MurderousWorld
27-Reason




 夢から覚めたルークスはしばらく横になったまま呆然としていた。
 安心できる空間で休むことができたせいか、今までより深く眠れた気がした。それだけで傷が治ることはなかったが、ずっと付き纏っていた頭痛や、モヤモヤしていた体のダルさはなくなっていた。
 伸びをしながら起き上がり、服を脱いで鏡に背中を映して見た。背中を斜めに横断した酷い傷はまだ糸で縫われたままだったが、あのまま入院していればもう取れていたのだと思う。自分で抜糸するのは抵抗があった。わざわざ手の届かないところを斬ってくれないでもと、ルークスはため息を漏らした。
 痛みを堪えて慎重に風呂に入り、服を着替えてコーヒーを淹れる。寛ぎながらふと彼らの顔を思い出した。おそらく自分が無事なことはあのときの電話の相手が伝えてくれていると思う。ランはともかく、ブラッドならすぐに連絡なりしてきそうなものだが、音沙汰なしということは忙しいのか何かなのだろう。
 一応礼は言っておきたいし、いずれにしても組織に出向いて今後のことを決めなければいけない。特に構える必要も、用意すべきものもない。ルークスは手ぶらで出かけた。


 組織に到着し、やはりどこに行けばいいのか分からなかったルークスはロビーの受付に内線電話があることに気づき、それに手をかける。御用の方は……という説明に従って番号を押すと、丁寧な言葉遣いの若い男性の声で用件を尋ねられた。それでも何をどうすればいいのか分からず、名前を伝え、誰か自分を知っている者を出せと乱暴に指示した。男性は戸惑いつつ保留にし、しばらく待っていると別の人物が出た。ノースだった。彼のことは名前も顔も覚えている。失礼のないようにとブラッドに言われたことを思い出したが、人に礼儀を払う方法をほとんど知らないルークスは言葉に詰まった。するとノースの方から話を切り出した。
「ルークスだね。待っていたよ」
「あ、ああ……そう」
「司令室へ来なさい。そこでゆっくり話を聞こう」
 ルークスは電話を切り、指定された室へ向かった。


 司令室ではノースの笑顔が出迎えてくれた。ルークスには作り物にしかみえないそれには心を許せず、彼の向かいの椅子に腰かけた。
「大変だったようだね」
 ノースはそう言うが、あまりいい気はしなかった。今回の運試しのことがノースの悪ふざけであったことをランから聞いてしまっていたルークスは、彼のことが好きになどなれそうになどなかった。しかし、確かブラッドが、司令官クラスになれば態度や言葉の端々で相手を見透かすことができると言っていたことを思い出し、わざわざ嫌われる必要もないとそれは考えないことにした。ルークスの表情が僅かに変わったことに気づきながらノースは続ける。
「今後、君は正式に組織に配属し、仕事を請け負ってもらう。異存はあるかね」
「いや」
「そのつもりで来たのだろう?」
「まあね」
 結局ルークスは敬語なんて使えなかった。必要になれば身につけるだろうとノースは注意をしない。
「現在組織は五つの管轄に分かれている。そこのどこかに所属し、指定された二級者からの指示を受けるんだ。困ったことや相談があればそれも二級者を頼りなさい。後輩の世話も仕事のうちだから協力してくれる」
 ノースは仕事の流れを淡々と説明していく。ルークスは黙って聞いていたが、あまり頭に入れていなかった。話がひと段落したところで、ふっとノースの顔を見た。
「一級者に会うにはどうすればいい?」
 ノースは表情を消した。背もたれに寄りかかって、攻撃的な少年を見据えた。
「無階級者は、仕事では直接関わることは稀だ。まあ、君のように偶然出会ったり飲みに行ったりということはあるかもしれないが、それもとても珍しいことなんだよ。プライベートでの付き合いは自由だが、組織の中の規則に一級者と会う条件というものは存在しない。地道に功績を積んでいけば階級も上がり、二級になれば一級に会う機会は多くなる。それしか私に言えることはないな」
 ルークスは面白くなさそうに呟いた。
「そっか」
 本当は抗議したかった。無理やりとは言え、一級者の二人に付き合い、無事生還してきたのだ。他の新人と同じ扱いではなく、少しくらい贔屓してくれてもいいんじゃないかという不満があった。だがそれを押し出すのはやめようと思った。掟に従う必要があると結論を出したのは自分なのだ。自分は特別なのではない。もし縁があるのなら、今回のように意外な形で出会うこともあるだろう。いつのことかは分からないが、自分が彼らのレベルに達したときには自らを特別な存在だと思えるかもしれない。だけど、きっと、そこに辿り着いたときには自分がどれだけ優秀かだなんて、そんな目線や感情などもなくなってしまうのだろう。そんなものにこだわっている間は、自分は小物だと言い聞かせるしかないと思った。


