SHANTiROSE

HOLY MAZE-05





 ラストルとシオンが出会ったのは三年前、エルゼロスタがティオ・メイで初めて舞台を公演したときだった。
 エルゼロスタにとって大きな転機となった日である。
 ただし、その「転機」にはいろんなものが含まれることとなる。


 それまでエルゼロスタは旅芸人集団として、どこにも根を下ろさず各地の舞台を借りながら転々としていた。その頃はもう十分な実力も人材も揃っており、どこへ行っても拍手喝采をいただけるものだった。
 誰からも歓迎され、数十日腰を下ろした地方では「もっと居て欲しい」「ここに舞台を構えればいい」と、誘われることも珍しくなかった。
 中には本気でエルゼロスタを買いたいと申し出、具体的な計画書を出されたこともあった。悩んだこともあったのだが、やはりもっと世界を回ってたくさんの人に舞台を見てもらいたいという答えを出しながら、最後にティオ・メイに辿り着いたのだった。


 始まりはティオ・メイから、今度王族や貴族が集まる大きな宴があるので、そのときのメインイベントとしての出場の依頼が届いたことだった。エルゼロスタにとっても世界の中心と言われる大国からの申し出は恐縮するほど光栄なことだった。一回だけの契約だったのだが、主席から来賓のすべてに気に入られ、エルゼロスタはこれからもっと進化し、繁栄していくべきであると高く評価された。そして宴から三日後に、ティオ・メイから直々の商談を持ちかけられたのだった。
 内容は、エルゼロスタの人材と芸の保護、舞台の確保、生活の保障。努力と才能、国の繁栄に貢献すればそれに値する報奨金。
 たった一夜で一団は大きな飛躍を遂げることになり、誰もが驚いていた。
 反対する者も少なくはなかった。他国や地方でエルゼロスタを応援していた人々である。大国の権利を利用した芸術の独占であると批判も出た。
 当のエルゼロスタは光栄であると同時、困惑もあった。今まで他国の申し出を断ってきた手前、ホイホイと二つ返事をすればイメージの低下に繋がる恐れがあるからである。それだけではなく、団員たちは世界各地を回って、いろんな文化に触れることも楽しみの一つだった。その貴重な体験ができなくなることは残念である。
 それ以外にエンディが一番不安に思ったのは、エルゼロスタにそれほどの価値があるのかどうかということだった。
 もちろん自分の家族を誇らしく思い、芸の腕にも自信はあった。だが国を挙げての至れり尽くせりの待遇に胡坐をかいていいものなのか――人は憧れや夢を持ち続けることで成長する。もし今回のことがエルゼロスタに相応しいのならば、では、そこから先に続く道はどこへ向かっているのか、エンディにはそれが見えずに決断をできずにいたのである。
 しかしエンディが悩んでいる時間は短かった。団員に「今までのように自由ではいられないだろう。したくないことを強要されることがあるかもしれない。その覚悟はあるか」と尋ねたところ、アミネスが代表してこう答えた。
「俺たちは人を楽しませることが生き甲斐だし、それ以外に生きる方法を知らない。これまでの生活も楽しかったが、このチャンスを逃せばきっと後悔する。世界で一番大きな舞台を手に入れることだけが成功だとは限らないし、もしかすると失敗に終わる可能性だってある。だけど幸も不幸も知ることは大事だと思う」
 それを聞いたエンディは少しだけ決意が固まった。一人ひとりの人生の分岐点でもあるのだ。再度、念を押す。
「今まで以上に大変になる、ということを分かっているんだな」
 アミネスはゆっくり頷いた。
「俺たちに足りないものは苦労だと思う。拍手や歓声、お代をいただくことは当たり前じゃない。これはきっと、試練だ。どこが俺たちの限界なのかを知るために、なにかが俺たちを試してるんだ」
「……なにか、とは?」
「さあ」アミネスは少し肩を竦め。「それは分からないけど……」
 アミネスが閉口すると室内はしんと静まった。エンディは厳しい目で一人ひとりの顔を見ていく。中には不安そうな表情を浮かべている者もいたが、誰も目を逸らさなかった。
 エンディはふっと、誰にも分からない程度に肩の力を抜いた。
 団員の誰も、幸運という餌を目の前にぶら下げられたそれを、飢えた動物のように欲しているわけではないことに気づいたからだった。それなら、と思う。この「試練」を受けて立ってみてもいいかもしれない。
 いいことも悪いこともあるだろう。誰の人生もそんなものであり、大きいか小さいかの違いである。
 団員たち家族を、エルゼロスタの持つ強運を信じてみよう。そうエンディは決心したのだった。

