Blood



 二人は町を出て、車で静かな田舎道を走っていた。日はすっかり高くなっている。
「腹へった」
 チビは目も合わせずに、唐突に呟いた。
「朝から何も食べてないんだよな。さっき僕が買ってきたものがあるから、それを食べていなよ」
「嫌だ。もっと美味いものがいい」
「贅沢言うんじゃない。しばらく大きな町もないし、どうしてもって言うなら数時間我慢してるんだな」
 チビは横目で彼を睨み付け。
「手が痛い」
 と、一言。ブラッドは冷や汗を流した。なんて汚いガキだろう、と思う。父親呼ばわりもそうだが、平気で人の弱みに付け込んでくるなんて。続けてブラッドは、父親の件についてはただの偽造だが、と心の中で勝手に言い訳する。そうだ。ただ単にナメられているだけなのだ。最初は驚いて怯えたのだろうが、チビは嫌われていないことさえ分かれば十分なようだ。しかも、元々は自分で怪我しただけのはずなのに、それを逆手に取って遠まわしに非難し始めている。卑怯だと分かっているのだが、ブラッドは言い返せない立場にあった。
「そんなことを言われても、ないものはないんだ。無理を言うな」
「お前、俺の行きたいところに連れていくって言ったじゃないか」
 ブラッドはだんだん腹が立ってくる。言葉を聞いてはいるようだが、意味を理解していない。こんな奴に情けなんかかけてしまったことを後悔する。しかし性質が悪くても、相手は所詮子供だ。こういうときはと、無言のままチビにゲンコツを食らわす。
「また殴った!」チビは大声を上げる。「嘘つきブラッド。お前は最低の大人だ」
「うるさい。君こそ、最低のクソガキだ」
「あ、俺は『クソ』はつけてないぞ。このエロオヤジ」
「僕はエロでもオヤジでもない。大体、君みたいな捻くれた子供を持った覚えはない。仮にいたとしても、僕に似てもっと可愛いに決まっている。性格も、顔もね」
「なんだと!」チビは怪我してないほうの手でブラッドのわき腹を殴る。「そういうの、差別って言うんだぞ」
 ブラッドは少し体を捩りながらチビの手を払い除ける。
「ろくに勉強もしてないくせに差別とかは知ってるんだな。もっと人のためになる知識を身につけたらどうだ」
「人の勝手だろ」
「それから、二度と僕のことを父ちゃんなんて呼ぶんじゃないぞ。百歩譲って、お兄さんなら許す。いいね」
「ふん、偉そうに」
「どっちが」
 ブラッドとチビの下らない会話は数時間続いた。ブラッドも、遠慮なくチビに毒を吐き続ける。喧嘩しているようで、心地がよかった。


×××××


 地図を確認すると、近い町までまだ長い道のりだった。空腹で、いつもより落ち着きをなくしているチビに困り果て、仕方なく道を逸れてパーキングエリアに寄ることになった。そこには即席の食堂しかなかったのだが、チビは笑顔で満足していた。ブラッドは、これなら朝に買い込んできた食料と質は変わらないと思った。ただチビはどこかの店に入りたかっただけなのだろう。
 それから、どこにでもある売店をうろつき、ブラッドはチビの我侭でお菓子だとかを買わされた。すっかり機嫌のよくなったチビを乗せ、車は元の軌道に戻った。
 チビはさっき食事をとったばかりだというのに、車内を散らかしながらいろんなお菓子を食べ漁っていた。車を汚すな、というのは言っても無駄だ。ブラッドはため息をつき。
「よくそんな入るな。お菓子は別腹か」
「ベツバラってなんだ?」
 普通に聞き返してくるチビに対し、ブラッドは素直に答えなかった。
「教えない」
 チビは途端にむっとした顔になり、ブラッドの腕を抓ってくる。
「痛っ」
 さすがにブラッドは大きな声を上げてしまった。それが気味が良かったのか、チビは調子に乗って更に力を入れてくる。ブラッドは片手でチビの手を掴み、捻り上げる。
「イタタタ」今度はチビが悲鳴を上げた。「バカ。俺は怪我してるんだぞ」
「こんなときばっかり怪我人ぶるな。僕に暴力を振るったら倍にして返すからな」
「卑怯だぞ。お前こそ、こんなときばっかり大人ぶるな」
