SHANTiROSE

HOLY MAZE-52






 ライザは久しぶりに再会したルミオルを置いて走り出した。
 重い衣服の裾を持ち上げ階段を駆け上がり、屋上へ向かう。そこにはラストルを依送したあとの魔法陣が描かれており、周辺には疲労が抜けない魔法使いたちが休んでいた。
 魔法使いたちはライザの姿を見てすぐに立ち上がる。
「ライザ様、どうなさいました」
 ライザは息を弾ませ、険しい表情で魔法使いたちを見つめた。
「ここに、サイネラ様が来ませんでしたか?」
 魔法使いたちは顔を見合わせ、返事に困っていた。
「答えなさい!」
 怒鳴られ、魔法使いたちは恐縮する。ライザがこんなに声を荒げることなど滅多にない。その場にいた責任者が一歩前に出て、頭を下げた。
「いらっしゃいました」
「やっぱり……」
 本当は、サイネラには報告の必要はないと言われていた。魔法使いが目上の者の言いつけを破ることは許されないのだが、この状況の中、突然やってきた魔法軍最高司令官の行動に意味がないとは思えなかったし、命令に逆らうことはできない。
 更に女王陛下であり魔法軍の指揮官でもあるライザが血相を変えて彼の行動を問い詰めるだなんて、ただ事ではない。何が起きているのか見当もつかなかったが、事件解決に時間が少ないことだけは理解している。ここで揉めている場合ではないと判断したのだった。
「ここで、サイネラ様を依送したのですね」
 彼女の言うとおりだった。ライザはサイネラがどこへ行って何をしているのか察しているのだと思う。
「はい」と魔法使いは素直に返事をした。
「ウェンドーラの屋敷へ行かれたのですね」
 魔法使いは再度「はい」と答えた。
 ライザは目を見開き、遠くを見つめる。
「……どうして私に何も教えてくださらないの」
 悔しさで奥歯を噛むその表情は、普段では絶対に見せることのないものだった。
 だがライザには分かっていた。なぜサイネラも、サンディルもラムウェンドも教えてくれなかったのかを。だからこそ、悔しかった。
「私も依送してください」
 魔法使いたちは戸惑った。ライザは平静を取り戻した様子で、目を伏せた。
「皆さん、大技のあと、大変お疲れだと思います。無理を承知でお願いします。もう少しだけ、魔法を使っていただけませんか」
 女王陛下にそう丁寧にお願いされて断ることはできなかった。魔法使いたちはゆっくりと集まってくる。
「女王陛下、一体、ウェンドーラの屋敷で何が起こっているのでしょうか」
「それは、いずれ分かります。だけど今はまだ話すことはできません。ご理解ください」
 ウェンドーラの屋敷が誰の家なのか、魔法使いなら誰でも知っていることだった。そこにサイネラとライザが続いて集結することは、重大な意味がある。これ以上尋ねることはできなかったが、彼女の言うとおり、いずれ分かることだというのも予感するに容易かった。
 魔法使いたちは準備を始めた。一人だけならそれほど難しい魔法ではなかった。
「女王陛下、ウェンドーラの森には特殊な魔力が満ちており、家主の許可がないと入れないと聞きましたが」
「私は既に許可をいただいております」
「では……このこと、国王陛下には……」
 精神集中を始めていたライザはふっと顔を上げ、語気を強めて言った。
「報告の必要はありません」



