SHANTiROSE
CRIMSON SAMSARA-49
ラストルは敗北を認めるルミオルを見下し、やっと自分にとっての邪魔者がいなくなることを確信して、心中で嘲っていた。
悲壮感を抱くトールに、ラストルは向き合う。
「陛下、もうよろしいでしょう。物的な証拠がないのであれば、裁きの対象は本人の証言のみ。こうして本人が罪を認めています。これ以上何が必要でしょうか」
ラストルに反論がある者はいなかったが、ここにきてルミオルの本当の姿を目の当たりにし、今更ながら同情の気持ちを抱いていたことも否めなかった。もうルミオルは救われない――そう、トールとライザ以外の者が思った。
「……慈悲だ」ルミオルに寄り、囁く。「貴様の首は、私が落としてやる。貴様にとって最初で最後の名誉だろう? 時期国王である私の功績の一つになれるのだからな」
誰も止めることができない中、ラストルの感情は昂ぶっていく。
「貴様は国の一番目立つ場所で死刑にしてやる。世界は悪の根を断つ私を称えるだろう。その中心で、貴様は首を晒され、国中の笑いものになるのだ」
「――ラストル!」
つい、大きな声を上げてしまったのはライザだった。すべてをトールに委ねるつもりだったのだが、どうしても我慢できなかった。
「……生憎ですが、あなたの言い分は、通りません」
この期に及んで何を、とラストルは思う。ラストルは、ルミオルが完全な悪であり、それを厳しく処罰することに一切の疑問を抱いていなかった。ライザの言うことには、まだ驚かない。
「ルミオルの裁きは、もう決定しているのです」
息を飲んだのは、ラストルだけではなかった。ルミオルも、見守る者も次の言葉を待った。
歯止めの利かなくなったライザはそのまま続けようとしたが、それをトールが止めて代わりに続ける。
「今の話で答えが出た。ルミオルは、国外追放とする」
「何……!」
「これは国王としての私の決定だ。異論は認めない」
ラストルは目を見開く。
「何を、仰っているのですか!」
「ルミオルを殺すことはできない」
「……こ、殺すなどと俗な言葉を! 国王として、国を、人を守るために悪を裁くのです。死刑と殺人を混合されているのですか」
「いいや。死刑だろうとなんだろうと、ルミオルを殺すことはできないんだ」
頭に血が上るラストルとは対称的に、トールは微笑んだ。
「私より力のある者に、何があっても殺さないようにと言われたからね」
トールが何を言っているのか、誰も分からなかった。ラストルは彼がまた戯言をほざいていると決め付け、怒りが彷彿してくる。
「バカなことを。いくらあなたでも、くだらない冗談で目の前にいる犯罪者を自由にすることはできません。国王より力ある者? 一体誰だと仰るのです」
怒りで顔を赤くするラストルに、トールは迷いなく答える。
「ティシラ」
ルミオルの弱々しかった瞳が揺れた。間髪入れずに反論しそうになったラストルより早く、トールは続ける。
「彼女はこの国を、世界を救った者だ。無事戻ってきたティシラという勇者に、私は最大限の感謝の意を示すと誓った。その彼女が私にこう願い出た」
――ルミオルを、何があっても殺すな。例え、どれだけ卑劣で残酷な行為を起こしたとしても、死刑だけは避けて欲しい。罪の重さの分だけの罰ならいくら与えても構わない。過酷な強制労働でも永遠の投獄でも、何をしてもいい。だけど、殺すのだけはやめてくれ。
一同は言葉を失った。しんと静まる中、トールとライザだけが頬を緩めていた。
「ルミオル」
呼ばれ、ルミオルは我に返って顔を上げた。
「ティシラは、お前のことは何も喋らなかったよ。ただ、殺すな。それだけを願い出た。私には簡単な願いだった。何よりも、お前が計画を失敗してくれたことに心から安堵を得ている。心置きなく姫への恩返しができるのだから」
ルミオルは混乱して何度も目を泳がせていた。そこに、ラストルが再度大声を上げる。
「あなたは……あんな地位も立場も何もない不躾な娘を、国王より上だと、本気でお思いなのですか!」
