SHANTiROSE

HOLY MAZE-37






 その日、人目に晒され続けたラストルは最上の苦痛を味わっていた。
 どこへ行くにも観衆が待ち構え、何を見聞きし誰と話しても、そのたびに記者が寄りつき顔を覗き込み、すべてを記録し続けた。
 ずっと彼の様子を伺っていたドゥーリオが、何度か記者を遠ざけた。初の公務で慣れていないことや、長旅の疲れがまだ残っていることを説明し、ラストルの明らかに不快そうな表情の理由を誤魔化し続けていた。カーグとその周辺はさすがに慣れており、たまにいる不躾で失礼な記者も笑顔で対応し、ラストルにも気遣い、恥をかかせないよう立ち回ってくれていた。そのたびにドゥーリオはカーグに頭を下げ、ラストルをフォローし続けた。
 その時間もやっと終わり、無事、一同は城へ戻ってきた。
 ラストルはどこへ行き何を見たのかも、口にした食事さえ記憶に残っていなかった。
 休憩と着替えのため、部屋に戻るなりソファに体を預けるなり、片手で頭を抱えた。
「……吐き気がする」
 ドゥーリオは急いでドアを閉め、すぐに水を運んだ。
「ご立派でございました」心にもない言葉をかけ。「民衆あっての国。王族は民衆から愛され、信頼を得る必要がございます。こういうった積み重ねが人々に必要とされる王となる道なのです」
 ラストルは珍しく口答えをしなかった。カップを口に当て、遠くに目線を投げている。
 現実の厳しさを噛み締めているのか、本当に疲れているだけなのかは分からない。
 ドゥーリオはティシラのことを思い出し、ラストルの視界の外で周囲を見回した。この部屋にはいない。ドゥーリオの部屋にいるのか、客室に戻ったのか――何にしても、今ここにいなくてよかったと思う。
 しばらくすればカーグと会談が始まる。彼女のことを話している暇はない。今は忘れ、家来を呼んで着替えの用意をした。


 ラストルは準備を済ませ、部屋を出る。それまでもずっと口数が少なかった。
 だが、長い廊下の突き当りにある静かで薄暗い部屋に案内され、カーグとノイエ、その背後にいる魔法使いの姿を見た途端、あの鋭い目に戻った。
 入室はラストルとドゥーリオだけだと指示され、それに従った。
 重いドアが閉じ、一同は会議用の長い机の一角に腰を降ろした。
 その部屋は庭に面した大きな窓があるにも関わらず、一日に数十分しか日の入らない場所だった。窓は特注のレースのカーテンで隙間なく閉じられており、寒気を感じるほど冷たい空気が漂っている。ラストルは、なぜこんな部屋を、とは思わなかった。今から二つの大国の行く先に関わる話が始まる。世界中が注目している。しかし、その内容を容易に明かすわけにはいかないからだった。
「ラストル王子、お疲れではありませんか」
 カーグは気を遣い、机上に用意されていた甘いジュースを差し出した。ラストルは受け取り、短い礼を言い、口はつけずそのまま置いた。
「それでは」 カーグは不適に笑い。「魔女の事件について、始めましょうか」
 ラストルの表情が硬くなったことを確認し、カーグは右手に座っている魔法使いに目線を移した。
「まずはご紹介いたします。彼が、魔女を発見した魔法使い、アジェルです」
 アジェルは目を伏せて一礼する。
「アジェルと申します。ラストル王子、お目にかかれて大変光栄に存じます」
 返事もせずにアジェルを見つめているラストルの隣で、ドゥーリオは腰を上げて一礼した。
「私は、ラストル様の側近を務めさせていただいております、魔法使いのドゥーリオと申します。どうぞ、お見知りおきを」
 ドゥーリオもアジェルの名前は聞いたことがあった。この事件が起きる前から。小さな村の魔法使いではあったが、アカデミー時代にその才覚を周囲から認められており、それなりの魔法使いの間では有名だった。
 アジェルも彼のことは知っている。お互い会ったこともないのだが、ドゥーリオはティオ・メイの元魔法軍の幹部であり、第一王子の側近なのだ。当然ことだった。
