SHANTiROSE

HOLY MAZE-38






 ラストルとドゥーリオは部屋に戻り、向き合ったソファにそれぞれ腰を降ろした。
 すぐに用意された温かい紅茶で一息つく。ラストルは未だ黙ったままだった。窓の向うの、陽が傾き始めた空をぼんやりと眺めている。
「ラストル様、お疲れでございますか」
 ドゥーリオが声をかけると、ラストルは目線はそのままで、低い声を出した。
「そうだな」
「先ほどのお話のこと……少しだけよろしいでしょうか」
「ああ」
「どう思われましたか」
「言ったとおりだ。写真だけでは分からない。あいつらの話も、どこまで本当だか……」
 思っていたより反応の薄いラストルに、ドゥーリオは内心驚きながら「さようでございますね」と相槌を打った。
「見れば分かると言っていた。魔女が何なのか……それからだな」
 ラストルはゆっくりと紅茶を口にし、肩の力を抜いた。
 ドゥーリオは彼の体調を気遣い、席を立って廊下にいる家来に甘いフルーツを持ってくるように伝えた。すぐに戻り、ラストルの傍で腰を折った。
「恐れ入りいります。二時間後に饗宴となっておりますので、それまでご休憩ください」
 今まで遠くを見つめていたラストルが途端に眉を寄せた。何を言わんとしようとしているかすぐに察したドゥーリオは、急いで続けた。
「もうしばらくご辛抱ください。それが終われば、ラストル様の為されたいことに集中できますから」
 ラストルはドゥーリオを睨み付けていたが、諦めたかのように目を伏せた。
 もうわがままは通用しないと知ったのか、疲れているだけなのか分からないが、ドゥーリオは聞き分けのよくなっている彼に安堵していた。
 だが一番の問題はこれからだ。
 ドゥーリオには休憩する暇はない。
「では、私は自分の部屋に戻りますので、ラストル様はごゆっくり……」
 そう言いながら退室しようとしていたドゥーリオを、ラストルは顔を上げて引き留めた。
「待て。そうだ、あの女は?」
 ドゥーリオは足を止め、冷や汗を流した。
「あの女はどこへ行った? これ以上恥ずかしい真似ができないよう、捕まえて閉じ込めておけ」
 ラストルは途端に語気を強めた。思っていたよりも元気な彼に、ドゥーリオは腰を引いた。
「それから、身請けの話も取り消せ。ここにいる間、借りるということにしておくんだ。いいな」
「いえ、あの、それは……」ドゥーリオは口ごもり。「で、では、こうしましょう。私が身請け元ということにして、シールの使者やミスレにそう伝えます」
「お前は……」
 ラストルは言いかけて止めた。突き出した人差し指も引っ込め、再びソファに深く座る。
 おそらく、ティシラのことは嫌いでも、ここに置いておくのは都合がいいということは否定できないのだろう。説得するより、自分が強引に話をまとめたほうが彼のためだとドゥーリオは判断し、頭を下げた。
「これから、ティシラ様と必要な話をしてきます。私にお任せください。ラストル様は、今は少しでも、お休みになられたほうがよろしいかと存じます」
 返事をしないラストルが静かに目を閉じたところを見届け、ドゥーリオは退室していった。