*****




 ティオ・シールの城の前の大広場に、巨大な「処刑場」の準備が急がれていた。
 広場の中央に藁と材木が積まれ、武装し、火矢を装備した兵が並んでいる。準備と同時に「本日の正午、魔女の処刑を行う」という、三つ目の新聞が世界中に配布された。それを見たシールの国民が次々と広場に集まってきている。
 カーグは魔女の裁判を行うつもりはなかった。王室に要人集め、ゆっくりと昇る太陽が一番高い位置に達したときに、民衆の前で火炙りにすることを決定していた。
 しかし、いつも隣にいるはずの彼の姿がないことに不安を抱く。
「ノイエはどこだ」
 大きな声で問うが誰も答えられなかった。カーグが苛立っていると、一人の魔法兵が駆け込んできた。重要な報せがあることを伝えると、カーグに寄り、耳打ちをする。
 兵は、監獄が破られ魔族と女性が行方不明となっており、ノイエが意識を失っていることを伝えた。
「どういうことだ!」
 カーグの怒声に、室内の一同は目を見開いて驚く。アジェルが恐る恐る、カーグの背後に近寄って行った。
 兵はカーグの顔色を伺いながら、ノイエが倒れていた理由は不明であることを伝えた。
「ただ今治療室に運ばれたところでございます。外傷はございません。呪いの類でもございません。ですがいくら起こしても目を覚まされないそうです。おそらく強いショックを受けて魔力を制御できない状態なのではないかと考えられます」
 魔法兵は分かることをすべて話した。監獄の護衛や管理兵、そのほかの囚人のすべてが眠っていたこと、魔族や女性たちの姿は既になく、おそらく裏口から逃げたこと。
 カーグは顔を真っ赤にして怒り、強く体を震わせた。
「……ドゥーリオか」
 それしか考えられない。王子に見限られ、罪人の容疑をかけられて形振り構わず内部を掻き乱しているに違いなかった。まさかあの気弱そうな魔法使いがここまで大胆不敵な行動を起こし、王の参謀であるノイエまで倒すとは、そこまで予想することはできなかったことを悔やんだ。
「ならば、尚更急がねばならないな」
 カーグが振り返ると、すぐ背後にアジェルがいた。
「アジェル!」
 呼ぶと、アジェルは悲鳴に似た短い声で返事をした。
「魔女の処刑は貴様が指揮を取れ」
「ええっ」アジェルはうろたえ。「ノイエ様はいかがなされたのでしょうか」
「ノイエはいい。元々魔女の事件を持ち込んだのは貴様だ。早く魔女を広場に連れてこい。命令だ」
 カーグが指を指して強く言うと、アジェルは「見に余る光栄」と頭を下げ、ティシラのいる部屋に駆けて行った。
 カーグは万が一のことを考えて、自分で指揮を取るのを避けた。「王子を刺した真犯人」がいるとして、その者が処刑に間に合ってしまっては逃げ場を失ってしまうからだった。
 だがティシラが魔女であることは真実。彼女さえ処刑して人々の信頼を得ることができれば、そのあとに出てきた犯人など、民衆にとっては大した問題ではなくなる。
 カーグは他の魔法使いに、ティシラが魔女であり、王子に呪術をかけた証拠を用意するように命じ、すべての兵に民衆に魔女の恐ろしさを煽るよう指示を出した。


「魔女処刑」の速報が世界に流れた。シールの城の広場でその様子の一部始終を公開するということで、人々の関心が高まっていく。
 その新聞を手にし不安な表情を浮かべていたダラフィンとディルマンのところにトールが早足で寄って来た。彼に向かって一礼する二人を余所に、トールは新聞を取り上げた。
「正午に処刑だと?」
 トールは目線を上げ、視界の端にあった窓から差し込む光で今の太陽の位置を確認する。もう何をするにも間に合わないように思えた。
「陛下」ダラフィンが直立し。「相手もかなり焦っているということでしょう。ところで、エルゼロスタの件はいかがでしたしょうか」
「やはり剣舞の娘が犯人のようだ。すぐにシール周辺にいる兵に連絡し、娘を探し出せ」
 ダラフィンは手短にトールと話し合い、すぐにその場を後にした。
「ディルマン、ライザはどこだ」
「ライザ様は……」ディルマンも姿勢を正し。「申し訳ございません。すぐにお探しいたします」
「サイネラは?」
「……申し訳ございません。すぐにお探しいたします」
「ルミオルは?」
「先ほど客室にお通ししました。ライザ様もご一緒かもしれません。確認いたします」
「ラストルは?」
「未だ治療中でございます」
「ドゥーリオは?」
「未だ消息不明のままでございます」
「マルシオは? 他の誰でもいい。何か報せはないのか」
「今のところは……」
 トールは小さく舌打ちし、踵を返した。


 王室にもライザとサイネラの姿はなかった。他の魔法使いを呼び、水晶を使ってカーグに繋ぐ。
 だが、本人は多忙につき、代わりの者が対応するだけだった。
 苛立つトールはつい大声を出してしまう。
「ふざけるな! 私を誰だと思っている!」
 これほど激怒するトールを見たことも聞いたこともなかった魔法使いたちが体を縮めた。水晶の向こうの者も言葉を失っている。
「早くカーグを出せ。このまま独断で無罪の者を処刑して、ただで済むと思っているのか」
『……申し訳ございません。お声かけはしたのですが』
「だったらこう言え。私が必ず犯人を見つけ出す。そのときを待てと」
『はい。かしこまりました』
「これ以上勝手な真似をしたら、ティオ・メイへの宣戦布告と見做す。脅しではない。いいか、確実に伝えておけ」
 代理の者が震える声で「はい」と返事をしたところで、トールは水晶を殴りつけ、破壊した。そして何も言わず退室し、早足でラストルのいる治療室へ向かった。
 室内は変わらず数人の術師がいるだけで、暗い空気のままだった。
 ラストルも回復の気配はなく、青白い顔で眠っている。何も変わらない現実を目の当たりにし、トールは先ほどの自分の激揚を恥ずかしく思った。
 このままではティシラが処刑されてしまう。彼女のことだから簡単に殺されはしないだろうが、阻止できなかった自分が許されるわけがない。ティシラにも、彼女を慕う友人にも、そして国民にも。
 このままラストルも死んでしまうかもしれない。シールとも完全に敵対するかもしれない。真犯人を見つけて裁いたところで失ったものは取り戻せないのだ。トールは強く目を閉じ、眠るラストルの傍に膝をついた。



