SHANTiROSE

HOLY MAZE-06





 シオンは震える手で手紙の返事を書いた。何から伝えればいいのか分からないまま、自分も同じ気持ちであったこと、すぐにでも会いたいことを綴り、窓の縁で待っていたフクロウに託した。
 その日は感情が昂ぶって眠れなかった。寝てしまい、起きたときには夢になっているのではないかという不安もあった。
 いろんなことを考えているうちに、手紙が本物なのかどうか、本当にラストルが送ってきたものかどうかも確認してないことを少し後悔した。
 今はこれ以上考えても無駄ということも分かっている。
 誰かのいたずらか、間違いだったとしたら、それはそれで仕方がないと思う。
 だけど、本当だったら? 本当にラストルと会えて、しかも相思相愛だったとしたら?
 嬉しいと同時、困惑も否めない。自分は身分も何もないただの踊り子。周囲が簡単に認めてくれないことくらい、世間知らずのシオンだって考え付くことである。やはり、ただの夢に終わるだけなのではないのだろうか。
(……それでも)シオンは顔を上げた。(それでも、このまま何もしないで黙っているなんて、できない)
 そう心の中で強く断言した瞬間、エンディの顔が思い浮かんだ。
(……ごめんなさい、お父さん)
 やましいことはなく、純粋な恋愛以外を求めるつもりはない。しかし、とても本当のことを言えるとは思えなかった。
(会えるなら、会ってみたいの。あの方が本当に私を好きになってくれるのか……ただ男と女として愛し合うだけなら、きっと何も問題はない……そのくらいの自由はあるはずだわ)
 シオンはベッドに潜りこんで布団を頭から被った。中でぎゅっと目を閉じる。
(もう考えない……また明日、いつもどおりに練習があるの。もしかしてもう返事なんか来ないかもしれないんだし……)
 そう自分に言い聞かせながら、まともに眠れないまま朝を迎えた。


 二日ほど、シオンは時々ぼんやりしたり戸惑う姿を見せたが、エルゼロスタの変化へのそれだということで誤魔化すことができた。
 これからの予定が決まるまで公演はなかったのだが、その間も練習を休むことはない。エンディを始めとするエルゼロスタの責任者数人は、新しい環境を整えるために城や役所へ何度も行き来していた。
 そんな中、シオンの不安定な様子を心配して声をかけてくれる人には申し訳ないと思いながらも、彼女は手紙の返事を待ち続けていた。


 そして夜、そわそわしながら窓を見つめていた彼女の元に、あのときのフクロウが現れた。
 再び届いた手紙には、こうあった。
 明日の深夜、このフクロウを案内に寄越すので指定の場所に来て欲しい。決して誰にも見られないように、と。
 要件だけの簡素な内容だったが、最後には「ラストル」の名前がはっきりと書いてあった。シオンは、やはり誰かのイタズラではないのかと顔を曇らせた。こんな紙切れ一枚で、夜中に、一人で、誰にも見られないようにと外へ呼び出され、言われるとおりに行動するなんて。もし行く先に悪党でも待ち構えていようものなら、命の保障はないほど危険なことである。
 だけど、とシオンは胸に拳を当てた。
(大丈夫、身の軽さなら誰にも負けないわ。武道だってできるし……)実践用ではないけど、と付け加え。(それに、私には剣がある。脅かすくらいには持っててもいいわよね。大丈夫。もし危なくなっても、きっと逃げられるわ)
 結局シオンは好奇心には勝てなかった。「どんな答えだろうと、はっきりさせなければずっと後悔する。このまま悩んでいては舞台にも支障が出るだろうから」と、言い訳に似た理由を心の中で呟きながら了解の返事をフクロウに渡した。


