SHANTiROSE

INNOCENT SIN-14






 マルシオはカームと一緒に庭に出て、バラ園の見える場所に白いテーブルとイスを並べ始めた。
「こんなきれいな庭で、みんなで食事なんていいなあ。いつもこんな感じなの?」
 カームは嬉しそうな笑顔を浮かべて周囲を見回している。故郷も家族も持たない彼にはこれ以上にない持て成しだった。あまり期待され過ぎても緊張してしまうマルシオだったが、こんな些細な日常を、まるで特別なイベントのように張り切るカームを見ていると、彼を招待してよかったと思えた。
「いつもじゃないよ。天気のいい日に、誰かが気が向いたら外で食事やお茶をするんだ。一人でいるときもあるし、そうしてると誰かが隣に座ってくることもある」
「いいなあ。僕もいつか、こんな家に……」
 カームは言葉の続きを、恥ずかしそうに濁した。



 サンディルが食事の用意をしてくれているはずだと、マルシオはカームを連れて家に戻った。
 だがキッチンからはコーヒーの匂いが漂ってくるだけでしんとしている。覗いてみるとキッチンのテーブルには何の準備もされておらず、サンディルの姿もなかった。
 その代り、クライセンが一人で、新聞を片手に淹れたてのコーヒーをすすっていた。
「あれ? サンディル様は?」
 いつものように声をかけると、クライセンは目も合わせずに「さあ」と答えた。
「今度はサンディル様が行方不明か……」マルシオは溜息を漏らし。「それより、クライセン、お前いたのか」
「いちゃ悪いか」
「探してたんだよ」
 寝ぼけてはいなさそうだ。機嫌が悪いわけでもない。それが分かるマルシオは安心して本題に入った。
「友達が来てるんだよ。話してただろ。サイネラ様の弟子の……」
 そう言いながら、背後にいるカームを振り返る。すると、彼は目を丸くして石のように固まっていた。
「……カーム?」
 マルシオが呼んでも、瞬き一つしない。そんな彼の視線は、未だ見向きもしないクライセンに向かっていた。
 カームはここに来るまでもあれほどはしゃいでた。夢にまで見た「魔法王」が目の前にいるとなると、彼の感情が振り切れてしまってもおかしくない。マルシオは対称的な二人のあいだで話を進めた。
「カーム、彼が、クライセン……」
 とクライセンを指さして言うと、カームは目を見開いたままマルシオの背中に隠れて小声になった。
「本当? あの人が? えっと、なんていうか……」
 普通、という言葉を飲み込んだのが分かった。悪い意味ではないのは分かる。今のクライセンは、態度にも服装にも、どこにも魔法使いらしい特徴がない。それにカームの身近にいる高等魔法使いは人の上に立つことの意識が強い者ばかりで、貫録も威厳も人並み外れており、常に部下や弟子を従え、敬われている。そんな魔法使いたちのすべての頂点に立っているはずの「魔法王」がこんなに「普通」だとは、妄想逞しいカームも想像していなかった。
「あ、でも、かっこいい。ティシラさんが好きになるのも分かる。こんなに若いなんて……」ブツブツ呟いたあと、あっと口に片手を当てた。「僕はなんて失礼なことを言っているんだろう。見た目で人を判断するなんて未熟の極みだ。ねえ、マルシオ、僕、失礼なこと言ったよね?」
 肩を強く掴まれ、マルシオは振り払った。
「別に失礼じゃないよ」
 鬱陶しくなったマルシオはカームの背中を無理やり押してクライセンの前に押し出した。
「クライセン、カームだ。数日ここにいるから、よろしくな」
 肩を縮め爪先立ち、棒のように縦に延びて固まっているカームに、クライセンはやっと顔を向けた。
 目が合い、カームは顔を真っ赤にして飛び上がった。まるでティシラみたいな反応だとマルシオは呆れていた。
