09




 訓練場の人ごみの中から、那智が顔を出した。
 武神が抜き打ちで来ていると聞いて、才戯が絶対ここにいると思って急いで来ていたのだった。
 まだ自分は才戯の付き人だ。何かあれば両親に報告する義務がある。危険なことに巻き込まれていないかだけでも確認しなければならない。というのを理由に、結局追ってきてしまっていた。
 熱気に包まれる喧噪の中で、那智はこそこそと才戯を探していた。


 珠烙は廊下の先に、窓に張り付いている才戯を見つけた。
 才戯は試合に夢中で、足音を忍ばせて彼に近づく珠烙の気配にまったく気づかない。
 珠烙は才戯の背後に立ち、にっと笑ったあと、いきなり才戯の横腹を蹴っ飛ばした。才戯は悲鳴を上げて廊下を転がる。
「だ、誰だ!」
 涙目で体を起こして怒鳴る。が、そこにいたのはか弱そうな少女だけだった。
「あら、どうしたの?」
 珠烙は女の声で、心配そうに才戯に駆け寄った。
「転んだの? 大丈夫? 怪我してない?」
 優しく才戯を抱き起し、慰めるように頭をなでる。才戯は周囲を見回しながら混乱していた。
「け、蹴られたんだよ」
「え? 誰に?」珠烙も辺りを見回す。「誰もいないわよ」
「お前だろ?」
「ええっ! どうしてそんなこと言うの?」
「だって、お前しかいないじゃないか」
「ひどい濡れ衣……」珠烙は目を潤ませ、胸に両手をあてる。「私がそんなことするように見えるの?」
 才戯は自分に自信がなくなる。少し考えて、答えた。
「……見えない」
 珠烙は「でしょう?」と微笑み、さっさと話を変えた。
「ところで、君、名前は?」
 腑に落ちない才戯だったが、やっぱりどこを見ても誰もいない。目の前の美少女以外。
「……才戯」
 その名には聞き覚えがあった。訓練場で暴れる悪ガキとして、たまに話題になる。珠烙は僅かに目を細め「ああ」と呟いた。
「ここで何をしていたの?」
「試合を見てたんだよ」
「どうしてこんなこころで? 下のほうが近くで見れるでしょう」
「そうだけど……」
 すぐに答えない才戯に、珠烙はやっぱり別の目的があるのだと悟った。腰を折り膝に手をあて、俯く才戯に顔を寄せる。
「何か悩みがあるなら聞かせて。ここなら誰もいないし、私なら力になれるかも」
「……何なんだよ。大体、お前は誰だよ」
「ああ、言い忘れてたわ。ごめんなさい。私は珠烙――」
 珠烙は才戯の目の奥を見つめ、彼が何を知りたいかを悟る。
「――鎖真様の妹よ」
「えっ! 本当か?」
「ええ。今日は一緒に連れてきてもらったの。これで信用してもらえるかしら?」
「じゃ、じゃあさ、鎖真に会って話がしたいんだ。試合が終わってからでもいいから」
「どうして?」
「相談したいことがあって……」
「私じゃだめ?」
 珠烙は小首を傾げ、さらに顔を寄せて、安心させるように再度頭を撫でた。
 子供とはいえ所詮は男。珠烙が「簡単」だと思う一方で、才戯は「彼女」に違和感を抱いていた。
「じゃあさ」才戯は懐から折鶴を取り出す。「これ、何かわかるか?」
 珠烙は体を離し、折鶴を手に取った。微かだがあの匂いが漂い、一瞬、眉を寄せた。
「これ……灯華仙の香?」
「え? 今、なんて?」
「灯華仙の香でしょう? 誰にもらったの? なんでこんなものを持っているの?」
「灯華仙? それ、どこにあるんだ?」
「どうして?」
「これを作った奴は、誰かわかるか?」
 互いに質問だらけで珠烙は苛ついていた。早く話せと思いながらも、辛抱した。
「知らないわ。折鶴なんて誰でも折れるし。君はどこでこれを手に入れたの」
「灯華仙ってところに、俺と同じくらいの子供がいるだろ? 女だ。知らないか?」
「それだけじゃ分からないわ。子供なんかいくらでもいるでしょう。名前は?」
 才戯は前に鎖真に聞いた名前を言いたかったが、思い出したくても忘れてしまった。だから聞きたかったのだ。混乱しつつ、分かることを伝えた。
「えーと、たしか、『みか』って言ってた」
「みか?」
「本人じゃない。そいつが近くにいた奴をそう呼んでたんだ」
「みか、灯華仙……みか、実珂?」
 珠烙は知らないと思ったが、実珂という付き人がいる少女なら知っている。
「樹燐?」
 才戯は目を見開いた。
「それ!」
「樹燐にもらったって? 嘘ばっかり」
「本当だ。なんで嘘だと思うんだよ」
「だって、その子は一度も外に出てことがなくて、誰にも会わせてもらえないんだもの」
 やっぱり。あれが「樹燐」だ。才戯は気持ちが高揚していた。
