SHANTiROSE

HOLY MAZE-20





 数十台の馬車が駆けていくシールの城下町は騒然としていた。
 道の隅に追いやられた民間人は、笑顔で馬車に手を振る者や、迷惑そうな顔で押し合う者でごった返している。
 馬車の列は城へ続き、城門周辺の警備兵の指示に従いながら次々に中へ吸い込まれていっていた。馬車を追いかけて行く野次馬も多数いたが、すべてが警備兵に追いやられている。その中に、あの三人の姿があった。
 ティシラたちだった。宿の窓から見た馬車を追いかけるため、ティシラが飛び出してしまったのだった。
 マルシオが腕を引いて止めようとしたが、ティシラは「今しかチャンスはないかもしれない」と言うことを聞かなかった。
 マルシオとロアは仕方なく、様子だけでも見てみようとティシラを追い、宿を出て人ごみに紛れた。しかし、いくら混雑しているからと言って職人に紛れて城に侵入なんて、勢いでなんとかなるものではないとロアは思う。
 マルシオがティシラの腕をしっかり掴んでいるのを確認し、ロアは背伸びをして馬車をじっと見つめた。
 次から次に走り過ぎていく馬車の様子を伺うのは難しかったが、荷台に詰め込まれた者にある共通点を確認できた。
「ティシラ、マルシオ、よく見てください」ロアは二人に顔を寄せた。「ほら、上着の襟にみんな同じバッヂをつけています。あれはきっと通行証です。あれがないと城へは入れません」
「ほ、ほら、ティシラ」マルシオが腕を引きながら。「やっぱりムリだよ。戻ろう」
 もちろん、素直にティシラは言うことを聞かなかった。
「バッヂ? じゃああれがあれば城に入れるのね。盗みましょう」
 ロアも慌ててティシラの肩を掴んだ。
「いけません。ここで騒ぎを起こしたら顔を覚えられて動きにくくなるだけです」
「バッヂがあれば城へ入れるんでしょ?」
「この状況でどうやって盗んで紛れ込めると思うんですか。それにみんな仕事で来てる人ばかりです。なんの専門職もなければすぐに捕まります」
「そうだよ。今はやめよう。そうだ、ルミオルに相談しよう。それから考えるんだ」
 二人に説得され、ティシラは不満そうに力を抜く。遠ざかる馬車をいつまでも恨めしそうに見送っていたが、周囲の野次馬が散り始めた頃、やっと宿へ足を向けてくれた。


 遊びに来たわけではないとはいえ、心休まる暇もないとマルシオとロアは思う。
 ティシラはまた機嫌を損ね、「さっきのが大きな機会だったとしたら、邪魔したあんたたちに責任があるからね」と二人を責めた。
 部屋へ戻った三人はそれぞれにため息をつきながら、リビングの中央の席に腰を下ろした。
「もう待てないわ。ロア、早くルミオルに連絡して。さっさと次の方法を考えるのよ」
 苛立つティシラの様子から、きっと彼女は仲間を助けたいという気持ちと同時、思い通りにいかない現実に反抗しているのだとロアは思う。投げ出したい、が、まだ限界に達していない。それに、もし捕まっているのが自分の守るべき者だとしたら、ティシラの焦る気持ちは十分に理解できる。嫌とは言わず、ロアはテーブルに水晶を準備した。
 マルシオも疲れを隠して向き合った。ティシラも身を乗り出して水晶を見つめる。
 ロアは目を閉じて、二人に聞こえるか聞こえないかの小声で呪文を呟く。しばらくすると、ロアがはっきりと喋った。
「……ルミオル、いますか」
 水晶の中が、まるで水が揺れたように微かにうねった。ティシラがそれに目を奪われていると、返事が返ってきた。
『ロアか』
 ルミオルの声だった。ティシラとマルシオにも聞こえ、それは水晶からではなく、頭の中に響いてくるような感覚だった。
『どうした。シールへ着いたのか』
「はい。宿も確保しました。ラストル様の動向は何かご存知ではないでしょうか」
『明日には入国するんじゃないだろうか。俺も今は民間にいるからな、詳しいことは分からない』
「明日ですか……」
 そこで、ティシラが口を挟んできた。
「私の声も聞こえるの?」
 ロアが目を開き、説明しようとしたが、ルミオルが返事をしたのでその必要はなくなった。
『ああ、聞こえるよ』
「ねえ、城に侵入したいの。何か方法はない?」
『城へ? 魔女はどうした』
「魔女じゃないわ。ただの魔族よ。彼女は魔法使いに閉じ込められて酷い目に合ってる。しかもその魔法使いはシールの偉い人を利用してラストルを罠にかけようとしているのよ。なんとかしなくちゃ」
『……何の話だ?』
 あまりにも端折り過ぎなティシラの話に、ルミオルはついていけない様子だった。ロアが「私が話します」とティシラを止め、分かりやすく簡潔に説明した。