*****




 ウェンドーラの屋敷の地下深く、紫の石壁に囲まれた一室に多数のろうそくが灯っていた。
 祭壇に並べられたろうそくは数百本はあろうかという数なのに、閉ざされた空間に熱は一切感じられなかった。それだけの灯りでも室内の端は暗闇に飲まれ、果てが見えない。
 祭壇の下だけがぼんやりと照らされている。そこには賢者サンディルとマジック・アカデミー院長ラムウェンド、そしてティオ・メイ魔法軍長サイネラの姿があった。
 サイネラは誰にも告げず、ここに来ていた。本当はライザの協力も必要だったのだが、ラストルの状態を考え、声はかけなかった。
 涙が止まらない。
 目の前に、魔法王が眠っていた。
 祭壇の下の台座の上、黒いマントを羽織り胸の上に両手を組んだクライセンが、目を閉じて呼吸をしている。
 今にも動き出しそうなほど血色がいいのに、彼はいくら呼んでも返事をしなかった。
 ここに眠るクライセンは、呼吸をしているだけの傀儡だった。
 いつか必ず修羅界から救い出してみせると誓い、サンディルは数十年間ずっと研究を続けていた。
 ノーラのことがあり、もう二度と修羅界には関わらないはずだった。だがサンディルは可能性を打ち消すことができず、修羅界を調べ続けていた。
 サンディルは修羅界が虚無の世界であること、それがどういう意味なのかを考え続けた。そしてたどり着いた答えが、「時間のない空間」だった。
 時間がないということは、物質は当然、精神さえ、一切の変化のない世界ということ。修羅界には何も無いのではなく、「無」が「有る」のだ。だったら修羅界に閉じ込められたものも、消えてしまうわけではない。
 だから、クライセンも死んだのではなく、何らかの形でそこに「在る」。
 だが物質として在るのは不可能。どんな空間でも、物質の変化は避けられない。変化をせずに存在するには肉体を留めておくことはできないからだ。つまりクライセンは、体は失ったが、魂だけが止まったままの状態で存在していると結論付けたのだった。
 だからサンディルは、きっといつかくるその日のために、クライセンの肉体を用意していたのだった。それが目の前にある「魂のない肉体」。彼の残した髪の毛や皮膚の組織などから、丁寧に、長い時間をかけてクライセンの肉体を再生させていったものだった。
 その錬金術は完璧なものだった。あとは魂さえ修羅界から呼び戻せば、彼は目覚める。
 サンディルが誰にも言わず、一人、この暗い地下室で計画していたのには理由があった。
 彼がやろうとしていることが、魔道の世界では最大の禁忌とされている「蘇生」に、限りなく近い行為だからだった。
 サンディルがなんと言い訳しても、世間は認めてくれない。もし「死んだ者を生き返らせることができる」と世に広まったら命の価値が変わってしまう。
 だからサンディルは一人で背負っていくと決めた――決めたつもりだった。
 だが調べれば調べていくほど、一人では限界に突き当たるしかなかった。自然の摂理に触れるには、どうしても魔法使いの力が必要だったから。
 信頼できる魔法使いはいる。サンディルは真っ先に、ラムウェンドの顔を思い浮かべた。ラムウェンドは彼が何かを隠し、そして話したそうにしている様子を察し、こう言った。
「相談するのは自由ですよ。それを聞いてどう感じるかどうかは本人が決めることです。だからお話ください」
 サンディルは彼を信じ、すべてを話した。ラムウェンドはその場では答えを出さなかったが、眠るクライセンを見て、この「蘇生行為」は本物だと確信を持った。
 サンディルもラムウェンドもそれ以上は何も言わなかったが、まだ問題があった。魔法使いは一人では足りなかった。 長い歴史の中、蘇生術を行って成功した例はなかった。死者とは、肉体の機能が停止しその瞬間から腐敗が始まっており、魂も消えてしまっているからだった。だがクライセンの肉体は再生しており、魂も消えたわけではない。別々になっているだけ。魂を連れ戻し、あるべき場所へ戻せば彼は「人間」になる。
 機会は一度きり。どんな犠牲を払っても、これだけは失敗するわけにはいかなかった。魔法王が完全にこの世から消えてしまうからだ。
 だからラムウェンドも積極的に魔法の研究をした。そしてライザとサイネラにも独自の解釈を添えて説明し、二人を巻き込んだのだった。
 三人に迷いはなかった。いつでもその覚悟はできていると約束した。
 準備は整った。
 あとは、本当に修羅界にクライセンの魂が留まっているのかどうかという証拠が必要だった。
 だからティシラに協力を求めたが、そのときは失敗に終わった。
 途方に暮れていたとき、マルシオから「朗報」が届いた。
 予感を抱いていたラムウェンドはサイネラを呼んだ。
「ライザ様は……?」
 言いかけて、サイネラはすぐに察した。
 ライザには大きな役目があり、国王の妻として、王子の母親としてかけがえのない存在だ。今彼女まで失ったら、ティオ・メイの牙城が崩れてしまうかもしれない。
 信頼のおける高等魔法使いが三人必要だった。
 しかしライザを呼ぶことはできない。
「私たちだけでなんとかしましょう」
 そういうラムウェンドに、二人は同意した。