 そして次の日の深夜、シオンは顔が隠れるほど深いマントを羽織って寝静まった宿から抜け出した。母の形見である大事な短剣を一本、腰に差して。
 真っ黒な空に白いフクロウは淡く光って見え、小さなともし火のようだった。邪悪なものとは思えなかった。シオンは心を決めて前に進む。
 場所は、今も二人の待ち合わせ場所となっている廃ビルだった。
 シオンが初めてそこに足を踏み入れたときは、いよいよ怪しいと思い、いざとというときの逃げ道はあるだろうかなどと考えながら、何度も辺りを見回したものである。
 フクロウが一番奥の部屋の前で止まった。同時、シオンの足と、呼吸も止まった。
 ボロボロで暗いビルの隅、扉の隙間から微かな灯りが漏れている。
 シオンの心臓の脈が早まった。扉の向こうに「答え」がある。いろんな思いを巡らせ、腰の短剣をぎゅっと掴む。
 シオンがゆっくり前に進むと、フクロウが舞い上がり、扉を三回、くちばしでつつく。それが合図だったのか、フクロウは白い煙となってその場から消えてしまった。魔法にはあまり縁のないシオンは驚き、少なくともフクロウだけは本物の魔法使いの使者だったことを確認した。
 今はフクロウのことは忘れ、シオンは改めて扉に向き合った。たぶん、押せば開く。フクロウがそうしてくれたに違いない。
 息を飲み、腕に力を入れる。隙間から漏れる細い光がシオンを照らした。
 人の気配は感じるが、静かなもので、複数の人がいるようには思えない。中を覗くと、そこは壁紙は剥がれ落ち、石の壁がむき出しになった狭く暗い部屋だった。室内を区切る壁にあった扉は完全に朽ちてしまったのか、縁だけが口を開き、その向こうから揺れる明かりが見えた。
 シオンの胸の高鳴りはさらに速度を増す。緊張が高まった瞬間、耳元で「早く戸を閉めて」という囁きが聞こえた。
「!」
 悲鳴を上げそうになりながらも、シオンは反射的に室内に潜り、さっとを戸を閉じた。
 慌てて声のしたほうを見ると、先ほど消えてしまったはずの白いフクロウが羽音を立てずに顔の横を横切っていった。
(……さっきの、このフクロウが喋ったの?)
 目を丸くしたまま肩を落とし、フクロウに導かれるように振り向く。
 すると、いつの間にか目の前にフードを深く被った人間が立っていた。
 驚きと怯えは頂点に達し、声も出ない状態だった。シオンは固まったまま、じっと目の前の人を見つめて棒立ちしてしまう。
 二人はフード越しに、互いの顔は見えないまま見つめあった。そのほんの数秒の間で、シオンは相手の背丈や肩幅でまず男性であることを判断した。そしてその体系は、宴のときに見たラストルのものとかけ離れたものではなかった。
 僅かだった可能性が、確信に変わろうとしている。そう思うと、シオンの目に涙が込み上げてきた。
 フクロウはまたどこかへ姿を消していた。時間が止まったような空間の中、男が口を開く。
「……来てくれて、ありがとう」
 シオンは何もできず、ただ立ち尽くしていた。
 男が少し頭を傾けながらフードに手をかけると、王族の特徴である白金の髪と翠の瞳が覗く。
 シオンは今更ながら、自分の身に起きている現実を疑った。
 今にも掴めそうな位置に、ティオ・メイの王子、ラストルが立っている。しかも深夜、誰もいない、誰も知らない二人っきりの部屋で、偶然ではなく彼から呼ばれてここにいる。
 信じられず呆然としていると、再びラストルから声をかけた。
「顔を見せてもらえないだろうか」
 シオンははっと息を吸った。本来なら跪き頭を低くしなければいけない相手であることも忘れ、震えで上手く動かない手でフードを外し、顔を晒した。
 目を合わせることに戸惑って俯いていると、そんな気持ちを知ってか知らずか、ラストルは片手そっとシオンの頬にあてて持ち上げた。シオンは一切抵抗することができず、吸い込まれるようにじっと彼を見つめた。
 暗い色のマントを羽織った姿でも、ラストルに漂う高貴さが損なわれることはなかった。透き通った翠の中に潜む憂い。近くで見れば見るほど住む世界が違う人なのだと、感じ取ることができ、シオンは瞳を潤ませる。
 あまりにも遠い存在。目の前にいるのに、手が触れているのに、どうしても実感が湧かなかった。
 しかし、ラストルは身分の違う彼女に一切の距離を置かなかった。
「……美しい」
 シオンは、今度は耳を疑う。声が出ず、何度も瞬きを繰り返していた。
「見た目だけではない。内側から溢れ出す汚れなき純粋さが、手に取るように伝わってくる。歪みも摺れも、影もない、完璧な美しさだ。きっと、今まで一度も罪を犯したことがない。そうだろう?」
 質問されたことだけはすぐに理解し、シオンは小さく頷いた。ラストルは指にかかった彼女の髪を小さく弄りながら、僅かに微笑む。
「やはり、私の目に狂いはなかったようだ」しばらくの沈黙したあと。「あなたの名前は?」
 シオンの視界には小さな星が散っている、そんな気がしていた。体の力が抜けて倒れそうな状態だったが、意識をしっかり保ち、搾り出すように声を出す。
「……シ、シオン、です」
 蚊の鳴くような声だったが、静かな室内では十分に聞こえた。
「シオン、君は世界中のどこの貴婦人よりも美しい。見た目だけでなく、心身共に清らかな女性など、他に見たことがないし、おそらく、二度と出会うことはないだろう」
 ラストルのその言葉はシオンの心に響き渡る。目頭が熱くなったかと思うと、とうとう涙が零れてきた。
 嬉しかった。エンディに散々言われてきた見た目の美しさだけではなく、出会ったばかりで内側まで見通してもらえたことが。
 ああ、そうか。そうシオンは心の中で呟いた。
 ――私は今まで、この人に出会うために旅をしていたのだ。
 舞台に閉じ込められて純潔を守ってきたのも、この人に愛されるため。今まで流した遣り切れない悲しみの涙が、幸福のそれに変わる。シオンはそう信じて疑わなかった。
「君は、私の理想の女性だ。もっと君のことを知りたい。また二人で、会ってもらえないだろうか」
 ラストルの誘いを、シオンには断る意志も、理由もなかった。ずっと夢見ていた「素敵な男性との恋」が、これ以上にないほどの形で叶うのだ。
 エンディに秘密を持ったのは生まれて初めてだった。今回ばかりは多少の無理をしてでも諦めるという選択はできない。
 ろうそくの灯りを背に、二人は抱き合った。まるで、なんの隔たりもないかのように。

 それが、二人の「運命」の出会いだった。


   

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