 カーグの左手にいるノイエも相当な魔力を秘めている。だが腹の探り合いをするのはまだ早計だ。この場には何の仕掛けもない、誰もが無防備な状態である。緊張の糸を張り詰めたまま、ドゥーリオは改めてカーグとノイエにも挨拶をし、腰を降ろした。
 まずは、とアジェルから話を始めた。
「ラストル王子のお知りになりたいことを、お話させていただきます」
 アジェルは自分が小さな村にいたこと、そこで女性が行方不明になったこと、彼女を探して旅に出たことから説明した。
「そして、怪しい魔力を感じ取り、誘われるようにたどり着いたのが」地図を取り出し、机上に広げ。「ティオ・シールの近くにある、この未開の森でした」
 そう言ってシヴァリナの森を指さす。そこがどういう場所なのかの説明を続け、森の奥の地面にある大きな亀裂の位置を示した。
「おそらく、ここから魔女がこの世界に侵入したのでしょう……そこで、私は恐ろしいものを目にしました」
 アジェルは次に数枚の写真を取り出した。
「これが、女性の変わり果てた姿です」
 ドゥーリオが先に写真を手に取り、目を通す。途端、青ざめ、片手で口を押えた。呼吸を整えてから、そっとラストルに差し出した。
 そこには、既に腐敗が始まっている遺体が映っていた。ラストルは眉を潜めながら写真を受け取る。哀れみではなく、嫌悪の表情でそれを見つめた。
「身に着けていたものから、村で行方不明になった女性だと分かりました。しかしなぜこんなところに? 私は不吉な予感を拭えず、周囲を調べ続けました。そこで見つけたのが、身元不明の怪しい民族だったのです」
 アジェルは次に、牢に閉じ込められ、陰気な状態の村人の写真の数枚を出した。
 また先にドゥーリオが確認し、ラストルが目を通す。
 写真には女性ばかりが映っている。誰も泣いているか、叫んでいるか、恨みの表情ばかりだった。
「この中に、善良な人々を惑わして操る、邪悪な魔女が潜んでるのです」
 ドゥーリオは数枚の写真を何度も見返し、顔を上げた。
「この中に、とは、どういうことでしょうか」
「その中の一人なのか、二人なのか、それとも全員なのか……そうでなかったとしても、ここにいる者は既に魔女に毒され、下僕となった者なのです」
「……どうして、そう思うのですか」
「思うのではなく、私には分かるのです」アジェルは声を荒げた。「この者たちは非常に感情的で、私を一方的に責め立て、女性殺しの罪を擦り付けようとしました。まともな心がある者の言動ではありませんでした。私は恐ろしくなり、震えました。しかしここで逃げては犠牲となった女性が報われません。だから私は諦めずに調査を続けたのです。この住民たちはそんな私を迫害しました。誰も止める者はいませんでした。皆が同じ論調で、明らかに洗脳されている様子でした」
 ドゥーリオは一度、ラストルに顔を向けた。彼は無表情で口を開こうとせず、黙ったままだった。
「あなたはこの者たちを実際に見ていないから冷静でいられるのです」アジェルは声を落とす。「この者たちは私を悪だと言い続けました。何度も負けそうになりました。もしかしたらこの者たちが正しくて、魔女などいないのではと考え、思い込みを捨てて、改めて調査を続けたのです……しかし、そうしているうちに、新たな犠牲者が出てしまいました」
 アジェルは俯いたまま、別の写真を出した。ドゥーリオは息を飲み、受け取ると、そこには先ほどとは別の女性の遺体が映っていた。
「後悔しました。私がもっとしっかりしていれば犠牲を増やすことはなかったのにと」
 ラストルは写真を見て、また眉間に皺を寄せるだけで、何も言わずに机にそれを机に放った。
「森全体には不穏な魔力が漂い、それは力を増し、とうとう外に漏れだしていました。シールにも魔女の毒霧は爪を伸ばし始めていると感じ、これ以上時間を費やすわけにはいきませんでした。私は己の未熟さを認め、決心し、カーグ国王に相談いたしました」
 そこでアジェルはいったん口を結んだ。
 一同は一息つき、カーグがラストルに意見を求めた。
「どう思われますか?」
 隣で汗を拭っているドゥーリオとは対称的に、ラストルは冷ややかな目線を返す。
「正直に申し上げてよろしいでしょうか」
「ええ、もちろん」