「ああ、ティシラは世界を救った。私にはできないことだ」
「そんなこと……」
「そして」ラストルの声に被せて。「お前にも、できない」
ラストルは言い返せず、ぐっと唇を噛んだ。
トールに反論があるのは彼だけではなかった。ルミオルだった。
「……殺してください」腹の底から絞り出すような声だった。「失敗しようが成功しようが、俺の最後の目的は、王家の手によって殺されることだったんです。死ぬつもりですべてを捨ててきました。真実も、良心も、何も求めず、目的だけのために時を過ごしてきたのです。同情などいりません。殺してください」
そう懇願するルミオルだったが、トールはあっさりと切り替えした。
「これは同情ではない。罰だ。受け入れなさい」
「罰……?」
「ティシラから伝言がある」
『あんたみたいなクズ、正統な裁きを受けて後世にまで語り継がれるような資格はない。あんたにはどこか見知らぬ痩せた土地で、誰にも見取られないで野垂れ死ぬのがお似合いよ。今のあんたにはその程度の価値しかないわ。死に様の価値ってのは周囲が決めるものなのよ。人を見下して、恨んでばっかりのあんたの命を誰かが惜しむとでも思ってるの? 死にたいなら一人で勝手に死になさい』
トールはそれを自分の言葉で淡々と、できるだけ正確にルミオルに伝えた。
ルミオルは唖然とすると同時、強いショックを受けていた。
ティシラが邪魔をするかもしれないという不安はあったものの、まさかこんな形で妨害してくるとは想像もしていなかった。ティシラはよく分かっている。ルミオルが一番困ることを理解した上で伏線を張っていたのだ。
彼女を利用しようとした自分が愚かだったと、ルミオルは初めて知る。ティシラと関わり、呪樹の世界へ招いた時点で、すべてが終わっていたのだった。
事態を把握したルミオルは絶望に包まれていた。
そこに、トールが正式な罰を言い渡す。
「ルミオル、お前をティオ・メイから追放する」
室内の空気が動いた。
「立場も財産も権利も、王家の名もすべてを剥奪する。お前はこれから名もないただの人間として、一人で生きていきなさい」
そこに、ラストルが必死の抵抗を示してきた。
「父上! 反逆を企てるような者に、自由を与えるなんて言語道断です。せめて、投獄を……」
「黙りなさい」
珍しく強い口調のトールに、ラストルは怯んでしまう。
「私の決定を覆したいのなら、私を超えてからにしなさい」
ラストルは奥歯を噛み締め、爪が食い込みそうなほど強く拳を握った。対し、トールはにこりと笑みを送り。
「そんなに心配しなくていい。もしルミオルが新たな武器を携えて乗り込んでくることがあれば、また叩き潰せばいいだけのこと。そうだろう?」
ラストルはとうとう諦め、反抗的な態度でトールに背を向けて早足でその場を立ち去っていった。
彼の背中を見送り、トールは再度ルミオルに向き合う。
「ルミオル、行きなさい」
ルミオルはまだ理解できないような表情を浮かべていた。しかし、これがどこか幼い彼の素顔だということを、トールは知っている。
「お前は勘当する。お前は王家の名に甘えて勝手なことばかりしてきた。これから一人で生きていく中で、きっと今までの報い以上の苦しみがあるだろう。だけど私たちが親子であることには変わりない。困ったことがあったら、私はお前を助ける。そしてお前が強くなって、それを証明することができたなら、いつでも戻ってきていい。だから今は、行きなさい」
ルミオルはまだ分からなかった。ただ、もうここにいてはいけないということだけを受け入れた。
震える足を一歩、下げる。振り返ろうとした直前、涙で顔が濡れていたライザが声を上げた。
「ルミオル、忘れないで。負けることは終焉でも恥でもありません。そこから何を学び、何を得るかに生きる意味があるのです。自由と傲慢を取り違えている間は、あなたはずっと敗者のままです。私たちは、あなたがあなたらしくいられるような国を作っていきます。だから、あなたも戦ってください」
