MurderousWorld
28-Sacrifice




 ブラッドがルークスのところに押しかけてきたのは、それから十日ほど過ぎてからだった。
 もう昼前の時間だったのだが、その日は休みでゆっくり眠っていたルークスの自宅のベルが鳴った。玄関の前で見舞いの手土産を持ち、笑顔でドアが開くのを待つブラッドを迎えたのは、見知らぬ若い女性だった。
「誰?」
 ブラッドには下着同然に見える露出の高い服と、感じの悪い対応に戸惑いながら冷や汗を流した。
「ル、ルークスは?」
「寝てるわ。て言うか、あんた誰って聞いてるでしょ」
 ブラッドは、女性の横柄な態度にもだが、早速女を連れ込んでいるルークスにムカっ腹が立ってきた。女性はどう見ても彼より年上だ。きっとルークスは年齢を詐称しているに違いない。人がどれだけ心配したかも知らないでと、お仕置きを兼ねた奇行攻撃を開始する。
「ちょ、ちょっと」
 ブラッドは女性を押しのけて家の中に上がり、寝室に乗り込んだ。
「ルークス!」
 荷物を投げ捨てて、ブラッドはルークスの安眠しているベッドに倒れこむ。
「!」
 まだ怪我が残っているのもあるが、そうでなくても大の男にいきなり全体重を掛けられれば大抵は苦痛を伴う。ルークスは悲鳴を上げた。
「心配したんだよ!」ブラッドは布団の上から彼にしがみついた。「君には僕しかいいないだろ。君がそう言ってくれたことをずっと信じて、ずっと君のことだけを考えて、もう心が張り裂けそうだったんだよ!」
 ブラッドはわざと高い声を出しているが、その台詞とは裏腹に、腕や指先に必要以上の力を入れてルークスを締め付ける。ルークスは半泣き状態になり、布団の中でもがいた。
「や、やめ……退けよ、この」
「それなのに……どうして僕以外の、しかも女なんかがここにいるんだよ。酷いよ。僕を騙したの? あのときの言葉は嘘だったの?」
「……バカか、お前は! いいから離せ」
 女性はその様子を寝室の入り口で、真っ青な顔で見つめていた。次第に震え出し、近くにあったパイプ椅子を投げつけてきた。ブラッドが素早く体を起こしてそれを除けると、椅子は見事にルークスに直撃する。ルークスは布団の中で再び悲鳴を上げた。
「……死ね、この、ホモ野郎!」
 女性はそう怒鳴りつけ、自分の着替えなどを乱暴に掴んで大股で出ていった。ブラッドはベッドから降り、悶絶するルークスを見下ろして肩を揺らして笑った。
「大丈夫? ホモ野郎」
 ニヤニヤしながら声をかけると、ルークスは歯を剥きだして体を起こす。衣服は身に着けていたが、顔や袖から見える肌にはいくつか傷跡が残っていた。
「てめえ……いきなり、何なんだよ!」
「だってさ、せっかく見舞いに来たのにあの出迎えはないだろう?」
「そんなこと俺が知るかよ。お前が勝手に来ただけじゃねえか。いい加減にしろよな。お前はいつも自分の都合で人のこと振り回しやがって。大体俺はまだ怪我人なんだ。もっと労われ」
「またまた。女連れ込んでる人が怪我を主張しても説得力ないんじゃないの?」
「クソが」ルークスは舌を打つ。「せっかく都合のいい飯炊き女見つけたのによ。元々は背中の糸を取って欲しくて連れてきただけなんだ。なんで俺がホモ呼ばわりされなきゃいけないんだよ」
 ブラッドは転がったパイプ椅子を起こしてそれに腰掛ける。
「糸って手術の? よく普通の女にそんなこと頼めたね。怖がらなかった?」
「だから敢えて悪趣味な女を選んだんだよ。そしたら、意外と細かいことが好きらしくて、俺の世話しながら居ついてたんだよ」
「へえ。じゃあもう何日も一緒に暮らしてたってこと? もしかして好きだったの?」
「はあ? あんな阿婆擦れ、興味も持たねえよ」
「……あ、そう」
 ブラッドはルークスの器用さに呆れつつ、話題を変える。
「で、怪我の具合は?」
