SHANTiROSE

CRIMSON SAMSARA-50





 ティシラはロアからマルシオを救う方法を簡単に確認し、急いで彼の元へ戻った。
 ロアが心配していたことと同じことをサイネラに何度も言われたが、ティシラの気持ちが変わることはない。
「絶対、私があの変な奴を出さないようにするから」
 と、根拠のないことを強く断言され、サイネラは一度、トールとライザや信頼できる魔法使いなどを集めて話し合いをした。
 しばらくして、疲れた顔をしたサイネラが戻ってきた。話し合いの中、当然反対する者もいたのだが、トールにルミオルの処分のことを教えられ、ティシラなら大丈夫だと背中を押されたのだった。ルミオルのことを聞いて、安堵とティシラへの信頼は強くなったのだが、それとこれとは話が別だと思う。しかし、ルミオルを軽快に裁いたティシラの言動は、今まで彼女を知らなかった者も感心し、トールはその雰囲気を利用して畳みかけてくる始末だった。
 当然サイネラ自身も、マルシオを救う手段があるのに、保身のために放置するのは人として忍びなかった。最終的な決定はトールが下したのだ。何かあったとしても自分の責任ではないと、居直ることにしたのだった。


 一旦人払いをし、必要な魔法使いを集めてマルシオに記憶を操作する魔法が施された。
 その間、別室でティシラとフーシャは彼の無事を祈った。
 ティシラは念の為にと、看病に当たっていた魔法使いに治癒の魔法を受けていた。フーシャはその部屋の片隅で、ずっと声を殺して泣き続けていた。
 待っていた時間は、数十分だった。一人の兵士が、魔法が完了、成功したことを告げに来ると、二人は急いでマルシオの元へ向かった。
 室内にはサイネラだけが残っており、マルシオは変わらずベッドで眠っていた。
「まだ心身に疲れが残っているために眠っています。しばらくしたら目を覚ますでしょう。魔法は成功しました。マルシオの中から、空が割れた辺りから眠りにつくまでの記憶を削除しました。お二人も、どうか彼にその話をされないよう、お願い申し上げます」
「ほ、本当に、マルシオはもう大丈夫なの?」
「はい。なぜ自分が眠っていたのか、分からない状態でしょう。幸い、城にも町にも目に余る被害は出ていませんし、元々マルシオはメイの住人ではありません。眠っていただけと伝えてしばらくここを離れておけば、それで問題ないと思われます」
「……そう」
 安心して息を吐くティシラの隣から、未だ泣いているフーシャが眠るマルシオの傍らに顔を伏せた。
「よかった、よかった……」
 すっかり気弱になってしまったフーシャの背中を見つめていると、サイネラが改まってティシラに話を続けてきた。
「ところで、マルシオが起こした魔法ですが、その様子を目撃していた者は私たちだけです。周囲には、魔族の力だったと説明しておくのが一番差し障りがないと思うのですが……」
「え? ああ、いいんじゃない。たぶんあいつはもうここには来ないと思うし」
「よかった。では、そのようにいたしましょう」


 マルシオが目を覚ましたのは、夜も更けてからだった。
 親しい者に見守られて意識を取り戻したマルシオは、我慢できずに泣きついてきたフーシャに何度も首を捻っていた。
 事情を知るフーシャも必死で涙を抑えて「病に倒れられたのではと思って、心配しました」と、彼女なりに誤魔化していた。
 マルシオは当然、何かあったのかと尋ねてきた。変に白々しくするのも不自然だし、ルミオルがいなくなったという事実は、何もなかったでは片付けられない。
 そこでトールが、ルミオルが反逆を起こしたこと、しかし「ティシラと魔族による対立で終結した」と説明した。思いつきであり、突然利用されてしまったティシラは戸惑ったが、まあいいかと、そういうことにしておいた。
 それを聞いてマルシオは、怪我はなかったか、どうして対立したのか、その魔族は何者なのかをティシラに聞いてきた。純粋に、心配している様子だった。
 ティシラは口籠りつつ、怪我はあったがたいしたことはない。やってきた魔族は、家出をして両親の元を離れた自分を妻にすべく、浚いにやってきた魔族だったと、その場で考えながら取り繕った。
 そのついでにと、ライザが「ティシラを浚おうとした魔族の魔力を受けて、マルシオは気を失った」のだと付け加えた。深く追求されればいくらでも矛盾が生じる話なのだが、疲労で頭の働かないマルシオにはそんな元気はなかった。
 マルシオはその話を信じ、同時に、ティシラが危険に晒されているときに何もできなかったことを情けなく思っていた。
 素直にティシラを心配し、力になれなかったことを謝ったマルシオは、いつもの彼だった。
 ティシラはただ胸を撫で下ろすだけで、途端に酷い疲れに襲われた。目眩を起こして倒れそうになったのを隠し、今日はもう寝ると伝えて自室に戻っていった。
 ティシラはそのまま、ぐったりと眠り続けた。夢も見なかった。