「私には、この写真に写っている者すべて、人間に見えます」
 その言葉に、アジェルは肩を揺らした。カーグは「同感」とでも言うかのように口の端を上げる。
「そうですね。私もそう思います」
「ですが……」ラストルは改めて、写真を一枚手に取り。「実際に犠牲者が出ており、この国の人々は魔女の影に怯えているようです」
「その通りです」アジェルは透かさず声を上げた。「このように人間と見分けがつかないところも魔女の恐ろしさの一角なのです。まだこの国の民は、見えない魔力に脅かされているにすぎません。しかしシヴァリナの者はもう手遅れ。これ以上放置していては、感染病のように世界中に魔女の力が浸透し、誰も正しい判断ができなくなるでしょう」
 アジェルはそこまで言うと、はっと我に返った。一同の顔を見回したあと、取り乱した自分を恥じるように目を伏せた。
 ドゥーリオは何やら別のことを考えているのか、何度も写真を見返している。
 その様子をラストルは横目で見たあと、口を開いた。
「アジェル殿、つまり、あなたの仰りたいことは……シヴァリナの村人すべてを罰する、ということでしょうか」
 ラストルに視線が集まる。カーグは情を交えず結論を求める彼の態度に、敬意を抱くべきか、それとも軽蔑するべきか、見極めようと気を引き締めた。
「確かに、解決しなければいけない事件です」ラストルは淡々と続ける。「どこかに人を殺めた者が必ず存在します。その犯人を特定し、正しく裁いてこそ、世に平安をもたらすことができます。しかし、あなたの話では魔女の正体はまだ暴かれていないということ」
 核心を突かれ、アジェルが咄嗟に立ち上がった。だが素早くカーグが彼の前に片手を伸ばし、制止した。
「そのとおりです」カーグはすぐに手を引き。「犯人が人間の姿をした魔女だとして、その魔女が誰で、魔女に毒された者がどれだけいるか、いまだ不明です。なのでこれから、早急に、特定して裁く必要があるのです――我々が力を合わせて」
 アジェルは静かに、深く座った。まだカーグは自分との取引をすると言ったわけではない。気が気ではなく、手が震えが止まらなかった。
「ラストル王子、そのためにあなたをお呼びしたのです」
「ええ。私も国の安泰のため、尽力するつもりでおります」
「我々、同じ志を持つ者同士……かといって相手に合わせる必要はありません。それぞれの知識と感性を持ち寄り、正しい道を見つけようではありませんか」
 ラストルは彼の胡散臭さを躱すかのように、薄く微笑んだ。
「ラストル王子、あなたのことをもっと知りとうございます」
「……何なりと」
「では、お尋ねします。もし、魔女が人間と何ら変わらぬ姿形をしていたとしても、迷わず罰することはできますか?」
 ラストルは少し考えた。答えは決まっていた。だがカーグが何を知りたがっているのかが読めない。ドゥーリオは写真から手を離し、情けない顔でラストルを見守っていた。まるで怯えた犬のような表情を浮かべた側近の姿を見ると、迷うのもバカバカしく感じてしまう。
 ラストルは改めてカーグに向き合い、答えた。
「できます」
 カーグは薄く笑みを浮かべる。
「できなければいけない、と私は考えます」ラストルは正直な気持ちを伝えた。「魔女の正体を暴くのも、罪を罰するのも我々王族の勤め。たとえ残酷だ、非情だと言われようと、決断することで罪が裁かれるのなら、私は迷いはいたしません」
 彼の言葉を聞くカーグは満足そうに見えた。しかしアジェルも、ノイエさえも彼の真意はまだ知らされていない。安易に口出しすることを不安に思い、何も言わなかった。
 ただこの中で、ドゥーリオだけが違うところに意識を向けていた。冷静に受け答えをするラストルの姿は凛々しく思うが、まだ答えを出せるほどの情報は揃っていない。
「……あの」たまらず、ドゥーリオが挙手をした。「質問を、よろしいでしょうか」
 目線はアジェルに向いていた。アジェルは警戒しながらも、どうぞと呟いた。
「魔女は、本当に人間の姿をしているのですか?」
「……どういう意味でしょうか」
「いえ、その」ドゥーリオは再度写真を手に取り。「例えば、角が生えていたり、牙があったり、肌の色が違ったり……そういう特徴は、何かないのですか」