 様々な思いを胸にわっと騒ぎ出す団員たちの中で、シオンが一人だけ違う笑みを浮かべたことには、誰も気づかなかった。

 夜、シオンは宿の部屋で一人、ベッドに腰かけて細い月を眺めていた。
 宴での煌びやかな時間を思い出していたのだった。
 今までも何度か豪華な城へ招かれたことはあったが、やはりティオ・メイは特別だと感じた。何もかもが壮大で豪華絢爛。それだけではなく、パライアスの頂点が集結している場所なのだ。目に見えない気品や威厳、歴史や文化の重みに包まれた空間は、誰もが憧れる雲の上の世界だった。
 それらに歓迎され、喝采を浴びることは今までに感じたことがないほどの快感だった。最初にあった、体が痛くなるほどの緊張はかき消え、普段よりも自分が大きくなっているかのような錯覚に包まれていた。
 あの公演は一生忘れられないと、シオンは薄く微笑んだ。
 月を見つめるその脳裏に甦るものは、鮮やかな電飾、天井に描かれた天使の絵画、上品に着飾った貴族たち――そして、華やかに賑わう中で、静かに舞台を見下ろしていた一人の青年の姿。
 淡い金髪と透き通るような緑の瞳の彼は、ティオ・メイの王子、ラストルだった。
 シオンから表情が消えた。舞台に並び、客席に笑顔を振り撒いているとき、彼が自分を見ている、そう思った。
(……なんてね)ふふっと、小さな笑いを零し。(そんなわけないか。あの人だけじゃなくて、みんなが私たちに注目してるんだもの。目が合うくらい、珍しいことじゃないのに)
 いつもより気合を入れていることは確かだったが、注目されることには慣れている。客席に目線を投げれば大抵の人と目が合うものである。
 なのに、なぜかシオンは彼のことが気になって仕方がなかった。
 今までに、女性なら誰でも惹かれそうな好青年に好意を持たれたこともあった。シオンとて舞台を降りれば普通の女性なのだ。浮つくことだってある。


 物心ついた頃からエンディに何度も注意され続けてきた。
「みんなは舞台上で演じている表面上の姿に惚れているだけだ。芸人としてそれを誇りに思うのはいいことだが、決して勘違いはするんじゃないぞ。客はお前の中身は見ていないんだからな。知りもせず、見た目の華やかさに目を奪われているだけだ。どんなに言葉巧みに口説かれても、そんな上辺だけのウソに決して騙されるんじゃないからな」
 そんなことはない、そうじゃない人だっているはずだと、シオンは反発し、エンディのあまりに酷い言い方に泣かされたこともあった。
「お前は人の気を引くために綺麗に着飾り、いい女を演じているんだ。そこで心や体を許してしまうことは娼婦と同じようなものだ。お前が踊り子としてのプライドを捨ててそんなものに成り下がろうものなら、エルゼロスタの品位を守るために追い出すしか手段はない。いいな、そのことを忘れるなよ!」
 その言葉は深く心に刺さり、しばらくエンディと口を利かなかった。一人になりたいというシオンを、しつこく慰めてくれたのがキリスだった。
「……私は、恋をしてはいけないの?」
 そう呟き、涙を零すシオンをキリスは優しく抱きしめた。
「お父さんはあなたのことを心配しているのよ。純粋な人にほど、悪い人が付け込んできやすいものだから。恋をしてはいけないなんてことはないわ。生きていくうえで大事なことだもの。お父さんは、あなたにいい恋をして欲しいのよ」
「いい恋?」
「そう。上辺だけの恋愛じゃなくて、心の通じ合った本当の恋をして欲しいの。だけどこういう仕事をしてると、どうしても舞台上にいるあなたがすべてだと思ってしまう人が多いのよ。あなたは人によく見られたくて努力してるんだから、それに幻想を抱く人がいて当然でしょう? だからあなたがしっかりしていないといけないの。お父さんはそのことを自覚してもらいたくて厳しいことを言ってるのよ」
 シオンは俯いた。エンディが自分を貶すような人ではないことは分かっているつもりだった。しかし、この件だけは素直に受け入れることができない。
「素敵な男の人と恋愛は、女の子なら誰でも憧れることよ。みんないいことも悪いことも経験して大人になるのだけど、シオンには大事な役割があるでしょう。一度でもお客さんの信用を失ってしまったら取り戻すのは難しいし、もしかしたら取り戻せないことだってあるかもしれない。そうなったらあなた自身が不幸になるのよ。シオンはみんなの『女神』でありたいんでしょう? だったら、普通の女の子とは違う努力をしないといけないと思うの。どこかで割り切らないと、辛い思いをするのはあなたなんだもの……お父さんはそのことを知って欲しいと思ってるの。分かってあげて、少しずつでいいから……」
 シオンは唇を尖らせた。見ただけでは分からないというなら、悪いことだけではなくいいことも判断できないじゃないかと思う。


