SHANTiROSE

HOLY MAZE-12





 その日は結局答えは出ず、ラストルは退室することになった。
 考える余地はある、その前に具体的な計画を立てる必要があると、トールは残った者と話し合うことにしたのだった。
 その中でラストルにできることがあれば任せる。だからしばらく待つようにと言われ、ラストルはそれに従った。
 だが、もしトールの下した結論が納得のいかぬものだった場合は、大人しく言うことをきくつもりはなかった。そのときは一人でも魔女のことを調べ、単独で事件を解決させてやる、そんなことを考えていた。身勝手なルミオルと同類だと言われるとしても、構わなかった。最後に自分が手柄を立てればそれでいい。ルミオルとは違うことを証明すれば済むことなのだから。
 ラストルは一人で部屋で待つあいだ、ドゥーリオを呼びつけて、密かに旅の準備を命じていた。シールは一応、親族関係でもある。私用で友好国であるシールに向かうことにでもすれば、誰も無理に止めることはできないだろうと高を括っていた。
 ドゥーリオは困惑しながらも、ラストルには逆らうことはできないことを知っているために、できるだけ時間を稼ぎながら言うことを聞いていた。ラストルが自ら事件解決に足を運ぶことには反対ではない。しかし、国王の命令なしに勝手な行動をすることは、さすがに阻止したかった。
 荷物を揃えながらも、トールが賢明な判断を下し、うまくラストルを説得してくれることを祈る。
 自室の椅子に腰掛け、厳しい表情を浮かべるラストルの傍を、気まずそうにドゥーリオが横切った。そのとき、ラストルがふっと呟く。
「……父上はなぜ、あれほど高圧的に私を抑え込まれたのだろう」
 ドゥーリオは足を止め、ラストルの隣に立って俯いた。
「もちろん、あなたをご心配なされていらっしゃるからですよ」
「心配? バカな。父上は普段私に興味など持たれていない。なのにこうして自分から仕事が欲しいと前に出れば、この仕打ちだ。一体何を考えていらっしゃるのか……」
「ご心配なされていらっしゃいますよ……父親なのだから、当然です。今まではラストル様が城にいらっしゃったから、何も仰らずに見守られていたのです。でも、いざ外へ出られるとなると話が違います。しかも複雑な事情の絡む事件なのです。ラストル様に事の大きさを存じて欲しく、お辛く当たられたのでしょう」
 ラストルは僅かに首を傾け、ドゥーリオを睨み付けた。
「……お前も、私が世間知らずの自分勝手な男だと、そう言うのか」
 ドゥーリオは慌てて頭を下げる。
「とんでもございません。慎重にならねばラストル様に危険が及ぶ、陛下はそのことを懸念されていらっしゃるのだと申したかっただけです」
 ラストルはしばらくドゥーリオを見据えて、ふんと鼻を鳴らしながら目線を外した。
「まあいい……父上が何を言おうと、私の答えは決まっている。意志は伝えた。周囲が反対するか賛成するか、それだけの違いだ」
 ドゥーリオは頭を下げたまま汗を流した。そんな彼に、ラストルは薄ら笑いを送る。
「ドゥーリオ、お前は口の堅い男だ。だから傍に置いている。その意味は分かっているだろう?」
「……は」
「余計なことはしない。それがお前の仕事だ。これからも変わらず、私の言うとおりにするのだ。いいな」
 ドゥーリオは足を揃え、一礼して室を出た。
 本当は、ラストルのことを思うならば、反対だった。できることなら、トールに断固として彼を引き止めて欲しいと思う。それしかラストルを止める手段はない。
 ラストルは人の意見など聞く耳を持たず、目的を強行するために自分に手引きをさせようとしている。いっそ彼を裏切ってしまいたかった。だが、それだけはしていけないことと心していた。
 ラストルにはたった一人でも本心を明かせる相手が必要であり、それが自分の役目だと自負していたからだった。ドゥーリオまで背を背けてしまったら、ラストルは完全に一人なったと思うだろう。自業自得、という言葉では片付けてはいけないことだった。
 ドゥーリオはラストルの中にある見えない「鎖」の存在に気づいていた。いずれ開放しなければいけないものだということも。
 ドゥーリオには彼の未来が見えなかった。だから、見捨てることができなかった。


*****



 ラストルがティオ・シールに向かうという話は、ロアがルミオルに言われてティオ・メイの城の様子を伺っていたときだった。
 ロアの透視能力は完璧ではない。ティオ・メイは、一般人には感じない程度の特殊な魔法の結界で包まれており、遠隔魔法では城の奥深くまで覗くことは不可能だった。高等魔法を駆使し、本気でやろうと思えばできるのかもしれないが、ロアにそこまで無理をする理由もなければ、しようと思ったこともない。ただ、ティオ・メイに変化がないか、それだけを知ろうとしていただけだった。
 しかしふいに、予想外の情報に触れてしまうこととなった。ロアが知ったことは、シールの使いがメイの上層部に魔女についての報告を持ち込んだことだった。
 誰かの妄言から始まったただの噂のはずだった魔女の騒動は、人々が楽観視しているうちにじわじわと拡大していっている。いつ収まるのか、もしかするとこのまま膨らんでいくのではと不安を抱く者も少なくなかった。
 ロアもその一人だった。魔女そのものへの恐怖はない。一体誰が、何のためにこんな噂を広げてしまったのか、そこにこそ問題があるとロアは感じていた。


