MurderousWorld
03-Shade




 ブラッドはエイダを追い、廃墟となっている倉庫に入った。中では彼が大声を上げている。周囲に人の気配はなかったため、ここならとブラッドはエイダに近づいた。
 先ほど見えた人影が、きっとエイダの憤怒の原因だろう。彼もそこにいるのだろうか。
「エイダ」
 ブラッドは、逆上している彼に襲い掛かられないようにはっきりと名を呼んだ。エイダは素早く反応し、ゆっくりと寄ってくるブラッドの匂いを探った。
「誰だ!」
 狙っている敵とは違うことは判別できているようだ。
「僕だよ。一体、何をしている」
 エイダは目を顰めた。倉庫の中にある明かりは、剥がれた屋根から注ぐ月の光だけだった。ブラッドがそれに照らされる位置にくると、縮めていた背を伸ばした。
「……ブラッド?」
「そうだ」少し離れた位置で足を止め。「何があったのか、説明しろ」
 エイダは喉を鳴らす。自分の上司だと分かっても、頭に上った血は簡単には下がらない。
「邪魔しに来たんなら帰れ。俺は、あいつを殺さないと気が済まないんだ」
 ブラッドは呆れたように肩を落とした。
「邪魔かどうかは、話しを聞かないと分からないだろ。あいつって誰なんだ。何をされた?」
「誰だか知らねえよ。あの野郎、フィアに……」
 ブラッドは眉を寄せた。
「フィア?」
「俺の女だよ!」
 それだけでブラッドは大体を読み、頭を抱えた。おおかた、恋人か好きな女性を誰かに取られたのだろう。珍しいことではない。しかし、エイダはそれほど女癖が悪くはなかったはず。真剣だったとしたら、怒りは当然だと思う。
「……とにかく、冷静になるんだ。人前で暴れるなんて、冒険屋失格だぞ。あれじゃどんな理由があってもお前に罰が与えられることになる。そうなったらもっと悔しい思いをすることになるんだ」
「知るか」エイダは聞く耳を持たなかった。「殺されたって構わねえよ。その前に、何がなんでも俺はあいつを殺してやるんだ」
 はあ、とブラッドは息を吐いた。どうすればエイダを止めることができるのだろう。そう言えば、追ってきたはずの人影はどこへ行ったのか。そいつが出てきて大人しくエイダの怒りの鉄拳を受けてくれればそれで済みそうなものだと思う。それに、エイダの腕力は普通ではないが、自分がこの場にいる限り無駄な殺しはさせないでいられる。
 ブラッドが悩んでいると、エイダは腹の底からの雄叫びを上げた。
「ちくしょう、出て来い!」
 まるで爆音だった。ブラッドは、割れたガラスが振動するほどのそれに耳を塞ぐ。
 捜している男はここにはいないのか、それともどこかで傍観しているのかは分からないが、このままでは埒が明かない。今は命令を下してでも強制的に連れていったほうがよさそうだと思う。
「エイダ。今日は帰るんだ。落ち着いてから探せばいい」
「はあ?」
「はあ、じゃない。命令だ。帰れ。僕の言うことが聞けないのか」
 命令だと言われたら、エイダは従うしかなかった。しかしこのままでは腹の虫が収まらない。自分より幾周りか小さい上司、ブラッドを大きな目で睨み付けた。
「……じゃあ、その代わり、あんたを殴らせてくれよ」
「は……?」
「この鬱憤を晴らさせてもらえればあのクソ野郎のことは、明日に回してもいい」
「な、なんで僕が……僕は関係ないだろう」
「関係ないなら口出しするな。だがどうしてもって言うんなら、それなりの責任を負ってもらおうじゃないか。それが上司だろう?」
 ブラッドは言葉を失った。確かに、エイダの言うことも間違ってはいない。しかし、なぜたまたまそこに居ただけの自分が痛い目に遭わなくてはいけないのかと、納得ができるわけがなかった。
 殴られるか、この猿人を野放しにして後でお咎めを受けるか。ブラッドは脳内で天秤にかける。
 答えは、どっちも願い下げだった。だがそうはいかない。上司として命令をするのであれば、上司として彼の尻拭いをする必要がある。やはり、何も知らない振りをして関わらなければよかったと、自分の行動を後悔した。
 ブラッドは考えた末、この究極の選択の中で自分の威厳を守れる方法は一つだと答えを出した。それは上司として、デスナイトの一級冒険屋として、部下のエイダを手中で収めること。そうなると、彼に殴られていうことを聞かせるのが一番様になるのだと思う。
 組織とは面倒で、厄介なものだと思い知らされる瞬間だった。ブラッドは覚悟を決める。
「……分かったよ」
 弱々しく答えるブラッドに、エイダは暗い倉庫で目を細めた。