ルミオルは、まるで恐ろしいものから逃げるように後ずさりながら、両親との距離を広げていった。王室の扉まであと数歩というところで、ルミオルは地を蹴って走り去っていった。
*****
ティシラは真剣な眼差しを向け、ロアに答えを伝えた。
「……許さないわ」
ロアは意外なティシラの言葉に表情を消す。
「マルシオが私を憎むなんて、許さない。あいつはバカでマヌケで、軟弱なダメ魔法使いよ。そんな奴に私が苦しめられるなんて、屈辱だわ。このまま死なれたら、あいつの勝ち逃げってことになるでしょ。そんなの許せるわけないじゃない」
どうやら、ティシラは常人の斜め上の考え方を持っているようである。ロアは彼女の言っていることが可笑しかったが、それは顔に出さなかった。
「私はいつものマルシオに戻って欲しいの。これからもいつものバカ野郎でいて欲しいのよ。そうでなきゃ、私が困るの」
建前ではないと、ロアには分かる。しかし人を許すことの難しさも、よく知っている。
「……では、マルシオの変貌をなかったことにすることは、あなたにとっては都合がいいということですか?」
「当たり前じゃない。それができるならぜひお願いしたいわ」
「今回のことを根に持って彼を責めたりするようなことは一切ない、ということですね」
「そんなことしないってば」
少々意図はずれているが、見方を変えれば、ティシラがマルシオを掛買いのない大事な存在であると認めているということが分かる。彼女なら信じても大丈夫だと、ロアは微笑んだ。
「それならば、マルシオを起こす方法はあります」
「本当? 早く教えて!」
「乗っ取られた時間の記憶を、マルシオから消してしまうことです」
「……そ、それだけ?」
「それだけです。が、単純なことではありません」
口調を重くするロアに、ティシラは「きっとまた難しい魔法だ」などと考えた。だが、ロアの懸念は違うところにあった。
「マルシオは今、確実に何かを知ってしまったのです。その上で、自分を犠牲にするという答えを出しました。と言うことは、そうするしか『彼』を封じる方法がなかったということでしょう。その記憶も、マルシオの中から消してしまうのです」
そこで、ロアはいつもの癖で「どういうことか分かりますか」と口をついて出そうになる。短気なティシラにははっきり言わなければ怒られてしまうと、咄嗟にセリフを省略した。
「つまり、もしも今後、マルシオがまた心に隙を見せたとき、『彼』が現れるということです……そのときは、きっと今回の記憶を持ったままの『彼』はマルシオの思考の自由までも、完全に奪うでしょう。それは、もう同じ手段で封じることはできない、ということです」
「えっと、それって、マルシオを起こしたら、あの変なのが出てくるってこと?」
「必ずかどうかは、分かりません。ただし、条件さえ揃えばまた同じ現象が起こるでしょう」
「条件って……」
ティシラは面倒臭い話だと思いつつ、自分なりに一生懸命理解しようとしていた。ロアはティシラが答えを出すのを待つ。その時間は、短かった。
「ああ、もういい」暗い空気を払うように、大きな声を上げる。「なんでもいいわよ。とにかく、意味が分からないままマルシオを見殺しにはできないの! また出てくるなら出てくればいいわ。私がやっつけてやるから!」
あまりにも考えのないティシラの発言にロアは戸惑う。やっつけると言うが、手も足も出せなかったのが事実。
そのことも念を押しておこうとしたとき、今度は突然、ティシラはポロポロと涙を流し始めた。
「……もう、分かんない。なんでみんな死のうとするのよ。かっこいいとでも思ってるの? バカじゃないの」
驚きながら、ロアはふっとルミオルのことを思い出した。
「マルシオがいなくなったら、私はこの世界で一人ぼっちになるの。他にいい人はたくさんいるけど、マルシオは特別なのよ。私と似てるの……私を見たとき、あんなに喜んでたくせに、憎むなんて……勝手に死ぬなんて、許さない……」
ティシラには正義という概念はない。好きか嫌いか、いいか悪いかの単純な基準のみで生きている。
(……ティシラ、あなたも結構自分の身を削っているのですよ)