 機嫌の悪くなったルークスは素直に答えなくなかったが、助けられたのは事実である。タバコを咥えて一息ついた。
「だいぶ治った」ジロリとブラッドを睨み。「今のでまた怪我が増えたけどな」
 ブラッドは笑いながら腰を上げ、放った手土産を拾って差し出した。
「繊細そうだけど結構頑丈でよかったよ。はい、差し入れ。危険物じゃないから安心して」
 ルークスは睨んだまま受け取らなかったが、ブラッドは気にせずに彼の足元に置いて座り直した。
「そう言えば、配属が決まったらしいね。もう仕事してるの?」
「ああ。別にどこでもいいって言ったら勝手に決められた。仕事はしてるけど、ほんと、下らない依頼ばっかりで全然面白くないな」
「最初は誰でもそうだよ。仕事をしながらそれぞれのデータを作って得意分野や特性を見極めていくんだ。大変なのはそこからだけど、今の時間も大事にしないと駄目だよ」
「ふうん」
 ルークスはタバコを消してベッドを降りる。隣のキッチンに移動する彼に、ブラッドは話を続けた。
「でも、ラグア司令官が『彼は見込みがある』って言ってた。もう評価されてるなんて凄いことだよ」
 ルークスは冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、テーブルに置いてあった未開封の缶コーヒーをブラッドに投げ渡す。
「ラグア?」
「話したんじゃないの? 僕の管轄の司令官だよ」
 ルークスは聞いたことのある名前の正体を知り、一瞬体が固まった。あの時、電話で話した相手だ。分かっていたところで丁寧な言葉遣いができるわけじゃなかったが、分かって話すのと知らずに話すのでは心構えが違う。ブラッドが伝える「見込みがある」とは、いい意味では捉え難かった。
「そ、そうか」
 ルークスは顔を逸らしながら話を変える。
「あ、ああ、そうだ。医者から金をもらったんだけど」
 ルークスは病院でのやり取りを簡単に説明した。医師から受けた差別に関しては触れずに、受け取った金を今すぐ返すのは無理だということを伝える。ブラッドは思っていたより律儀な彼に驚いたが、それは口に出さずに答えた
「あれは別にいいよ。最初から請求するつもりなかったし。何て言うか、ちょっと訳が分かんなくなったんだよね」
 ルークスの手術や入院にかかる費用は、当然だがその場で見積もりが出るわけでなく、決して少ない金額で済むはずがないことも見て取れた。
 そんな大金をキャッシュで持っているはずもなく、決して不足することがない金額を小切手で渡すことになった。ブラッドが全額持つつもりだったのだが、ルークスは今は誰の部下でもない、これはゼロの被害であり、ゼロの責任者は自分だとランが無理やりサインをしたのだった。
 後日、ブラッドは彼に返すと言ったのだが、ランはランでゼロの損害が大きく、何が何にかかった費用なのか整理できていないことを理由に流されてしまっていた。急を要する事態だったために、ランが書いた金額も教えてもらえなかったブラッドは、とりあえずその時点で渡せるだけの金額を用意したのだが、ランはその中の一部しか、迷惑料と称して受け取ってくれなかった。
「ゼロはやった者だけが損をする行為だからね」ブラッドは肩を竦める。「普通、組織からの仕事にかかる費用は上司が管理してくれるものだから、いざ自分でやろうとしても結構難しいんだ。慣れてないと細かいことまで行き届かなくて。だから今回のことは気にしなくていいよ。残りも、君はまだその金がないと仕事できないだろう? 先輩からの小遣いだと思って、有難く使ってよ」
 自分の知らないところで、思ったより複雑なことになっているとルークスは心が重くなった。だからと言って今この場で全額返せるわけではない。つい頭を下げてしまいそうになったが、それは彼の意地が許さなかった。