「僕を殴れ。だから今は冷静になってくれないか」
 エイダは脱力するブラッドに笑みを見せた。
「へえ。さすがだな。任意で上司を殴れるなんて滅多にない機会だ。手加減は必要か?」
「いいや、どうせなら思いっきり、どうぞ。その代わり、二度と街中で暴れたりするんじゃない。いいな」
「……了解」
 エイダは拳を握りながら、舌なめずりする。獣人とはどうしてこうも血の気が多いのかと、ブラッドは泣きたい気持ちを抑えた。
「じゃ、失礼します、っと」
 エイダは嬉しそうに腕を振り上げる。本当に手加減するつもりはなさそうだ。ブラッドの体中に、寒気が走った。拳の大きさ、腕の振り加減、そしてエイダという即戦力のすべてを把握しているブラッドだからこそ、命の危険を素早く察知してしまった。
 斧で石を砕いたような音が響いた。
 エイダの拳が、地面にめり込んでいる。そのすぐ隣で、ブラッドは青ざめた顔で肩を縮めていた。
 エイダは姿勢を正しながら、ブラッドを睨み付ける。
「逃げるなよ」
 間一髪で躱してしまったブラッドは、「逃げて当然だ」と言葉を飲んだ。
「今度逃げたら」エイダは容赦なく次の拳を向ける。「言うこと聞かねえぞ」
 どうしても除けずにはいられなかった。顔を傾けたブラッドの肩の上を、大砲のような腕が通過した。そして、条件反射でその腕に自分の細いそれを素早く絡めてしまった。
 ブラッドは普通にしていれば軟弱に見えるが、衣服の下は引き締まった、鍛えられた筋肉で覆われており、研ぎ澄まされた神経は「敵」の急所を確実に仕留める。伸ばしたエイダの腕が固定され、ブラッドは凶暴な指先を彼の筋の隙間に埋め込んだ。今度は、エイダに悪寒が走った。腕が、押しても引いても動かない。
「ちょ……なんのつもりだ」
 なぜ離さない。間近にあるブラッドの引きつった笑顔に迫力などなかったが、更に食い込んでいく爪の動きは、大人しく殴られる者のそれではなかった。エイダは、もしも、と思う。ブラッドが反撃するつもりでいるとしたら、確実に勝てない。そうでなければ自分の上に立っているわけがないのだし、理屈以前に、エイダはブラッドという男の「本当」の恐ろしさを知っている。ただ一発、殴らせてくれるだけだったはず。そうでないなら、いますぐこの場から逃げたい。
 しかし、もう遅かった。
「ごめん」ブラッドは笑顔のまま。「やっぱ……無理」
 腕を固定されて前屈みになっているエイダの腹に膝を叩きいれた。
「!」
 体勢を崩したエイダは、抵抗する間もないうちに掴まれた腕を引かれた。かと思うと、すぐに離さて体を支えるものを失い、エイダは傾く。
 それと同時、ブラッドは上げたままだった片足を、続けて今度は蹴り上げた。エイダの巨体が、一瞬宙に浮いた。鞭のようにしなるブラッドの足で上半身を叩かれ、エイダは仰向けになって派手に地面に崩れ落ちた。砂埃が舞い、受身も取れずに倒れたエイダは気を失ってしまう。
 ブラッドは気まずそうな顔で彼に怪我がないかを確認し、再び「ごめん」と呟いた。打ち身、捻挫のようなものは避けられないだろうが、後遺症が残るほどの傷はないようである。そのつもりでやったとは言え、また恨まれると思うと先が思いやられる。
 だけどあんな野太い腕で殴られるのもお断りだし、こうでもしないとエイダが大人しくなってくれそうにもなく、よかったのか悪かったのか、後で反省する必要がある。
 そもそも、慣れないシスレ街に立ち寄ってしまった自分もいけなかったのかもしれない。いや、それ以前に用もないのに呼び出したギグが一番悪いんだと、そこまで記憶を巻き戻してでも何かに責任転嫁してしまいたくなっていた。しかしこればかりは、組織とは関係ない彼に押し付けるのは無理がある。
 もしも他の一級者だったらどうしただろうと考える。自分なりに想像すると、気分は更に落ち込んでいった。彼らならきっと一睨みで黙らせられたのだろうと思えるからだ。やはり、自分が上司としての貫禄だとか迫力だとかが欠けていることに問題があるとしか考えられない。
 今更そんなことをいわれたとしても、この外見は生まれつきでどうしようもないんだと、ブラッドは心の中で自問自答しながら一人で気を悪くしていった。
 倒れたエイダの隣で膝を抱えていると、倉庫の隅から人の笑い声が聞こえた。
 ブラッドは素早く顔を上げ、暗闇に潜む「彼」に目を凝らした。



   




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