SHANTiROSE

HOLY MAZE-13





 二日後、シールからメイにとって最悪の報せが届いた。
 会議室には、ラストルを除く以前と同じ、トール、ライザ、サイネラ、ダラフィンというメンバーが集まっていた。サイネラがシールからの通達を手にし、トールの前で読み上げた。
 内容は、ティオ・シールの現国王カーグ・ロゼッタからものだった。シールはアジェルと共に魔女の事件解決に尽力するということ。アジェルとの協議の結果、現時点ではティオ・メイからの特別な支援は不要であること。理由は、国民を極力脅かさないために決められた最小限のメンバーで取り掛かるためだった。だが、情報共有のため、視察という形であるならば歓迎する、ということ。
 問題は、視察にはラストルが指名されており、それ以外の人物はシールが許可を出すまで立ち入り禁止ということだった。
 サイネラが「以上」と結び報告を終えると、一同は暗い顔を並べていた。
「……これはまた」トールがため息混じりに。「分かりやすい罠を仕掛けてきたな」
 サイネラは文書を見つめたまま、同封されていた手紙の内容を伝える。
「次期国王継承者として名高いラストル様は、幼い頃にお顔を拝見したのみ。同じロゼッタの血を持つ者同士として、ご立派に成長されたであろう第一王子の手腕を拝見したい、とのことです」
「明らかな挑発だな。ルミオルが家出したことも知っているのだろうし、ここでラストルを潰すつもりだな」
 ライザが顔を上げ、強い口調で発言する。
「決してラストルを行かせるわけにはいきません。カーグ殿がそう仰るのなら、私たちは傍観に徹しましょう」
「僕もそうしたいところだが、ラストルが黙っていないだろう。メイが傍観すると決定を下しても、ラストルの行動を制限することはできない」
「城から出ないように命令すべきです。これは人の命が関わる大変なことなのですよ」
「ライザ、まずは落ち着いて……シールだってバカじゃない。そんなに簡単にラストルを殺すなんてしないよ」
「でも……」
「ロゼッタの最終目的はティオ・メイを取り返すことであって、インバリンを滅ぼすことじゃない。安易に王子を殺すようなことをすればロゼッタの立場が悪くなるだけだ。おそらく、ルミオル失踪直後の今、ラストルを潰すか取り込むかの機会であると狙いを定めたんだろう。次期王を今のうちに自由に操れる状況を作っておきたい、そういうことなんじゃないかな」
 確かに、少々感情的になってしまったと、ライザは言葉を失う。
「しかし」と、ダラフィン。「なぜここでラストル様なのでしょう。まさかラストル様の意向がシールに漏れたということは……」
「それはあるかもしれない。メイの内部の者が噂として流した可能性はある。奴らにとってはチャンス以外の何でもない。ラストルのことがあったからこそ、魔女の件は自分たちが引き受けるという姿勢を取ったと考えてもおかしくないしね」
 ならば尚更、ラストルを行かせるべきではないと一同は思う。
 だがトールは、しばらく目を左右に揺らしたあと、こう言った。
「でも、こうなったら行かせてみてもいいかもしれないな」
 一同が驚いて顔を上げる。物申したい表情を浮かべる一同に、トールは冷静に続けた。
「なにも言葉通りラストルたった一人というわけではない。数人の従者くらいつけるのが常識だ。ここで無理に閉じ込めてしまったら、ラストルが単独行動を起こす可能性だってある。そのほうがよほど危険だ。きちんと手続きや段取りを整えておけば、シールで何が起こっているのかも伝えられるはずだし、僕たちの意志でラストルをシールに送ったという形にすることで、こちらにも責任が生じて動きやすくなる」
 一理あると、それぞれが緊張を緩めたが、ライザだけは納得がいかなかった。
「それは、ラストルを、囮になされるという意味でしょうか」
 トールは面食らったように固まった。
 ライザは女王であり、母親でもある。ただでさえルミオルの未来と身を案じて胸を痛め続けている。その上ラストルにまで何かあってはと思うと堪らないのだろう。トールはそのことを分かっているつもりだったし、自分自身も同じ気持ちはある。
「そうじゃない……僕だってシールの嫌がらせなんかに乗りたくはない。しかしラストルが行きたいと言っているんだ。僕たちが反対したら何をするか分からないだろう。紐で繋いで牢に閉じ込めるわけにはいかないんだし。だからいっそのこと堂々と仕事を与えて、こちらと意志を揃えたほうがいい。そう思わないか」
 ライザは俯く。答えを出す前にもう一度ラストルを説得することはできないのかという思いを、ぐっと飲み込んだ。
「……そうですね。ラストルももう子供ではないのですし、ひとつの転機なのかもしれません」
 そう言って力を抜いたライザの声は不満そうだった。トールは彼女の顔色を伺いつつ、話を続ける。
「これで決定ということじゃない。まずはシールに返事を伝えよう」
 サイネラが頷きながら。
「一番大事なことは、ラストル様とのお話し合いです」
「僕が話す。ラストルの希望は叶うのだから、当然こちらの話も頭に叩き込んでもらわないとね。今の態度を改めない限り城から出さないつもりだ。皆も気を張って、尽力するように」
 逃げられないなら正面から立ち向かう。その姿勢をはっきり見せたトールに、一同は心を引き締めた。