 自分の部屋に向かうと、ドアの前にいた警備兵が耳打ちをしてきた。
 ドゥーリオはえっと声を漏らしながら、すぐに部屋に入る。そこにはベッドの上に寝転がって寛いでいるティシラの姿があった。
「あ、おかえり」
 彼女の傍には菓子の残骸が散らかっていた。部屋のあちこちにもゴミが転がっている。ベッドの脇にあるテーブルには数種類のジュースの瓶があり、雑誌や新聞が積み重なっている。
「ティシラ様、ここで何を……」
「退屈だったから時間潰してただけよ」
「ここは私の部屋ですよ」
「客室は遠いじゃない。面倒だから、家来に欲しいものをここに持ってくるように言ったの」
 その姿はどこにでもいる少女そのものだった。
 ドゥーリオの中の彼女の印象は、突然予想もできない大胆なことを、人に合わせることなく勝手にしてみせる「大物」だった。今回も目を離しているあいだに何かやらかしているんじゃないかと心配していた。だが、どうやらティシラは人の部屋で、甘いものに囲まれてゴロゴロしていただけのようだ。
 拍子抜けしたドゥーリオは、足元に落ちていたクッキーの欠片を踏み潰しながら、ソファにぐったりと座り込んだ。
「そうそう」ティシラは起き上がってドゥーリオに体を向けた。「どうだったの?」
 ドゥーリオは気が抜けたままの姿勢で、小声で話した。
「殺された女性の遺体と、村人たちの写真を見ました」ふう、と息を吐き。「その村人たちは魔女に毒された者、もしくはその中に魔女がいるのかもしれない。だから実際に村人を見て、共に裁きを、という話でした」
「それだけ? 写真の中にリジーはいたの?」
「リジー、とは?」
「私の仲間よ。魔族なの」
「…………」
 ドゥーリオは違和感を抱き、重い体に鞭打ち前のめりに座り直した。
「……魔族?」
「リジーは人間の姿じゃないから一目で分かるはずよ。写真の中にいなかったの?」
「……どういうことですか?」
「リジーは蛾と人間が融合したような姿をしているわ。目は昆虫のように大きいし、触覚も羽も生えてる。全身が薄い毛に覆われていて、今は拷問されてて傷ついているけど、人間と見間違えるはずがないわ」
「そのリジーという魔族……確かに、アジェルが捕えていたのですか?」
「そうよ。直接じゃないけど、私はリジーと話したの。これはリジーから聞いた話で、彼女はシヴァリナの森には迷い込んだだけで何もしてないって。そこにアジェルっていう魔法使いが来て、自分を捕まえて魔女に仕立て上げようとしているらしいわ」
 ドゥーリオは再び汗を流し、困惑して目を泳がせた。
 ティシラの話が本当なら――そう思うと居ても立ってもいられなくなる。
「そうか……分かりました。彼らの目的が」
 ドゥーリオは真っ青な顔でティシラを見つめた。
「アジェルはリジーを隠したまま、人間であるシヴァリナの村人が魔女だと、ラストル様に裁かせるつもりなのです」
 ティシラも先を読み、はっと息を飲んだ。
 カーグは未来の王子を尊重するという建前で、ラストルに「人々を恐怖に陥れた魔女」、つまりシヴァリナの村人を処刑するという大役を与える。これで魔女は倒されたと疑心暗鬼にかかっていた人々の心は救われる。だが、ラストルは英雄だと世界中で注目されている中、リジーという明らかに人間ではない魔族を捕えたという大ニュースを流す。人々がリジーの姿に嫌悪し、怯え、彼女こそが本物の魔女だったと信じることは想像するに容易い。同時に、処刑された村人はただの人間だったと証明されてしまうことになる。
「そうやって、世界中に、ラストル様を無実の人間の命を奪った罪人に仕立て上げようとしているのですね……」
 ティシラの背中に寒気が走った。ドゥーリオの話は憶測ではあるが、間違いないと思う。
「ねえ、国王は? 国王はリジーのこと、知らないのかしら。もしアジェルに騙されてるなら、思い切ってリジーの存在を証明するの。そしたら、味方になってくれるってことはない?」
 ドゥーリオは項垂れ、首を横に振った。
「カーグ様は他人に利用されるような方ではありません。アジェルの証言は明らかに不自然でした。疲労気味のラストル様も、彼をまだ信用されてないほど……あんな芝居にカーグ様が騙されるとは思いません」
「じゃあ……国王もグルってことなのね」
 ドゥーリオは首を縦に振る。
 この計画が成功すればラストルは一瞬で「無能で無情な男」に墜落し、インバリン家の信頼は取り戻せないほど失われる。本物の魔女を捕えたアジェルは魔法使いとしての実力を認められ、地位は向上し、ロゼッタ家は再び世界の覇権を握るために、失態を犯したインバリン家を追い詰めていく――。
「ねえ、なんとかラストルを説得できない? 相手の目的は分かったじゃない。全部話して、ここから逃げましょう」
 ティシラは唇を噛み、ベッドから下りてドゥーリオに駆け寄った。
「そしてトールにも話して、なんとかリジーを救い出すの。そうすればアジェルの悪事を暴けるじゃない。できないの?」
「ラストル様を説得するのは可能ですが、そのあとのことは、私にも未知数です」
「どうして?」
「カーグ様が本当にアジェルの犯罪に加担しているとしたら、リジーか村人のどちらかを助けることはできるかもしれませんが、どちらかが犠牲になることは避けられないかと思います」
「だから、どうしてなのよ。敵の手の内が分かっているのに、どうして無罪の人を助けられないのよ」
「魔法を使ってでもリジーをなんとか助け出し、隠してしまえば、アジェルの計画は潰れます。それでラストル様もお救いできるでしょう。私たちにできるのはそこまでです。ただ、それでは人々のあいだにある魔女の事件の解決にはなりません」
 ラストルを陥れる計画がなくなれば、魔女の事件はカーグの責任となる。そうなればカーグにとって村人は不要になった駒に過ぎない。魔女はいない。そのことを知っているカーグにとって、国民の中に植えつけた魔女への恐怖を取り除くだけで片付くことだった。
「その手段は、無罪の村人を犠牲にすること。村人が魔女だったことにして、処刑すれば人々の不安は幻となります。同時にアジェルも裏で処分されるでしょう……カーグ様ならきっと、そうやって真実をなかったことにされると、私は考えます」