「ぶってない。僕は大人だ」
「俺だって怪我人だ。いいから、放せ。バカ」
「バカバカ言うんじゃない。よし、これからは厳しくいくよ。悪いことをしたときはちゃんと謝るんだ」
 ブラッドはチビの腕を在らぬ方向に捻った。
「痛い! バカ! 死ぬ」
「ほら、早く謝らないと肩が外れるよ。子供はまだ骨が柔らかいから、一回外すと癖になるからね。さっさと降参したほうが利口だよ」
「痛い、痛い! お前、本当に最低だ」
「謝ったことがないって言ってたね。一回やってみなよ。意外と気持ちいいから」
「嫌だ。何が気持ちいいだ。冗談じゃない」
「強情だなあ。一言ごめんって言えば楽になれるのに」
「わ、分かった……言う。言うから離してくれ」
「言ったら離してあげる」
「うう……ご、ごめん」
 チビが漏らすように呟くと、ブラッドはにっこりと微笑み、チビを解放する。
「よくできました」
 チビは急いでブラッドから離れ、気の立った野良猫のように睨み付ける。
「お前、本当に最低だな」
「どうして? 子供を躾けるのは大人の役目だ。僕は当然のことをしているだけだよ」
「ふん。やっぱりお前も弱いもの虐めの冒険屋だ」
 ブラッドはその言葉を聞いて、笑う。
「そうだね。弱いもの虐めは楽しいよ。君もやってみるといい」
 うっ、とチビは息を詰まらせる。弱いもの虐めとは、強くなければできないことだ。悔しい。チビは負けじと大声を出す。
「なんだよ。下っ端のくせに」
「下っ端? なんて失礼なことを言うんだ。居酒屋で僕の強いところ、見せてやったじゃないか」
「あんなの、全然かっこよくない。それにな、人形を配達するだけなんて、そんな簡単な仕事。他の奴らは強くて怖い妖魔と戦ったりしてるんだろ。そのくらいのこと、俺だって分かる。そんなんだから孤児院でもお前の名前が出なかったんだ」
 ブラッドはチビと目も合わせず、黙った。無表情のようで、薄く微笑んでいた。チビはそんな彼の態度に戸惑う。
「な、なんだよ」
「……ん?」
「なんか言い返せよ」
「ああ、そうだね。君の言うとおりだ。そればっかりは言い返せないよ」
 突然素直になるブラッドに、チビは目を丸くした。
「でもね、仕事は簡単だけど、人に何かを届けるって大切なことだと思う。それは物であったり、目に見えないものであったり、どちらにしても人から人へ、何か大切なものを届けるには責任が生じるんだ。渡すほうから受け取るほうへ、二つの間に僕という存在は残らないかもしれないけど、受け継がれたということは紛れもない真実だ。その橋渡しを成し遂げることで、渡されたものは違うものへと変化している。その変化こそが、渡す者の時間、場所、タイミングで決められてしまうんだ。早すぎても遅れてもいけない。受け取った者は何も考えずに、目の前に差し出されたものを無防備に手にし、いろんなことを考える。その差し出されたものが爆弾だったら? 花束だったら? もしくは花束に見せかけた爆弾だったら? その人は何を思い、一体、それをどうするだろう。そして、それを受け取ることで、その人の心にはどんな影響があるのだろう。もしかしたら僕が運ぶ荷物は、その人を人生や、命さえ、左右するものなのかもしれない」
 ブラッドがそう語るうちに、チビは警戒を解いていた。だが、彼が何を言いたいのかは分からない。だからと言って、茶化せる雰囲気でないことくらいは読める。何も言えない。それしかなかった。
「だから、僕は『届ける』という仕事を簡単だとは思わない。これは僕に見合った仕事だ。難がなかったとしても、僕は命を懸けて遂行する……誰かが笑ったとしてもね」
 チビは気まずくなる。皮肉だとは思わない。軽い冗談のつもりだったのに、と少し瞼を落とした。チビには「仕事」というものがどんな意味を持つのか知らない。荷物ひとつを命を懸けて届けるなんて、理解できなかった。だが、なぜかこれ以上は歯向かう気になれない。どこかで感じていたからだ。ブラッドの取り組む仕事というものが、とても大切なことであると。
「……ごめん」
