SHANTiROSE

HOLY MAZE-43






 ラストルはカーグに案内され、長い廊下を歩いた。
 とくに会話は弾まない。壁を背に、鎧を身に着けた警備兵が、壁を背にして等間隔に並んでいた。二人を見ると皆同じ角度に頭を下げる。なぜ二人だけで、側近も誰も連れていないのか不思議に思う者もいたようだが、何も言葉は発しなかった。
 しばらくすると次第に周囲は薄暗くなり、扉に突き当たった。左右に並んでいた番人の一人が背後にあった通信機器を耳に当て、小さな声で何やら呟いた。すると重苦しい石の扉の向こうから錠を外す音が聞こえた。警備兵が左右に分かれて二人に頭を下げると、扉が地響きを鳴らしながら開いていった。
 カーグを先頭にラストルが扉を潜っていく。その先は光の入らない暗く冷たい石の廊下が続いた。ポツポツと並ぶ松明の下には警備兵がおり、同じように進む二人に頭を下げていく。
「ここは容疑者や犯罪者を捕え、投獄している場所です」
 肩越しに顔を向け、そう言うカーグの声は自然と小声になっていた。石に囲まれた暗く、重い空気の漂う空間にその声は十分に届く。
「地下は五階まであり、一時的に拘束している軽犯罪者から死刑囚まで、罪が重いほど、深い場所に投獄しております」
「魔女以外の犯罪者もここに?」
「ええ。ですがご安心を。今私たちが通っているのは関係者用の通路です。罪人の搬送は外から行い、この通路から監視できるようになっておりますので」
 足音だけを響かせ狭い道を進んでいくと、鉄の扉が立ちそびえた。鎧をまとった警備兵が一礼し扉を開けると、その先は通路を広くしたような部屋になっていた。中にいた数人の監視係は既に整列しており、頭を下げる。
 室内に入って左手のほうは大きなガラス窓になっていた。カーグに促されてラストルが窓の前に立つと、眼下には黒い鉄で仕切られた牢獄が横に並んでいた。隙間なく並ぶ狭い部屋の中は鉄格子から目視できるようになっている。中に閉じ込められている罪人の片足には枷があり、鎖は背後の壁に繋がっている。皆同じように陰湿な表情でう項垂れていた。周囲には武器を手にした兵がうろついている。
「ここが第一の牢獄です」と、カーグ。「魔女の容疑者は地下三階になります」
 そう言って踵を返し、来たほうとは逆の扉に向かった。
 扉の向こうはまた狭い石の通路になっており、緩やかに曲がった階下への階段に続いた。螺旋状の階段を二回ほど回るとまた直線の道になり、先ほどと同じ形の扉を潜る。
 地下二階の監視室を抜け、また同じことを繰り返し、ついに「魔女の部屋」にたどり着いた。
 ラストルとカーグは並んでガラス越しに牢獄を見つめた。
 牢獄の一部屋は狭く、多くて三人が限度なのだが、この階は四・五人づつ詰め込まれていた。
 ラストルの隣からカーグが指を指しながら説明する。
「左側が、この国で容疑がかけられ拘束されている者。右側が、シヴァリナという森に無許可で住み着いていた民族です」
 ラストルは黙って彼女たちを見つめていた。
 着ている服や髪型などで、左右で人種が違うことがすぐ分かる。数はシールの国民のほうが多かった。同じなのは、皆狭い牢獄の中で怯え切っていることだった。
 誰もがやつれ、悲しんでいる。震えている者、励ますように手を取り合っている者、涙を流す者や堪えて唇を噛んでいる者の様子がよく見えた。
 どこを見ても、彼女たちが魔女である証拠はなかった。
 ただ、ラストルが感じていたのは、上階で見てきた罪人とは違うということだった。彼らは誰も諦めたように暗い顔をし、自分の犯した罪の重さを噛み締めて裁かれるを待っているようだった。しかし、「魔女」たちは違った。何かを恨んでいるように見える。それが人間を唆す「魔女」なのか、自分を信じなかった家族なのか、証拠もないのに投獄する政府なのかは分からない。
 ラストルには、彼女たちが「自分は無罪」だと信じていることを感じ取っていた。騙されているのかもしれない。利用されているのかもしれない。彼女たちにも言い分があるのだろうと思う。だが彼女たちが何を言おうと「魔女」である証明も、「魔女」ではない証明も、誰もできない。
 ふっと、ラストルは牢獄の右端に目線を移す。そこには更に階下に続く重い扉があった。
「あの扉の先には、今まで以上の重罪人が捕えられているのでしょうか」
 カーグにはその質問の意図が分からなかった。
 その先の最下層には、リジーがいる。厳重な結界で閉じ込め、魔力の欠片も漏れないようにしているはず。ラストルが何を知りたいのか、読めない。
「ええ」カーグは疑心を表情に出さず。「ここから先は二度と外には出られない重罪人や死刑囚ばかりです」
「人間以外の者も、そこにいますか?」
 カーグは僅かに目じりを揺らす。何かを知っているのだろうか。思案していると、ラストルが扉を見つめたまま続けた。
「人間ではない姿をした者や、または、形を失った者……そういった重罪人というのは存在しないのでしょうか」
「それは、魔女に関することで?」
「いえ。ここから先、どれほどの罪を犯した者がいるのかと思いまして」
