SHANTiROSE

HOLY MAZE-02





 争いを知らない長閑な町、クルマリム――近くに魔法王の屋敷があることを特別だとは思わない人々が、いつもの毎日を送っている。


 気候のいい昼下がり、大通りを入ったところにある小さなレストランで、二人の男性がテーブルを挟んで向かい合っていた。
 一人は銀髪のマルシオ、もう一人はティオ・メイを追い出されたルミオルである。
 結局ルミオルはウェンドーラの屋敷に入れてもらうことができず、このクルマリムの町の宿を借りて暮らすことになった。最初は不満そうな彼だったが、一人で自由に過ごす気楽な毎日に次第に慣れていっていた。
 それにはいくつかの理由があった。
 一つは、周囲が知らない人ばかりということだった。名前と身分を明かせば大抵の者は萎縮するのだろうが、顔までを知っている者は少ない。ルミオルは王族にしては砕けているため、疑いを持つ者さえ皆無で安心することができる。
 二つ目は、近くにティシラとマルシオという知り合いがいること。連絡を取り合える水晶を持っており、暇さえあれば呼び出してくるルミオルだったが、二人は時間が許す範囲で付き合っていた。
 それというのも、もう一つの理由となっていることと関係があった。
 ティオ・メイから数日かけて屋敷に戻ったあと、黙っていることはできないと思ったマルシオは、トールに「ルミオルも一緒だ」ということを伝えた。するとトールは安心と同時、一番理想の形でルミオルが生活できると喜んだ。
 そして、簡単にでいいから彼の様子を時々知らせて欲しいとも頼まれた。それじゃ家出の意味がないと思うが、わざわざ隠す必要もない。監視するわけではないが、何かの話題のついでにでも知らせてやるくらいは苦にはならないと、二人はそのつもりでいることにした。
 そこまでは理解できるのだが、ティシラとマルシオは次の日にトールの使いから呼び出しをくらって唖然とした。使者はルミオルに生活費を渡して欲しいと頼んできたのだった。
 マルシオはすぐにトールに連絡を取り、勘当したくせにどういうつもりだと文句を言っ た。
「これは公費じゃなくて、僕からの小遣いだよ。文無しじゃ食事はおろか、服の一つも新調できないだろう? それじゃ仕事なんか探せないじゃないか」
「そうだけど……だからって、こんなに」
「それに、君たちに迷惑かけるわけにはいかないからさ。飽くまでも、僕からの個人的な厚意ということで、ね」
 マルシオはトールのいうことも一理あると思い、渋々ルミオルに会いに行った。
 そしてさらに呆れるのは、ルミオルの態度だった。彼は一般人にとっては「小遣い」とは言いがたい金額のそれを、誰からのものかはっきり教えられても、当たり前のように受け取ったのだった。
「……お前にプライドはないのか?」
「なんで?」ルミオルは目を細めて。「くれるというものを貰って何が悪い」
「せめて少しは悩むとか、意地を張るとか、可愛げのあるところを見せてみたらどうなんだ」
 ルミオルはふんと顔を逸らす。
「バカバカしい。そんなもの時間の無駄だ。金なんかいくらあっても困るものじゃなし。それに、俺は好きで家出を したんじゃない。追い出したのは父上だ。俺に援助を断る理由はないね」
 マルシオは開いた口が塞がらなかった。どうやらルミオルには、自立して一人で努力しようという気はないようである。
 この「小遣い」は彼に渡して正解だったと思う。この調子だと、どこまで自分たちに寄生してくるか分からない。おそらく、日にちが経てばまたトールが心配して金を送ってくるに違いない。そのときはもう何も言わずに渡そうと、マルシオは心に決めた。


