NightmareLovers
2





 アラモード家には普段、家族三人と、召使であるピクシー以外誰もいない。ティシラは両親が遊んでくれないときは一人で退屈してしまう。それだけでも寂しいのに、この城は限がないほど広い。
 タイミングが悪いときは一日中、誰にも会えないまま過ごすこともあった。
 そんな日はティシラは大声を上げて泣いた。それでも両親に届かず、慰めようとするピクシーたちに八つ当たりして一日を終える日も少なくはなかった。


 城にはいろんな部屋があり、父が気まぐれに集めた絵画やオブジェなどの芸術品が美術館のように揃えられている。ティシラは暇になったときに城をうろついてそれらを鑑賞していたのだが、時間のありすぎる毎日の中、数十年も前にすっかり飽きてしまっていた。
 何よりも、一緒に見ながらいろんな話ができる友達がいなかったのだ。感動すること、思うことがあっても、それを誰かに伝えることができず、思いを胸のうちに溜め込んでいくしかできなかった。たまにティシラに近寄ってくるピクシーに話しかけたが、ピクシーは言葉を話せず、頭もいいほうではない。キイキイと声を上げて反応はしてくれるものの、返事を期待できるわけではなかった。
 それでもティシラは部屋にじっとしていることができずに、衝動的に城を探索し続けた。迷子になることもよくあった。そんなときはピクシーが役に立った。

 ピクシーはどす黒い肌に大きなぎょろ目、小さな口に牙が並んでいるという卑しい姿をしていた。三頭身程度の体には長く細い手足がついており、子供が簡単に掴めるほど小さい。猫背で、普段は二本足で立つこともあるが、移動は四つん這いで動きは素早かった。特徴は、毛が一本も生えていない頭上から伸びる一本の大きな角だった。彼らは決して大事に扱われる存在ではなかった。
 増殖の手段は知られておらず、放っておくといつの間にか害虫のように増えている。いつもは何かの影に潜み、存在感はほとんどない。いつからアラモード家に住みつき始めたのかは分からないが、ピクシーたちはこの城を気に入っていた。大事にされるわけでもなく、よく親子の喧嘩に巻き込まれて不慮の事故に見舞われることもあるが、ここの外にいて誰にも必要とされずに生きていくよりもずっと居心地がよかったのだ。
 だから、主人たちに健気に尽くし続けてきた。動きも細やかで、指先も器用だった。料理も掃除もできる。重いものは集団で運べば問題はない。言葉は喋らないが解さないわけではない。命令されればきちんと把握し、何か失敗すれば黙って罰を受ける。普段は邪魔にならないように物陰に隠れている。
 ブランケルはそんなピクシーをいつの日にかペットのように扱い、下手に召使を雇うよりもずっと気が楽であると、従順な彼らの存在を暗黙で許していた。
 何よりも、ピクシーには感情があった。物陰から主人たちの様子を伺い、好かれたい一心で尽くしてくる。体に不調があれば薬草を探して机の上に黙って置いていく。一人で落ち込んでいれば、そっと足元に近寄り傍に居続けた。彼らは決して賢くはない。そんな気遣いが勘違いであり、たまには鬱陶しく感じることもある。そんなときは、ブランケルは遠慮なく怒鳴りつけるのだが、アリエラと、特にティシラは彼らの行動を可愛いものとして受け入れた。


 今日は両親が出かけてしまい、一人になったティシラはまた城を探索していた。彼女の周りをピクシーたちが現れたり消えたりして纏わりついている。それでも静かなものだった。
 探索にも飽きてしまっていたティシラは、退屈そうに重い足取りで歩き続けていた。見覚えのない室や廊下に迷い込みながら、きっとまた迷子になるだろうと思う。別に気にならなかった。いつもピクシーが道案内してくれる。その彼らは先ほどから視界の端に映っている。何か面白いことはないものかと思いながら、ティシラは次第に暗い方へ進んでいっていた。

 気がつくと、完全に光のない場所にいた。途中で心配したピクシーが足元から声をかけていたのだが、ティシラは無視していた。目の前に黒い柵が立ちはだかり、足を止める。ティシラは目を見開いてそれを仰いだ。
 闇に包まれたそこは天井も、柵の中も見えない。目線を戻し、柵に手をかける。中からは冷たい空気と禍々しい魔力が漏れ出していた。頑丈そうな古い錠が下がっている。いかにも「立ち入り禁止」とでも言わんばかりだったのだが、埃塗れのそれを掴むと、ガシャと音を立てて錠が外れた。きっとブランケルがなんらかの事情で鍵をかけたが、そのことも忘れて長い時間放置されており、錠が錆びて弱っていたのだと思う。
 ティシラは、なぜ鍵がかけられていたのか、興味が湧いた。面白いことがありそうだ。好奇心旺盛な彼女は迷わずに柵の中に入っていく。
 足元でピクシーが騒ぎ出す。ティシラは彼らに向かって人差し指を立て、「静かに」と伝えて中に足を踏み入れた。数匹のピクシーは慌てながらも彼女の後についていき、他のピクシーは散り散りに姿を消していった。