 ほとんど無意識に、チビは呟いていた。ブラッドが聞き逃すはずもなく、途端に目を丸くする。まるで怖いものを見るようなそれをチビに向けると、彼は妙にシリアスな顔をして俯いていた。ブラッドはしばらくそれを眺めていたが、次第に頬が緩んでくる。もう我慢できない。ブラッドはチビの頭を掴んで、乱暴に引き寄せた。
「チビ、君はやっぱり可愛いな」
「な、なんだよ! いきなり」
「いいよ。いつもそうしてなよ。そしたら、父ちゃんとでも何とでも呼ばせてやってもいいぞ」
「何言ってんだ、バカ! 気持ち悪い、離せ」
 暴れるチビに構わず、ブラッドは彼の頭に頬ずりする。だが可愛がっているようで、そのチビの頭を掴む腕の力は、逃がさないと言わんばかりに強力だった。チビは本気で苦しがっている。
「どうだ。素直に謝ればこんなに人に愛されるんだよ。いいだろう?」
「いいわけないだろ。痛いし苦しいし。こんな目に合うくらいなら二度と謝ったりするもんか」
「またまた意地を張って。でも、いい。今のは貴重だった。やればできるじゃないか。やっぱり君はできる子なんだよ。お父さんは嬉しいよ」
「誰がお父さんだ。もういい。俺はお前なんか嫌いだ。この暴力男!」
「僕は君が大好きだよ」
「うるさい!」
 二人を乗せた車は、田舎道を揺れながら進んでいった。


 それから数時間走り続け、ブラッドとチビはまた新たな町に着いた。そこは前のところよりも田舎で、人口も民家も少ないが、たまに訪れる旅人のためにひとつだけ宿屋が用意してあった。古いが、落ち着ける空間だった。町に名物と言えるほどの店はなかったが、食事は宿屋の女将が手作りの料理を振舞ってくれる。二人は十分に満足し、ベランダの窓を全開にして寛いでいた。そこから見える風景は、見渡す限りの麦畑だった。稲の背は高いが、まだ黄金色の実は熟していなかった。
「何にもないな」
 それを眺めながら、チビが呟いた。ブラッドはその背後で笑う。
「だからいいんじゃないか」
「何もないのがいいのか?」
「そうだよ。何もない、平凡な日常。それが一番の幸せなんだよ」
「そうか? 俺はつまらないけどな」
 ブラッドは微笑んだまま、その何もない風景を見つめた。そしてふと、麦畑の端を見つける。そこは土のむき出しになった平地だった。ブラッドは少し何かを考え、思い出したように腰を上げた。
「ブラッド?」
 チビは彼が見上げると、ブラッドは人形の入った袋を掴んで早足で室を出て行く。チビも急いで後に着いていった。
「どうしたんだよ」
「おいで」チビに袋を渡しながら。「せっかくだから面白いものを見せてあげる」
 ブラッドはまず駐車場へ向かった。ドアを開け、後部座席に詰め込んでいた荷物の中から大きな麻袋を引っ張り出した。それから二人は窓から見えた平地へ移動し、その真ん中に座り込んだ。ブラッドは麻袋から中に入っていたものを取り出し、並べていく。チビはその様子を目で追いながら。
「何やってるんだ」
 並べられたものは見たことのない、茶色の紙でできた丸い玉だった。
「この中身は炎色剤、可燃剤、酸化剤で構成されているんだ」ひとつひとつを指差しながら。「これには炭酸ストロンチウム、硝酸バリウム、酸化銅、アルミニウム。そしてこれが硫黄、金属粉、セロシン、油煙……」
 チビは難しい顔をして首を捻っている。ブラッドは構わずに、ひとつ玉を手に取って見せて。
「つまり、爆弾」
 チビにはまったく理解できない。それも無理はなかった。普通に生活していればそれらの言葉を耳にすることも、現物を目にすることもあまり機会はないものだったのだから。ブラッドはそれを分かっていながら、からかうように軽く笑う。
「まあ、見ればわかるよ」
 それ以上は説明しようとはせずに、袋の中から短い煙突のような黒い筒を取り出す。その中にゆっくり一つ玉を入れた後、更にその上から一握りの火薬を撒く。ブラッドはいくつかの角度から中の状態を確認し、胸元からマッチを取り出す。小さく頷き、少し玉から離れる。チビも人形の入った袋を抱えたまま立ち上り、すぐに興味を示した。