 本当は見たのだが、起きたときには覚えていなかった。


*****



 次の日の朝、ティシラとマルシオはトールたちと一緒に朝食をとった。フーシャは目の腫れが引かないらしく、恥ずかしいからと出てこなかった。
 ティシラのケガは、まだ少し痛みはあるものの傷は完全に塞がっていた。マルシオに知られるわけにはいかないのもあって、大袈裟な治療はせずに自然に任せることにしていた。
 一同は、いつもの平和な朝を迎えていた。昨夜はあまりゆっくり話しができなかったため、ルミオルが起こした騒ぎのことを、マルシオはこの場で詳しく聞いていた。
「じゃあ、ティシラ、お前はルミオルのこと、やっぱり知ってたのか?」
「うん」
「うんって、どうして言わなかったんだよ」
「別に、そんなにたいしたことじゃなかったし」
「たいしたことじゃないって……」
 マルシオは呆れる。いつものことではあるのだが、まだ慣れることができない。
「まあ、いいじゃないか」トールが笑いながら。「最終的にルミオルを助けてくれたのもティシラなんだし」
 ティシラは彼を助けたつもりも、トールの言い方を訂正する気もなかった。素知らぬ顔で食後の紅茶を口に運んでいる。
 マルシオは隠されていたことに不満はあったが、もう終わったことを今更問い質しても意味はない。背もたれに上半身を預け、ため息を漏らした。
「……ルミオル、どこに行ったんだろうな」
 トールもライザも同じ気持ちだった。できることなら、監視をつけて彼が元気かどうか、ずっと見ていたいとさえ思う。
「でもさ、どうしてラストルと仲が悪くなったのかは聞いてないんだろ?」
「……うん。気になるけど、それを僕たちが知ってもどうしようもないんじゃないかって、最近は思うんだ」
「え? どうして?」
 自然と集まった自分への目線に、そんなに重要な意見ではないのにと、トールは慌てた。
「いや、なんとなくだよ。例えば、幼い頃にラストルがルミオルを虐めていたとして、それが不仲の原因だったら、今更ラストルに謝りなさいなんて言っても仕方ないし。それに、本音じゃないのに無理にラストルに謝らせても、ルミオルには何の意味もないんじゃないのか」
「……そうですね」と、ライザ。「あの場でルミオルが、ラストルが影で卑怯なことをしていたと声を上げることもできたはずです。なのに、ルミオルは何も言いませんでした。ただ、恨んでいるとだけ……」
 思い出すと、今でも涙が出そうだった。ライザは場の空気を悪くしてしまいそうなのに気づき、言葉を濁す。だが、間に合わなかった。穏やかな朝の時間が、すっかり暗くなってしまっている。
 その空気を壊したのは、ティシラがカップをテーブルに置いた高い音だった。
「そんなに心配なら、今すぐ連れ戻せば?」
 冷たい言い方だが、ティシラの言うとおりだった。死刑は当然、投獄などして彼を閉じ込めても可哀想なだけだという答えを出したのは自分たちである。自由を与えたのは、両親としての精一杯の愛情のつもりだった。そのことをどう受け取り、どう活かすかはルミオル次第。きっと彼なら、自分の力で立ち直ってくれると信じると誓ったのだ。もう、後悔するのはやめよう。