「あ、あの、カームです」必死で声を絞り出し。「お、お世話になります。あ、僕、サイネラ様の七番目の弟子で……えっと、その、あ、怪しい者ではありません。本当です」
 真夏と真冬が向き合っているような二人の温度差に、マルシオが変な汗を流す。どうしようかと考えていると、クライセンが口を開いた。
「知ってる」テーブルの隅にあった羊皮紙の手紙を手に取り。「サイネラから紹介状もらってるから」
「紹介状?」
 何も聞いてなかったマルシオは首を傾げた。
「地位のある魔法使いの身内が、よその魔法使いと会うときに送るものらしい。どういう人物で、どういう用件なのかとか、万が一問題があったときは自分が責任を取るとか、そういうことが書いてある」
 カームも驚いていた。彼はまだ弟子を取るような身分ではなく、そういう情報は教えてもらっていない。クライセンに何を言えばいいのか分からずにいたカームは、サイネラが前もって自分のことを教えてくれていることを知り、やっと背を丸めた。
 中身が気になったマルシオだったが、これはクライセンに宛てた手紙だ。見たいとは言わなかった。
「あ、改めまして」カームは深々と頭を下げ。「初めまして。カームです。クライセン様に会えて、光栄です。未熟者で失礼をしてしまうかもしれませんが、よろしくお願いします」
 やっとまともに挨拶ができたカームに、クライセンは無愛想に「どうも」とだけ答えた。彼のこの表情は、決して悪い反応ではない。きっと、手紙の中にカームが言いそうなことや、「お手柔らかに」というメッセージも綴られているのだとマルシオは思った。
 一安心したところで、マルシオはふとクライセンの手元にもう一通手紙があることに気づいた。同じ羊皮紙だったが、少々色も形も違っている。
「こっちの手紙は? これもサイネラ様から?」
 クライセンはそれを手に取り、宛名を見つめた。
「ああ、そう言えば……もう一つ来てたんだった」
 何の手紙だろうとマルシオはカームと顔を見合わせたあと、差出人を見ようと近づいたとき、突然、庭から女性の悲鳴が聞こえた。それと同時、猫の怒号も重なっている。
「なんだ?」
 マルシオとカームは慌てて庭に飛び出した。そこには、二人と同じくらいの年齢の少女が一人、ジンに襲われて庭を走り回っている姿があった。
「何よこの猫! やめて!」
 少女が転んで地面に伏せると、ジンはその背中に飛び掛かっていく。
「……誰?」
 カームが訊いても、マルシオは首を横に振った。
「いや、俺は知らない」
 助けるにも、誰だか分からないため身動きが取れずにいると、クライセンがゆっくりと背後に立った。
「クライセン、あれ、誰だ?」
 マルシオが訊くが、クライセンは肩を竦めるだけだった。
「知らない」
 そうしている間も少女は狂暴な猫と戦っている。とりあえず助けていいかクライセンに確認しようとしたとき、騒ぎを聞きつけてティシラも駆け寄ってきた。
「何? 悲鳴が聞こえたんだけど」
 今度はちゃんと着替えて、髪も化粧も完璧だった。
 カームには触れもせず、ティシラも見知らぬ少女に目を奪われた。
「誰? 何してるの?」
 ティシラも知らないようだ。ということはサンディルの知り合いだろうか。
「マルシオ、助けたほうが……」
 カームが言うと、ジンは満足したかのように少女から離れ、軽い足取りで庭の奥に消えていった。
 少女は傷と泥だらけの姿でその場に座りこんでいた。悔しそうに涙目を擦ったあと、一同に見つめられていることに気づいた。
「な、何見てるの!」少女は急いで立ち上がり。「あなたたち、女性が猛獣に襲われてるのに、どうして黙って見ていられるのよ」
 彼女の言うことはもっともだ。しかしその本人が、他人の屋敷に突然現れた見知らぬ人物なのも間違いなかった。
「ねえ、マルシオ」カームが小声で。「あの森、魔法がかかってるんだよね。彼女はどうやってここまで来たんだろう」