「一体、なにがどうなっているんだ」
 四人はクルマリム町の隅の、個室のある居酒屋に来ていた。ロアからの報せを受けてから、ルミオルはずっと神妙な表情を浮かべており、声をかけるティシラとマルシオへの反応も薄かった。
 夕刻ごろにロアと落ち合い四人で席に着いたのだが、ルミオルは挨拶もなくロアの隣に座って小声で話し出した。
「魔女の件がシールで起こるのはともかく、どうして兄上が? まさか一人でということはないんだよな」
「そこまで話は進んでいないようです。しかし周囲はラストル様の言動に戸惑っている様子です。おそらく、上部の指示ではないのでしょう」
 いきなり取り残されたティシラとマルシオは、なんとなく音を控え目に席に座り、二人の様子を伺いながらメニューを開いていた。
 そんな二人には目も繰れず、ルミオルとロアは続ける。
「考えられない。表向きは親族関係にある友好国だが、メイとシールには因縁があるんだ。そんなところで、功績のない兄上に責任を負わせるなんて、罠にかけてくださいと言っているようなものだろう」
「私もそう思いますが……まだ決定したわけではありません。魔法軍のトップが指揮を取り、それに同行する形かもしれませんよ」
「……そもそも、なぜ魔女だ? 兄上は女嫌いだろう。まさかこの事件を利用して、女性のあらゆる権限に規制をかけるようなことを企んでいるのでは……」
「それは、ないと思いますよ……もしそうでも国王が許さないでしょう」
 それもそうだとルミオルは思い、少し肩を落とした。今はロアの知る情報以外、想像の粋を超えることができない。不安は消えなかった。その理由の具体的なことは、自分でもはっきりと分からなかった。
 ラストルが権力を手に入れることが怖いのか。違う。いずれ彼は何かしらの力を手に入れる権利を持っている。今更それを恐れる理由はない。
 ならば、と思う。シールが絡むとなると、ラストルが潰されることも十分に考えられる。そうなったときはラストルだけの問題だけではなくなる。ティオ・メイそのものが存続の危機に陥るのだ。
 そのくらいのこと、トールだって分かっているはず。勘当された自分が心配する必要はないと思いつつ、眉間の皺は深くなっていった。
 そのとき、我慢できなくなったティシラがテーブルを両手で叩いた。
「ちょっと!」
 ルミオルとロアははっと顔を上げる。
「なんなのよ、二人でコソコソと! 用があるのは私なのよ。ちゃんとこっちを向いて話を聞きなさい」
 やっと周囲の空気に気づいた二人は、気まずそうに座りなおした。
「し、失礼しました」ロアが愛想笑いを振り撒き。「ティシラ、マルシオ、久し振りですね。元気でしたか?」
「え?」
 初対面のはずのロアに、マルシオは反射的に声を漏らした。ほとんど同時、テーブルの下でルミオルから足を蹴られて我に返る。
「あ、ああ。マルシオは初めてでしたね。私はロア、魔法使いです」
「はあ……」
 ロアに興味はあったのだが、おかしな雰囲気が気になったマルシオは素っ気ない返事を返した。マルシオにあのときのことを教えるなと言ったのは自分だったと、ロアは急いでその場を取り繕う。
「メイの城下にいたころ、ティシラと一緒にあなたの姿も見かけていたので、ついひと括りにしてしまいました。お気になさらないでください」
 ああ、そうなのか、とマルシオはもうこだわらないことにした。
「もう、そんなことどうでもいいから。私はシヴァリナに行きたいの。手伝ってよ」
「シヴァリナ?」とロア。
「シールの隣にある未開の森だよ」ルミオルが説明する。「そこに魔族がいるらしい」
「魔族が? なぜ?」
「さあ」
「シールとかいう国はどうでもいいのよ。森の中に困ってる魔族がいるから助けたいの」
「どうでもよくない。アジェルという魔法使いは魔女の事件はシールとかかわりがあると言っているんだ。もしかするとその魔族と魔女が関係しているのかもしれないじゃないか」
 そこでマルシオが目を見開いた。
「でも森にいる魔族は魔女じゃないんだろう?」
「そのはずよ」
 ルミオルはため息混じりに、ティシラに人差し指を向けた。
「そうだとしても、アジェルの言う『シールに関わりのある魔女』と、隣の森にいる魔族が繋がらないとは限らない。二つの点が無関係であることがはっきりしないうちは近寄らないほうがいい」
「それじゃ間に合わないかもしれないでしょ。その魔族は捕まってたみたいなのよ。何かあったらどうするの」
「もう少し待って様子を見ようと言っているんだ。その魔族の前に、君に何かあったらどうするつもりだ」
「こっそり魔族を助け出すだけでいいのよ。どうしてそんなに警戒しなきゃいけないの」
 話にならない、とルミオルはため息を漏らす。そのバカにしたような態度にティシラはムッとするが、隣のマルシオも彼と同意見だった。
 だがティシラがこうして人に相談しているだけマシだと思う。さすがに一人で見知らぬ土地へ乗り込むことは抵抗があるのだろう。こうしているうちはまだ安心だと、マルシオは他の気になることに話を変えた。
「ルミオル、ところで、シールとの因縁ってのは……?」
 ルミオルはテーブルに肘をついて、もうひとつため息を吐く。
「昔、メイとシールは戦争をしたんだよ。聞いたことないのか?」
「……一通り歴史は習ったけど、政治的なことはあんまり詳しくは知らないんだ」
「それが普通の感覚だろうな。あの戦争は、メイとシールにとっても好んで語られないものだから」
 メイの主張、シールの主張には食い違いがある。インバリンは結果を重んじ、正当な戦いだったと言い、ロゼッタはディシスの陰謀であり、インバリンは最初から侵略を企んでいたと言う。
 ディシスの人格を知らない者は単純に侵略という言葉を信じやすいため、インバリンは時代が流れるにつれ、あまり部外者には話したがらなくなった。
 そしてロゼッタは自分を被害者だと信じているが、彼らにもプライドがある。欺かれ、戦に破れたという事実を大きな声で広めることは恥と考えるようになったのだった。
 勤勉な者は自ら調べ、正しい知識を得ようとするのだが、歴史にはどうしても個人の主観が混同される。二国自身が語らない限り歴史は人が脚色した言葉によって伝えられていくものだが、今となってはいくつもの説が流れ、何が真実なのかを正しく認識している者は少なかった。
 そもそも歴史に触れて生まれた感情に正解はないものである。今後メイとシールの関係が変わったとしても、それは結果ではなく新たな変化に過ぎない。


