SHANTiROSE

HOLY MAZE-14





 パライアスにはティオの名を持つ国が九つある。
 ティオの名を持つ国は、パライアス初代国王ガラエルが設立したものだった。ガラエルは魔法戦争後に世界を統治するために、自然の法に則り九人の王を選んだ。それぞれの王が支配する国は、今も歴史を尊びながらパライアスを守り続けている。
 現在ティオの国で一番力の大きい国家がティオ・メイであり、その次に位置する国をティオ・シールと言う。
 ティオはアンミールの古い言葉で「神」、シールは「海」の意味を持ち、それぞれにその名を象徴する印を胸に抱いている。と言っても、シールは海を支配しているわけではなかった。ティオの国が持つそれぞれの名はあくまで象徴であり、シールが抱く「海」は「偉大なる水の王」「亡き友、ランドールの民が眠る場所」という敬意を、パライアスを代表して掲げているのだった。
 現在シールはメイの兄弟国として健在している。この二つの国の王族はガラエルとディシスという二人の王の血を分けていた。過去に諍いはあったものの、戦争によって一度決着はついているのである。再度避けられない衝突が起こらない限り、二つの国の立場が変わることはなかった。


 ティオ・シールはメイから西南の方角に位置している大国である。城の正面は荒野と森だが、背後にはシールを慕う小国が並んでいる。
 シールはガラエルの子孫であるロゼッタが王位を継いできた。現在はカーグという男が国王として君臨している。
 カーグは王としての器はあるのだが、野心も強かった。幼い頃から帝王学を身につけ、正しい理解を持っている。彼はメイの存在を快くは思っていなかった。しかし、ロゼッタ一族は過去に、確かに敗北したのだ。その事実は認め、受け入れなければいけない。いくら過去を批判しても無意味だと考えていた。
 再びロゼッタがメイを取り戻す手段はただひとつ。インバリンに打ち勝つこと。
 それの手段が戦争に限ることではないとも分かっていた。必要があれば武力行使を惜しむつもりはない。だが、もうそんな時代は終わったのだ。いや、そんな野蛮な時代は終わらせる。それがパライアスの総意だと、カーグは信じていた。
 まずカーグは、本当の意味での国の独立を望んでいた。現在はほとんどの国をメイの兵が守っている状態だった。国の軍隊はメイの兵学校を通った者がほとんどであり、各地に設置してある砦も、そこに常駐する兵隊や武器も、ほとんどがメイのものである。
 カーグが国王になってから数十年のうちに、シールはいろんなものを作った。学校や兵隊、武器を、できる限りで独自で揃えるようになった。それでもまだ半数以上がメイに頼っている状態ではあるが、メイの支配は強制ではなかった。国力を増強し、自分で国を守れるのであれば拒否することも可能である。カーグはシールからメイの武力を排除することを、今の目的としていた。
 それを現実にしたところで、今のままではそう簡単にメイを越えることはできない。世界に絶対的な信頼を得ているメイと対立することは、世界を敵に回すのも同然。
 だから、カーグはラストルに目をつけたのだった。
 ラストルの噂は聞いている。カーグにとってはまだ若造ではあるが、そうは言ってもメイの王の長男であることも相違ない。まずはラストルという人物を知り、若いからこそ確実にある「隙」を見極めること。それが今回の目的だった。
 カーグは、トールが懸念していたとおり、メイの内側から侵食していくことを狙っていた。正面から叩くだけが攻撃ではない。いずれメイの要となるラストルを今のうちに骨抜きにしておくか、シールこそが世界の頂点に相応しいと洗脳し、メイを裏切ってもらうのも悪くないなどと考えていたのだった。
 メイもそのくらいの企みはお見通しである。だからカーグは堂々と罠をかけた。今すぐどうこうなるとは思っていないが、今回のラストル訪問が大きな鍵となることは確かだった。今回のことを逃せばひとつのチャンスが無くなるのだ。
 メイが警戒しているのは重々承知。それでもメイはシールの条件を飲んでラストルを送ってくることになった。どんな手を使ってもラストルの心を掴み、時間をかけて侵食していくための足がかりにしなければならない。
 そんなカーグには、ある秘策があった。
 他ならぬ「魔女騒動」の件である。
 事前にアジェルという魔法使いがシールを訪れていた。彼はカーグにだけ報せたいことがあると近付いてきた。当然、カーグはアジェルを怪しく思った。
