MurderousWorld
26-Debris




 しばらくしてルークスの元に、シャツとジーパンというどこにでもありそうな服が届けられた。ルークスはそれに着替え、取れる包帯を極力取った。それでも傷の数が多くて怪我人であることは隠せそうになかったが、ミイラ男のような姿でいるよりはマシだと思うことにする。
 病院を出て少し離れたところにある公衆電話から連絡を繋いだ。電話には知らない人物が出た。途端にルークスは声を詰まらせた。そういえばこの番号がどこの誰のものか確認していなかったことを思い出す。だが、わざわざ電話を切って医師に聞きに戻るつもりはなかった。
「あ、あの」
 名乗るべきかどうか迷っていると、相手から話を進めてきた。
「ああ、もしかして新人の……ええと、そうだ、ルークスだったかな」
「え、そうだけど。あんた誰」
「私はラグアだ」
 ルークスは彼が何者なのか分からなかった。ちゃんと確認すればよかったと、後で肝を冷やすことになるなんて今は予想できない。
「ランかブラッドの知り合い? ああ、まあいいや、二人は? どっちかいないか」
 ラグアはルークスの態度を気にせずに答える。
「まだ戻っていないよ。彼らだけ帰りも運び屋を使うようだが、出発したのが昨日の夜だったからね」
「昨日の夜? じゃあまだ他の冒険屋は残っているのか? 俺も一緒に帰れないか」
「他の者は車で、もう一昨日に出発しているよ。ブラッドたちは君を心配してギリギリまで待っていたんだ」
「……え」
「身バレの心配もあるし、何よりももうゼロの苦情があちこちから来ているんだ。私は早く戻れと言ったんだが、もう少しだけと粘られてね。やっと昨晩、君が一命を取り留めたことを医師から聞いて落ち着きを取り戻したようなんだ」
 冷静に考えれば、ラグアが二人よりも上の立場にあることは言葉の端々から伺えそうなものだったが、ルークスは二人が本当に自分を心配していたことに心を痛め、俯いた。
 ラグアは返事をしないルークスの心情を受話器越しに感じ取った。
「とりあえず、君ももうよくなったのなら戻ってきなさい」
「え、あ、ああ」
「君は戦争で生き残った。しかも、頼れる仲間を味方につけたことによって一命を取り留めたのだ。その悪運の強さは冒険屋にとって強力な武器になる。我々は君を歓迎するよ」
 ルークスは複雑な気持ちを抱いた。はあ、と気のない返事をして電話を切る。


*****



 ルークスは一人、電車やバスを使って地道に移動した。しばしば襲ってくる激しい痛みに不安があり、車を借りたところで自分で運転し続ける自信がなかったのだ。必要ないと思っていた痛み止めの薬にも何度か世話になった。最初は中身を見て、こんなに何種類も出して、医者は無駄が好きなものだと心の中でバカにしたこともあったが、痛み止めを使うと気分が悪くなることに気づき、結局は渡されたものを一通り飲むことで一時の安堵を得ていた。


