SHANTiROSE

HOLY MAZE-18





 リジーの話を聞いて、ティシラは真っ青になっていた。
(何それ、どういうこと? 魔法使いが女の人を殺して、それをあなたのせいにしようとしているの? どうして?)
 リジーは泣き声が漏れないように口を抑えて涙を落としていた。
(……男は死体を隠す場所を探してこの森に来たんだと思う。そこに私を見つけて、咄嗟に捕まえたのよ)
 最初は、死体は一つだった。アジェルはリジーを捕まえて閉じ込めた後、彼女に「お前の仕業だ」と言い出した。それからしばらくすると男の仲間が現れた。海賊だった。それが元々仲間だったのかどうかまではリジーには分からない。
(……その魔法使いが雇ったのよ)ティシラはそう思った。(地位のある魔法使いなら本当の仲間だっているはずよ。それを呼ばないってことは、後ろ暗いことがあるってことじゃない)
 男たちの拷問が始まり、リジーに「人間を殺したのは、魔女である自分の仕業だと認めろ」と詰め寄った。
(それから、また新しい死体が持ち込まれたの。少しだけ話が聞こえたわ。無差別を装うために、もっと死体が必要だと。だから、きっと、二人目は意味もなく殺されたに違いない……)
 それが本当なら、アジェルという魔法使いはかなりの悪党である。魔女だから、魔族だから悪だとし、自分が犯した罪を擦り付けようとしているのだ。許せない。ティシラは怒りで体が震えた。
(とにかく、ここから出してあげる。今すぐは無理だけど、必ずまた来るわ。それまで、もう少し待ってて……)
(……ダメなの)
 ティシラは眉を顰める。
(どうして? リジーさえいなくなれば魔族のせいにはされない。その男は死体だけが残されて絶望するはずよ。ううん、後のことなんか私たちには関係ない。魔界へ還してあげるから、それで終わりにしましょう)
 リジーは目の前の希望に迷いながらも、首を小さく横に振った。
(ダメなの。村の人たちが、人質にされてるの)
(……なんですって)
 ティシラは息を飲み、更に蒼白した。
(辛くて、苦しくて、いっそ殺して欲しかった。私だけが悪者になって、それで終わりにしたかった……でも、男は村の人たちを私の手下だと言い出したの。だから、逃げるわけにはいかないの。残された村人がどんな目に合うか……だからと言って、私が人間を殺したと認めてしまったら、村人まで処罰されることになる……)
(そんな……)
 ティシラは先ほどの村の様子を思い出した。森の奥で静かに暮らしているはずの人たちが、武装した海賊に見張られている理由が、今分かった。
(……じゃあ、どうしたらいいの?)
 ティシラは脱力しつつ、考えた。
 リジーは「この世界で力のある人」に会わせられたと言っていた。もしもそれがシールの者だとしたら……ティシラははっと顔を上げ、ルミオルたちの話を思い出した。シールはメイを目の敵にしている。そのシールが、メイの王子であるラストルを呼び出した。
 この世界のことに詳しくないティシラでも、恐ろしい陰謀の予感を抱かずにいられなかった。
 ただリジーを密かに魔界へ還し、後は、人間界のことは人間に任せればいいと簡単に考えていた。
 なのに、ここまで厄介なことになっているなんて。
 どうしよう――ティシラは困惑した。リジーは当然、村人も見捨てるわけにはいかない。
 感じてしまったから。村人たちが恐怖に怯え、泣いている様子を。見殺しになんか、できるわけがなかった。
 ティシラたちでは手に負えない事件だとしても、このままアジェルの思惑通りに事が進めば恐ろしいことになり兼ねない。
 人間界における魔女や魔族の価値も変わる。そうすれば人間界の魔道にも影響が出るだろう。そしてラストルがこの陰謀に加担してしまったら? 逆に、利用されてしまったら? メイの存続が脅かされることになれば、当然シールが世界の権力を握ることになる。
 たった一人の女性をたった一人の魔法使いが殺め、たった一人の魔族がそこに居た。それだけで、世界が揺れるなんて。
(……私に、一体何ができるの?)
 呆然となったとき、意識が揺れた。おそらくマルシオかロアが引き戻そうとしているのだろう。そうでなくても、もうこのままで長居はしていられなかった。
(リジー、ごめんね、今は、まだどうしたらいいか分からない)
 リジーはティシラが離れていくのを感じ取った。
(お願い。私はどうなってもいい。私を犠牲にしてくれて構わない。ただ、村の人だけは助けて。それが叶うなら、私はどんな仕打ちを受けてもいいの。お願い、お願い……)
 ティシラははいともいいえとも言えず、言葉を探した。しかし迷っているうちに、意識が遠のいていく。
 風に流されるように浮いていく中、リジーの悲痛な声がティシラの頭の中に響き続けていた。


 ティシラは目を見開くと同時、大きく息を吸い込んだ。
「ティシラ、大丈夫か」
 傍でマルシオとロアが心配そうに見つめている。ティシラは数回瞬きして、離れていた体と意識を馴染ませた。「大丈夫」と呟くと、二人は安心して肩を落とした。
「何を見てきた?」
 椅子に座り直しながらマルシオが尋ねると、ティシラは目線を落として見たこと、聞いたことを思い出す。身震いが起こった。