*****



 朝食の後に改めて話をして、ティシラとマルシオは明日、城を発つことにした。サンディルも気にしているだろうし、一度ウェンドーラの屋敷に戻ったほうがいいということになったのだ。というのは建前で、周囲で騒ぎが起きていたのを何も知らずに寝ていたと思っているマルシオが、どうにもばつが悪そうにしているため、しばらくここを離れて気分を入れ替えたほうがいいというトールたちの意見が合致したためだった。
 二人がティオ・メイへ来た目的は、ティシラをトールたちに会わせること、クライセンについて手がかりはないかを調査することだった。
 後者の目的に関しては、できる範囲で、できることはやった。まったく無駄だったわけではない。それに、ティシラがいる限りはまたいつか機会があるはず。そのときを待ち、逃すことがないように努めることが現時点でのできることとなった。
 しかしまだ解決してない問題があった。フーシャのことだった。
 彼女がどうするのか、どうしたいのかを再確認しなければいけない。もしもまだマルシオのことを諦めていないのであれば、ウェンドーラの屋敷までついてくるのか、それとも城に残ってもらうのかも話し合わなければいけない。
 マルシオが城を出ることを知らされたフーシャは、慌てることなく部屋から出てきた。まだ目や鼻が赤くなっていたが、もう隠している場合ではなかった。
 客室に集まっていたのはティシラとマルシオ、トール、ライザ、サイネラ、ダラフィンだった。フーシャは一同の前に現れ、突然深く頭を下げた。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした」
 一同は呆気に取られていた。フーシャは腰を折ったまま続ける。
「……私が愚かでした。この世界のことも何も知らないのに自分が正しいと思いこんで、決め付けて、勝手な行動を取っていたのです。でも、分かったのです。この世界は、様々な人種や思想が入り混じり、互いに足りないものを補いながら支えあってバランスを保っているものなのだと。それなのに私は自分の世界の常識だけを持って、押し付けようとしていました。深く反省しております」
 一同は唖然としていた。彼女がこういった発言をすることを誰もが望んでいたはずなのに、いざ成ってみると違和感を抱いてしまっていたのだった。
「だけど……私はこの素晴らしい世界へ来てよかったと思っています」
 ゆっくりと顔を上げたフーシャは、今までに見たことのない優しい笑顔を浮かべていた。
「天上界にいては見ることのできなかったことを見、知り得なかったことを知ることができました」
 その表情、その声に敵意は一切感じられない。
「マルシオ様がこの世界に留まられた理由も、分かったような気がします。それは、私も同じ気持ちを僅かながら抱いてしまったからです」
 マルシオに嫌な予感が過ぎった。まさか自分も人間界に残るなどと言い出すのではと思ったのだ。
 だが、その心配は無用だった。
「……だから、これ以上その思いが強くならないうちに、私は天上界へ戻ります」
 一同が驚くと同時、途端に心身が軽くなった。
「今でもマルシオ様への気持ちは変わりません。でも叶わない思いならば、傍にいても辛いだけですから、まだこの足の動くうちに身を引こうと、決心いたしました」
 フーシャは笑顔に明らかな寂しさを灯し、マルシオを見つめた。その後、ティシラに目線を移す。
「ティシラさん、散々失礼なことを言ってしまって、ごめんなさい」
「……え?」
 ティシラは目を丸くしたが、この辺りで彼女が何を考えているのかが読め始めていた。フーシャはその予想通りの言葉を続ける。
「あなたはとても素晴らしい女性でした。魔族だからというだけで悪と決め付けてしまっていた私の目が曇っていたのです。あなたは深い愛情と思いやりの気持ちを持ち、常に正しい道を真っ直ぐに進む勇気のある女性です。私にはないものをたくさん持っていらっしゃるのですね」
「はあ……」
「何よりも、あなたがマルシオ様と通じ合っているということが、よく分かったのです……あなたの言うとおり、私はマルシオ様のことを何も知りません。あなたに適うわけがないのです……だけど、敗北や諦めという気持ちではありません。ティシラさんなら、マルシオ様をきっと守ってくださるという確信が持てたのです」
 ティシラは当然、隣でマルシオの顔も少々青ざめていた。
「マルシオ様」フーシャは彼に顔を向け。「……婚約は、解消いたします」
 マルシオはえっ、と我に返る。
「ミロド様にもそうお伝えします……私は別の道へ進みますが、いつまでもあなたの幸せを願っています」
 言いながら、フーシャの目に涙が滲んでいた。
 このときに、マルシオはフーシャを可哀想に思った。どうしても彼女に特別な感情は湧かない。それがすべての答えなのだが、何も知らないフーシャを最後まで騙してしまっている罪悪感は消えなかった。
 だけど、フーシャはここにいても幸せにはなれない。彼女も自分で決めて行動したのだから後悔はないはずだと、マルシオは自分に言い聞かせていた。一つの未練を断ち切ったフーシャは前に進み、きっとどこかで幸せになってくれる。マルシオはそう信じた。