 ルークスはノースに資料を見せられながらどこの管轄がいいか聞かれたが、少し考えさせて欲しいと伝えた。希望がないなら管理側で考慮して配置するし、途中で変更したくなれば相談は受けると説明もされたが、やはり考えてから答えることにした。
 話は終わり、ルークスは室を出る。ふと、もしかするともうランにもブラッドにも会えないのではないかという不安が襲った。今後は直属の先輩の世話になることになれば不便はないのだろうが、せめてもう一度、話くらいはしたい。
 このまま組織に入り、階級も上がればいつか会えるかもしれないが、そのいつかとはいつのことだろう。それに、それまでに彼らがここにいるとも限らない。いつ何が起こるのか分からないのだ。エイダの死にそのことを教えられた。それは自分自身にも言えることでもある。
 仲良くしてもらわなくてもいい。まだその価値がないのなら直接教えてもらえなくてもいい。ただ、時々話くらいはしたい。せめて、このまま他人になってしまうのだけは避けたいと思った。
 ルークスは無意識に何かを期待してか、その足でロビーに向かった。


 ロビーの入り口を潜り、ルークスは途端に肩の力が抜けた。
 もう二度と会えないかもしれないと覚悟しようとしていたところに、ランの姿を見つけたからだ。彼がここにいるのが珍しいことなのは知らなかったが、安堵の表情を隠して近づいていった。
 ランは一人で奥のテーブルに座っていた。ルークスに気づき、目を合わせる。
「お前はほんとに」ランは彼の顔を見るなりため息をついた。「手間のかかる奴だな」
「な、なんだよ」
 ルークスは戸惑いながら彼の向かいに座る。
「お前が来たとノースから知らせがあったんだ。だからここで待ってた」
「……え? でも、あいつは何も言わなかったぞ。俺はたまたま立ち寄っただけだ」
「そんなこと知るか。ノースには俺が、お前から連絡があったら知らせるように言っておいたんだ」
「なんのために……?」
「ブラッドに頼まれたんだよ。あいつはずっとお前を気にしてたんだ。戻ってからも、俺もだが忙しくて、ブラッドは別の仕事のことで遠出することになって、昨日ここを離れたんだ。だからあいつは、何かあったら知らせて欲しいって俺に頼んで行ったんだよ。金を握らせてな」
 確かに面倒臭いことになっているが、それは自分のせいではなくブラッドが一人で騒いでいるだけではないのかと思う。だが、ルークスは病院を出て一週間以上も一人で移動し続けていた。その間は連絡も、安否を確認する手段もないに等しい。彼のことだ、無理に病院を出たルークスが、どこかで倒れていないか、もう戻ってこないんじゃないのかなどと悪い想像ばかりしていたのだろう。
「あ、あのさ」ルークスは俯いて、顔を逸らす。「一応、礼は言っとくよ。でも、俺は別に……」
 どもるルークスに冷めた目線を向け、その続きをランが代弁した。
「助けてくれと頼んだわけじゃない、だろ」
 ルークスは目を揺らした。図星だった。
「な、何だよ」ジロリとランを睨み。「医者から聞いたぞ。お前ら俺のこと心配で必死になってたらしいじゃないか。ほんとは安心してるんじゃないのか」
「ああ、それもブラッドに巻き込まれただけだ。名誉を守るために言わせてもらうが、お前を病院に連れていくと言い出したのは俺じゃない。残念ながら、俺は反対させてもらった。本来ならあの場所にいることだけでもあまり知られたくなかったしな。そもそも戦争でガキが一人死んだところでさほど問題じゃない。ブラッドが変人でよかったな。あいつも冷たいときは異常に冷たいんだが、まあ、お前があいつに懐いていなければそこまでしなかっただろうが。それも悪運のうちだったのかもな」
「な、懐いてなんかねえよ」ルークスは慌てて反論する。「そんなこと言って、俺を抱えて運んだのはてめえじゃなかったのかよ」
 突然、ランは口を閉ざした。ほとんど同時、ルークスも自分の発言に疑問が湧いた。それは二人に共通していた。ランが少し首を傾げる。
「お前、あの時意識があったのか?」
 完全に気を失っていると思っていた。ルークスもそのつもりだったはず。どうしてそんなことを口走ってしまったのか、考えた。
(……夢か?)ルークスの目の横をひとつの汗が伝った。(そうだった。あれは夢だったんだ。なんて下らないことを言ってしまったんだろう)