「離れて」ブラッドはチビを自分の後ろに追いやり。「見てて。僕の得意技だよ」
 ブラッドはマッチに火を灯し、筒の中に落とす。チビはじっと彼の動きに目を奪われている。筒から白い煙が出た。かと思うと、それを散らすように真っ白に光るものが上空に飛び上がる。
「!」
 一体何が起きたのかも分からないうちに、チビは誘導されるように空を仰ぐ。そして大きな爆発音と共に、夜空に美しい花が咲き誇った。
 輝かしく、力強く、地上のすべてを飲み込むような迫力があった。その見事な花火に、町中の人間も手を止めて目を奪われていた。
 チビは口をぽかんと開けたまま、それに見入ってしまっている。花火は次第に細かく散り、地上に着く前に消え去っていく。
「……凄い」
 チビは打ち上げ花火というものを初めて見た。それに、花火と言えば子供たちが手に持って遊ぶ小さなものしか知らない。まさかこんなに大きなものが存在するなんて想像したこともなく、ただ感動するしかなかった。
 ブラッドは次の花火玉を同じように筒に入れ、着火する。一発目と同じように空に花開き、次は赤や青の鮮やかなものが空を彩った。次第にチビは笑顔になっていった。その嬉しそうなチビの顔を確認して、ブラッドにも笑顔が感染する。
 周囲に人が集まってきた。少し季節外れだったが、文句を言う者もおらず、誰もが予想外のイベントに心を躍らせていた。
 数発、いろんな形、大きさの花火が重なり合う。時々、爆発音がずれて聞こえる。慣れないチビはそのたびに心臓を掴まれるような感覚に襲われる。だが、それも悪くない。まるで魔法のようだと思った。なぜこんな現象が起こるのかなんて、そんなことはどうでもいい。綺麗で、かっこよくて、なんて逞しい。それだけで十分だった。
 最後の一発が上がる。ドン、と凄まじい音と共に真っ白な花が空を占領し、光の尾を引きながら、消えていく。締め括られたことを感じ、周囲から拍手が起こった。素晴らしい芸術に対する心からの敬意に囲まれ、ブラッドは満足した。自分の遊び心でここまで感動してもらえるなんて身に余る光栄だったし、何よりもチビの屈託のない笑顔こそが彼にとっての宝となった。


 部屋に戻っても、チビはまだ興奮していた。
「お前、ほんとは凄いんだな」
「ほんとはって何だよ」
「だって、あんなの見たことなかった」
「それはそうだよ。誰にでもできることじゃない」
「なあ、また見せてくれよ」
「うーん、どうしようかな」
「明日」
「明日? せっかちだな」
「だって、見たいんだよ」
「だめだよ。あれはそう簡単には作れない。緻密な計算と手間が必要で、上質の紙を何枚も重ねていくためにはひとつひとつを時間をかけて、丁寧に乾燥させなきゃいけないんだよ。それには、たった一つができるまでに数週間から一ヶ月かかることもある」
「お前が鈍いだけじゃないのか」
「違うよ」ため息をついて。「今回のは、僕が前に試しに作ってみて、うまくいったから取っておいたものだよ。もう全部なくなったし。それに、あれは本来とても危険なものなんだ。一歩間違えれば大爆発を起こす。それこそ、人なんか簡単に死んでしまうほどのね」
「……そんなもの、よく車の中に入れっぱなしにしていられたな」
 少し引いてしまったチビに、ブラッドは意外そうな顔をし、笑い出す。
「いいところに気づいたね。そう、少しでも火気に晒されてたら車ごと炎上してたんだよ、本当はね」
「危ない奴だな」
「その通り。あれも一応、商売道具の一部なんだよ。だからそう簡単に見せることはできない。これでもサービスしたんだよ。君を喜ばせてやりたくてね」
「何だよ、それ。商売道具って、あれで何をするんだよ」
 すぐに返事をしないブラッドに、チビは疑いもせずに突っかかってくる。
「あ、また嘘ついてるんだろ。やっぱりケチってんだな」
「嘘じゃないよ」
「じゃあちゃんと説明してみろ」
 言われて、ブラッドは目を逸らしてとぼけた顔をする。
「まあ、相手が君だと時間がかかるから、今度ね」
「どういう意味だ」