 一通り話を聞いたあと、さすがのルミオルも困惑しているのか、すぐには返事をしなかった。そこで、またティシラが声を出す。
「ルミオル、何か言って。信じられないでしょうけど、私が見て聞いてきたことなの」
『……疑うわけじゃないけど、難しいな』
 シールがラストルを本気で快く歓迎するはずがないのは、ルミオルでも分かっていることだった。もちろんラストル自身もである。
 しかし、まさかどこかの魔法使いが罪を犯し、本物の魔族を捕らえてそれをシールに持ち込んでいるとまでは想像できるわけがなかった。
 ルミオルとしては、現実味が湧いていないというのが正直な気持ちだった。今回シールがラストルだけを呼んだのは、もしかしたら魔女の事件を口実にしただけで、ただの様子見に終わるのかもしれないという考えもあった。それでシールが何かを企むのか、その後のシールの動きによってメイもまた対策を考えることができる。今回のことは、そんな駆け引きの切り口程度のものだろう。きっとトールも同じだと、ルミオルはそう思っていた。
『……魔女ってさ』ルミオルは感情のない声で呟く。『そんなに簡単に捕まるもの?』
「魔女じゃないってば」と、ティシラ。「捕まったのは力の弱い魔族よ。姿は私と違って人間と同じじゃないの。サヴァラスよりも、もっと人間離れしてるわ。だからその魔法使いは彼女を、リジーを利用しようとしてるのよ。人間には十分怖いものに見えるだろうし、それを突然人前に出したら混乱するに決まってる」
『そうだけど……でも、本当にその魔法使いが人間を殺したのか? その証拠はないんだろう?』
 途端、ティシラの顔が赤くなった。まずい、と二人は思うが、ルミオルは水晶の向こうにいる。派手なケンカにはならないだろうと見守ることにした。
「あんたまでそんなこと言うの? 証拠証拠って、じゃあリジーが人間を殺した証拠を出しなさいよ! そんなことよりも、無罪の魔族が捕まってることが問題でしょ? 本当に罪を犯した奴が裁かれないで、関係ない人に擦り付けるのが人間の法なの? そんなんでいいの?」
『わ、分かったから……そんなに怒鳴らないでくれ』
 耳を痛めているルミオルの様子が、マルシオたちにはよく想像できた。
『……それで、城に侵入してどうしたいんだ?』
 やっと本題に触れたところで、ティシラは荒げた呼吸を落ち着ける。
「リジーを助けるだけじゃシヴァリナの村人も危険なの。あいつらは村人にも犠牲者を出すつもりよ。そこまでするのは、ラストルを陥れたいからなの。だからラストルをなんとかしたいの」
『なんとかって……』
「それは本人に会って、なんのつもりでシールに来たのか聞かないと分からないでしょ。なんのつもりだったとしても、とにかく止めるしかないんだけど」
 何か考えてるらしく、ルミオルはしばらく黙ってしまった。ティシラは少し待ってみたが、あまり待てなかった。
「もう、他に方法があるなら教えてよ。ないなら、手伝ってよ」
『城へ侵入ねえ』ルミオルはまだ考えているようだった。『あんまりいい方法とは思えないが……』
「どうして?」
『危険すぎるからだよ。君たちには他に味方はいないんだ。しかも場所はシールの中心。つまり、シールの中で一番警護が厚い場所なんだよ。侵入者にどんな理由があっても、捕まってしまえば主人の思い通りにできるわけだ。世界中の誰も、君たちを庇うことはできない』
 それを聞いたマルシオの顔色が悪くなる。先ほど、ティシラを止めてよかったと心底思った。
『それに、兄上だって味方とは限らない。既にシールの手に落ちている可能性だってある』
「なんですって……」ティシラは眉を寄せる。「あんたたちは、それでいいの?」
『もしかしたらだよ。もちろん、そうじゃないことを願ってる』
 ルミオルはそこまでを言ったあと、再び考えた。そして、少し声を落とした。
『……そうだな。確かに、兄上の考えを確かめない限り動きようがないかもな』
 ティシラの表情が軽くなったと同時、マルシオとロアの胸が締め付けられた。
『こないだ、従者が近くまで来てたから少し聞いたよ。兄上は、なんでもいいから仕事がしたいと言って、シールのあからさまな呼び出しに答えたそうだ。もちろん父上や周囲の者は反対したらしいが、兄上が聞かなかったらしい』
 一同はルミオルの貴重な情報に耳を傾けた。
『魔女の件の解決に関わりたいらしいが……父上は、本人がどうしてもと言うし、ムリに止めて勝手な行動をされても困るということで送り出したそうだ。ただ、兄上の本心は未だ不明、だって』