 そんな衝突を繰り返しながらも数年が経ち、シオンは次第に踊り子としての意識を高め、わがままを抑えるようになっていった。
 しかし、今回だけは我慢することができなかった。
 一人になるたびに「王子さま」の姿が脳裏に浮かび、また一目見たいと何度も思った。
 そして今夜、エルゼロスタがこの町に腰を下ろすことが決まったことは、シオンには二つの期待と喜びが湧き上がってきていた。一つは当然、エルゼロスタの成長。
 そして、彼にまた会える。そうでなくても、ずっと近くにいれるという希望。
(……そうね、お母さんの言うとおりだわ)シオンはキリスの言葉を思い出す。(相手は一国の王子。彼に憧れる女性なんか星の数ほどいるのよ。私はその中の一人……素敵な男性との恋を夢見る、一人の女に過ぎないの)
 夢はいつか覚める――それまでは夢を見ていよう、そのくらいは許されるはずだと、シオンは目を伏せた。
 明日から忙しくなる。今日はもう眠ろうと、ベッドに横になった、なろうとした。そのとき、背を向けた窓の外から鳥の羽音が聞こえてきた。
 シオンが顔を上げて窓を見ると、一羽の白いフクロウが足の爪でガラスをこついていた。近くを通っただけですぐにいなくなるだろうと、しばらくフクロウを見つめていたが、どうも様子がおかしい。まるでシオンに用があるように見える。
 道に迷ったのか、餌が欲しいのかと、シオンは窓に近付いた。フクロウは逃げない。よく見ると、足に紙が巻きつけてあった。
 恐る恐る窓を開けると、フクロウは黙って窓の縁に止まる。よく人に慣れているようだ。そういえば、白いフクロウは魔法使いの手下として働くことがあると聞いたことをシオンは思い出した。
 窓から身を乗り出して周囲を見回してみる。辺りは住宅街でもう寝静まっている。人の気配はなかった。再度フクロウを見つめ、ゆっくりと手紙に手をかける。それでもフクロウは逃げなかった。
 誰かへの重要な手紙だったらどうしようと思いながらも、シオンは紙を開いた。
 中に書いてあったのは、間違いなくシオンへの言葉だった。
 紙を持つ手が震え、目に涙が込み上げてくる。

 ――狂いなく舞う、剣を抱く女神へ
 宴で出会った日から、あなたの姿が忘れられない。
 幻想かもしれない。夢かもしれない。
 真実を知りたい。
 この燻るともし火の理由を。
 掻き消えるのか、燃え上がるのか、未来は見えないが、生まれて初めて抱いた気持ちに答えを出したい。
 もしあなたも同じならば、本当の姿を見せて欲しい。

 シオンは何度も確かめた。
 決して手の届かない相手だと自分に言い聞かせていたはずの彼の名前が、はっきりと最後に書き綴られていたことを。


   

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