 目線を正面に戻すラストルは無表情だった。彼が何を考えていようと、カーグはここで動揺を見せるわけにはいかなかった。駆け引きなのかもしれない。いずれにしても、ラストルは信頼できる部下を自ら切ってここへ来た。まだろくな公務の経験もないのに、無防備な状態で「敵国」の罠に飛び込むこの若者が、カーグには己を過信した愚かな子供にしか見えなかった。
「そうですね……人の形を失った者もいます」カーグも奥の扉に目線を移し。「魔薬に溺れた者や、禁忌を犯し体の一部を失った者など。ご興味を示される気持ちはお察しいたします」
 口の端を上げ、ラストルに向き合う。
「ですが、これから先は見ないほうがよろしいでしょう。普通の精神では耐えられない、人の想像を超える悍ましい空間が広がっているのですから」
 監視役も、生まれついて障害や穢れを持った特殊な者ばかりだと、カーグは続けた。ラストルは何やら嫌な想像をし、眉を潜める。
 そして、奥の扉への感心を失った。
 それに気づいたカーグは、すっと周囲に目配せをして退室を命じる。すると姿勢を正していた警備兵数人は一礼し、室を出て行った。
 ラストルはその様子を見届けるだけで何も言わなかった。
「それではラストル様、本題に入りましょうか」
 カーグの言葉の意味は、すぐに分かった。ラストルは小さく頷く。
「私があなたをお呼びしたのは、トレシオール様とは違うものをお持ちなのではと感じたからです」
「……違うものとは?」
「今からお話することは、ここだけの話と、ご了承いただけますか?」
「ええ」ラストルは僅かに頬を緩める。「もちろん、そのつもりです」
「トレシオール様は亡きお父上を心酔していらっしゃる。素晴らしいことです。先代のグレンデル国王陛下はそれに値する偉大な方でした。しかし、トレシオール様は先代とはまた違う力をお持ちなのに、ただ古きものを守るだけというのは……私は惜しいと感じるのです」
 つまり、トールの王政は古いと、カーグはそう言っていた。
「時代は常に変わっています。戦争とは古いものを破壊し、その上に新しいものを作っていくこと。そしてその摂理もまた、変化しております」
 二つの大国が軍拡競争で威嚇し続ける時代も、いずれは決着を付けねばならないときがくる。それがどちらかを倒すことになるのか、または別の形を生み出すことになるのかは、まだ予測できるほど二国の関係は形を成していなかった。
 今までならば、何かのきっかけで対立し勝敗がはっきりするまで殴り合い、勝ったほうが正義となってきた。
 ラストルは父親にも言ったことのない考えを、ここで吐き出し始めた。誘われたのではなく、今がその機だと思ったからだった。
「神からティオの名を戴いた二つの国が、憎しみ、奪い合うことを、誰が一体望んだのでしょう」
「私たちの国の間にある溝は深いものです」カーグも優しく目じりを下げ。「今まで誰もそれを埋めようとはしなかった……しかし、現在は、どうでしょう」
「現在、と仰るのは、私の世代は今までとは違うと、そうお考えなのでしょうか」
「さすが、話が早いですね。私はトレシオール様とは相容れない貴方に可能性を見出したのです。だからこそ、お招きさせていただきました。そして、貴方は来てくださった……」
「私は……仰るとおり、世を変えたく、ここへ来ました」
 やはり、とカーグはひそかにほくそ笑む。その直後、ラストルは遠くへ目線を投げ、本心を明かした。
「正確には、父を超えたいと考えております」
 カーグは笑みを消し、ラストルの横顔を見つめた。そこに表情はなく、どこまで本音なのかは読めない。その姿と言葉は勇敢で、思慮深い英雄のようだった。だが、と、見方を変えてみる。彼は「愚者」だ。警戒心を隠し、彼の世迷言に付き合ってやれば見目麗しい「人形」になってくれる。そう信じてここに来た。
「二つの大国が手を取り合って世界を治める未来を、誰が拒絶するでしょう」
「ええ」カーグは再び口の端を上げる。「なんの苦労も障害もなく、過去最大の強国となり、人々は安心して幸福に暮らすことができる……そんな気がします」
「どうして今まで誰もそれをしようとしなかったのか、不思議に思うほど簡単なことのようです」
「簡単ではないと思います。国民の中で長く続いてきた風習や感情は根強い。どちらかの国に着いてきた小国や民族にも影響があり、反乱は避けられません」
「それでは、我々が手を取るにも犠牲が必要だとお考えですか?」
「犠牲を最小限に食い止めることはできます。それは我々王族が常に尽力しなければいけない任務でもありますから」
「犠牲を最小限にするということは……やはり犠牲は必要ということですね」
「ええ……何かを手に入れるためには犠牲は必要です。正義とは、悪を倒して初めて、成立するものなのですから」
 勝利した者が正義となり、敗者は悪となる。カーグの言い分は順序が逆であり、彼がわざとそうしていることは、ラストルにも理解できていた。
 カーグの言う「悪」、つまり「犠牲」とはトールを指している――そうラストルは思った。
 カーグは横目でラストルの心理を探った。少々目線を落とした。さすがに父親を裏切ることには抵抗があるのだろう。今ここで考え、答えを出そうとしているのが分かる。
 ラストルにはそれなりの覚悟はあった。しかし目論見が現実になろうとしている直前で、湧きあがる罪悪感を否めなかった。
 カーグはそんな彼を嘲笑うことなく、黙って待った。