 その日は、チビが疲れるまで騒がしかった。やっと静かに横になれたところで、ブラッドは改めて穏やかな気持ちを手に入れたことを実感していた。彼もすっかり疲れていた。夢うつつに、冒険屋ではなく、花火師にでもなっていれば今頃、無邪気な子供の笑顔に囲まれた毎日を過ごしていられたのかもしれない、そんなことを思った。
 この道を選び、進んできた結果はいつか出る──そのとき、この幸せな時間は完全に壊れるだろう。きっと花火のように、あっという間に。
 どこかでそんな予感を抱きながら、ブラッドは眠りについた。


×××××


 二人は次の日の朝に町を出発し、今までと同じ流れで旅を続けた。
 更に二日が過ぎ、時には喧嘩し、笑い合い、たまに騒動を起こしながらも、着実に目的地に近づいてきている。明日にはローピアの町に入る予定だ。それでもまだ時間に余裕はある。ローピアは大きな町だ。チビを遊ばせることもできるだろうとブラッドは思う。今日はもう陽が落ちた。近くの宿を取ることにした。
 道路の横にちょうど看板を見つけ、そこを選んだ。ホテル風のデザインだがそれほどサービスが充実してるわけでもない。低料金に合った、可も不可もない普通の宿屋だった。
「後三日だ」ブラッドはベッドに横になりながら。「予定より早く着きそうだ」
「じゃあ」チビはブラッドの隣に寝転ぶ。「花火、見せてくれよ」
「それはダメ。ここは場所がないし、それに、作るには時間がかかるって言っただろう」
「ケチ」
「しつこいな。仕事が終わったら見せてやるから、もう少し我慢するんだ」
 チビは不満そうに仰向けになった。まだ文句を言おうとした、そのとき、視界の端に奇妙なものを捕らえた。
「うわぁ!」
 チビの悲鳴に、ブラッドは体を起こす。
「どうした」
 チビはベッドの横にあるキャビネットを指差し、震えていた。ブラッドは彼が指す先に目線を移す。
 その途端、ブラッドの顔色が変わった。
 そこに潜んでいたものは、褐色の肌に赤いチョッキを羽織った妖精ブラウニー。伝言屋だ。
「な、なんだあれ」
 ブラッドの変化には気づかず、チビは身を乗り出した。その背後で、ブラッドは汗を流した。
(とうとう……来たか)
 隠すように汗を拭い、一度伝言屋から目を逸らす。受け入れるしかなかった。だが、踏ん切りがつかない。すぐには動けず、片手で顔を覆う。
「ブラッド?」
 呼ばれて、顔を上げるとチビが首を傾げていた。ブラッドは黙って彼の目を見つめ返す。
(……せめて、後三日待ってくれれば、ね)微かに口の端を上げる。(いや、まさかそんな都合のいいこと、あるわけがない)
 諦めの嘲笑だった。ブラウニーが運んできた伝言の内容が、ブラッドには分かっていた。聞くまでもないのだが、受け取らないと伝言屋の仕事は終わらない。ブラッドはチビの隣に座り直し、ブラウニーに向き合った。
 目を合わせると、妖精は無表情で言葉を発した。
「ルチルが来る」
 ブラッドは返事をしない。
「おそらく十人。目的はチップと、冒険屋ブラッドを『消滅』させること。こちらの任務は通常任務から、特殊任務に切り替え。内容は変更なし。健闘を、祈る」
 予想通りの伝言だった。やはり、としか思わなかった。
「……了解」
 ブラッドが呟くと、ブラウニーは空気と混ざるように消えていく。隣で、チビは聞きたいことが山ほどあったが、この圧し掛かるような重い雰囲気は、さすがのチビでも無視できないほどだった。ブラウニーの消えたところをじっと見つめたままのブラッドは、今まで見たことがなかったほど、悲しそうだった。
「……ブラッド?」
 ブラッドはしばらく肩を落としていたが、ゆっくりとチビに顔を向けた。チビの胸が、なぜか強く痛んだ。理由は分からなかったが、聞きたくないと思った。そして、ブラッドも言いたくなかった。だが、ブラッドは、自らに鞭打つように言葉を搾り出した。
「チビ、結論から言うね」
 無理やり、微笑み。
「ここで、お別れだ」
 二人の間にある時間が止まった、ような気がした。