 トールとラストルの話し合いは一日かかった。事情を知る者は、思っていたよりも早かったという感想を抱いていた。
 意外にもラストルはトールの言うことを素直に聞いた。拍子抜けしたトールだったが、彼のいつもの冷たい瞳は見逃さなかった。どうやら、反抗すればするほど不利になるとでも考えたのだろう。
 これは厄介な手段に出たなと、トールは汗を流したが、姿勢を正してきちんと受け答えする彼に大きな声は出なかった。
 ラストルの真意までは探れなかったが、真剣であることだけは分かる。国を裏切ろうだとか、何かを欺こうだとか、そういった敵意は感じなかった。少しくらい信じてみてもいいだろうと、トールは彼に責任を背負わせた。


*****



 出発を明日の昼に向かえた夜、ラストルはシオンに会った。
 いつもの薄暗い一室で、まだ一般人には知らされていない事実を聞き、シオンは言葉を失った。
 きっと喜んでくれると思っていたラストルは、目を伏せる彼女の態度に戸惑う。
「……どうした。なぜそんな顔をする」
 シオンはラストルの胸元に縋るように顔を寄せた。
「だって、遠くへ行ってしまうんでしょう?」
「しばらくの間じゃないか。私だって会えないのは辛いが、必ず強くなって帰ってくる。そのときにはきっと君と結ばれる日が近付いているはずだ」
「それは嬉しいわ……あなたが私のためにそこまでしてくれるなんて、信じられないくらい嬉しい。でも……」
 思い詰めたように唇を噛む彼女の肩に、ラストルは手を置いて顔を覗き込んだ。
「言いたいことがあるなら、今のうちに言っておいて欲しい。私はこれから戦いに行く。気がかりなことを残してしまっては、浮ついた気持ちが足枷になることもあるんだ」
 それでもシオンは、すぐには答えなかった。ここ数日、彼女の心は揺れていた。疑ってはいけない、考えてはけないと自分に言い聞かせていたのだが、どうしてもラストルが本当に自分だけを愛してくれているのかという不安を拭いきれなかったからだった。
 会える日は何日、何十日と間がある。会えばその短い時間、ずっと愛を囁き、いつか必ず傍に置くと約束をしてくれる。とても幸せだった。
 しかし会えない日は彼が何をしているのか、まったく見えないのだ。毎日どこで、誰と会い、何を話しているのか――。
 シオンは聞きたくないと思いつつ、つい他の団員の恋の話を聞いてしまうのだった。いくらエンディが厳しくしても、周囲の年頃の女性は恋愛の話が好きで、そして、とても楽しそうにしている。気になって当然だった
 自分だって理想の相手と恋愛をしているはずなのに、どうしても取り残されているような孤独感が消えなかった。
 今回ラストルがシオンのために行動を起こしてくれたことは、本当は光栄なことのはずだった。一国の王子が二つの国を跨いで大きな仕事をしようとしてくれている。もしすべてがうまくいけば、今度こそ揺ぎ無い愛を目に見える形にして、ずっと我慢していた思いを開放できるのかもしれない。いや、そうしなければいけないのだ。そうしなければ、身分違いの二人が結ばれる日はこないのだから。
 そのことは、シオン以上にラストルのほうが心得ている。シオンはどこかで、これだけ愛し合っているのなら周囲も分かってくれるのではないのだろうかと夢を抱いている部分がある。だからどうしてラストルがここまで慎重になっているのか、すべてを理解することができなかった。
 不安に不安を重ねていたシオンは、ラストルが手の届かないところまで行ってしまうのではないかという予感を抱いてしまった。
 今日彼を見送ったら、彼はこの地を離れてしまう。仕事が終われば戻ってくるというのは確かだろうが、そのとき、ラストルはまた自分を呼んでくれるのだろうか。
 シオンはたまらず、彼に腕を回して強く抱きしめた。
「離れたくない……ずっと一緒にいたい。あなたは私といないとき、他のことを考えているのでしょうけど、私はずっと、毎日毎日ニルが迎えにきてくれないか、窓を見つめて待っているの」