 ――あなたは、いずれ父君を超える国王にならなければなりません。

 突如、ラストルの中に声が聞こえてきた。
 過去に何度も言われ続けた「呪文」だった。

 ――あなたにはその才覚があります。

 そのために、自分を案じる家族も、信頼する周囲の者も「傷つけてきた」。
 ラストルは襲ってくる息苦しさを必死で隠した。視界が狭まり、カーグと目を合わせることができない。

 ――いつかその苦痛を超える幸福を手にするときがきます。歴史を作ってきた偉人のすべて、世界中の人々の罪を背負って戦ってきたのです。誰を敵に回しても、己の信念を貫き通した者こそ、偉業を成し遂げることができるのですから。

 迷うたびに、泣くたびに、城の屋上へ連れて行かれ、乱暴に「世界」を見せつけられた。
 この世界の一番高いその位置は、足を踏み外せば死を誘う。幼い子供にはただ恐ろしいだけで、落ちないように城壁に捕まっているのがやっとだった。

 ――ご覧ください。いずれ貴方が治める国です。貴方はこの大きな国を守らなければなりません。その手が穢れていていいと思いますか? 優しいだけで罪を裁くことができますか? 傷つくことを恐れていて敵を排除することができますか?

 そうだ、とラストルは気を強く持ち直した。
 父の言うとおりにしても、結局何も変わらない。そう信じて違う道を進んできた。
 だからこそ、理想の伴侶にも出会えたのだ。シオンのことを忘れたことはなかった。彼女は信念を持った自分を愛してくれている。それに、今のままではシオンを王家に迎え入れることは難しい。自分が地位を確立し、伝統を変える力を手に入れなければ彼女を幸せにするどころか、女性として最大の屈辱を与えることになる。
 シオンと二人で美しい世界を作り直し、治めていく。
 ラストルは落ち着きを取り戻し、片足を一歩退いてカーグに向き合った。
「確認したいことがあります」
「ええ、何なりとお尋ねください」
「私たちが過去にしたことを、貴方は恨んではいらっしゃらないのですか」
 カーグは動揺もせず、用意していた答えを告げる。
「恨んでいないと言えば嘘になります。私も先代の意志を継いで国王の座を戴いたのですから……ですが、私も貴方と同じです。歴史を変えることが実現するのなら、不要なものは切り捨てましょう。そのとき、我々にインバリン家を恨む理由はなくなります」
 カーグの言葉はラストルにとって有難く、都合のいいものだった。
 立場も思想も違うが、見据える方向は同じだと、ラストルは信じ、決意した。



