MurderousWorld
05-Organization




 三週間ほど経った頃、ブラッドは会議のこと、謎の少年のことなどすっかり忘れているかのように浮かれていた。
 手に大きな麻袋を抱え、組織内の施設のロビーに向かう。そこは暇な者が雑談したり本やテレビを見たりして寛ぐことができる休憩所のような一室だった。
 ブラッドはランを探していた。あまり一つところに留まらない彼に会う確率は低いらしいのだが、部下に尋ねると今日は珍しくロビーにいるのを見かけたと聞き、ブラッドは急いで足を運んできたのだった。
 情報どおり、ランはロビーの片隅で数人の獣人たちとテーブルを囲んでいた。彼を知る者は当然、ランが何者か知らない者も、背中から発せられるもの言わぬ迫力に近寄るのを戸惑う。しかしブラッドはそんなことはまったく気にしない。
「ラン」
 笑顔で迷わずに声をかける。すると、本人だけでなく取り巻きの獣人も同時にブラッドに注目した。顔を向けただけなのだが、常人ならば縮み上がるような強烈な目線である。ランは返事もしないでブラッドを目で追っていたが、ブラッドは物怖じするどころか、取り巻きを押しのけて彼の隣を確保した。
「今日は君にプレゼントがあるんだ」
 やたらテンションが高く、いきなり奇妙なことを言い出され、ランは眉間に皺を寄せた。
「……は?」
「だって、今日は君の誕生日なんだろ?」
 何を突然、と明らかに煙たそうな表情をする。取り巻きたちも互いに目を合わせながら怪訝な顔をしていた。
「何の話だ」
「聞いたんだ。だから、誕生日プレゼントを」
「聞いた? 誰に」
「ギグ」
 その名を出した途端、周囲の空気が固まった。ランがギグを嫌っているのは誰もが知っていることだった。ブラッドも噂は聞いていたが、それに関してはランよりもギグからの「デタラメ」な情報が多く、あまり真実を知らずにいたのだ。しかし、急に重くなった空気に、ブラッドは首を傾げた。
「どうしてお前がギグと話を?」
「あ、ああ。一回無理やり飲みに付き合わされて、そのときは逃げたから改めて挨拶に行ったんだ。そのときに、もうすぐ君の誕生日だって言ってたから……」
 ランは深いため息をついた。
「いいか、ブラッド」
「?」
「ギグには二度と関わるな。そして、俺にその名前を聞かすんじゃない。いいな」
「な、なんで?」
 怒っている。しかしブラッドには理由が分からなかった。ランは分からせてやろうと、ブラッドに人差し指を突きつけた。
「ギグの言うことを信じるなんて、お前は頭がおかしいんじゃないのか? あいつが俺の誕生日だとか知ってるわけがないだろう」
「で、でも、彼は君の父親……」
「黙れ。お前はただからかわれただけだ。何がプレゼントだ。マヌケにも程がある」
「からかわれた? じゃあ、誕生日ってのは嘘?」
「当たり前だ」
「なんでそんなことを」
「舐められてるんだよ。あいつそういう男だ。バカが、まんまと乗せられやがって」
「そんな……」
「あんな奴と付き合ったら死神に取り憑かれるぞ」
 ブラッドはショックを受け、開いた口が塞がらなかった。
 あの日、断りもなくロードから逃げ出してしまったブラッドは、口上とはいえ契約を交わした建前、数日後にもう一度ギグに会いにいったのだ。その日は自腹で飲みに付き合うことで義理を果たすだけのつもりだった。ギグも無理は言わず、帰ると言うと素直に見送ってくれたものだからブラッドは「そんなに悪い人ではなさそうだ」と、すっかり騙されてしまっていたのだった。
 そのことに気づいたブラッドは、自分の不甲斐なさを改めて思い知らされた。魂が抜けたような顔で惚けている彼に、ランは哀れみの目を向けた。
「……よくそんなお人好しで一級が務まるものだな。それじゃそのうちもっと酷い目に遭うぞ」
 それは言われたくない言葉だった。つい最近己れを省みて自信をなくしたばかりだったことを思い出す。誕生日という記念日など、冒険屋のほとんどは知らずに育った者が多い。だがランの父親は健在で、ギグが何かと話題にしていた当たり、仲が悪いと言ってもきっとどこかで繋がっているのだろうと、僅かでも羨ましくさえ思った自分が嫌になる。そのうえ、喜ばせてやりたいと思いながら、勘違いしたままいそいそとプレゼントなど用意していたなんて、ランの言うとおり、マヌケにも程がある。