 そうして数日が過ぎ、すっかり落ち着いた様子のルミオルから呼び出され、マルシオはここへ足を運んでいた。
 店員に注文を終えたあと、突然ルミオルは口を尖らせた。
「なんだよ。どうしてティシラがいないんだ。男と二人で食事なんて、白けるなあ」
「ティシラはまだ寝てるって言っただろう。あいつを起こすのは大変なんだぞ。お前と話すだけでも疲れるというのに。無理を言うなら帰るからな」
「あーあ、君は本当に気が利かないね。まったく、自分ばっかりいい思いしてさ」
「いい思い?」
「ティシラと一緒に暮らしてるじゃないか。あの爺さんがいないときは二人っきりなんだろ? まあ、まさか君に限って夜這いなんかしないって信じてるけどね」
 マルシオは眉間に皺を寄せて拳を握った。
 冗談じゃないと、怒鳴りたい気持ちを抑える。
 マルシオは家事やサンディルの手伝いで毎日を真面目に生活していた。それに引き替え、ティシラはいつも自分の好きなことを好きなようにしているだけである。
 しかも、マルシオにそういう気がないことを分かっているからか、それとも男として舐めているからか、下着のような格好でうろつくこともよくあり、いい思いどころか迷惑しているのが現状だったのだ。
 どんな格好をしようが、室内なら勝手だと思うが、その場にサンディルが居合わせてしまったときは別だった。
 頼むから変な気は起こさないで欲しい――一応、息子の嫁候補なのだから、 と、なぜかマルシオが注意されることもあったのだ。
 理不尽にも程がある。マルシオは酷く気分を害しているというのに、まさか羨ましがられるなど、不愉快極まりない。
 しかしそんなことを説明しても分かってくれる人なんかいるはずがない。むしろ余計に誤解を招くことになりかねないと思い、マルシオはもうその話はやめることにした。
「……そんなことより」怒りを飲み込みながら。「近々、俺たちはまた屋敷を出るかもしれないんだ」
 声を落とす彼の様子に、ルミオルもふざけた態度を改めた。
「? 何かあったのか」
「例の、魔女の問題だよ。女性が行方不明になってもう何十日も経っているんだ。殺されているかもしれないと、国が動こうとしているらしいんだ」
「ああ、魔女ね……」ルミオルはそれほど興味なさそうだった。「まだ解決してなかったのか」
「魔女の仕業とは言われているが、その犯人の姿も存在もはっきりしてないからな……各地で調査をしているところらしい」
 事件は地方で起きていた。魔女の仕業だと言い出した魔法使い・アジェルもティオ・メイから遠い町の所在だった。
 アジェルが犯人の魔女を自分が探すと言い張り、軍や国の専門家の動きを止めているために今まで様子見状態だったのだが、彼の報告は曖昧なものばかりで、問題は不透明なままだった。
 解決に向かっているのかどうかも見えてこないため、魔法軍の者がアジェルと直接話をしてみようということになったのだった。
「で、それと君たちがどう関係あるんだ?」
「だから、ティシラだよ」
「ティシラ?」
「あいつ、魔女だからな。ティシラが何かしたわけじゃないが、何もしていないという証明もできない。もし疑いがかかったら大変なことになるかもしれない。だけど国で保護するには正当な理由がないし、本人も嫌がるだろうから、できるだけ安全な場所にいたほうがいいってことになったんだよ」
「そうか。ティシラは魔女って言ってたな。人間とどう違うのかよく分からないけど」
 ルミオルがそう感じるのは、ティシラは外見も人間とほとんど変わらず、今は指輪の魔法があるためにそれらしい行動は取れないでいるからだった。
「ああ、でも、普通の女の子と感覚が違ったり、酷い傷を受けてもすぐに回復してたし……人間じゃないと言われれば、思い当たることはあるかな」
「そもそも人間は魔女をよく分かっていない。女性の魔族が全部魔女ってわけじゃないんだ。魔女は魔族の一種に過ぎない」
 アジェルの報告を聞く限りだと、彼がそのことをきちんと理解しているとは思えなかった。不可解な事件を人外の仕業だと決めつけて行動しているようである。その可能性がないわけではなかったが、万が一、偏見だけで無罪の者を犯人にして事件を終わらせてしまうことになれば、今後の治安に悪影響を及ぼすことになる。
「楽観視はできないが」マルシオは周囲を少し気にしながら。「行方不明の女性が死んだという証拠が出たわけじゃない。でも魔女という言葉に対して敏感になっている人が多いようだから、ここで本物の魔女の存在が明らかになったらただでは済まないと思う。だから念の為に、しばらくここを離れるかもしれないんだよ」
「離れるって、ティオ・メイに行くのか?」
「さあ。まだ連絡待ちだよ」
「ふうん……」ルミオルはつまらなそうな表情を浮かべた。「ま、なんにせよ、何かあったら俺にも教えてくれよ」
 教えるくらいならと、マルシオは生返事をしておいた。城にいた頃の彼なら口も利きたくなかったが、今は構ってやらないと可哀想な気がして、関わることに抵抗はなかった。
 それに、ルミオルはもうそれほど心配ではない。一人と言ってもなんだかんだでトールが影で見守っている。彼が城に戻るのは、思ったよりも遅くなさそうだという予感を抱いていた。
(……魔女、か)
 マルシオは気が重くなる。
 見えないものに責任を押し付けたがるという人間の性質は認めても、理解することは難しかった。
(……もし、あいつがいたら、何て言ってたのかな)
 ふっと目線を上げ、彼の顔を思い出した。
(いや、いつ戻ってくるか分からない人に頼るようじゃ、俺も人間を責めることはできないな)
 無意識にため息が漏れる。
 幻に捕らわれた、心の弱い人間を救う方法など、一体どこにあるのだろう。
「魔法王」がいれば解決するのだろうか?
 マルシオには分からなかった。
 ただ、彼が帰ってくればティシラの行儀の悪さは確実に改善される。それは間違いない。
 ティシラに求婚していたという魔族は、手に負えないと言って逃げたと聞いた。その気持ちは、マルシオには痛いほどよく分かる。
 二人が再会して、どんな関係になるのかはまったく想像できなかったが、少なくともクライセンが根を上げて逃げるということはしないはず。ならば、一体彼がどう出るのか、一体ティシラをどうやって守っていくのかを知りたかった。
(……早く戻ってこないかな)
 ティシラだけではない。マルシオ自身も不安定なままである。
 今分かることは、ティシラとマルシオが人間界で暮らしていくには「彼」が必要だということだけだった。


   

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