MurderousWorld
04-Encounter




 ブラッドは気分を切り替え、腰を上げる。男は笑いを殺しながら姿を現した。
 薄く注ぐ月明かりに照らされた彼は、嫌悪を抱くほどの「いい男」だった。スラリと背が高く、容姿や髪型だけではなく、目線、仕草、そのすべてが腹立たしいくらいに完璧だった。
 しかし近寄るほど、ブラッドは彼が自分よりもだいぶ年下だということに気づく。おそらくまだ「少年」という言葉が適切であろう十代前半の頃か。なのに、なんだろう、この圧倒されるような迫力は。年のわりには背も高く、体つきも立派なものであり、一見すると二十歳過ぎていると言われれば疑うことなく受け入れてしまうほど出来上がっている。成長期真っ只中であろう年齢でこの体格は、本人の努力があったとしても、元々土台に恵まれていたのだとしか思えない。それだけではなかった。妙に落ち着いた表情や大人びた態度が更に、彼の纏うまやかしを助長している。
 ブラッドが、彼がまだ幼いと勘付かせたものは少年特有の肌理の細かい肌質だった。顔立ちもシャープで可愛らしさなど欠片もないが、さすがに目元や頬の辺りまでは鍛えられておらず、唯一そこだけが年相応に見える純粋な部分だった。
 どれだけの天性に恵まれ、一体どんな育ち方をすればこんな人間ができあがるのだろう。彼に嫉妬心を持たない男はあまりいないだろうと思う。
 まるで、自分とは正反対――ブラッドは、仲良くはなれそうにないと思いながら彼と向き合った。
 少年は足を止め、無残に横たわっているエイダを眺め、次にブラッドと目を合わせた。
「……へえ」皮肉な笑みを浮かべ。「あんた、結構やるんだ」
「…………」
「それとも、このサルが低脳なのかな?」
 ブラッドは、ふと会議での会話を思い出した。屋根の上で見た影は彼のものであることは間違いないだろう。ということは、今組織を騒がしている「風紀を乱す新人」だとしてもおかしくはない。何者なのかは分からないが、聞かずに立ち去るという選択もある。もし彼が組織の者だとしても、エイダという直属の部下を収めた今、これ以上面倒を起こしたくはないと考えた。
 だが、組織の人間としてというより、ブラッドは個人的にこの男が気に入らなかった。それに、罪のないエイダを僅かでも救ってやりたいと思う。
「このサルは」ブラッドは表情を消した。「少なくとも君よりは強いよ」
 少年は再び笑いを零す。
「どうしてそんなことが分かる?」
「エイダには利用価値があるが、君にはないからだ」
 少年は口を閉じたが、まだ嫌な薄笑いのままだった。
「……ふうん。そっか」
 だが、どこか面白くなさそうな様子も伺えた。やはり子供だ。ブラッドは負ける気がしなかった。
「君には興味がないんだ。悪いが、消えてくれないか」
 少年が素直に引くわけがなかった。
「いいけどさ、俺がこのサルに何したか、聞かないの?」
 挑発しているつもりなのか。どうせ、エイダの彼女に手を出したことで自分がどれだけもてるのか自慢したいところだろう。彼が自分に自信を持っているのは、見ていれば分かる。確かに異性関係に関しては、きっとこのサルは当然、自分でも彼には及ばないのだろうと思う。しかしブラッドにはそれ以外での確固たる自信がある。そんな下らないものに屈するつもりはない。
 ブラッドは少し瞼を落とした。
「……花屋のフィア」そして、微笑む。「思い出した。前にエイダに相談されたことがあったんだ。身寄りのない貧しい女性。エイダは彼女に一目ぼれしたが、彼女は世話になっている人への恩返しをするためにと仕事に夢中。それにエイダはこの通り、決して格好のいい男じゃない。その上、冒険屋として人を殺したこともある。環境も性格も違い過ぎる相手に、せめて思いを伝えたい。そしてできることなら、金を稼ぐしか脳がない自分だからこそ、彼女の家計を助ける手段があればと、エイダは真剣に悩んでいた」
 少年から、完全に笑みが消えていった。
「エイダは不細工だし、不器用だ。僕は変な女に騙されていないか心配になって、彼女の様子を見に行ったことがあった。心配は無用だった。フィアは純粋で明るくて、誰からも愛される可愛らしい女性だった。むしろ、あれではエイダなど相手にされるわけがないとも思ったが、エイダはどれだけ場違いでも勇気を出して彼女に声をかけた。フィアは、見た目だけで人を差別するような女性ではなかった。それからエイダは周囲に不審がられながらも熱心に店に通い続け、最近やっと仲良くなれた、そんな矢先だった」