 もう隠してはいられない。最初は、人間の魔法使いが殺人だなんてマルシオは信じないだろうと思って言えなかった。それだけではなく、反発されてケンカになるのではないかという不安もあった。しかし、今度はリジーにはっきりと聞いたのだ。しかも彼女は酷い目に合い、村人にまで被害が及んでいる。
 それでも疑うなら疑えばいい。そのときは、一人でも何とかする。そう思い、ティシラは正直に話した。


*****



 カーグはあれからまたアジェルと話した。アジェルの言いたいことは聞いた。カーグはその場では答えは出さず、後日返事をすると伝えるに留まった。
 それからノイエと城へ戻り、朝を待たずに王室で思案していた。
「……陛下、あのアジェルという男……」
「待て」
 おそらく同じ気持ちであろうノイエの重い声を、カーグは遮った。
「分かっている……いや、分からぬ。何が真実なのか。はっきりと言えることは、私にはアジェルが嘘をついているように見えるということだ」
 それを聞き、ノイエは少し安心していた。
「アジェルの言いなりになるつもりはない。それだけは確かだ。だが……利用する価値はあるかもしれぬ」
 それも、ノイエは同感だった。リジーも村人も気の毒だとは思うが、シヴァリナはどこにも統治されず自由に生きてきた弱小民族。犯罪や災難に巻き込まれても他の国が助ける義務はない。
 当然、理由があろうがなかろうが助けることもできる。だがカーグは何の利益もなく慈善活動をするような男ではなかった。


 アジェルは声を潜めて、こう提案した。
「――あなたは何も知らない。魔女の存在も、誰が真犯人なのかも。それを前提とし、今世界を不安にさせている魔女騒動の解決に名乗りを上げるのです」
 そこに出てくるのが、ティオ・メイだった。
「彼らも黙ってはいないでしょう。他意はなくとも、人民のために協力を惜しまないはず……」
 アジェルはルミオルの失踪、ラストルの噂も知っていた。
「今が転機なのかもしれません……ラストル王子を、ティオ・シールにお呼びするのです」
 カーグは、まさか、と心が揺れた。その表情の変化を見逃さず、アジェルは続ける。
「ラストル王子はお若い。一人で大役を任せられたとき、どこかで必ず平静を失われるでしょう。その隙を狙うのです」
 アジェルは既に計画を立てていた。あとはそれを差し出し、答えを待つのみ。
「簡単なことです」
 ラストルを事件の責任者に仕立て、カーグは何も知らないふりをして、魔女は隠しておく。今疑いをかけられているシヴァリナの村人を公にし、ラストルに処罰を下させる。
 そこで、リジーが真犯人であると人々の前に出す。
「……そうすれば、無罪の村人に手を下したラストル王子は完全に信頼を失い、ティオ・メイの名も汚れます」
 口の端を上げたアジェルの顔は、醜いものだった。その表情、アジェルの卑劣さにカーグは寒気を感じた。
 カーグの軽蔑したような様子に気づき、アジェルは慌てて汗を流した。
「わ、私だって恐ろしいのです。本来ならばあの魔女を処罰するだけで解決するかもしれません。しかし、よく考えてください。あなたはメイが憎いのでしょう。今のままでは魔女が人間を殺したという証拠は出てこないのです。どうせ証明することができないなら、結果は同じこと。ならば利用してしまえばいいのです。国のために。ティオ・シールの威厳を取り戻す、絶好の機会ではないのでしょうか」
 必死で捲くし立てるアジェルだったが、カーグは難しい顔をしたままノイエに目を合わせていた。ノイエも眉間に皺を寄せ、口を一文字に結んでいる。
「……国のためです」アジェルは繰り返した。「ティオ・メイを陥れ、魔女の事件も解決し、国民は安堵を得ます。同時に、ティオ・シールとカーグ陛下の名誉にも繋がるのです」
 アジェルの言うことも分かる。しかし。
「……何の罪もない村人を、犠牲にする必要があるわけだな」
「酷ですが……もう死人が出ています。少しだけ、犠牲者が増えるのは確かですが、その少しで世界が救われるのです」
「そうか」ノイエが呟く。「アジェル殿は、それがうまくいくことで、自分にかけられた疑いを晴らすことができ、あなたはあなたで魔法使いとしての名誉と信頼を得ることができる……そういうことですね」
 アジェルは目を伏せることで答えた。やっと、彼がカーグを呼んだ理由が分かった。
 この計画がうまくいけば、カーグの悲願は叶い、アジェルも魔道界に名を馳せることができる――うまくいけば、だが。
 アジェルが異常なまでに警戒していたわけも分かった。確かにこれは危険な駆け引きである。すべてを話し、もしカーグが受け入れなかった場合、アジェルの人生は終わったも同然なのだ。
 アジェルの脈が早まっていた。カーグとノイエはじっと考えたまま、沈黙を守っていた。

 その日は答えを出さないまま、アジェルと別れた。きっとアジェルは気が気ではないだろう。
 だがその数日後に、シールがラストルだけを呼び寄せたという事実が、カーグとアジェルが手を組んだ結果の現れだった。
 警戒しているとは言え、トールも、ラストルも当然、まさかこのような陰謀が待っていることまでは知る由もなかった。


 アジェルは一人、暗い森の奥で震えていた。
 拳を握り、悔し涙を流している。
 アジェルの真実は、カーグも、雇った海賊も、以前彼を慕っていた者も誰も知らない。
「……神は、いない」
 俯き、呪いの言葉のように呟いた。
「神はいない……誰も私を救ってくれない」
 だから、自分で戦うしかなかった。
 アジェルは救いのない現実への絶望に捕らわれ、道を見失っていた。


   

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