 一同は、トールが軽い気持ちで判断を下したわけではないことに安心しつつ、逆に不安も抱いていた。
 トールでも制御できないほどのラストルの信念とは、一体なんなのか。まさか本当に、ラストルはシールの陰謀に一役買うつもりなのではないだろうか――。
「やっぱり、ラストルを止めるしかないんじゃないの?」
『そうかもね。でもそうだとして、どうやって止めるのか……』
「だから侵入するしかないでしょ。私がやるわよ。もし何かあっても私だけならなんとかなるわ」
「何言ってるんだよ」マルシオが堪らず声を上げる。「お前は一人で侵入するつもりなのか」
「私ならこの世界では何の立場もないし、捕まっても逃げられるでしょう」
「ラストルに近づけたとしても、人間のことに詳しくないお前だけでなんとかできると思ってるのか」
「そんなの関係ないじゃない。罪のない者を理由なく殺すことがいけないことくらい、私だって分かるわよ。それを裁くつもりも、裁きたいとも思わない。許せないの。気に入らないのよ。正義なんかどうでもいいの」
 真剣な表情を向けるティシラに、マルシオは言葉を失った。ロアと、水晶の向こうのルミオルも、じっと黙っていた。
「……強者が弱者を虐げることは、誰も逆らえない現実よ。あいつらは、それを実行してるの。力があるから、証拠がないのをいいことに、暴力を振りかざして自分の思い通りにしようとしてる……誰がそんな蛮行を止められると思う?」
「……誰って」
 答えに困るマルシオに、ティシラは詰め寄った。
「間違ってる、やめなさいって言ってやめると思う? 弱者が強者に説教できると思う? じゃあ、一体何が止められるの?」
 マルシオは目を震わせて膝の上で拳を握った。ティシラの問いの答えが、彼には分からなかったのだ。
 隣で聞いている二人には分かっていた。少し考えれば分かることだから。
 ティシラはマルシオを睨みながら、教えた。
「暴力には暴力よ。道を間違った奴は、殴って引き摺って戻してやるしかないの」
 マルシオは息を飲んだ。彼には到底理解できず、賛成することのできない考え方だった。
「自分より強い者からの暴力に逆らえば、そこにあるのは苦痛だけなの。それはあの魔法使いだって同じ。もちろんラストルもよ。あいつらが好き勝手なことをするなら、私だって好き勝手にやらせてもらうまでよ。どっちの我侭が勝つか、これは勝負なの」
 室内はしんとなった。ティシラの言葉に呆れたわけではない。むしろ同調する空気があった。
 マルシオはどうしても納得できないが、彼女の言うとおり、彼らを正面から改めさせるのは無理だと思う。
 ルミオルとロアは違った。ロアは国や法のことにそれほど立ち入りたいわけではなかったが、自由に生きる彼はティシラの言い分に同意できる。
 ルミオルにはティシラの気持ちがよく分かっていた。彼女がやりたいことも、その理由も。
 それに、ルミオルとしても、ラストルがおかしなことをしようとしているなら止めて欲しいのが本音である。ラストルに何かしら信念があるとしたら、ルミオルには咎める権利はない。それは自身がよく分かっているが、権利ではなく、彼には過ちを犯して欲しくないという個人的な感情までを押し殺す必要はないと考えていた。
 何もしないという選択がないのならば、出せる案がある。問題は、ティシラの安全を保障できないことだった。言おうか言うまいか迷っていたが、言うなら今でなければ間に合わないだろう。
 誰もが落ちた沈黙が終わる時間を待っていた。その役目を担ったのは、ルミオルだった。
『……一つだけ、侵入できるかもしれない方法がある』
 一同は我に返ったように、水晶からの声に顔を向けた。
『ただし、あくまでも侵入する手段でしかなく、危険なことに変わりはないから、それが最善かどうかは分からないけど』
「何? いいから教えて」
『国賓を持て成すために欠かせないが、その存在は表に出されないものがある。成済ましてうまく行けば、兄上と二人きりになれる機会も持てる』
 ロアはそこで答えに気づき、マルシオはただ嫌な予感だけを強く抱いた。
 そんなに都合のいいものがあるのかと、ティシラは興味津々だった。そんな彼女に急かされる寸前に、ルミオルは少し笑いを含み、伝えた。
『娼婦だよ――ただし、高い品格と教養を兼ね備えた高級な、ね』


   

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