 ブラッドは、目を細めて少年を見据える。
「振られたのは、君だろう?」
 明らかに、少年の表情が険しいものになった。ブラッドはその気迫を押し返す。
「僕が知る彼女は、どれだけの美形にどれだけキザな言葉を囁かれても、その心の歪みを見透かすことのできる聡明な女性だ。君は、残念ながらエイダ以下の男。まあ、君がフィアに言い寄ってたところをたまたまエイダに見られて、単純なエイダは話も聞かずに逆上したってところかな。ただ、それだけのこと。違うか?」
 図星のようだ。本当は、半分はハッタリだったのだが、ブラッドは当たってよかったと心の中で胸を撫で下ろした。それに、この真実を後でエイダに話してやれば納得してくれるだろうと思う。なんとか丸く収まりそうだと、ブラッドはやっと機嫌を治した。
 しかしその代わりに、プライドを傷つけられた少年の胸中は悔しさで満ちていた。血気盛んで棘だらけの少年は、言葉だけで大人しく引き下がれるほど寛容な心を持ち合わせていなかった。
「あんた、名前は?」
 少年はブラッドに興味を示した。驚くべきは、自分の何倍もある獣人を簡単に退けた実力だけではない。彼の中にある人を動かす見えない天賦の、あるいは、壮絶な努力の末に身につけた能力を、僅かながら感じ取っていたのだ。それは少年の生まれ持った鋭い勘がそうさせていたことである。少年は、若い、つまり経験が少ないということ以外に弱点はなかった。ブラッドも、あまり舐めてかかると逆に噛み付かれそうだと、安易に警戒を解くべきではないことを悟っていた。
「悪いけど、僕にはそんなに敵意剥き出しの相手に自己紹介する度胸はないんだ」
 ブラッドは決して緊張を表に出さず、軽く躱す。
 そして少年は、意外にもあっさりとそれを受け入れた。
「そっか。じゃあいいよ」再び、笑い。「そのうち分かりそうだし」
 その言葉で、やはり少年が組織の人間だということが読める。きっと、エイダがデスナイトの者であることを知っているのだろう。一連のやり取りを見ていれば、ブラッドがその上司であることはおのずと分かるはず。つまり少年は組織という繋がりを確保したことで、ブラッドを探る手段はいくらでもあると考えたのだと思う。
 何をするつもりなのかは分からないが、組織が絡めば自分にたどり着くのは余計に困難なはずである。偶然に出会うこともあるかもしれないが、もし彼が自分の素性を知ったときに何を思うかは、ある意味見ものである。彼のことだから、立場や地位などで途端に態度を変えてくるとは思えないが、何かしら思うことくらいはあるだろう。
 そんなことを考えていると、少年は一歩下がり、光の当たらない位置に移動した。再び影だけとなった彼の、ブルーグレーの鋭い瞳だけが光を灯す。
「あんたとはまたいずれ会いそうな気がする。そのサルはもうどうでもいい。早く手当てでもしてやるといい」
 そんなこと、生意気な子供に指示されるいわれはない。どこまでも腹立たしいガキだと苛立つが、これ以上彼と口喧嘩しても仕方ない。このまま去ってくれるならそれでいいと、何も言い返さなかった。
「俺の名前、まだ決まってないんだ」少年はブラッドに背を向けながら。「名乗れるようになったら、挨拶に行くよ。そのときに改めて相手してくれな」
 皮肉を込めてそういい残し、少年は闇の中に姿を消した。
 それを見送り、ブラッドはなんとか大事にならずに済んだと緊張を解いた。
(……あれがグラスの言ってた問題児か。確かに、問題だな)
 態度や醸し出す雰囲気からして、それなりの実力はあるのだと思う。だが、やはりまだ若い。あれでは使いものにならない。このままでは司令官が動くのは確実だろう。そのときに自分に役が回ってこないように、明日にでも何か仕事を入れておこうかなどと考え、ブラッドは埃臭い室内を眺めた。
 とりあえず、今日はもう休みたい。しかしその前にエイダを何とかしなければいけないことを思い出すが、この図体を抱えていく元気はなかった。暇そうな獣人を適当に呼び出して運んでもらおうと、無責任にその場から立ち去った。



   




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