 まずは一息つこうと、店員を呼んで注文を済ませた。しばらくして料理や酒が運ばれ落ち着くまでの間に、ルミオルがぽつぽつと語った。
 ルミオル自身は過去の戦争に深い意見はなかった。問題は現在も続く因縁である。簡単に解消されないこと、もしくは永遠に続くものである可能性も受け入れていた。
 ルミオルの話し方が淡々としていたせいか、マルシオはそれほど衝撃を受けなかった。
「ティオ・メイは大きくて安定している国だと思っていたけど、そんなことがあるんだな」
「メイの内部にロゼッタの人間もいるし、あっちはあっちで軍拡を続けている。メイの軍隊を減らして自国の軍人を養成している事実が、俺たちを敵視している証拠でもある。長年インバリンの王政が続いてきたことは偶然じゃない。こっちも常に軍拡をして間接的にシールに圧力をかけているからだ」
「そういうのはよく分からないけど……そんなところにラストルが行って大丈夫なのか?」
「まあ、顔を合わせるたびにケンカしてるわけじゃないからな。協力し合ってる部分もあるし。互いの目的が共通していれば問題は起きないかもな」
 今はいくら想像しても話は進まないと、ルミオルは割り切っていた。しかし、室内の空気は重い。
 そんな中で、一人で不貞腐れて酒を飲んでいたティシラがグラスをテーブルに叩き付けた。驚いて体を揺らしながら彼女に注目すると、そこには目の据わったティシラがいた。
「……あんたたち、よくそんなつまんない話で盛り上がれるわね」
 酔っているようだ。いつの間にか、注文していたワインを一本、飲み干しているではないか。一同に寒気が走る。
「そうよ。思い出したわ」
 ティシラは目元を陰らせ、唸るように呟いた。
「私、まだラストルを殴ってなかった」
 ――まずい。自分の思うようにいかない流れに、ティシラのストレスが相当溜まり始めているようだ。なんとか機嫌を直してもらわないと大変なことになる。
 と思ったが、どうやらもう間に合わなかった。
「そんなにラストルが重要なら、私もシールとかいうところに行くわ」
 マルシオは蒼白する。
「な、何を言い出すんだ」
「待っててどうするのよ。何かいいことがあるの? 待ってれば捕まってる魔族は助かるの?」
「それは……」
「ラストルが余計なことしようとしてるから私が自由にできないってことよね。だったら、ラストルをぶん殴って、それから魔族を助けに行けばいいじゃない。そうよ、それがいいわ」
 そういう問題ではなかった。ティシラはあまり話を聞いていなかったか、理解できていないようである。
 どうやら、何もしないではいられないようだ。ティシラの強引さと行動力を知っている一同は、見えない何かが肩に圧し掛かった気がして、目線を落とした。


   

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