 フーシャは一同に見送られながら、天上へ消えていった。
 最後にこんな言葉を残して。
「この世界の平安と繁栄を心からお祈りいたします。私たち天使はずっと見守っています。例え姿が見えなくても、あなた方の心の美しい部分に必ず存在しています」


*****



 次の日の朝、帰り自宅を簡単に済ませたティシラとマルシオはトールとライザに案内されて城の門前にいた。そこには、二人を送るための馬車が用意されていた。荷台には何やら大小の荷物が積まれている。厚めの布がかけられ、紐で堅く固定されているそれを、ティシラが隙間から覗きこむ。
「何よこれ」
「お土産。それと、長旅になるだろうから食料も多めに積んでおいたよ」
「こんなに……いらなかったら捨てるわよ」
 正直なティシラにトールは軽い笑いで返す。話している間にマルシオが馬車の戸を開け、中を見て驚いていた。
 中にもお土産とやらが詰め込まれていたのだった。二人用のシートが向かい合って二つあったのだが、片方は完全に荷物に占領されており、そこも丁寧に布と紐で固定されていた。
「なんだよ。ここまですることないだろ。さすがに邪魔だよ」
 それにはトールとライザも首を傾げて顔を合わせていた。
「そこまで頼んだつもりはなかったんだけど……」しかし、すぐに笑いながらマルシオの背中を押してくる。「ま、でもいいじゃないか。二人は十分座れるんだし」
 中に押し込まれ、マルシオは仕方なく腰を下ろす。ティシラも、少し嫌そうな顔をしながらマルシオの隣に腰掛けた。
「旅先でもちょくちょく連絡をくれよ。じゃあ、気をつけて」
 二人がしばらく休養したあと、またここへ戻ることになる予定だったため、トールは何も惜しまずにあっさりと送り出した。
 馬車は数日使用することになるので城の所有物ではなく、城下町の専門店から借りたものだった。手綱引きも長旅に慣れた者二人が、初老の優しい笑顔で出発の準備に入った。
 戸が閉められ、手綱が引かれる。
 馬車が動きだすと、トールはいつまでも手を振って見送り、ライザは深く頭を下げていた。


 城の屋上から、他にも二人を見送る者がいた。
 ラストルだった。
 その表情は険しく、決して旅の安全を願うものではなかった。
 ラストルの怒りは、ルミオルから別のものへと移行していた。大きな飛躍の機会を奪ったティシラに向かっていたのだ。
 しかし彼はまだ彼女のことをよく知らない。なぜティシラが、処分すべきルミオルを救ったのか、その理由を知りたいと思う。
 昨夜、ラストルはトールに厳しい命令を受けていた。決してルミオルを追うな、と。彼はもうすべてを奪われた無力な一人の人間に過ぎない。ラストルが殺意と武器を持ってルミオルを追うことは、悪質な犯罪行為であると断言したのだ。
 そのとき、ラストルはもうルミオルを「赦す」ことにした。彼が牙を抜かれ、脅威になる可能性が絶たれたのなら、相手する必要はないと判断したのだった。
 その代わり、ラストルの野望を妨げる新たな邪魔者が、彼の中で浮上した。
 トールさえ逆らえないという、ティシラの存在だった。
(……あんな小娘に国の大事を左右されるなど、私は認めない。そのようなふざけた王政、私が変えてみせる)
 ラストルは奥歯を噛み締め、ティシラを乗せた馬車が見えなくなるまで睨み付けていた。