 できることなら、ラストルに迎えに来て欲しかった。会ったばかりのときは、いつかそんな日が来ると疑わなかった。人に話せないとはいえ、誰も知らないだけで二人が愛し合っていることはは真実なのだと、胸の中にだけある期待と優越感だけで満足、できているはずだった。
 これは、我侭だ。シオンは自分の欲深さを責めた。
 最初は、これは普通の恋愛ではない。自分だけの特別なものだと浮かれていたというのに、結局は周囲と同じものを求めてしまっている。違う、羨んでいるのだ。
 会いたいときにいつでも会えて、悩みを相談して、一緒に笑ったり怒ったり、友達にからかわれたりする。そして、心も体のひとつになること。傷なんかつかない。汚れなんかしない。愛し合っているのなら、そこに生まれるのは幸福だけではないのだろうか。
 ――だけど、シオンはそんな気持ちさえも伝えることができないでいる。
 言えば嫌われる。もう会えなくなる。きっと、耐えていればいつか結ばれていたはずなのにと、死ぬまで後悔するのかもしれない。
 怖くて、口に出せなかった。
「……でも」シオンは腕を緩め、彼から体を少し離した。「寂しいのは、私だけじゃないのよね」
 本心を押さえ込み、顔を上げて微笑んだ。瞳の僅かな震えをとめることができなかった。ろうそくの灯りだけの中でも、その様子はラストルにもはっきりと見えた。
 ラストルは彼女の頭を抱えるようにして、今度は彼から抱きしめた。
「辛い思いばかりさせてしまって、悪いと思っている。今回のことは、君がいなければ私は何もせず、変わらず今の環境に甘えていただろう。君のためでもあり、私自身の成長のためでもあるんだ。まだ始まったばかりだが、君にも協力して欲しい。どうか私を信じて、待っていてくれないだろうか」
 いつも、待ってばかり。シオンはそう思い、もう一度ラストルを包む腕に力を入れた。
 彼の言う協力とは、待つことだけ。じっと、何も言わずに。
 ラストルがそれを求めているのなら、与えるしかない。彼の望む女になる努力とは、耐えることなのだ。シオンはそのことを自覚した。
「……分かったわ」
 引き止めることも、連れていってもらうことも不可能。ならば理解を示すしかない。例え、本音ではなかったとしても。
 十日以上会えないことも珍しくなかった。きっと今までと変わらない。シオンはそう思って、感情を押し殺した。
 ラストルは素直に頷くシオンの額にキスをしたあと、窓際にいたニルに声をかける。ニルはすぐにラストルの伸ばした腕に飛び移ってきた。シオンも白いフクロウを見つめた。
「シオン、君の不安や辛さが分からないわけではない」
 ドキ、とシオンの胸が小さく鳴る。ラストルは腕を傾け、ニルをシオンの肩に乗せた。
「ニルを、君の傍に置いておく」
「ほ、本当? でも、そんなことをしたら……」
「それで君の寂しさが少しでも癒されるのなら、構わない。ニルの主には私から言っておく。彼は利口な男だ。何も問題はない」
 シオンはやっと、薄く微笑んだ。離れている間も、何かしら繋がりが持てる。そう思うと気持が楽になった。ニルに顔を寄せると、ニルも彼女の頭に擦り寄ってきた。
「ニルも君に懐いているし、強くはないが、魔力も持っている。家族にはうまく伝えて、しばらくの間、彼の世話を頼む」
「……ええ。大事にするわ」
 やはりラストルが自分を大事に思っていてくれることを確認できたようで、シオンは安らいだ。彼女のそんな気持ちが伝わり、ラストルも微笑む。
「戻ってきたら、一番に君に会いにくる。だからしばらくは、一人で耐えて欲しい」
 シオンはやっと、ラストルの目を真っ直ぐに見つめて頷いた。
 ラストルは改めて彼女の美しさ、可愛らしさを確認しながら、守りたいと強く思う。
 そして二人は別れた。また遠くない日に、再会できると信じて。


   

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