 ルークスに恥ずかしさがこみ上げてきた。ルークスは倒れてから完全に意識がなくなる寸前、夢を見たことを思い出した。それは、幼い頃に一緒にいた「父親」代わりであった彼の記憶だった。もう拘ってなどいないつもりだった。なのに、生死の境に立たされたとき脳裏に記憶の断片が映し出されたその中で、彼のことが一番鮮明に描かれていたのだった。
 その理由も分かっていた。自分を抱える大きな腕の感触と温かさが、全身を預けてもいいと思わせた力強さがそうさせていたのだと。そしてそのときに、冷静な部分が無意識に状況を判断しようとしていた。その腕がブラッドのものではないということだった。ブラッドは確かに自分よりは強い力を持っているが、その腕は細く、体型も自分とさほど変わらない。だが抱えた腕は自分より明らかに大きなものだった。そのときはそこまで考えていなかったのだが、今ここで反射的に、自分を抱えたのがランだったと思い込み、そう発言してしまっていたのだ。
 思い出せば出すほど恥ずかしくなる。まるで子供のように甘えてしまった自分が情けなかった。できれば、すべてはただの勘違いであり、自分じゃなかったとランに言って欲しかった。しかし、そのランは「どうして知っているのだろう」と言わんばかりに厳しい目線を送っている。
 どうやら当たっているようだ。聞かれたらどう説明しようかとルークスが迷っていると、ランは気まずそうに目を伏せた。
「やっぱり、放り出しておけばよかったのかもな」
 ランはランで、結局手を貸してしまったことを恥ずかしく思っていた。
「お前、年の割には無駄にデカいからな。しかも意識のない奴は異様に重い。ブラッドの細い腕じゃ体を固定できなくて余計に傷が開きそうだったんだ。ブラッドはお前の血を浴びて取り乱して泣き出すし、あのままじゃせっかく運んでも無駄になるのが見えてた。あまりにもその姿が哀れで、少し同情してしまっただけだったんだがな……」
 勘違いするなと言いたいのだろうが、ルークスにはただの言い訳にしか聞こえなかった。赤ん坊じゃあるまいしと、バカにされやしないかと怯えていたルークスは逆に安心した。いずれにせよ、この話はお互いに続けたくない話題だった。ランから逸らす。
「ところで、怪我は治ったのか」
「……まあ、一応」
 完治どころか抜糸さえ済んでいないのだが、もう心配することもないだろうと思う。
「そうか。ブラッドにそう伝えておく」
「で、ブラッドは?
「仕事の打ち合わせらしい。慎重を要するらしいが、すぐに戻るだろう」
 ルークスは自然に、仕事の内容を尋ねようとしてしまったが、それは答えてくれないし、聞いてもいけないことだと分かった。軽く相槌を打っていると、ランは再び話題を変えてくる。
「それで、お前の管轄は決まったのか」
 ルークスは動きを止めた。そうだ、と思う。考えなければいけないことだった。今は保留にしているが、なぜそうしたのか、それも今分かった。二人に会ってから決めたかったからだ。ブラッドにはすぐには会えないということだが、ランと話せただけでも気持ちが落ち着いてきていることは確かだった。
「まだ決めてない」
「理由は?」
「なんとなく」
「別に無階級のうちはどこでも同じだろう。そんなに深く考える必要はない」
「そうらしいな」
 ランはちらりと壁の時計に目を移し、腰を上げる。
「悪いが、用があるんだ」
「え」
 いきなり? とルークスは慌てて自分も立ち上がった。ランには別れを惜しむような感情など欠片もなかった。彼にとってルークスは山ほどいる部下の、しかも下層の一人に過ぎないのだろう。
 だがルークスにとってはそうではなかった。何かを伝えたかった。できればこれからのことをもっと話したい。違う、話を聞いて、相談に乗って欲しかったのだ。しかしそれはできないと、今は分かる。やはり彼はまだ自分の手の届かない存在なのだと受け入れるしかなかった。
「あ、あのさ」
 ランは声を聞き、時間を惜しむように振り返った。
「俺さ」ルークスも早くしなければと急いだ。「俺、必ずあんたらに追いつく」
 それでも、言いたいことはまとまらなかった。とにかく思いついたことを言葉にした。
「生き抜いて、絶対そこに行く」
 ランは聞き届け、再び踵を返した。そのときルークスには、彼が肩越しに口の端を上げたのが確かに見えた。ルークスの決意はランに届いた。ランは返事をせずに足早に立ち去った。



   




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