 魔女の事件のことはもちろん認知していた。疑うカーグを動かしたアジェルの言葉は「ティオ・メイではなく、シールの王であるあなたにお話したい」というものだった。
 カーグは彼と二人きりで話しをした。アジェルは「魔女を見つけた」と告げ、声を潜めて本音を口にした。
「……これからお話することは、私の魔法使いとして、そして人間としての人生を賭けた告白でございます」
 アジェルは黒髪に黒髭の細身の中年で、浅黒い肌に汗を流していた。ただならぬ様子に、カーグも真剣に耳を傾ける。
「魔女を見つけ、魔法で閉じ込めております。人間の女性の遺体もあります」
 人が死んでいるということは、大きな事件である。カーグは息を潜めた。
「しかし、その魔女が殺害したという証拠が、ないのです……私は恐れました。このまま魔女と遺体を公表しても、人々は私を信じないのではないかと。魔女が人間を殺したという証拠が出なかった場合、第一発見者である私が疑われることになり兼ねません。だから私は今まで、魔女のことを調べていたのです。そのために時間がかかってしまいました」
 城の奥にある薄暗い客室で、カーグは平静を保った。
「……本当に魔女なのか?」
「はい。姿を見れば分かります。人間のそれではありません。しかし人間に近い形をしており、言葉も解します。確実に、女性なのです」
「そもそも、魔女とはどんな魔族なのだ」
「それは、はっきりとした定義はございませんが、人に非ず、人間の命を奪い、恐怖を撒き散らす。それだけで十分に邪悪と呼べるでしょう」
 カーグは片足を引き、カーテンの閉まった窓を見つめた。その間、背後でアジェルは緊張の糸を緩めることができなかった。
 カーグは冷静に頭の中を整理していた。魔法使いには謎が多い。アジェルの言葉もすべてを鵜呑みにするわけにはいかない。まずは自分の目的を忘れることなく、何よりも彼がなぜここへ来たのかを確かにする必要があると判断する。
「……それで」カーグは再度、アジェルに向き合い。「ティオ・メイではなく、私のもとへ来た意味とは?」
 カーグは話を確信に持ち込み、じっとアジェルを見つめた。アジェルはもうひとつ汗を流し、答える。
「女性を殺した犯人が魔女であるという証拠が必要なのです。お願いがあります――どうか、私に協力していただけませんでしょうか」
 アジェルは声を殺し、深く頭を下げる。カーグは黙って彼の後頭部を見据えた。
「……世のためでもあるのです。殺人事件の犯人が不明のままでは、人々はこれからもずっと見えない影に怯え続けなければいけません。ましてや、人の心を癒す存在であるはずの魔法使いが、間違って犯人だと疑われてしまえば、魔法の価値が揺らぐのです。もちろん、私の力不足であることは認めております。しかし限界があります。魔女が白状せず、遺体からも何の証拠も出ないのであれば、私はどうすることもできません。どうか、どうか、ご協力を……」
 カーグにアジェルの言いたいことは伝わっていた。
 彼はつまり、カーグに「証拠を適当に見繕い、魔女が殺人犯であると世間に報せろ」と言っているのだった。アジェルの言った「人生を賭けた告白」の意味も分かった。もしここでカーグが断れば、アジェルは完全に信頼を失い、立場は修復不可能なまで地に落ちる。
 しかしまだ肝心のことを聞いていない。なぜそんな危険を犯してまで国王に願い出たのか。確かにカーグが発言すればほとんどの人間は信じるだろう。
 だが「大国の王」ならば、メイを始め、他にも存在する。
「それで……私である必要は、一体なんなのだろう」
 アジェルは頭を下げたままピクリを肩を揺らした。神妙な表情で、ゆっくりと顔を上げた。
「……ティオ・シールの暗い歴史のこと、存じております」
 触れられたくないことに触れられ、カーグはアジェルに厳しい目を向ける。アジェルは慎重に言葉を選んだ。
「魔女の件は、無論、民のためでもあり、そして、私自身を守るための解決を求めております。そのためには、少しの嘘が必要になるかもしれません」
「嘘……? 私に、民を騙せと、そう言っているのか」
「いえ、魔女の件に関しては、すべての責任は私が背負います。カーグ陛下にはただ、私を利用していただきたいと、そう申し上げているのです」
 ――これは、取引だった。
 話し合う価値は十分にあると、カーグは判断する。アジェルは地位を持った魔法使いだった。噂によれば人々からの信頼も厚いと聞く。そんな彼を味方につけることは、決して損ではないはず。
 カーグは薄笑いを浮かべた。