「それじゃダメなの。リジーは村人と仲良くやってたわ。醜いリジーを慕ってくれていた優しい人たちみたいなの。なのに、自分のせいで殺されてしまうなんて耐えられないって言ってた。だからリジーは酷い侮辱や拷問を受けても、どんな苦痛を与えられても、我慢して捕まっているのよ」
 アジェルはそんな彼女の気持ちさえも利用して、己の罪を隠すためにカーグを巻き込んだ。
「そもそも、女性を殺したのはアジェルなのよ」
 ドゥーリオは震える手で、テーブルにあったグラスに水を注ぐ。
「遺体を隠すために未開のシヴァリナに向かったの。そこでリジーを見つけ、捕まえた。罪を擦り付けるために。もう一つの遺体も、魔女の恐ろしさを演出するために、アジェルが殺して持ってきたの。アジェルは魔法使いでもなんでもない、ただの殺人鬼なのよ」
 ドゥーリオは力が入らず、口に含んだ水をすぐには飲み込めなかった。やっと水が喉を通ったところで、汗を拭う。
「そうだとしても、トレシオール様がカーグ様の悪事を暴くことは、大変危険なのです。おそらくトレシオール国王が、腰を上げられることはないかと……」
「何が不安なの? 情報元がどこからであっても、リジーや村人を証拠にすれば、カーグがアジェルと共謀していたことは明白でしょう? 誰がカーグとアジェルを庇うのよ」
「メイの国王がシールの国王の陰謀を暴くなど、考えられません。国の存亡に関わるのです。カーグ様は証拠を隠滅し、トレシオール様から言いがかりをつけてきたと仰います。そうなると、メイが挑発行為を行ったとし、二つの国は対立するのです。落としどころが見つからなければ戦争に発展します。ゆえに、トレシオール様は動かれません」
「……それじゃあ、ラストルは見殺しなの?」
「万が一、ラストル様の身に何かあれば、トレシオール様も国王として正面からシールに責任を問うことができます。ですからカーグ様は、それをさせないため、ラストル様自ら、罪人になっていただくよう画策されているのでしょう」
 ティシラは言葉を失った。彼女も魔界という世界の、王の娘。だが魔界は魔王が頂点であり、誰も逆らうことのできないシステムである。人間界の王政の理不尽な仕組みを切り崩すほどの知識も力もなかった。
「……すみません。少し、時間をください」ドゥーリオは頭がいっぱいで、気絶しそうだった。「今日はもうラストル様を説得する時間はありません。明日、捕えられた村人と会う予定です。それを見てラストル様がどう考えられるかが重要になります。今日ここで聞いたことは、私の胸に秘め、決して忘れないようにします。もう少し、お待ちください」
 ティシラに苛立ちがこみ上げる。ラストルに全部話して、メイとシールが敵対することになってでも暴くべき悪事ではないのか。人間の心理が理解できない。
 ドゥーリオにはこの事件の複雑さが、痛いほど身に染みていた。
 ここにあるのは、二つの大国を巻き込んだ問題だけではない。
「……なぜアジェルがそうまでして、罪を隠そうとしているのか、私には分かります」
 独り言のように語り出すドゥーリオに、ティシラは耳を傾けたままベッドに腰掛けた。
「この世界の魔法使いは神聖な存在で、決して邪悪な心を持ってはならないのです。私たち魔法使いは長い時間をかけて、今の地位を確立しました。魔法使いとは、遠い昔、私たちアンミール人が滅ぼしたランドール人への贖罪を形にしたもの……今はその思想が主流となっています。罪を犯した者は、重い罰を背負い、人の形を失うほどの恐ろしい呪いを受けます。今までそうでした。だから、私たちは潔白でなければならないのです。魔法使いである限り、人々の希望でなければ、ならないのです」
 禁忌を犯し地獄に落ちた魔法使い「ハゼゴ」の存在を知らぬ魔法使いはいない。自然の摂理に逆らった魔法使いがどうなるか、教訓として人々に語り継がれている。本来なら彼のように、罪の重さのぶんだけ苦しみを架せられるはず。なのに、とドゥーリオは思う。なぜ未来あるラストルを犠牲にして罪深いアジェルが許されるシナリオが出来上がってしまうのか、納得できない。
 魔法使いとて人間。過ちを犯すことはある。間違いを悔い改め、自然に従い正しくあろうと努力を積み重ね、今の時代がある。そう思ってきた。なのにアジェルの計画が成功してしまったら、この世の正義の定義が崩れ去ってしまうことになる。
 苦悶の表情を浮かべるドゥーリオから、ティシラは目を逸らした。
「そんなこと、私には分からないわ」
 ベッドに体を倒し、指先で自分の髪をいじったあと、傍に転がっていたチョコレートをつまみ、舌に乗せた。
「魔法使いの事情なんて関係ない。そんなもの、自分たちでどうにかしなさいよ」
 ドゥーリオは少女に叱られ、胸が痛んだ。またグラスを口に運ぶと、今度は詰まらず、水を飲みこむことができた。
「あの、ティシラ様、ところであなたは、どうしてリジーを助けようとされていらっしゃるのでしょうか」
「簡単なことよ。魔女を利用させたくないの。魔女を勝手な想像で侮辱されてるのよ。人間が人間を殺しておいて、弱い魔族を捕えて拷問して、くだらない虚言のおもちゃにされるなんて、私のプライドが許さないの」
 ティシラは怒りを露わにし、手に取った飴玉を握りつぶした。
「それに、リジーは仲間だからよ。彼女が殺されてしまったら、人間の思い通りになる。そんなことさせないわ」
「……仲間?」
「リジーは私に助けを求めたの」目を閉じ、胸の上に両手を重ねる。「パパでもママでもなく、他のどんな強い魔族でも、ましてや王様でも魔法使いでも誰でもなく、私にね。リジーには私しかいないの。リジーは弱くて、優しくて、何の力もない低級な魔族よ。見殺しになんかできるわけないじゃない」
「あの……仲間とは、どういう意味で?」
 ティシラは上半身を起こし、首を傾げた。
「仲間よ。同じ魔族」
「え?」
「言ってなかったかしら」ティシラは瞳に赤い光を灯した。「私は魔女よ。本物の、魔女」