*****




 ラストルが戻ったことを家来から聞いたドゥーリオは、彼の部屋の前で出迎えた。
 ラストルに特別な変化は感じられなかった。しかし、彼は最悪の報せをもたらした。
「本気で仰っているのですか……!」
 震え上がるほどの報告に、ドゥーリオは我を失いそうになる。
 ラストルは、カーグと共に魔女裁判を行うと告げたのだった。
「何を驚いている」ラストルは呆れて息を吐いた。「最初からそのつもりだった。カーグと二人だけで話し合い、互いの目的が一致していることを確認できたのだ」
「何を以てカーグ様のお言葉が真実だとお思いなのでしょうか」
「カーグにも痛みは伴う。私もだ。理解したうえで、私たち二人で悪しき国政を変えていくと約束した。嘘かどうかは、そのうち分かる」
 ドゥーリオは気を失いそうだった。あまりに軽率。いくら主君とはいえ、今までのようにそうですかと見過ごすことはできない。
「……トレシオール国王陛下が、お許しになりません」
 ラストルは冷たい目を歪め、ドゥーリオを睨み付けた。
「父上は関係ない。私は私にできる仕事を進めているだけだ」
「いいえ。国政に関わることなら陛下の許可をいただいてください。いくらラストル様が優れた才能をお持ちであったとしても、今はトレシオール様が国王なのですから、筋をお通しください」
 ドゥーリオがここまで強く発言するのは初めてだった。ラストルは彼の言い分も理解したうえで、不快感を募らせた。
「ドゥーリオ、これは命令だ――父上にこのことは報告するな」
「……なんですって?」
「私がカーグと話し合い、私が決めたことだ。父上の許可など、必要ない」
 ドゥーリオは震え出す体を止めようと、強く拳を握った。ラストルは自分を切ろうとしていることも分かった。だったら、言うべきことは言わなければいけない。
「他国の司法に関わって、陛下に隠し通せるわけがございません。どうか、御戯れは……」
「黙れ」ラストルは目を伏せ、背を向ける。「報告する必要はないだけで隠すつもりはない」
「少なくとも、私が報告いたします。例えラストル様が止められても、必ず」
「勝手にするがいい」ラストルはふんと鼻で笑った。「これは始まりに過ぎない。いずれ私はシールとの過去の因縁を解消し、新しい国を作るつもりなのだ」
「……それは、陛下と対立なさるということですか」
「父上が悉く私の考えを否定なさるなら、敵対も致し方ないかもしれないな」
「それで、カーグ様と手を組み、メイと戦うと……」
「できれば、そうしたくない。犠牲は最小限に食い止めるよう、努力する」
 ラストルは父に背き、家族も国も、見捨てようとしていた。彼の言う「犠牲」とは、生まれ育ったティオ・メイの国体さえ壊してしまうことも厭わないということ。
 予想以上に悪い方に話が進んでいく。ドゥーリオは恐怖さえ抱くが、一番近いところにいるはずの自分でさえ何もできない状況に絶望した。
 まずはトールに、そしてティシラに相談するしかないと考えた。
 ドゥーリオは戸に向かい、振り返って頭を下げた。
「陛下に報告して参ります」
 ラストルは顔色一つ変えず、退室するドゥーリオにこう言い放った。
「貴様は解雇する。そのことも父上に報告しておくんだな」



*****




 ドゥーリオは真っ青な顔で自室に戻った。またそこに居座り、ベッドの上で菓子を散らかしていたティシラは、彼の死体のような姿に目を丸くする。
「ど、どうしたの?」
 ドゥーリオはのろのろとソファに腰を降ろし、今までで一番の陰気な表情を浮かべていた。
「……ラストル様が、陛下に反旗を翻してしまわれました」
 ティシラは眉を潜め、彼の向かいのソファに移動した。
「魔女の裁判を、カーグ様と行うそうです。陛下にご相談もなく……私も、とうとう解雇されてしまいました」
 ドゥーリオの落ち込みようから、嘘ではないことは確かだとティシラは思う。
「なんでそんなことになるの? カーグはラストルを騙そうとしているのに。それとも、ラストルは分かっててわざとやってるの? 何か策でもあるわけ?」
「いいえ……本気で、世界を変えられるおつもりなのだと思います」
「それって、トールと敵対するってこと?」
 ドゥーリオははっきり肯定することさえ恐ろしく、声は出さずにカクンと項垂れた。
「意味が分からないわ……そんなことしたってトールが黙ってないでしょ」
「おそらく……過去の因縁を水に流して二国が手を組み、メイ以上の大国を目指すと言えば、平安を望む国民はラストル様の意志を支持するでしょう。実績を重ねていけばいずれ陛下を凌駕する王になれると、そう信じていらっしゃるのだと思います」
「待って。問題はトールとラストルのことじゃないわよね。国民の支持とか言う前に、カーグはラストルを騙して罪人にするつもりなんでしょう? そしたら結局魔女はいたことになって、今捕まってるリジーたちも裁かれるってことじゃない」
 ドゥーリオは頭を抱え、ソファから落ちそうなほど体を前に折った。
 ティシラは言葉が出なかった。何一つうまくいかない現実に打ちのめされ、ドゥーリオに負けないくらい茫然としてしまった。


