MurderousWorld
02-Street




「夜はこれから」という言葉が似合う時間帯。今日もロードは騒がしく、外は肌寒いが店内は人口密度と酔いの熱気で蒸し暑い。
 店長である銀狼の獣人ギグは珍しく早めに店に顔を出していた。そしていつもはまともな仕事をせずに、盛り上がっている客人のテーブルに紛れ込むものだが、これも珍しく、カウンターの中で行儀よくビールを嗜んでいる。
 その相手をしている人物がまた珍しい客だった。冒険屋のたまり場となっているロードは、一般人からは見た目だけで避けたくなるような風貌の者が多い。女性や小柄な男性客というのも少ないわけではないが、やはりほとんどが冒険屋を生業としている者ばかりで、態度が大きかったり腰に武器を下げていたりとどこか威圧感を与える。そんな中で、ギグに呼び出された彼は、どちらかというと人に好かれやすい印象のある好青年だった。

「用がないなら帰るよ」
 甘いカクテルを片手に、不機嫌そうにぼやくその言葉使いも柔らかいものだった。
「用がないと酒も飲めないのか。冷たい奴だ」
 迷惑そうな彼に構わず、ギグは足元から新しいビールを取り出す。
「あなたと僕は友達でも何でもない」
「じゃあこれから友達になろうじゃないか」
「僕にも選ぶ権利がある」
 ギグの一方的な我侭はいつものことだった。店内のライトが当たると薄く光る長めの銀髪が、元々童顔な彼を更に若く見せる。子供の頃は女みたいだと言われるのが嫌でわざと雑に短くしたがっていた。小柄な自分が嫌いだった彼は、服装もサイズの合わない大きめのものばかりを好んでいたが、それが不恰好だと余計に笑われたものである。
 今は違う。コンプレックスだらけだった少年ブラッドは立派な大人になり、今でも決してたくましくは見えないが、その外見を利用することで彼は大きな力を手に入れることに成功した。だが、それを知る者はあまり多くはなかった。

「大体、僕はここに登録もしてないし、紹介屋の世話になったこともない。あなたの噂は知っているが、僕個人はあなたには何の恩義もないんだ」
「俺だってお前を世話した覚えはないさ。何も取り込もうなんて思ってない。楽しく飲みたいだけだ」
「僕は楽しくない」そう言いつつ、カクテルを口に運ぶ。「あなたは僕の特性を知っているはずだ。できるだけ外に同業者の知り合いを作りたくないことも。その上でここに無理やり呼び出すのは嫌がらせの以外でもなんでもないじゃないか」
「そんなに神経質になるなよ」笑いながらブラッドの頭を押さえつける。「殺気の欠片もないオカマみたいな野郎なんか、誰の視界にも入りはしないよ」
 大柄のギグはまるでブラッドを子供のように扱う。確かに獣人からすればブラッドは小さく見えるかもしれないが、人間の成人男性の標準は満たしているのだ。彼は更に機嫌を損ねながら、カクテルのグラスをぐっと開ける。ギグは空になったそれを素早く取り上げ、近くにいた店員に勝手に追加注文する。まだ帰してもらえそうにないことを読み取り、ブラッドはため息をついた。
「で、一体何を聞きたいんだ? あなたの息子のことなら、いつも言ってるけど知らないよ」
「ああ、あの薄情者はもういいよ」僅かに目を細め。「あいつはお前を知ってるみたいだけどな」
 鎌を掛けられている気がしたが、ブラッドは表情を変えなかった。ギグが組織の内情をどこまで知っているか分からないが、ヘタに言い訳するよりも白を切れば済むことだろうと素知らぬ顔をする。
「管轄が違うからね、たまに見かけるけど関わることがないんだ。ま、同じだったら今頃僕は彼に潰されてるんだろうけど」
「へえ、うちの息子はそんなに偉くなったのか」
「偉いかどうかは知らないけど、彼は特別だ。そのうち組織のトップにさえ抜擢されるかもしれないね」
「褒めてくれるのは嬉しいが、それはないな」ギグは少し声を落とした。「気の毒だがあいつは、そんなに暇じゃない」
 ブラッドにはギグの言葉の意味は理解できなかった。だが、それ以上彼の息子の事情を探るつもりはない。新しいカクテルを運んできた店員に優しく微笑んでその話を終わりにする。
「で、そういうあなたはいつになったら忙しくなる?」
「特に予定はないな。周りが有能だからなかなか俺に仕事が回ってこないんだ」
「それは残念な情報だ」ブラッドは僅かだが、やっと笑った。「帰してもらえないなら、あなたの飲み相手として雇ってもらうというのはどうだろう。報酬は酒代で。どうだ?」
「自分が酒を飲むのに金を取るってのか。どんなご身分だよ」
「あなたが一緒に飲みたいのは『この場があまり好きじゃない冒険屋』としての僕とだろう? だったらそれなりの扱いをしてもらいたい。仲良く飲めるのは、僕が自らここに出向いたときだ」
 ブラッドは真っ直ぐにギグを見つめた。ギグの性悪さは知っている。ブラッドが被害に合ったことはまだないが、いつどこから牙を剥いてくるか分からない以上、警戒心だけは解かないように気をつけていた。
 ギグも、やはり一筋縄ではいかないと、見た目とは裏腹な青年の穏やかな瞳を見つめ返した。その奥に秘める凶暴さは、自分の中にあるものと似ていた。隙はない――今は、まだ。ギグは観念して目を伏せた。
「分かったよ。お前を雇おう。好きなだけ飲め」
 ブラッドは微笑んだまま眉尻を下げた。
「帰してくれるという選択肢は?」
「俺の中にはない」
 そこまで迷いなく言い切られると、ブラッドも腹を括るしかなかった。酒に強いわけではないが、今まで記憶をなくしたことはない。潰れるまで飲むほど好きでもないからだ。
「交渉成立。ということで、付き合うよ」
 乗せられない自信があった。
 しかし、この男の本当の恐ろしさを、ブラッドはまだ知らなかった。ギグは口がうまいわけでも、特別に人を操る才能に抜きん出ているわけでもない。なのに、なぜか彼の周りでは彼の思うようにことが進んでいくことが多かったのだ。
 それを人は「強運」と呼んだ。被害に遭った者は「ギグは死神に護られている」とまで噂する。
 運命の流れは自然に訪れる。ゆえに、一度や二度でギグの特性に気づくことが出来る者は少なかった。いくらブラッドでも、見えないものにまで警戒できるほどの経験は積んでいない。きっとこれから先も、そんな特異な知識を得る機会はないのだと思う。
 運命には逆らえない、とでも言うのだろうか。それほど甚大な被害ではなかったとしても、不要な苦労は被らずにいたいところだ。
 ブラッドにとっては、こうしてギグと飲むことさえ神経を遣う、避けて通りたいことの一つでもあった。