*****



 会議室に戻ったノイエとアジェルは、窓際で庭を眺めていたカーグの背後に歩み寄った。
「アジェル」カーグは背を向けたまま。「答えは出た」
 アジェルは目を見開き、腹の前で両手を強く握る。
「ラストル王子は、次期ティオ・メイ国王には……相応しくない」
 アジェルはこみ上げる喜びを抑えることができなかった。ノイエは静かに目を伏せ、カーグに従うことを心に誓う。
「夜のうちに村人を城に連行し、牢に入れておきなさい。あの魔族もだ。魔族は地中のもっとも深い場所に監禁し、決して誰にも存在を察知されないよう、厳重な管理を命ずる」
 二人は同時に頭を下げる。そのあと、ノイエはアジェルに退室を命じた。アジェルは浮足立った様子で、何度もカーグの背中に礼を言って出ていった。
「……よろしいのでしょうか」ノイエはカーグの隣に足を進め。「もし失敗したら、墜落するのはこちらですよ」
「今が大きな転機だと、そう感じたのだ」
 カーグは庭を包むようにに広がる空を仰いだ。空の青と、地平線で真っ赤に輝く太陽が美しいグラデーションを作り出している。この昼と夜の境にだけ起こる現象は、すぐに暗闇にかき消される。儚い、が、だからこそ人々の記憶に残る瞬間だった。そして新しい朝を迎え、何事もなかったように生きていく。
「歴史の節目なんて、ほんの一瞬だ。終わってしまえば、どんなに輝いた時代もただの記録に変わる。人は与えられたものに順応していくのだよ。何も恐れる必要はない」
 時代が変わる。悪と正義の定義が変わる。魔法使いの価値が変わる。
 取り返すのではない。一つのものを破壊し、真っ新になった地の上に新しいものを造り上げる。自分にはその力がある。
 カーグは自分の手のひらを見つめたあと、力強く拳を握った。





   

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