 ドゥーリオはテーブルに水晶を置き、今にも泣きそうな声でトールに通信を繋いだ。
 現状を報告すると、水晶の向こうにいるトールとライザも、あまりの状況にしばらく頭が真っ白になっていた。
『とにかく……』トールの声も震えていた。『カーグと直接話をする。王子とはいえ、未熟な若者にそんな重役を押し付けるなんて、国王のやることじゃない』
 ドゥーリオは少しだけ気が軽くなった。トールとカーグが話し合ってくれれば止めることができるかもしれない。今はそれに賭けるしかなかった。
「お役に立てず、申し訳ございません。ラストル様は私を解雇と仰いましたが、無事にご帰還されるまでお供させていただきます」
『そうしてくれ。ドゥーリオ、君には苦労をかける』
「勿体ないお言葉を……心から感謝いたします」
 ティシラはベランダに出て、イヤリングを通してロアと話をしていた。ドゥーリオはその背中をちらりと見たあと、トールに手短に伝えた。
「陛下、ラストル様は、ルミオル様と必ず、和解できます。あのお方の本心は眠っているだけなんです」
 トールはドゥーリオが何かを知ったのだと勘付いた。ゆっくり話し合っている時間はなかった。分かっている、と短く返事を残し、いったん通信を切った。


 ドゥーリオは食欲もなく、緊張で渇きが止まらない喉を水で潤し続けていた。トールからの連絡を待ち、水晶から目を離すことができない。
 ティシラも珍しくぼんやりとしており、ベッドに寝転がったりベランダに出たりと落ち着きがなかった。
 無意識に息を殺していたドゥーリオの目の前で、水晶が光を灯した。ドゥーリオが目を見開いて手をかざすと、ティシラも寄ってくる。
 待ち望んでいた結果は、やはり最悪なままだった。
『カーグは、ただ裁判に立ち合わせるだけだと言い張っていた。何にしてももうラストルを帰して欲しいと言ったが、それは本人と話して決めろとしか……』
 ティシラが水晶を覗き込み、口を挟んできた。
「じゃああんたがラストルに帰れって命令すればいいじゃない」
 ティシラの声を聞くのは久しぶりに感じた。
『もちろん、ラストルもそこに呼んでもらって話したよ』
「それで? ラストルは何て?」
『同じだよ。立ち合うだけなのに、急いで帰る理由がない、と。そもそも自分は裁判に興味があってシールに来たのだと、取りつく島もなかった』
 ドゥーリオが再び死人の顔に戻った。室内にも、水晶の向うにも重苦しい空気が落ちてくる。カーグの陰謀を暴くことは可能だ。しかし、当のラストルが自ら罠の中に身を投じ、殻に閉じこもってしまっては手の出しようがなかった。
『……僕が、そっちに向かうか』
 悩んだ末に、トールが呟いた。水晶の奥で高い声が聞こえる。ライザが驚いているのだろう。
『非公認でだよ。間に合うかどうか分からないが、忍び込んで、ラストルを捕まえて……』
 ライザの声が遮った。今度は内容まで聞こえる。そんなことをして見つかったら逮捕されてしまいます、と当たり前のことを言っていた。
『でも、もう形振り構っていられないじゃないか』
「……私がやるわ」一人で思案していたティシラが声を上げた。「私がラストルを止める。どんな手を使っても、絶対に」
『ティシラ、何か手があるのか』
「もう一度、最後に話をしてみる。今まで追い出されないように遠慮してたけど、もうその必要もないでしょう。強引にでも、説得するわ」
 ティシラは右手を左手の上に重ね、握りしめた。
「このまま引き下がるなんて、私ができるわけがないじゃない」





   

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