*****



 一つの騒動が終わり、帰れば静かな屋敷でゆっくりできる。
 ティシラとマルシオはしばらくぼんやりしていた。
 このまま眠ってしまいそうなほど、馬車の揺れも心地よく感じている。
 そこで、ティシラが唐突に口を開く。
「あ、そういえば」
 マルシオが顔を向けると、ティシラが自分の左手を見つめていた。
「……この指輪、もしかしてもう効力がないのかも」
「え? どうして?」
「だって、私が魔力を使っても何の反応も示さなかったもの」
「魔力って?」
「ああ、あのとき」余計なことを言うまいと気をつけながら。「あんたがいないとき」
 そうは言っても、どうやって確かめるのか分からない。マルシオが黙っていると、ティシラがじっと見つめてきた。
「……なんだよ」
「そうだわ。あんた、私に血をくれるって言ったわよね」
 マルシオは狭い車内で後ずさり、ティシラから離れて壁に背をつけた。その反動で馬車が揺れる。
 一気に怯える彼を見て、ティシラはニヤリと笑った。
「ねえ、私のお陰で、何もかもうまく収まった……そう思わない?」
 それは否定はしない。まずい。ここでは逃げる場所がない。マルシオの息が上がっていった。
「約束したわよねえ? うまくいったらあんたの血をくれるって。ねえ、言ったわよね?」
 認めたくない。認めるわけにはいかなかった。どうしよう。馬車から飛び降りて逃げてしまおうか――マルシオが切羽詰っている間にも、ティシラは魔の手を伸ばしてくる。
「ついでに指輪の効力も試せるじゃない? もう何も起こらないなら、あんたの首筋から直接、いくらでも……」
「!」
 そのとき、馬車が大きな音を立てて振動した。うっかり後輪が石に乗り上げてしまったらしい。外から手綱引きが「ごめんなさい、大丈夫ですか」と声をかけてくる。
 ティシラとマルシオは体制を崩しただけだったが、石のように固まってしまっていた。
 向かいの椅子に積んであった荷物の紐が解け、中から小箱や果物などと一緒にとんでもないものが出てきたのである。
「……いててて」
 そこには、勘当されて行方をくらましたはずのルミオルが、ぶつけた頭を擦って唸っていたのだった。
「な、な……」
 ティシラは震えながらルミオルを指差して大声を上げた。
「なんであんたがここにいるのよ!」
 ルミオルは眉を顰めて、ため息をつきながら体を起こす。
「いやー……行くとこなかったからさ、遠出しそうな荷馬車を探してたんだよ。そしたら君たちがメイを出るって聞いて、一緒に連れてってもらおうと思ったんだ」
「お、お前」マルシオも真っ青になっている。「ずっとここに隠れて……あ、そうか。車内にまで荷物が詰め込まれていたのは、お前の仕業だったのか!」
「そうそう。夜中のうちに潜り込んだんだよ。うまくいったけど、暗いところでじっとしてたら眠くなって……はあ、苦しかった」
 ルミオルは荷物をどけて勝手に椅子に腰を下ろしていた。ティシラをマルシオは顔を見合わせ、汗を流す。
「ル、ルミオル、お前、どこまでついてくるつもりなんだよ」
「え? ああ。決めてないけど……」
 なんにせよ、ルミオルは元気そうで特に落ち込んでいる様子は欠片もなかった。まるで何もなかったかのようである。
「そうだ。君たちの家に連れてってくれないか?」
 ルミオルは爽やかな笑顔で、とんでもないことを言い出した。
「いっそのこと、俺も家族にしてくれよ」
 当然、マルシオは大反対である。
「冗談じゃない! お前みたいな奴と一緒に生活なんかできるか! 大体、お前なんか森が入れてくれないよ」
「森?」
「ウェンドーラの屋敷は神聖な魔力で包まれた場所なんだよ。お前が簡単に出入りできるところじゃない」
「なんだよ」ルミオルは唇を尖らせて。「偉そうに。お前の家じゃあるまいし」
 ふんと鼻を鳴らしたあと、目を丸くしているティシラに微笑みかけてくる。
「ティシラ、君は違うよな?」
「えっ?」
「君は俺の命を救ってくれたんだ。それってさ、俺と一緒にいたいってことじゃないのか」
「……はあ? な、何それ!」