 暗く、大きな室だった。ティシラは不気味な空気に身震いするが、戻ろうという気は起きなかった。どうやらいろんなものが散乱しているようで、時々足に何かが引っかかる。少しずつ暗闇に目が慣れ始め、辺りを見回す。古い骨董品や家具やらが無節操に積み上げられていた。まるで倉庫のようだった。いや、きっと倉庫なのだと思う。いらなくなったものや使えなくなったものが適当に詰め込んであるのだろう。
 ティシラは近くにあったものをいくつか手にとって眺めたが、特に面白いものはない。結局、ただのガラクタ倉庫なのかと肩を落とした。それでもピクシーたちは落ち着かなかった。「戻ろう」と鳴いてティシラに伝えるが、彼女はついでだからと更に奥へ進んでいく。
 そのとき、大きな物音がした。ガサ、ズルリという何か大きなものがずり落ちる音とともに、室内の埃が舞い上がった。驚いたティシラは悲鳴を上げて体を縮めた。埃を吸い込み、咳き込みながら目を擦る。
 ティシラが顔を上げ、視界の埃が収まると、倉庫の壁に人影が見えた。誰、と一歩足を進めると、それも同時に動いた。ティシラは驚いて体が固まるが、また相手も同じように背を伸ばした。
 鏡だった。そこにいる人物は、自分の姿だったのだ。それは巨大で、凝った装飾で縁取られた豪華なものだったが、かなり古いようで色褪せてしまっている。先ほどの物音は、鏡を包むようにかかっていた重い布がずり落ちて起きたものだった。今まで放置されていたものが、なぜ今、風もないのに落ちたのかまでは考えなかった。
 なんだ、と思いながらティシラは鏡に近づいた。顔を寄せて首を傾げたり、体を横にしてみるが、やはり何の変哲もない巨大なだけの鏡だった。
 ティシラは面白くないと思いつつ、鏡を眺めた。薄汚れてしまっているが、ヒビも傷もない立派なものだった。それに、ティシラが今まで見てきた鏡の中で、一番大きなものだった。綺麗になるなら自分の部屋に置いてもらおうかと考えているとき、ふっと何かに気づき、一瞬息を止めた。
 未だに自分の足元をうろついているピクシーの姿が鏡に映っていなかったのだ。意識してよく見ると、鏡には自分の姿以外、何も映っていなかった。
 ティシラは原因を考えようとするが、考えても分かるはずがなかった。ブランケルなら何か知っているかもしれないが、彼から鏡の話はおろか、ここの倉庫のことさえ聞いたことがなかったのだ。今のティシラには何も思い当たることはなかった。怖いとは思わなかった。後で尋ねてみようと気楽に考え、鏡に指を伸ばした。
 指先が鏡面に触れた途端、そこが小さく波打った。ティシラは驚いて手を引っ込める。錯覚かと思い、目を凝らす。もう一度、恐る恐る指で触れると、やはり鏡面は揺れた。まるで水面のようだった。今度は指で押してみる。感触がなく、指は鏡の中に吸い込まれていく。
 ティシラはさっと指を引くが、笑顔になり、再び手を伸ばした。やっと面白いことが見つかったと、両手を鏡の中に埋めていく。ピクシーたちが騒ぎ出した。構わずにティシラは鏡面に腕を入れたり出したりして楽しんでいる。
「面白い!」飛び跳ねるピクシーに微笑み。「凄いわ、この鏡。中に入ったらどうなるのかしら」
 ダメだダメだとピクシーたちは鳴き声を上げる。ティシラは笑いながら手や足を出し入れして遊んでいた。とうとう体を埋め、顔だけ出して慌てるピクシーをからかう。
「あんたたちもおいでよ」
 ティシラは片手を出してピクシーに差し伸べる。
「!」
 そのとき、鏡の向こうから、もう片方の手が誰かに引かれた。抵抗する間もなく、ティシラは鏡の中に吸い込まれていった。


 引っ張られた衝撃で、ティシラは尻餅をついた。腕を掴まれたような気がしたが、その感触は既になかった。顔を上げると、そこは暗闇だった。何が起こったのか把握できず、ティシラは辺りを見回す。次第に、何かが浮かんできた。景色だ。深い緑色の、靄がかった森が広がった。
 ティシラはその場に座り込んだまま、呆然としていた。遠くから何かが聞こえ、無意識に耳を澄ます。どうやら誰かの声のようだ。ピクシーの鳴き声ではない。そういえばと後ろを振り向くが、ピクシーの姿はどこにもなかった。着いてこないのか、着いてこれないのかは分からないが、ティシラは「薄情者」と思いながら少しいじけた。
 そうしている間に声は近づいてきていた。子供のそれだということを判断できたところで、声が何を言っているのか、はっきり聞こえてきた。
「……おいで」
 声は前後左右、あちこちから聞こえてくる。ティシラは翻弄されるようにキョロキョロと首を振る。
「誰?」
「……こっちだよ」
 いつの間にか、ティシラの前に一人の少年が立っていた。靄に遮られ、ぼやけて見える。
「誰……?」
 もう一度尋ねる。靄は薄れ、姿を現した少年はティシラと同じくらいの背格好で微笑んでいた。
「一緒に遊ぼう」
 少年は唐突に語りかける。断る理由はないのだが、ティシラはポカンとしてすぐには答えなかった。少年は構わずに近寄ってくる。
「怖がらなくていいよ。ここは僕の世界。何もないけど、いつまでも遊んでいられる。ねえ、一緒に遊ぼうよ」
「……えっと」ティシラは戸惑ったまま。「あなた、誰?」
 当然の質問に、少年は笑顔で答える。
「僕はクロシス。君の友達だよ」
「友達……」
 ティシラに友達はいなかった。その言葉を聞いて、嬉しくなる。
「本当?」
「うん。おいでよ、面白いものを見せてあげる」
「面白いもの?」
「まだ秘密」クロシスはティシラの腕を引く。「こっちだよ。おいで」
 ティシラは腰を上げ、何も疑わずにクロシスと手を繋いで森の奥へ進んでいった。



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