SHANTiROSE

CRIMSON SAMSARA-20





 ティシラは途端に、石のように固まってしまった。その様子に疑問も抱かないままルミオルは続ける。
「結構大変みたいだけど? それとも、君は好きでもない相手と婚約してるの?」
 ティシラの顔から輝きが消えた。左手の指輪のことを思い出し、今更ながら右手を被せて隠す。
「な、なんで知ってるの?」
 ティシラの不自然な反応を、ルミオルは分かっていたかのような余裕を見せた。
「ごめん、なんだか騒がしかったから、覗かせてもらったんだ」
 ルミオルは首から下げたネックレスを取り出して見せる。銀の鎖のトップには卵より一回り小さい水晶が輝いていた。それを通してティシラたちのやり取りを一通り監視していたようだ。ティシラは魔力の篭ったそれを見つめながら苦い表情になる。
「あんた、魔法が使えるの?」
「少しね。でも魔法使いじゃないよ。この水晶も借り物だし」
「そんなもの、城のみんなが持ってるの?」
「ううん。これは俺の個人的な知り合いに作ってもらったんだ。何でも無限に覗き見や盗み聞きができるわけじゃないから安心して。魔力の主の許可内しか効力はないんだ」
「……え、と、いうことは、あんたは私に的を絞って覗き見してたってこと? なんでそんなことするのよ」
 ルミオルは口を開けて笑った。
「だって、君に興味があったからね。それにあんなに騒いでたらこんな魔法を使わなくても情報はすぐに入るよ」
 そんなに派手だっただろうかと、ティシラは少し恥ずかしそうに顔を赤くした。
「わ、私に興味って何なのよ。一体何がしたいわけ?」
「ごめんね。君に一目惚れしたんだ。気になって仕方なくってさ」
 ティシラは顔を逸らして唇を尖らせる。口から出任せだとすぐに見抜いたからだ。ルミオルは気にせずに、話を進める。
「で、君の運命の人って誰?」
 ティシラはドキリと体を揺らした。既にルミオルには嘘がばれている。言い訳はできそうにない。このまま立ち去ることもできるが、これ以上マルシオに義理立てする必要があるのかどうか迷った。かと言ってルミオルを信用できるわけではない。
「もう」ティシラはルミオルに向き合う。「だから、なんでそんなにしつこいのよ。見てたんなら分かってるんでしょ。マルシオなんか好きじゃないし、あんなバカが私の運命の相手なわけないじゃない」
「まあね。マルシオと君とじゃ釣り合わない」
 ルミオルもティシラに体を向け、少し腰を折る。不適な笑みを寄せ、人差し指で彼女の顎を持ち上げた。
「ね、運命の相手かどうかは分からないけど、あんな奴とは縁を切ってさ、俺と恋愛しない?」
 ティシラは湧いた不快感を隠さず、ルミオルを至近距離で睨み付ける。
「マルシオはどうでもいいけど、だからってなんであんたにしなきゃいけないのよ」ティシラは彼の手を払いのける。「私からしたらどっちもどっちよ。バカからバカに乗り換える理由なんてないわ」
「連れないな。君は俺のこと、何も知らないじゃないか。同じバカでもマルシオとは違うバカかもしれないよ。俺は、君の願いを叶えてあげることができるかもしれないんだから」
「私の、願いを?」
「聞かせてよ。何が望み?」
 ティシラは腕を組み、眉を寄せたまま考えた。人間の王族というのは誰もが鼻持ちならないものなのだろうか。建前かもしれないが、トールにも同じようなことを言われた。そしてその息子である彼もこうして「自分はなんでもできる」とでも言わんばかりの自信に満ちている。それは、自分は人より優れ、たくさんのものに恵まれている上級な人間であると、他人を見下している証拠だと思った。
 ティシラはそんな彼の鼻っ柱をへし折ってやろうと思う。金品を求めるなど、きっと彼の思い通りの展開にしかならず、逆に喜ばせてしまうことになるだろう。王子という身分に目が眩み、財産や地位を求めようものならそこらの平民娘と変わりない。そもそもティシラはそんなものに魅力は感じないし、生まれたときから余るほど持ち合わせている。
 では、彼に不可能、無理だと唸らせるものは何だろう。国王陛下であるトールでさえ手の出せないもの――そうだ。誰もが困難であると手を焼いているものがある。それを突き付けて、自分にもできないことがあると認めさせてやればきっと彼の悔しがる顔が見れるに違いない。ティシラはニヤリと目を細める。
「じゃあ、王子様」わざと甘えた声を出して。「私ね、実は恐ろしい呪いにかけられているの」
 意外な言葉に、ルミオルは興味を示した。
「呪い?」
「そう。悪い奴に騙されて恋愛できない体にされてしまっているの。だから、あなたに恋したくてもできないのよ」
 ティシラは右手を目尻に当て、大袈裟に悲劇を表現した。ルミオルは真に受けているかのように心配そうに彼女の肩に手を置いた。
「どういうこと? 呪いってどんなものなの?」
「誰かを愛したとしても触れることができないという、恐ろしくて強力な魔法なの」
「魔法? だったら、この国には優秀な魔法使いはたくさんいるんだ。いくらでも紹介してあげるよ」
 優秀な魔法使いなら、ティシラもよく知っている。だがそれらが全く通用しなかったのが現実なのだ。それを知ったら彼はどんな反応をするだろう。ティシラは密かに期待した。
「それが駄目なのよ。私も努力したわ。ライザもサイネラも調べてくれたわ。でも、みんなが太刀打ちできないって根を上げたのよ」