 顔を赤くして声を裏返らせてしまうティシラの手を、ルミオルは引き寄せてくる。
「マルシオなんか追い出して、俺と一緒に暮らそうぜ」
「い、嫌よ、このバカ! 調子に乗らないで。図々しい!」
 ルミオルは暴れるティシラを強引に抱き締めた。
「二人でどこか遠くへ行こう。俺は君と一緒ならどこでもいい」
「離してよ! あんたはロアと悪巧みでもしてればいいじゃない」
 ロアの名を聞いて、ルミオルはふっと腕の力を抜いた。
「ふん、あんな奴どうでもいいよ。俺を置いて自分だけ家に帰っていったんだ。何か変化があったら連絡ください、だと。あの薄情者」
「い、家?」ルミオルを押し返しながら。「あいつ、家なんかあるの?」
「家くらいあるんじゃないのか」
「どこに?」
「知らない」ルミオルは再びティシラを抱き寄せる。「俺は男に興味はない。今一番興味あるのはティシラ、君だよ。どこかで二人で幸せな家庭を築こう」
 ついていけずに隅に寄っているマルシオを他所に、二人は狭い室内で暴れた。ティシラが甲高い悲鳴を上げると、手綱引きの一人が心配そうに振り返っていた。
「いい加減にしなさい……!」
 かっとなったティシラの牙が鋭く伸びた。目の前にあるルミオルの首筋に噛み付こうとした、そのとき、悲鳴を上げたのは、やはりティシラだった。
「いたーっ!」
 指輪は無効化などしていなかった。忘れていた激痛を再び味わったティシラは、ルミオルを振り払って涙目でのた打ち回った。ティシラの異常なまでの苦しみように、ルミオルは何事かと驚いている。
「ル、ルミオル!」これ以上暴れられては困ると、マルシオがやっと口を出した。「分かった。途中までなら一緒に連れていってやるから、大人しくしているんだ。いいな」
 本当は、ティシラに襲われかけていたところに出てきてくれたことは感謝していた。しかし、面倒を見るかどうかはまったく別の話である。
 ルミオルは不満そうに、マルシオを横目で睨んだ。
「はいはい。今は大人しくしててやるよ。今はね」
「今は?」
「お前に従う理由はないし、あってもお前なんかの言うことは聞きたくない」フンと鼻を鳴らし。「でも、こんなムードのない場所で女を口説くのは俺の趣味じゃないからね。だから今は大人しくしててやる、ってこと」
 本気なのか冗談なのか分からないが、ルミオルの言動はとにかく癪に障る。
 それにしても、彼のあまりの変化のなさは呆れの域に達する。元気でよかったというべきか、少しくらい落ち込んでいる姿を見たかったような、マルシオは複雑な心境だった。これをトールたちが見たらきっと同じことを思うだろう。
 ティシラは指輪に右手を被せて背を丸め、真っ青になっている。
 指輪の魔法が健在だったことに絶望していたのだった。
(なによ、なによ……あんなに酷い目にあったのに、みんなからも感謝されたのに……少しくらい優しくしてくれたっていいじゃない!)
 ティシラの言い分は、目の前にいる餌、つまりマルシオでもルミオルでもどっちでも、この際誰でも構わないから血を吸わせろ、という意味だった。ティシラにとって吸血は食事のようなものなのだが、人間界では「化け物」の所業であり、相手を呪い、簡単に命を奪える行為なのだ。
 指輪は、欲を満たしたいが為だけの軽薄な魔力の乱用を制圧している――ということには、正義感や道徳心の薄いティシラにはまだ、理解できない。
「……もう、いや」
 ティシラが涙を零すとマルシオとルミオルが心配して声をかけてきたのだが、ティシラは「近付かないで!」と怒鳴り声を上げて二人を蹴飛ばした。
 馬車は激しく揺れ、手綱引きの二人は驚く馬を慌てて操作していた。トールから「ちょっと元気がよ過ぎるかもしれないけど……」と忠告はされていたが、目的地に辿り着く前に馬車が壊されるのではないかという不安を抱いた。

 何はともあれ、新たな「仲間」を連れ、ティシラたちの旅は続く。


SHANTiROSE
第一章 CRIMSON SAMSARA

<了>

後書・予告



   

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