 しかし一同は何かを感じ取って扉のほうを注目した。耳を澄ますと、足音が近づいてくる。
 誰かはすぐに分かった。
 この部屋への入室を許可している者は、今いる三人以外、あと一人しかいないのだから。
 扉が開くと、そこには息を弾ませたライザがいた。
 やはり、と三人は複雑な感情を抱いた。
「……サンディル様! どうして私を除け者になさるのでしょうか」
 ライザは祭壇に駆け寄り、大きな声を上げた。
「サイネラ、約束したでしょう。私たちは一蓮托生! 国の防衛を任される身でありながら、このような勝手な行動、許されません」
 サイネラは申し訳なさそうに頭を下げる。
 息巻いていたライザが、祭壇の下に眠るクライセンを見て、はっと目を見開いた。ゆっくりと近づき、彼が呼吸をしていることを確かめる。
「クライセン様……」まるで生きているようなその姿に、涙が零れる。「今、お救いいたしますからね……」
 涙を拭って気を強く持ち直すライザに、ラムウェンドが歩み寄った。
「ライザ様。あなたは、王子と国王陛下のお傍にいてあげてください」
 ライザはそう言われることも、そうすべきだということも承知で睨み付けた。
「ラストルはもう助かりません!」
 言った途端、また涙が溢れ出す。衝撃的な言葉に、三人は言葉を失った。
「我が子が苦しんでいるときに、母親の私が何もせずにいられるわけがないでしょう! せめて、息子より先に……ほんの少しでもいいから、息子よりは、先に逝かせてください!」
 この魔法を行えば、ここにいる四人は命を失うことを約束されていた。
 修羅界に閉じ込められたクライセンの魂を呼び戻し、肉体に収めるにはそれだけの対価が必要だったのだ。
 唯一の生き残りである賢者と、魔道界の長、高等魔法使いが二人。同時に命を失えば、ここで行われた禁断の魔法が暴かれる心配はなかった。
 ただ、魔法王は間違いなく復活する。これほどの有力者を失っても、あとはクライセンがこの世界を正しく導いてくれる。
 だからここにいる誰も、命を捧げることを恐れていなかった。


 ここまで来たら誰も止めることはできない。
 お別れの言葉も必要なかった。
 サンディルは一人一人に、何度も「ありがとう」と言った。


 三人の魔法使いが心を静め、打ち合わせすることもなく、ろうそくの光の届かない闇の中に歩いて行った。
 祭壇の前でサンディルが目を閉じる。
 風もないのに、ろうそくの火が一気に消え去った。
 室内は完全な闇になり、三人の魔法使いが呪文を囁く音だけが聞こえる。
 クライセンの眠る台座の下に、白い魔法陣が浮かび上がった。その魔法陣から何本もの線が伸び、円を描き文字を連ね、まるで果実が実るように枝葉を広げていく。一度姿を消した三人の魔法使いが、足元の魔法陣の光を浴びて左右と中央に浮かび上がった。
 そうやって頭上にまで広がっていく魔法陣は暗闇を囲み、最後は円になって一つに繋がった。そこに地面はなく、一同は魔法陣の上に浮いている状態になる。深い紫の、果てのない空間に魔法陣の光が散りばめられた様は、まるで宇宙のように壮観だった。
 最初に変化が起きたのはサンディルだった。
 サンディルは、足元から石化を始めていた。体から魂が抜け出し、修羅界に向かっていくのと同じ速度で。
 三人の魔法使いも同じように足元から色を失い始めていた。
 自然の法則に逆らう者に、安らかな眠りは与えられない。


 どのくらいの時間がかかったのか、誰も知らない。
 閉ざされた紫の空間で呼吸をしているのは、クライセンのみとなっていた。
 彼を中心に瞬いていた魔法陣の光が突如、狂ったように泣き叫ぶ子供のように強く発光し、闇を掻き消した。
 薄いガラスが割れるような、繊細で、殺気立った衝撃の中に、二つの青い光が灯った。





   

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