*****



 クルマリムの片隅の酒場で理性を失いかけたティシラは、マルシオたちに更に酒を飲まされてすっかり酔いつぶれてしまっていた。
 マルシオとルミオルとロアの三人は、テーブルに上半身を預けて眠るティシラの傍で話し合った。
 自分たちが関わることなく問題が解決するに越したことはないのだが、それはないに等しい希望だった。いつまでもティシラを誤魔化して時間を稼ぐことも、おそらく無理だろう。
「とにかく」マルシオが額の汗を拭いながら。「今日はティシラも一緒にどこかに泊めてもらおう」
「俺は構わないけど」ルミオルも疲れた表情を浮かべていた。「お前の屋敷は近いんだから連れて帰ってもいいんじゃないのか」
「そ、それは俺が困る。朝起きてティシラがまた暴れたらどうするんだよ」
 つまり、マルシオは自分一人に押し付けないで欲しいと言っているのだった。気持ちが分かるルミオルとロアはため息をついた。
「でもルミオル様の宿は避けたほうがいいでしょう。この面子は少々目立ちます。誰かに興味を持たれるのは面倒です」
 ロアの提案により、マルシオがティシラを抱え、町の奥にある古い宿へ移動した。


 一同は酒屋を出て、大通りとは逆の狭い道へ進んだ。身なりは綺麗にしているのに、酔い潰れた少女を抱えた一同を振り返る人はいたのだが、今はちょうど酔っ払いがいても珍しくない時間帯だったため、追求されることはなかった。
 貧しい旅人が好んで立ち寄る木造の宿があった。年寄り夫婦が経営している庶民的なところで、優雅な旅行者は見向きもない宿である。マルシオたちが空いているかどうかを尋ねると、受付にいたお婆さんはにこりと微笑んだ。
 老朽化は進んでいるが、毎日丁寧に掃除をされている様子が伺える。お婆さんは、若くて破棄のある客人に喜んでいたようだが、物珍しい目では見なかった。
 マルシオはいくつ部屋を借りるかを迷った。
「おい、ルミオル」
「なんだよ」
「一晩休むだけなんだ。余計なことはしないと約束できるか」
 できればティシラは目の届くところに置いておきたかったが、ここでルミオルがふざけたことを言えば、念の為に隔離しておくべきだとマルシオは考えていた。
 ルミオルは呆れて肩を落とした。
「人を動物みたいに言うなよ。そりゃ、好みの女の子と同じ部屋に泊まれるなんて、これほどのチャンスはないけどさ。だからって君たちがいる前で夜這いなんかできるわけがないじゃないか」
 いちいち言葉が多いとマルシオは苛立つが、万が一何かあろうものなら、指輪の魔法でティシラが断末魔の悲鳴を上げるだけである。一晩眠るだけ。そう思って四人部屋を借りることにした。
「大体、なんで俺だけなんだよ」ルミオルはブツブツ愚痴った。「マルシオはともかく、ロアだって怪しいだろ」
 えっ、と、隣でロアが顔を引きつらせる。
「いえ、私は……彼女に対して、そういうことは……」
 声が小さかったのは自信がないからではなかった。熟睡しているとはいえ、目の前にいるティシラに失礼な発言だったからだった。
 マルシオとルミオルは、ロアなら疑う必要もないと、明確な理由はないのに納得してしまい、それ以上は何も言わなかった。

 酒臭いティシラから早く開放されたかったマルシオは、渡された鍵の部屋まで早足で進んでいった。
 その後をゆっくり着いていきながら、ルミオルは顔を向けずにロアに呟いた。
「……どうでもいいけど」まるで独り言のように。「いつまでも『ルミオル様』なんて呼ぶなよな」
 ロアは歩きながら横目で彼を見つめた。ルミオルは少し顔を逸らしている。
 二人の間にもう主従関係はなく、今はただの「友」だと自分が言ったことを、ロアは思い出した。
 ルミオルは家を出て、友と自由な時間を過ごしている。持って生まれたものを捨ててしまうことはできないが、今は体一つの人間でいたいと、そう思っているのだろう。
 本当の友ならば相手の気持ちを尊重しなければいけない。ルミオルに敬称をつけてしまうのは癖のようなものだったのだが、些細なことで彼の意志に水を差すのは気が引ける。
「……それもそうですね」
 ロアは目を細めて微笑みながら、彼から目線を外した。
「ルミオル、と。早く慣れるように努力します」
 それはそれで違和感を否めないが、少なくとも透明な距離感は消える。
 言いたいことは言った。それでもロアが直らないなら、本当にただの癖なのだと、そこに意味はないのだと思える。どこかで気になっていたことが一つ解消し、ルミオルは少しだけ体が軽くなったような気がした。