「どういうことですか?」アジェルは明らかな不快感を示す。「あなたはそういう者を見たことがあるとでも?」
「い、いいえ。魔女が人間の姿だとしても、人間に化けている、という可能性はないのかと、そんなことを考えまして」
「そうだとして、化けているものをどうやって暴くと仰るのでしょうか」
「それは……アジェル殿が調査しているとき、一度でもそういうものを目にしたことがないかと思いまして」
 一般的に魔女や魔物といえば、人々の恐怖の権化と教わる。ドゥーリオがそう思うのも不思議ではない。アジェルは深く考えず、すっと目を逸らして答えた。
「私は、そのようなものは見たことはありません」
「そうですか……」
「ですが、このシヴァリナの森には確かに人間のものではない魔力が漂っております。それは以前から確認されていることです」
「調査はされなかったのでしょうか」
「何度も行われましたよ」ここでノイエが口を開いた。「分かったことは、人が底に辿り着くのは不可能なほど深い亀裂であることだけです。この調査で何人かの犠牲も出ました。目視できる範囲におかしな箇所はなく、それ以上奥にまで入った者は戻ることができなかったのです。亀裂の原因も不明です。そこから漏れる魔力は微々たるもので、近づかなければ感じないほどのものでしたし、生命体の反応についても長い時間をかけて監視しましたが、何もありませんでした。当時は人が近づく理由もありませんでしたし、亀裂については誰の仕業でもなく、人智を超える自然現象の一つと結論づけておりました」
 ノイエとしては、森に一番近いこの国が、正体不明で危険な亀裂を放置していたと思われるわけにはいかない。今まで空気のように黙っていた彼だったが、反論の余地を与えぬ勢いで説明をした。
「これまで何の問題も起きませんでした。魔女がそこから出てきたのだとしても、それを予知することは不可能。森が未開で、危険であることは周知しております。変わったことがあるとすれば、どこからかやってきた少数民族が住み着いたということです。彼らの保護も申し出ましたが、拒否の意志を示してきました。それでもつかず離れず、平和な関係を保っていました。ただ、もしもこれからも同じ現象が続くのであれば、今回の変化を踏まえて再調査を行い、全力を尽くします」
 魔法使いは話し始めると饒舌になる、というのは彼にも共通しているようだ。カーグが左手を軽く振るようにノイエに向け、制止した。
「なぜ村人を疑っているのかは、実際に見ていただければ分かるかと思います。ただ言動が怪しいだけではなく、人間のものではない魔力が感じられるのですから」
「そうです」アジェルが大きく頷いた。「魔女は、同じ人間の姿をしているからこそ恐ろしいのです。そのことがお分かりになるはずです」
 ドゥーリオは写真を置いて座り直し、もう質問をしなかった。
 分からないことは多かったが、ここでこれ以上問答していても進展はなさそうだとラストルは思う。
「その村人たちは、今どうなされているのでしょうか」
「魔女の力がこれ以上拡大せぬよう、森の奥に隔離しております」と、カーグ。「ラストル王子と共に魔女を裁くことが可能なら、すぐに城内に運び込みましょう」
「……可能なら、と仰いますが、私は最初からそのためにここへ来たのです」
 カーグは目を細め、グラスに手をかけた。
「では、明日、我々が捕えた『魔女』をご覧にいれましょう」
 そう言って水を飲み干し、今日の話し合いは終わった。


 カーグは、ラストルとドゥーリオに夜の饗宴でまたお会いしましょうと伝え、そこで別れた。
 ラストルは何を考えているか分からないまま、廊下で彼を迎えた家来を連れて部屋に戻った。ドゥーリオはそわそわと腑に落ちない様子だったが、廊下の先でいつまでも見送っているノイエとアジェルの目線に身震いを起こし、不安を悟られないよう、二度と振り返らなかった。





   

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