初老の医師が入ってきた。
「君たち、出ていきなさい」
 医師に冷静に言われ、看護婦たちは残念そうに退散していった。医師は眼鏡と口ひげの似合う恰幅のいい男性だった。椅子に腰掛け、ルークスの様子を伺った。
「気分はどうだね」
 一見優しそうな医師だったが、ルークスは見えない距離を感じた。
「……別に」
「別にでは分からないよ」医師はカルテを見ながら。「あれだけ酷い目に遭ったんだ。どこも痛くないはずがないだろう」
 医師の言うとおりだった。傷の痛みだけではない。三日も眠っていたのだ。頭痛もするし、慣れない投薬を続けられていたせいか、あちこちに違和感がある。だが、ルークスはこれ以上知らない相手の世話になるつもりはなかった。
「帰っていいか?」
 医師はちらりとルークスに目線を移し、無表情のまま答えた。
「そうはいかないよ。多すぎる治療費を先に押し付けられてしまったんだ。もう完全に心配がないかくらいは確認しなければいけない」
「多すぎるって……誰にもらったんだよ」
 なんとなく分かってはいたが、どういう流れがあったのかを知りたかった。医師は淡々と続ける。
「あの戦争で致命傷を受けた君が二人の冒険屋に運ばれてきたんだよ。だけどね、本来この病院では、冒険屋という身元のきちんとしていない患者は受け入れないと決まっているんだ。例えそれが、重傷であってもね」
 あからさまな嫌悪だった。差別だと言っても過言ではないのだろう。
「確かに、君たちの活躍によってこの国は救われた。それは感謝すべきなのかもしれない。だけど、私は君たち冒険屋を認められないんだ。私たち一般人は冒険屋ではなく、君たちを雇った国に敬意を示すことしかできない」
 認められない理由を医師は言わなかったし、ルークスも聞こうとは思わなかった。
「それが今の常識なんだ。君自身のことは何も知らないし、医師として君を治療する義務を放棄するつもりはない。しかし、冒険屋という人種を他の善良な人々と同じに扱うわけにはいかないのだよ。悪く思わないでくれ」
「……つまり、ここに俺がいることは迷惑なんだよな」
「ああ、そうだね」
「だったら帰せよ。別に俺だって好きでここにいるわけじゃない」
「じゃあ、ここを出て、傷が開いたり気分が悪くなったとしても、決して誰にも難癖をつけないと約束してくれるか?」
「はあ? 当たり前だろ」
「ずっとだよ。何日、何ヶ月経っても、君が死ぬまで、ずっと。そして、他の誰にもそうさせないと誓えるか?」
 ルークスはそんなことをするつもりは一切なかったし、考えようともしていなかった。医師の嫌味と思えるほどのしつこい念押しに胸焼けさえ感じる。
「何なんだよ。そんなに憎たらしいなら見殺しにすればよかったじゃねえか」
 医師はルークスの目をまっすぐ見つめた。そこには、遣り切れない悲しみのようなものがあった。
「それはできないんだよ。君が冒険屋であるように、私は医者だからね。一度受け入れた患者には尽力しなければいけない。君の手術は大変だったよ。いっそ死んでくれと、何度も思った。だけどね、力のない君はただの人間だったんだ。あのまま君が事切れる姿を想像したとき、そうなってしまえばみんな同じなのだと気づいたのだよ。それは私も同じだ。私は人の命を左右する力を持っている。だけど、私だって死んでしまえば君と同じ人間でしかない。だから決意したんだ。君たちが躊躇わず人を殺すように、私も躊躇わずに人を救おうと。それが仕事だと、割り切ることにしたんだ。そして君は息を吹き返した。医師としては満足している。しかし、人間としては、いつか後悔するときがくるのかもしれないと思っている」
 ルークスはそれ以上聞きたくなかった。とにかく何を言われようと、さっさとここを出たいとしか思わなかった。
 同時に、冒険屋への世間の印象がここまで悪いことを痛感させられていた。仮にも国を救うために戦った一人だというのに、結局はただの犯罪者扱いである。感謝されなくても構わないし、どれだけ陰口を言おうが自由だが、面と向かって害虫呼ばわりされる筋合いはないと思った。
 今すぐ出ていこうと足をベッドから下ろした。やはり体中に痛みが走るが、ぐっと我慢する。金は払ってあると言っていた。きっとランかブラッドのどちらかが出してくれたのだろう。
 この医師も、戦争に勝ったことは冒険屋の働きではなく国が健闘したお陰だと言った。ならば自分も医師の技術ではなく、金を出してくれた彼らに助けられたのだと思えばいい。医師は仕事をしただけであり、自分もこの国のために戦ったのではないのだ。ここで偏屈医師の愚痴に付き合う理由はない。
「別にあんたのことなんかすぐに忘れてやるから安心しな。後悔したときはいつでも殺しにくればいい。受けて立ってやるよ」
 ルークスは点滴の針を乱暴に外し、体の痛みを堪えてベッドから降りた。しかしこんな格好で外を出歩くわけにはいかないことに気づく。手持ちもないし、どうしようか考えていると、医師が窓の外を見つめたまま呟いた。
「……血塗れで、虫の息だった君を二人の友達が連れてきたんだよ。二人とも君を心底心配している表情で……診られないと断ったのだが、それもよく分かっていると言っていた。だけどここしかないのだと、これ以上遠くへ連れていくことはできないと懇願した。死ねば諦めもつくが、まだ息があるのだと必死で訴えてきた」
 ルークスは医師の言葉に黙って、痛みを忘れ、何も考えずに聞き入った。
「そのとき、思った。彼らにも人の心があるのだと。人の死を悲しむことがあるのだと。金をもらって簡単に命を奪えるくせに、自分の仲間は守りたいのだと思うのだね。心外だったよ。でも、ふと思った。ここで君を見殺しにしたら私も殺人鬼と同じではないかと。一時の気の迷いだったとしても、懸命に仲間を助けようとしている彼らを突き放す自分こそが悪魔のように思えてしまったのだ。強い疑心を見せた私に、君の友達は身分を明かしてきた。そして、君の安否がどうであろうと、少しでも院に迷惑がかかったら自分のすべてを賭けて償うと約束してくれた。驚いたよ。私は彼らの真摯な態度に、理性に反して、頷いてしまっていたんだ。手術が終わって改めて、どうしてこんなことをしてしまったのか酷く悩んだ。これでよかったのかどうか、まだ、分からない。もしかするとこの答えは、生涯出ないのかもしれないね」
 ルークスは俯いて唇を噛んでいた。医師は空を見つめたまま微動だにしない。立ち去る機会を掴めないルークスは、何か言い残していくべきなのか考える。しかし、その静かな空間は再びドアの外の騒ぎで壊れる。ルークスが顔を上げると、そこにはドアの小窓から覗く看護婦たちの姿があった。ルークスは更に機嫌を損ねてドアを乱暴に開ける。
「おい。俺の服はどこだ」
 看護婦たちは子供のようにはしゃいでいる。
「あなたの服はボロボロだったからもう着れないわよ」
「よかったら私のうちにいらっしゃい。弟の服を貸してあげるわよ」
「ちょっと、抜け駆け? だったらうちにだって兄がいるんだから」
「あんたのチビデブ兄弟のダサい服なんか彼が着るわけないでしょ」
「なんですって!」
 ルークスは切れる寸前だった。この頭の悪い女共は何なんだと拳を握る。話にならない。ルークスは看護婦たちを押しのけて受付に向かった。