 部屋はベッドが四つ並んだけの簡素なものだった。壁伝いに横長い鏡台が設置されているくらいで、食事は別の広間が用意されているとのことだった。受付でお婆さんが「朝食は食堂で用意するから、よかったらいらっしゃい」と言ってくれた。
 ティシラを窓側のベッドに寝かせ、その隣にマルシオ、次にルミオル、ロアと並ぶことになった。
 それぞれに寛いでいるうちに、夜は深くなっていった。


 心配事は山積みだったが、すっかり疲れた三人は盛り上がる話もないまま消灯した。
 開け放したカーテンからは月の光が差し込んでいた。その下で、ティシラは真っ赤な顔で眠っている。
 マルシオは横になっていたが、すぐには寝付けなかった。ルミオルも同じらしいが、きっと胸中はマルシオより深刻な悩みを抱えていると思う。
 目を閉じても、自然と瞼が上がってしまう。
 マルシオはつい、声を漏らしてしまった。
「……なあ」
 返事はなかった。しかし、気配でルミオルも眠っていないと分かる。マルシオは所々掠れた声で、続けた。
「……お前、ラストルと、何があったんだ?」
 親であるトールたちも静観していることであり、マルシオも関わるつもりはなかった――こないだまでは。
 ルミオルの本音に触れ、こうして友として行動していると、昔の嫌悪感が幻のように消え去っていることにマルシオは気づいていた。もう少し、彼に近付いてもいいのではないだろうかと、そんな気持ちになっていたのだった。
「言いたくないなら、聞かないけどさ……俺、お前たちを昔から見てきたし、小さい頃はあんなに仲良かったじゃないか。何もなかったわけじゃないだろ……もしかしたら、誤解し合ってるのかもしれないし……だとしたら、話してみればいいと思うんだ。お前は、そんなに悪い奴じゃない。だからきっと、ラストルもそんなに嫌な奴じゃないかもしれない、なんて思うんだけどさ……」
 呟いているうちに、マルシオは自分でも何が言いたいのか分からなくなってしまった。このまま無視されそうな雰囲気に気まずさを隠せなくなる。
 もういいや、と、マルシオはルミオルに背を向けた、向けようとした。
「……事故だったんだ」ルミオルが、布団を被ったまま応えた。「二人とも死ぬくらいなら、片方だけでも助かったほうがマシだ。それは、子供の俺にも分かった」
 マルシオは大きく目を開きつつ、黙って耳をすました。
 事故のことは知っている。二人が幼い頃、森で起きた地震で大怪我をしたことだ。そのときをきっかけに二人は憎しみ合った。
「だけど……奇跡的に助かった俺を見て、あいつは真っ青になっていた。その顔は、今でも忘れられない」
 マルシオの鼓動が、静かに早まった。音を潜めて息を飲む。
「そのときに分かった」
 次の言葉を最後に、ルミオルはこの話には二度と触れなかった。
「……兄上は、俺を、殺したかったんだと」
 しんと、冷たく重い空気が漂った。
 マルシオは、不思議だと思った。詳しいことは分からないが、本当にラストルがルミオルを殺そうとしたのなら、ルミオルの恨みと傷は相当深いだろう。
 なのに、なぜか、ルミオルの声は冷静に感じたのだった。
 ルミオルともっと話がしたかった。憎むならとことん憎んで、辛いことは吐き出してしまえばいいのにと思う。どうして彼は一人で抱え込んでいるのだろう。そこには、きっと理由があるに違いない。その理由を、知りたかった。
 ルミオルは一度謀反を起こし、失敗に終わった。そのときに彼の復讐は終わったのだろうか。だからラストルを許そうとしているのだろうか。
 もしそうならば、今は話す機ではないのかもしれない。
 ロアもきっと聞いていたのだろうが、じっと身動き一つしない。マルシオとルミオルは背を向け合ったまま、沈黙した。
 そのとき、泥酔しているはずのティシラの瞼の下の瞳が微かに動いていたことは、誰も気づかなかった。


   

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