本人はそのことに気づいていない。だけど、それは決して後ろ向きな犠牲ではなかった。ティシラは傷ついた分、確実に対等のものを手に入れている。
計算ではない。自然と周りから寄ってきていることを、ロアは羨ましく思った。
きっと、危険を承知でマルシオを救った先には、ティシラにとっての幸運に繋がるはず。
「……あなたには、感謝します」
唐突なロアの言葉に、ティシラは涙で塗れた瞳を見開いた。
「あなたらしいやり方で、ルミオル様を救ってくださったこと。そして、私の判断が間違っていなかったのだと、あなたは教えてくれました。心から、感謝します」
ティシラは鼻をすすり上げながら涙を拭う。
「あなたに会えて、よかった」
ロアは久し振りに、喜びからの微笑みを浮かべたような気がしていた。
*****
ルミオルは周囲など目もくれずに城を抜け、城下町を駆けていった。
巨大な城から逃げるように、一心不乱に走り続けた。被害を受けず、何もなかったように平穏を取り戻した町を抜けたところで、ルミオルは向かい風に襲われて足を止める。目の前には、自分にとどめを刺した場所である荒野が広がっていた。
もうそこには呪樹の残骸さえもなく、無言の大地だけがあった。
どっと押し寄せた疲れと同時、ルミオルは呆然と立ち尽くした。呼吸を乱したまま恐る恐る振り返ると、そこにはいつもの城下町と、それを見下ろすように聳えた国王の城が、やけに遠くにあるように見えた。
途端に、寂しさがルミオルを襲う。この孤独は、夢にさえ見たことのないほど強烈な恐怖だった。
ずっと一人だった。だから死ぬのも怖くないと思っていた。だがルミオルは、自分が本当の意味で一人になってしまったことを感じていた。状況を受け入れられていない今の心情では、この胸の中にとぐろを巻く不快感を解消する手段はない。
どうして、殺してくれなかったのだ。
死ぬ覚悟があったからこそ無謀になれた。ゆえに精神的にも、物質的にも何も持っていない現実だけがルミオルを包んでいく。ルミオルは虚しさと悲しみで城をじっと見つめた。それは、以前に向けていた目つきとは明らかに違っていた。もうルミオルに恨みはないのだから、当然だった。
どこへ行けばいいのだろう。
親戚など尋ねる気にはなれない。ティオ・メイの外に出たこともあるが、そこで知り合った者のほとんどがルミオルからお零れを貰おうという下心のある者ばかりだった。
財産も権力も失った自分を受け入れてくれる場所は、どこにもない。
ティシラの言うとおりだ、と思う。
こんな何の価値もない自分など、どこぞで野垂れ死に、そのうちに人々の記憶から消え去ってしまうのが相応なのだ。時間と手間をかけて、大勢の人を巻き添えにして名誉を手に入れようだなんて、ないものをねだる子供のようだ。
自分の存在が信じられなかった。なぜ呼吸をして、大地を踏んで生きているのか、それさえも疑問だった。
そんな彼の背後に、足音が届いた。
この広い荒野で、突如気配もなく近付いてきた者の姿を、ルミオルは容易く想像できた。付き合いはそれほど長くないが、ルミオルが初めて心を許した相手なのだ。歩き方の癖も、もう覚えた。
振り向くとそこには予想通り、ロアが立っていた。今までと変わりなく、優しい笑顔を浮かべている。
「なんの用だ……」
もうロアには会えないのだろうとどこかで思っていたルミオルは、本当は彼の姿を見て少しだけ気持ちが安らいでいた。だが、別れを告げにきただけかもしれない。その覚悟も準備している。
「契約を、解消しに来ました」
ロアは穏やかな表情で、酷な言葉を告げた。ルミオルの中で、僅かにあった期待は掻き消える。
「そうだったな……サヴァラスはもう魔界に戻ったのか?」
「はい。人間や天使と関わると碌なことがないと、慌てて後片付けをして消えてしまいました」
「そうか……」
「ティシラに挨拶をしたがってましたが、それも今は難しいということでね」
落ち込むルミオルの気持ちを知っていながら、ロアは続ける。