 それにしても、ギグの下らない悪戯は妙に悪質だと思う。おそらく、あの短い時間でブラッドの性格を見抜いてのことなのだろう。侮れないとはこのことだ。同業者でもなんでもない、ただの居酒屋のオヤジに騙されるなんて情けなくて仕方なかった。
 今にも泣き出しそうなブラッドがさすがに気の毒になったのか、ランは肩の力を抜き、声のトーンを落とした。
「……で、一体何を持ってきたんだ?」
 ブラッドは顔を上げた。ランが情け深いことは知っている。勘違いとはいえ、彼の喜ぶ顔さえ見られれば救われると、笑顔を取り戻した。
「役に立つなら受け取ってもいいぞ」
 ブラッドは「プレゼント」には到底見えない、薄汚れた袋を両手に抱えた。
「役に立つとかじゃないけど、君なら気に入ってくれると思う」
「前置きはいい。結論から頼む」
「花火。僕の手作りだ」
 ランは、この男に少しでも同情したことを後悔した。途端に冷たい表情に戻る。
「普通の花火じゃないぞ。職人にしか作れない巨大なものだ」
「……だから?」
「独学だけど、僕の得意分野を活かしたんだから完璧だよ」
「それが爆弾なら、もらってもいいけどな」
「何言ってるんだ。爆弾ならその辺でいくらでも手に入る。でも打ち上げ花火なんか見たことないだろう? 凄いんだぞ。手間も時間もお金もかかってるんだ。絶対楽しいって」
 ランは頭を抱えて、さきほどより大きなため息をついた。
「……分かった。気持ちだけ受け取る。だから、責任を持って捨ててこい」
「ちょ……一つでいいから見てくれよ。一つ見たらもっと見たくなるって。上げ方にも技術がいるんだ。だから僕がやるから。夜、いつか空いてないか?」
「空いてない」
 いい加減に付き合いきれなくなったランは、軽くブラッドの足を蹴飛ばす。
「痛っ!」
 取り巻きたちも我慢できなくなって笑い出した。
「な、なんだよ」ブラッドは顔を少し赤くして。「もういいよ。もう頼まれたって君には何もあげないからな」
「そうしてくれ」
 ブラッドは袋を抱えたまま背を向けた。すっかり機嫌を損ねてそのまま立ち去ろうとしたが、それをランが足止めする。
「ブラッド」
 呼ばれて、ブラッドは肩越しに振り向いた。ランは少し言葉を選ぶ。
「……お前、どうしてあの仕事を」
 彼は低い声で、はっきりとは言わなかった。だがその重い口調から、ブラッドはランが何を聞きたいのかがすぐに分かる。余計なことを口にしないのは冒険屋の職業病のようなものだった。ブラッドから、先ほどまでの子供のような態度が消えた。
 優しくも残酷な、誰にも理解できない特殊な表情を浮かべる。
「仕事だから」
 それ以上でも以下でもなかった。ランはその曖昧で大雑把な答えに納得できた。彼の口から一度確認しておきたかったことだった。「仕事だからやった」。ということは、ブラッドはすべてを受け入れているということだろう。きっと、どんな見返りがあっても後悔しないのだと思う。ブラッドが自ら決意してやったこと。ならば、彼を救う手段はどこにも、誰にもない。
 それなのに、この体たらく――ブラッドという男の持つ奇妙な二面性だけは、人を見抜く能力に長けたランでも掴むことのできないものだった。決して敵になることはないのだろうが、既に「手遅れ」となっている彼を操る手段は完全に消滅している。
 まだそこにいるのに、目の前で笑っているというのに。ランは無意識に、まるで何かに祈るように瞼を落とした。
 何でもないかのように、ブラッドはその場を後にした。室から出ていく彼を見送りながら、取り巻きの一人が呟く。
「ホント、変わった人ですね」
 ランはその声ではっと顔を上げ、自然を装う。
「……ああ」ブラッドの消えた扉を見つめ。「いや、変わってるんじゃない。普通なんだ」
「そうなんですか?」
「普通なんだよ。だから組織では浮くんだ。あれが、普通だ」
 意味深な言葉だったが、それ以上ブラッドの話題には誰も触れなかった。



   




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