「本当に会ったんだ。道に迷って、偶然そこにたどり着いた。俺は怪我してたけど助けられないって、そいつは言った。その代わり、この鶴を俺にくれたんだ」
 珠烙は信じられなかった。しかし彼が嘘をついているようには見えない。
 この話が本当なら、大変なことだと思う。あれだけ蒼雫がひた隠している娘に、誰にも知られることなく顔を合わせ、会話までしているなんて。
 面白い。
 珠烙は微笑した。
「その子に会いたいの?」
 才戯は迷わず、頷く。
「好きになっちゃったんだ」
 からかうように言われ、今度はすぐに返事をしなかった。
「どういう意味だよ」
「会いたいっていうことは、そういうこと――あなたたちの出会いは、運命だったのよ」
「運命?」
「そうよ」珠烙は才戯の呆けた顔に人差し指を向けた。「あなたと樹燐は、前世で恋人だったの」
「恋人……?」
 珠烙の思いつきの「口から出まかせ」に、才戯は真剣に聞きいった。
「わけあって結ばれなかった二人は、来世では必ず幸せになろうと約束して死んだのよ。そしてその約束を果たすため、あなたたちは出会ったの」
 珠烙は芝居がかった大袈裟な仕草で続ける。
「偶然なんかじゃないわ。あなたが怪我をして道に迷ったことも、彼女が幽閉されていることも、全部運命だったのよ」
 才戯は一度目線を上げたあと、珠烙に向き直った。
「じゃあ、俺たちが同じ日に生まれたことも?」
 そういえばそうだったと、珠烙は思い出す。釈迦と同じ日に生まれたというだけで、蒼雫と永霞がくだらない見栄の張り合いをしていることも、思い出した。
「そうよ。だからあなたは樹燐に一目ぼれしたの。素敵だわ。きっと彼女も同じ気持ちよ」
 神妙な顔つきになっている才戯に、珠烙はあと一押しだと企んだ。
「ねえ、どんな子だった? 可愛かった?」
 才戯は戸惑いながら、「うん、まあ」と曖昧に答える。
「そうなの……そうよね。鬼子母神の女性は美人ばかりだもの。その子は特別に可愛いんだと思うわ。なんだか妬けちゃう」
 すねるような表情を浮かべたあと、すぐに才戯に寄り、自分の顔を指さす。
「私とどっちが可愛い?」
 悪ふざけをする珠烙に、才戯は汗を流した。
 何かがおかしい。
 確かに珠烙は、誰が見ても可愛い。わざとらしいほどの媚びる仕草も許せるほど。
 しかし、何かがおかしい。それが何かは、才戯には説明できない。
 考えるのが苦手な才戯は、「ねえ」と催促する珠烙に、前触れもなく両手を伸ばす。
「!」
 才戯は珠烙の胸に両手をあて、服の下にある硬い「胸板」を掴んでいた。
 途端に、珠烙の顔が鬼と化す。
「……何してんだよ、このクソガキ!」
 珠烙は怒声を上げて才戯をまた蹴飛ばした。
 才戯は後方に転がったあと、すぐに顔を上げて大声を出した。
「お、お前、男だな!」服以外男に戻った珠烙を指さし。「それに、さっき蹴ったのも、やっぱりお前じゃないか!」
 珠烙は舌打ちし、才戯を睨んだ。
「なんで気づいた?」
「お前が頭を撫でたとき、腕が、見た目の割に、なんとなく重かったんだよ。それに、胸がなかったから……」
 珠烙はため息をつき、才戯の前に屈みこんだ。
「バカが。女でも胸がない奴もいるんだ。それだけで疑うのは万死に値する。忠告しとくが、二度とこの手は使うな。ろくな死に方しねえぞ」
 珠烙は腰を上げ、面白くない様子で髪をかきあげながら窓の外に目線を投げた。
「あーあ、正体もバレたし、もう戻るか」
「え……待ってくれよ」
「なんだよ、まだ用があるのか」
「折鶴……」
 珠烙は手に持ったままだった折鶴に気づき、「ほら」と才戯に投げて返した。
「協力してくれるんじゃなかったのか」
「協力? ああ、樹燐に会うためにか」
「そうだ」
「そんな約束はしてないだろ」
 才戯は裏切られたようで、奥歯を噛んだ。
(なんだよこいつ……)
 怒りがこみ上げ、殴りたい衝動に駆られる。勝つつもりはない。体を触ったときに分かった。彼は鎖真の妹でもなんでもなく、あの舞台上にいた武神の中の一人だということを。
「……珠烙」
 そのとき廊下の先から、珠烙を呼ぶ声が聞こえた。
「そこに居たのか」
 どうやら珠烙を探していたようだ。現れたのは武装した青年で、彼も鎖真の背後にいた武神の一人だった。
 珠烙とは正反対の、屈託のない笑顔が似合うさわやかな青年だった。戦闘や殺戮など無縁に見える優男だが、鎧が良く似合っているのはその下の体が鍛えられている証拠だ。
 彼は毘沙門天の眷属、暁津(あきつ)。




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