「あわよくばティシラとお近づきになれればと狙っていたようですが、とても自分の手に負える相手ではないと、未練すら持たずに帰っていってしまいましたよ。まあ、その気持ちはよく分かりますけどね」
軽い口調のロアに釣られ、ルミオルも少し笑う。楽しくてそうしたわけではなかった。ティシラを始めとする、個性と生命力溢れた者たちの姿を思い浮かべ、更に増した自分の惨めさに笑えたのだった。
「さて」ロアは続かない会話を止め。「ルミオル様、これから一体、どこへ?」
突然核心をつかれて、ルミオルは体を揺らした。
「……さあな。どこかを彷徨いながら、いつか飢えて死んでしまうんじゃないのか」
言いながら、乾いた笑いを零すルミオルに、ロアは小さなため息を漏らした。
「何を仰っているのですか。住まいを確保し、働けばいいじゃないですか」
ごく当たり前のことを言われ、ルミオルは表情を消した。何を今更。そうまでして生きていく理由が、どこにある――。
「みんな、そうしているんですよ……仮住まいでも構いません。仕事も、深く考えなくていいのです。気楽に、自由を楽しめばいいじゃないですか。あなたには帰る場所があるのですから」
(……帰る場所?)
ルミオルはそれがどこなのか、まったく分からなかった。
「家族のいる、立派な実家ですよ」
(家族のいる……家?)
ティオ・メイの城のことだと、ルミオルはやっと理解する。だが、ルミオルは追放されたのだ。ロアがそのことを知らないはずがない。
「今のあなたは王子でも、王家の人間でもありません。そして国王も女王も、兄上も、今はただの家族なのです。あなたが一人の人間として生きていれば、いつか家族と会う機会はあります。生きているだけでいいのです。それだけで、家族はあなたを許してくれます」
そんなことが、あるわけがないとルミオルは思う。きっと誰もがさっさと死んで欲しいと思っているのだ。ルミオルはそう思って疑わなかった。
そんな心の声を、ロアは聞いたかのように一喝した。
「あなたの孤独など、たいしたことはありませんよ」
その言葉に、ルミオルは眉を顰める。お前に何が分かる、という反発を、ロアはさせなかった。
「昔、大陸ごとなくなってしまった人種がいます。いっそのこと全滅してしまえばよかったものの、淘汰されていくことを余儀なくされた者が僅か、このパライアスに取り残されてしまったのです。その絶望と孤独に、あなたのそれが勝るとでも思いますか?」
ルミオルは息を飲んだが、そんな大きな歴史と比べられてもと、まだ納得はできない。
「同じです。あなたも、偉人も、みんな人間です。孤独に怯える気持ちは同じ。誰もが真の闇を恐れて戦うのです。その闇に侵食されたときこそ、人は行き場を失うのです……だけど、あなたは生きています。なぜなら、人を引き付ける力を持っているからです。あなたは孤独ではない。今まで自分を殺してきただけ。だから誰もあなたを分かろうとしなかった。開放してみなさい。必ず、いい仲間ができますから」
拗ねたように目を逸らすルミオルに、ロアは一歩近付いた。
「私が、いい例ではありませんか?」
力を抜いてロアに目を向けると、彼は優しく笑っていた。
「自分で言うのもなんですが、私は、メイで言えばトップクラスの魔法使いでしょう? それに、今まで私は他人に力を貸したことなどありませんでした。こんな私の心を動かしたのが、あなたなのです」
自虐し、バカなことばかり考えているルミオルを、最初は哀れに思った。だがきっと説得しても無駄だと分かり、ロアは協力する方向で、彼の本心を知ろうとしたのだった。
ルミオルは、自分の気持ちに賛同してくれたロアに、無意識に素顔を見せていた。それでも深くは追求してこない彼との距離が心地よく、ルミオルは安心しきっていた。
「本当は、何も考えてなかったんですよ」
ロアは彼を救う具体的な方法など持っていなかった。仮にルミオルの計画が順調に進んでいたとしても、出た結果のとおり、物質的な証拠さえ残さなければなんとでもなると、従っているふりをしながら自分のペースを崩さないように努めていた。