 休み休み移動をしているうちに傷もだいぶ癒えてきていた。一度家に戻り、身の回りの整理をしてからベッドに横になった。しばらく考えたいと思う。何を考えたいのか明確ではなかったが、ゆっくりと疲れも取りたいし、いろんなことを振り返りたかった。
 ずっと――ブラッドと出会ってからはずっと落ち着くことがなかった。彼だけのせいではないことは分かる。自ら飛び込んで何度か後悔したこともあったのだから。だけど生きて帰ってきた。こうして横になって呼吸をしていると今までのことが夢のようだとも、逆に自分が生きていることが不思議だとも思う。
 他の新人たちも同じ目に遭ったわけではない。アステリアに向かっていた者たちがどうなったのかは知らないが、少なくとも終戦までには到着していなかった。となると、何かしら仕事をして帰ったのか、ただ移動損をしただけだとしても、一滴の血も流さずに済んだ事は間違いないのだろう。
 しかし自分だけが道を誤ったのだとは思わなかった。これが、自分の生まれ持った運命、背負うに相応しい困難だらけの道なのだと考えた。運試しとはよく言ったものだ。目に見えないはずのそれが、まるで絵に描いたように鮮明に映し出されてしまっていのだ。
 別に怖くはなかった。今までも平和に暮らしてきたわけではないのだから。だけど今までと確実に違う何かがあった。何が違うのか。ルークスはもう分かっていた。「組織」という人の集団だ。それも、ただの無頼者の集まりではない。そこには掟があり、すべての言動に責任と結果が伴うのだ。
 その重みを、ルークスは目で見、体で体験した。彼が望んでいたはずのその形で。これまでは理屈では分かっていても、どうしても受け入れる気にはなれなかった。やりたいことだけをやっていたかったし、自分はそれが許されるのだと思っていた。立場のある者に諂って機嫌を伺い、自分の都合のよくなるように立ち回る、それが組織、社会なのだと思いこんでいた。しかし、違った。少なくとも「デスナイト」という組織にはそんな逃げ道などなかった。誰もが生きるためだけに、自分の価値を見出すために戦っているのだということを思い知った。
 一見軟弱そうな男に従う凶暴な獣人、数時間前まで笑っていた者に突然訪れた残酷な死、言い訳など何一つ通用しない太刀打ちできない暴力、誰もが屈服するに足る奇跡とも呼べる特有の戦術。そして、「冒険屋」という人種への受けるべき非難。
 知りすぎてしまった、まだ早すぎたのかもしれないと思う。だけど、自分は生き残ったのだ。もしこのすべてが科せられた運命なのだとしたら、ルークスは受け入れるしかないのだろう。
 迷いがあるとしたら、見せられた絶対的な力を手に入れる手段がどこにあるのかということだった。手に入るのなら、欲しい。簡単なことではないだろう。きっと今までの自分のやり方では到底手の届かないものだと思う。
 自然に「仲間」と認識していたランとブラッドはそれを確実に身につけている。しかし彼らは安易に教えてはくれない。彼らは組織の「所有物」だからだ。
 ルークスが彼らを一つの固体としてではなく、大きなものの一部としてイメージしたとき、何かが見えた気がした。ルークスが頭でそれを辿ると、次第に、鮮明に、何かが見えた。
(――ああ、そうか)
 ルークスの中に一つの答えが出た。
(なるほどね。そういうことか……)
 彼らに近づくための道は確実にある。組織の掟に従い続ければいいだけのことなのだ。単純だが簡単なことではないだろう。しかしそれだけを忠実に守り続け、そして生き残っていけさえすればいつか辿り着けるのだ。
 ただ、それが自分の往くべき道なのかという迷いはあった。
 最初は「好きなだけ人を殺せる」と本気で思っていた。腕には自信があったし、これからも修羅場を越えるたびにまた強っていくのだと信じていた。そのすべては打ち砕かれた。こんなところへこなければ、何も知らないままでいたならばこの屈辱を味合わずに済んだのかもしれない。だけど、ルークスはここへ来たことをそう悪くは思っていなかった。見たもの触れたものそれらは、すべての小細工を凌駕する「本物」だったからだ。
 ルークスは目を閉じ、意識を遠くへ飛ばした。

 次第に現実から夢へと移行していく。


*****



 鉄くずの積み上げられた殺伐とした空間で、父子が向かい合っていた。子供が少ない表情を浮かべて父に問う。
「ねえ、あっちに道がある。あっちに行こう」
 父親の顔は逆光で陰ってはっきりとは見えなかった。
「行きたいのか」
 父親の声からは感情が読み取れず、顔を見ようと少年は目を顰めて。
「ここにいても何もない。それにこのままだと、あいつらに殺される」
 父親は少し顔を上げて遠くを見つめた。
「一人で、行きなさい」
「…………」
「もうお前がここにいる理由はないだろう。見つけたなら、そこに行きなさい」
 少年は、じっと父親の顔を見上げていた。少年は滅多に笑わないし、言葉も少なく、あまり我侭を言わない寡黙な子供だった。その子が、珍しく自分の意見を口にしたことを父親は寂しく感じた。
「俺は、お前をここに縛り付けていたのかもしれないな」
 少年は黙って父親の言葉に聞き入った。
「行きなさい。復讐なんて考えなくていい。お前はお前を必要としている者のところで人生を全うしなさい。それが俺の望みだ」
 少年にはあまり意味は分からなかった。しかし、彼が何を言おうとしているのかは、なんとなく受け取れていた。
「幸せにはなれないかもしれない。今の俺が一つだけお前に教えてあげられることは、誰かのために体を、命を張り、大切なものを守って死ぬことができれば後悔はないということだけだ。どう生きるかはお前が決めることだが、もし迷うことがあったら、俺の言葉を少しだけ思い出して欲しい。いつかこの意味を理解できる日がくると、その日までお前が生きていてくれることを祈っているよ。ずっとお前を見守っている。いつか、お前が再びここに来るときまで……」
 いつの間にか父親は、顔を見せることなく消えていた。少年は我に返って辺りを見回す。もう父親の姿も声もどこにもなかった。「行きなさい」という言葉が少年の耳の中で繰り返された。
 冷たい風が流れた。その瞬間、もうここには誰もいないということを少年は感じ取った。

 少年は静かな瓦礫の空間を背に、一人で、歩き出した。



   




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