「え」さすがにルミオルは驚きを隠せなかった。「あの二人は魔法軍を指揮するほどの力を持っている。彼らに限らず、この国の魔道機関では様々な魔法の研究が長年に渡り行われている。魔法使いはそれぞれに属性があり、得手不得手が弱点となることもある。だがそれを補うための手段も常備され、新たなる脅威に対しての対策にも余念はないほどだ。それらが太刀打ちできないって、どういうことだ」
 思っていたより知識のあるルミオルに、ティシラは少し戸惑った。いずれにせよ、指輪の呪いをなんとかしたいのは本心なのだ。万が一彼が手段を持っているとしたら思わぬ幸運である。俯いたまま話を続けた。
「私も分からないのよ。ただ、ライザたちが言ってたのは、この魔法はまだこの時代にはない、特殊で未知なるものだって……」
「この時代にはない、未知なるもの……」
 ルミオルは無意識に今までの緩い態度を解いていた。ティシラから目を逸らし、真剣な表情で思案している。ティシラはそれを上目で見つめ、「真面目にしていればいい男かもしれない」などと不謹慎な感想を抱いていた。
 しかし、ルミオルはすぐにいつもの皮肉な笑みを浮かべる。ティシラは慌てて目線を落とした。
「任せて」
「えっ」
 思いがけない言葉にティシラはとぼけた声を上げた。
「この国の魔法は最強だ。だが、あまりにも正直過ぎる。それ故に隙があることも相違ないんだ。しかもその隙は複数存在する。そう簡単に埋めることはできない」
 予想外に、ルミオルはいつも以上に自信に満ちた表情になっていく。
「俺は、その『落とし穴』に潜む神秘に魅入られてやまない。誰もが見落としてしまうほどの小さな穴を覗く。そこには何があると思う? 覗くまでにはもちろん勇気がいる。取り返しの付かないことになってしまう可能性だって否めないのだからね。目にしてしまっただけで、それは冒涜行為と見做され、怒り狂い何者かに残酷に殺されてしまうかもしれない。だけど、俺はその恐怖と危険を併せ持つ『影』の魅力にたまらなくそそられる。自分が、どこの誰がどんなことになっても構わないほどに。知りたい。そして、誰も為しえないことを自身で起こしてみたい」
 そう語る彼の表情は、次第に陰り始めていた。ティシラはその迫力に飲まれそうになる。まともではない、何かに取り憑かれている、そんな気がした。
「でも……そんなことをして、何も形にならずに一人で死んでしまうことだってあるかもしれないのよ。それじゃ本当にただのバカじゃない。何の意味もないわ」
「それでも構わない」ルミオルは迷わずに答える。「俺には守るものも、失うものも何もないのだから……」
 ルミオルは、一瞬動揺したかのように瞳を揺らした。その僅かな変化をティシラは見逃さなかったが、彼の心の中までは理解できない。探ろうとした途端に、ルミオルはすっと姿勢を正した。
「ごめん、つい話が長くなってしまったね」ルミオルの表情から影は消えていた。「つまり、君にかけられた謎の呪いも、もしかしたら『落とし穴』のようなものかもしれないってこと。君を救いたいとも思うし、俺はそういうの嫌いじゃない。よかったら、俺に付いてきてみない?」
「え。付いてきてって、どこに?」
「呪いを解くことができるかもしれないってこと。まあ、確かにその為にはここじゃない場所へ君を招待することにはなるけど」
「ここじゃないってどこへ?」
「今は言えない。秘密の場所なんだ。君が本気なら連れていってあげるよ」
「そこへ行けば呪いは解けるの?」
「確実ではないかもしれないけど、その可能性はある」
「本当? でも、ここの魔法使いが束になっても解けないって言われたのよ。ライザやサイネラよりも優秀な魔法使いがこの世界にいるの?」
「上回るのかどうかの問題じゃない。ここにある知識では解明できなかったんだろう? じゃあここにはない別のものに尋ねることができるとしたら、君はどうする?」
「別の?」ティシラはすっかり夢中になってしまっていた。「そんなものがあるの? だったら行きたい。連れてってよ」
 結局ルミオルの思惑通りに話は進み始めていた。ルミオルは気分がよくなる。
「いいよ。ただし、このことは絶対に秘密だよ。もし誰かに漏れたらすべてが台無しになる。その約束を守れる?」
「ええ。絶対に言わないわ。いつ連れてってくれるの?」
 子供のようにせがむ彼女の髪を撫で、ルミオルは宥めるように優しく微笑んだ。
「城を抜け出すだけでも、俺も君も慎重にならなければいけない。近いうちに必ず連絡するから、それまでは静かに待っててくれないか」
「わ、分かったわ。絶対よ」
「うん。絶対だよ。俺を信じて」
 二人は約束を交わし、今は会っているところを人に見られてはまずいと別れることにした。まさか、このまったく眼中になかった軽そうな男と約束を交わすことになるとはと、ティシラはまだ実感が湧いていなかった。しかし、どうせここにいても面白くないことばかりなのだ。もしかすると期待はずれな結果になるのかもしれないが、それでも暇つぶしにはなるだろうと思うことにする。
 ティシラに背を向け、この場を去ろうとしていたルミオルは、扉に手をかけながら振り向いた。
「そうだ。大事なことを忘れてた」
「?」
「君の名前、まだ聞いてなかった」
 確かに、と思う。ティシラは、名前も聞かないまま口説いていた彼に改めて呆れ、肩を落とした。


   

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