そんな中ティシラを知り、彼女の素性を聞いて何かを感じた。勘だけを頼りに、ティシラを巻き込んでみた。
「ティシラが暴れたときは、本気で慌てました」
今となっては笑えると、ロアは眉尻を少し下げる。
騒動が収まってから逃げるように姿を消したが、ルミオルのことが気にならないわけがなかった。
結果が出るまでの間、ティシラの指輪のことを思い出していた。どうして彼女の命が危険に晒されているときに沈黙していたのか。それ以前に、ティシラの暴走さえ止めていればマルシオとの誤解も生まれなかったはず。
もしもあの時、ロアが動かなければ、もしもマルシオを呼び出すことに失敗していたら――その可能性は十分にあった。
何よりもロアが疑問に思うのは、なぜただの指輪が自分に「やれ」と言ったような気がしたのかということだった。ロア自身はただの錯覚だと思うことにしている。しかし、あの場に自分がいなければ、ティシラは確実に命を落としていただろう。
と言う事は――指輪の主はすべてを知っていたのではないのかとしか思えないのだった。
あの時、あの場所で、誰が何をしており、何が起きてどうなるのか。すべてを。
だから指輪は静観していた。そうだとしたら、指輪は、慎重で力を出し惜しむロアの能力を見出し、それを利用したということになる。実際ロアは「錯覚」に襲われなければ、何もしなかった。
(……いいや)ロアは少し瞼を落とし。(指輪の主はここにはいない。私を知って操ったわけではない。なるようになった。それだけのこと)
指輪の主はロアを嫌っているのだ。なのに、危険を承知でロアを使ったということは、それは「利用」ではなく、気に入らない者に無理なことを強要する「嫌がらせ」だとしか思えないのだった。今まで怒ったことがないロアでさえも、顔も名も知らぬ相手にここまで理不尽な仕打ちを受ける筋合いはないと思う。だからもう、「彼」を畏怖の対象として神聖視するのはやめることにした。
「だけど……この結果を見て、これからも自分の力を信じて大丈夫だと、そう思いました」
ルミオルにはロアの言い分が、行き当たりばったりの賭博でも楽しんでいたかのように聞こえた。いや、元々そういうのが好きな性質なのだろう。でなければ、彼が何度も見せてきた自信満々で深い考えがあるような態度が、ただのハッタリだったなんて信じ難いのだから。こっちは命を捨てる覚悟だったというのに、完全に遊ばれていたことを知り、ルミオルは更に力が抜けてしまった。
だけど、と思う。自分が愚者でしかなかったことを知ると、今まで必死になっていたことがバカバカしく感じた。
小さい。なんて、小さいのだろう。こんな自分が生きようが死のうが、誰も気に留めはしないじゃないか。
「急がなくても、人はいずれ死ぬのです」
呟いたロアの言葉を、ルミオルがどう受け取ったのかは伝わらなかった。今のルミオルは空に似た状態であり、風に押されるままに流れて色を変えていくことができる。
「……なあ」焦点の合わない瞳のまま。「もし、まだ俺が死にたいって言ったら、お前は、止めるか?」
いっそのこと、やめろと説得してくれるか、死んでしまえと言ってくれたほうが楽だった。だが、ロアは、やはり前と変わらない。
「いいえ。あなたのお好きになさればいい」
つまり、死ぬなら一人で勝手に死ね――生きている間は、一人で何もできないうちは、手を貸してもいい。そういうことなのだった。ロアは最初からそうだった
「いつまでもここで突っ立ってるわけにはいきません。契約を、解消してくださいますね」
勝手にしろ、と言いたいところだが、答えを出さなければいつまでもロアの皮肉に付き合わされることになる。
「ああ。どこへでも、好きなところへ行けよ」
「お世話になりました」軽く、頭を下げ。「これで、あなたとの主従関係は崩壊しました――ということで、これからはお友達ですね」
用意していたかのように続けるロアに、ルミオルは少し考えたあと、首を傾げた。
「……は?」
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