 病院の受付で、言葉の通じそうな男性医師に声をかける。
「おい、ここを出たいんだが着替えがないんだ。なんとかならないか」
「え……」医師は戸惑いながら。「ご家族の方に連絡はできないんですか」
 包帯だらけで顔色も悪いルークスの姿は、まだ退院できる状態には見えなかった。
「手持ちも何もないんだ。それに今すぐ出たい。人を呼んでも待ってる暇がない」
「そう言われましても」
 若い医師が困っていると、先ほどの担当医が声をかけてきた。
「私がなんとかしますよ」
 振り向くルークスの表情は険しかった。しかし医師はにこりと微笑む。
「頂いた費用は余っておりますから。必要な交通費もお渡しします。こちらへ」
 担当医はそう言って院長室へ向かった。ルークスは渋々後を着いていった。
 医師は警戒しながらついてくるルークスに、余計なことは言わずに手続きを進めた。
「服は、今使いを出して君に合いそうなものを適当に用意してもらっている。すぐに戻るだろうから、もう少し待ってくれるか。もし気に入らないなら自分で買い直せばいい」
 ルークスを院長室の接待席に座らせ、現金の入った封筒を渡す。その厚みは一センチ以上あった。ルークスにはその態度も嫌味に感じたが、元はあの二人のどちらかのものである。遠慮する必要もないだろうと黙って受け取った。
「そういえば」ルークスは警戒を解いて。「俺を連れてきた奴らの連絡先って聞いてる? 実は、あんたが思ってるほどそんなに親しくないんだ。仕事上での付き合いしかないけど、一応俺、部下だし、連絡くらいしないといけない。何がどうなっているのかも聞きたいし。教えてくれないか」
 医師は少々意外そうな顔をしたが、何も問わずにメモを取った。
「それと」医師は連絡先を書いたメモを折りたたみながら。「念のために薬を出しておくよ。そんなに強いものはないから、安心して飲んで欲しい。処方箋も渡しておく。またここまで出てくるのが億劫なら、君の信頼できるところに頼めばいい。必要なら、だがね」
「……ふうん」ルークスは目を細める。「関わるなって言ったくせに、親切なこと言うんだな」
「病気や怪我で困っている間は、君は患者だ。それ以外の用はお断りさせてもらうよ」
 医師はルークスの前のテーブルにメモと薬を置いて、背を向けた。



   




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