「……じゃあ、俺も迷惑料として受け取るかな」
「迷惑料?」ブラッドは白々しく笑いながら。「一体君がどんな迷惑被ったってんだよ。まったく、素直じゃないなあ」
 ブラッドに世話になったことは認めるが、それを台無しにするほどの迷惑もかけられてきた。冗談でも忘れたなんて言わせたくないと、ルークスは再び鋭い目線を突きつける。
「殴るぞ」
 心当たりのあるブラッドは、これ以上茶化すのは危険だと察知して笑顔を引きつらせた。
「いや、ご、ごめん」
 ルークスは不機嫌そうな顔をしてベッドに戻り、再びタバコに火を灯す。数秒、二人の間に目を合わせず、言葉も交わさない静かな時間が流れた。しんとなった室内の空気が柔らかいものであることを感じ、ブラッドは優しい眼差しを彼に向けた。
 まるで兄弟か、長年付き合っている親友のようだと思う。最初は仲良くなれそうにないという印象が強く、そして今でも二人の関係は確立されているわけではない。だが、共に命を削り、一つの困難を乗り越えた先には必ず何かを手に入れることができることをブラッドは知っている。ルークスはまだそこまで実感していないのだろうが、彼もきっとそれに気づくときが来るのだろうと思うと自然と頬が緩んだ。
 そうしていくうちに、人はきっと変わっていく。強くなっていく。彼も例外ではない。そういった意識こそが冒険屋の醍醐味なのだと、ブラッドは思っていた。
 ブラッドの中に突然、深い安堵感が流れ込んできた。
 もう、ルークスは大丈夫。それを心の中で呟くと、今度は寂しさが込み上げてきた。だが悲しいものではなかった。ブラッドはその意味を理解し、腰を上げた。
「じゃあ、僕はもう行くね」
 ルークスはタバコを咥えたまま顔を向ける。
「ん? ああ。仕事か」
「まあね。まだゼロの後始末も全部終わってないし、新しい仕事も入ってきてるしさ。いろいろ忙しいんだ」
「へえ」
 軽く返事をしながらルークスも立ち上がった。顔を上げると、ブラッドは同じ高さにある自分の目をじっと見つめていた。いつものように「気持ち悪い」と一蹴したかったのだが、なぜか言葉が出なかった。
「ランに聞いたよ」ブラッドは声を落として。「いつか、必ず追いつく。そう言ったらしいね」
「――――」
「待ってるから。何があっても、足掻いて、生き延びて、必ずここへおいで」
 ――また、この感覚だ。
 ルークスはデジャブのような幻覚に襲われた。こんなに近くにいるのに、なんて遠い。どれだけ走っても追いつきそうにないようなその距離はあまりにも遠いと感じた。悔しくて、涙が出そうになるほど。だけど、ここで挫けるほど彼の精神力は弱くなかった。精一杯強がり、ブラッドを睨み付ける。
「当たり前だ」
 ブラッドから突きつけられる、その優しい笑顔とは矛盾した気迫を、ルークスは受け止める。ブラッドは少し目を伏せた後、銀の髪を揺らして背を向けた。
「じゃあね」
 それ以上は言葉を交わさずに、ブラッドはそこを後にした。ルークスは何気なく見送り、またそのうち彼から手を欲しがってくるだろうと思いながら一人の休日を過ごした。


 それから五ヶ月ほど、ルークスは地道に仕事をこなす日々を続けていた。
 本来はそういうものなのだろうが、その間はランともブラッドとも接触することはなかった。しかし、姿はなくともすぐ近くにいると思えば気にならなかった。気持ちが落ち着いてきたことを自覚し、だいぶ居心地がよくなり始めた、そう思えるようになった頃だった。


 突然、いつもと変わらず過ぎていた日々は一転した。

 第四管轄の一級者、ブラッドの訃報が組織内に伝わった。彼を知る者も、そうでない者も戸惑わずにはいられなかった。



   




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