*****



 他愛のない会話が続き、結局思ったより飲まされてしまったブラッドだったが、意識も足腰もしっかりしていた。時間を確認すると、もうすぐ日付が変わろうとしているところだった。
 明日、特に予定があるわけではなかった。本当はまだまだとギグに煽られていたのだが、これ以上は向こうのペースに乗せられてしまうと思い、彼が席を外した隙に人ごみに紛れて逃げ出してきたのだった。後が怖くないと言えば嘘になるが、また暇があったときに付き合ってやるつもりでいれば問題ないだろうと思う。
 酔いの覚めやらぬヴァレルを抜け、ブラッドはシスレ街に向かった。ここも、ヴァレルとは違う雰囲気で盛り上がっている。昼間は暇な若者のたまり場のようであるが、夜になれば年齢層も上がり、柄の悪い者の姿も珍しくはない。ブラッドの自宅はここからだと近くはないが、夜の繁華街の空気というのも久しぶりだと思い、ついでに少し赤く染まった顔を冷やしていこうと歩いていくことにした。
 この場所、この時間は自己主張の強い者が多い。注意深く眺めていると、そこにはそれぞれのドラマのようなものを垣間見ることができる。だが、他人からすると凄く下らないものがほとんどである。それでも本人たちは死ぬか殺すかの勢いで争っていることもある。正直なところ失笑を誘う程度のできことだが、直接関わらないで観察していれば、ちょっとしたB級映画でも観ている気分になる。
 今日も例外ではなく、ブラッドは足を止めないように、あちこちに散らばる小さなドラマを覗き見していた。
 そうしている中で、ネオンと着飾った人々が入り混じる大通りの先から、それらを掻き分けて暴れている者を見つけた。その勢いはただ事ではなさそうで、誰もが道の隅に寄り始めた。流れに乗り、街頭の下に移動するブラッドにも騒ぎの姿が見えた。その途端、彼の表情が引きつった。
 大声を出して暴れていたのは、ブラッドの管理する二級者、エイダだったのだ。彼は猿の獣人だが、少々人間寄りで顔面や手のひら、足の裏など毛に覆われていない部分がある。しかし体のパーツのひとつひとつがやたらと大きく、サルというよりもゴリラのようで、見た目はほとんど野獣だった。冷静なときは頭の回転も悪くなく、記憶力は抜群だった。だが一度切れると誰の手にも負えなくなるほど凶暴化してしまう。それを止められる者は少なく、酷いときは一級者はおろか、司令官の言うことさえ聞かないときがある。その度に組織の地下牢に閉じ込められてきた。
 ブラッドは少し二の足を踏んだ。自分の知り合いでなければ無視しているところだが、このままでは一般人にも被害が出兼ねない。偶然居合わせたとはいえ、問題が起きた後は自分に責任が回ってくる。ここで止めておいたほうがいいかもしれないと考えた。
(とりあえず、怒っている原因を探るのと、人の少ないところに連れ出す必要があるな)
 宥めて済むならと思うが、今までそれで済んだ試しはない。こんなところで冒険屋が揉め事を起こせば一般人から非難を受け、組織に迷惑がかかる。それだけは避けなければいけない。
(……こんなに大勢の前で、知り合いと思われたくないな)ブラッドはため息をつく。(どうやってこの場を移動させるか……)
 考えながら、人に紛れてエイダに近づく。これ以上寄れば見つかるというところで足を止め、吠えるように喚いている彼の様子を伺った。しかし、一体何を言っているのか理解できそうにない。エイダは怯える通行人を掻き分け、ゴミバコなどを地面に投げつけ始めた。
(このままだと警察を呼ばれる。とにかく……)
 ブラッドが、諦めてエイダの前に出ようとしたとき、エイダは突如空を仰いで目の色を変えた。
「?」
 ブラッドも彼と同じ方向に目線を上げる。そこに、不自然なものを見た。
 雑居ビルの上に、人影があった。何が不自然かと言うと、そこは屋上ではなく三角屋根だったのだ。しかもその影はエイダに向かって手を振り、彼が応えるように駆け出すと、からかうように足場の悪いそこで宙返りをして見せたのだ。普通の人間の動きではない。同業者だと、ブラッドは気づく。
 エイダが宙に向かって吠えていると、周囲の人々も釣られて顔を上げていたが、そのときには既に屋根の人影は消えていた。騒然とする街中を横目に、ブラッドは音もなくエイダの後を追う。エイダを誘導する手間は省けたが、ここからが大仕事だと思い、ブラッドはシスレ街を後にした。



   




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