 疑問ばかりが募っていくなか、少女は早足で一同に歩み寄ってきた。
「聞こえたわよ」カームを指さし。「私は高等な魔法使いなの。こんなまやかしの魔法、ちょっと頑張れば抜け出せるんですからね」
 そうは思えなかったマルシオは、ちらりとクライセンに目線を移す。彼は何もかも分かっているようで、白けた顔をしていた。
 態度の大きい少女にむっとしたティシラが、とうとう前に出る。
「あんたね、さっきから何なの」人差し指を突き返し。「あんた誰なのよ。何しに来たの。泥棒じゃないの?」
「泥棒ですって? なんて失礼なことを言うの。私は……」
「――ミランダ・メイム」
 彼女の言葉を遮り、クライセンがぽつりと呟いた。一同は彼に注目する。
 少女ミランダは驚いて声を上げた。
「どうして知ってるのよ」
 クライセンは先ほど手元にあったもう一つの手紙を見せた。
「君の紹介状ももらってる」
 誰がそんなことを、とミランダが思うより早く、彼の顔が思い浮かんだ。
「……ロアね」
 その名を聞いて、ティシラとマルシオが反応を示していた。
 ミランダは眉を吊り上げ、唇を噛む。
「どうして? 私は誰に言わずにここに来たのよ。どうしてロアが先にそんなものを送っているの」
「これの送り主の身内、つまり君が行方不明になった。きっとここに来るはずだから、そのときは煮るなり焼くなり好きにしていいと書いてある」
「な、なんですって……」
 ミランダはみるみる顔を赤らめていった。全部先読みされていたことへの恥ずかしさと、ロアの自分に対する扱いの悪さへの怒りが湧きあがって止まらない。
「ちょっと待ってくれ」たまらずマルシオが声を上げる。「どういうことなんだ。彼女は一体誰で、何をしに来たんだ。ロアと何の関係があるんだよ」
 クライセンの手に持っている手紙の封筒には、確かにクライセンへの宛名と、ロアの名前が書いてあった。その字を読み、マルシオは息を飲んだ。
『ロア・エレスティン』
 ロアのフルネームだ。姓のエレスティンはラムウェンドと同じであり、イラバロスとも同じだ。
(そう言えば、ロアはイラバロスの子孫だと……)
 そして、クライセンはそのイラバロスを手にかけた同胞である。
「クライセン、お前、ロアと会ったのか?」
「いいや」
「じゃあ、知ってるのか?」
「知らない」
「それじゃあ、その手紙は……」
「お互いに『初めまして』だよ。そのうち挨拶に伺います、まだ機ではないが、不本意ながら別の者が向かってしまったから報告しておきます、っていう内容」
 クライセンとロアに面識がないことを知り、なんとなく安堵したマルシオだったが、話は何も解決していなかった。
「あ、もしかして」マルシオは何かに気づき。「手紙のことを思い出して、彼女を森から出してやったのか?」
「そう。カームが来なかったら忘れたままだったよ」
 カームはまったく話に着いていけない。マルシオはボロボロのミランダを改めて見つめた。
「……森の中をどのくらい彷徨ってたんだ?」
 ミランダはまた顔を真っ赤にし、後ずさった。
「たぶん」クライセンが冷静に答える。「三日くらいじゃないかな」
 自力で抜け出せたと思っていたミランダは、ロアどころかクライセンにも全部見透かされていたことを知り、もう言葉が出なかった。強がる理由がなくなったところで急に酷い空腹に襲われ、その場にへたり込んだ。
 三日も森の中に閉じ込められていたのだ。あの草臥れようからして、ジンにも何度も襲われていたのだろう。マルシオは同情を禁じ得なかった。
 そうして、騒がしい日の時間は流れていった。





   

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