SHANTiROSE

INNOCENT SIN-15






 正体不明の少女・ミランダの乱入で困惑した空気の流れる庭に、何も知らないサンディルがやってきた。
 彼はカームを持て成すために、地下の窯で特製のアップルパイを焼いていたのだった。新鮮な果物とたくさんハーブを使って石窯で焼き上げた、大きくて極上のパイである。みんなもう庭に出ており、盛り上がっているだろうと思っていたサンディルだったが、大きなパイを両手に抱えたまま首を傾げた。
 一同が注目している先に、見たことのない少女が座り込んでいる。力なく下を向いていたミランダは、パイの甘い香りに誘われて大きく目を見開いた。
 その勢いに驚いたサンディルは一歩足を引き、無理に笑顔を作った。
「そのお嬢さんは……カーム君の友達かな?」
 カームは急いで首を横に振った。マルシオが代わりに応える。
「いや、誰も知らないんだ。でもクライセンには紹介状が届いてたみたいで……」
 透かさず、ティシラが口を挟む。
「泥棒よ」
 するとミランダが大声を上げた。
「泥棒じゃないって言ったでしょ! ちょっと、あなた」クライセンに向かって。「紹介状が来てるんならちゃんと説明しなさいよ。私はあなたたちと親しくするつもりはないの。歓迎する気がないなら帰るから、ここから出してよ」
「何よあんた、馴れ馴れしいわね」ティシラも負けじと前に出て。「許可なく他人の家に忍び込もうとしたんなら立派な泥棒じゃない。帰るなら勝手に帰りなさいよ」
「勝手に帰ってもどうせまた森に迷うんでしょう? もう嫌よ。この私がこんな屈辱を受けるなんて、信じられない。もう懲りたわ。だから帰して」
「泥棒は泥棒らしくずっと森で迷っていればいいのよ。誰がご丁寧に森の外まで案内すると思ってるの」
「泥棒じゃないって言ってるでしょ!」
 元気を出しているティシラだが、決定権があるのはクライセンだ。その彼は素知らぬ顔のままだった。マルシオが近づく。
「どうするんだよ、あれ」
「悪意はないみたいだけどね」
「そもそも、彼女は何しに来てるんだ」
「私がどういう人物か知りたいらしい」
「え? 何のために? お前が魔法王だから?」
「いいや。彼女たちにとって『魔法王』という名前に価値はないらしい。そういう地位ではなく、単純に私が純血のランドール人だから、って意味だと思う」
 マルシオは胸の奥が痛んだ。ミランダはロアの身内だ。ロアはイラバロスの子孫、つまり、ランドール人の血が濃い、「生き残り」のほうに近い人物。だからアンミール人が作った「魔法王」という地位でクライセンを測らないということ。ミランダもロアと同じ感覚を持っているとしたら、もしかすると、クライセンにいい感情は持っていないのかもしれない。
 ティシラもミランダに対して好意的な態度ではないし――彼女の場合はただ自分以外の女がクライセンの近くにいるのが面白くないだけだろうが――事なかれ主義のマルシオとしては、ミランダには退場して欲しいところだった。だが、クライセンはそうでもないようだ。
「まあ、別に客が一人増えたところで変わりはないし、好きにすればいいと思うよ」
 そう言って目を伏せる。
 クライセンが帰ってきてから、ロアの話もした。ティシラのいないところでだが。クライセンはふうんと興味なさそうな反応を示すだけで、それ以上の話はしなかった。
 本当はクライセンは、マルシオの知らないところでライザやサイネラに、、ロアのことを聞いていた。ルミオルと影で付き合いのあった謎の友人だと。あれほどの魔法を使える魔法使いなのに正体は不明で、誰も彼の名を知る者はいなかった。ルミオルはロアについて口を開かないし、勘当した手前、いつかルミオルから話してくれるのを待つしかできなくなっている。
 ティシラは例によってロアのことにも触れたがらず、クライセンが知るのはそこまでだった。
 一度、マルシオはクライセンに尋ねたことがあった。
「ロアは、お前の敵なのだろうか」
 クライセンは少し考えたのか、そういう振りをしただけなのかは分からないが、こう答えた。
「敵でも味方でも、用があるなら向こうから来るだろう」
 ミランダの来訪は、ロアから「用件」の始まりに違いない。クライセンは、直接用件を言われないかぎりは我関せずということ。彼の本音を聞きたいが、今は来客中。マルシオは師匠の意志に従うことにする。
「それで、彼女はどうするんだ?」
「帰りたいと言うなら君が送ってやればいい」
「いてもいいのか?」
「紹介状が来てるからね」
「知らない人からだろ?」
「紹介状には送った人物がどういう魔法使いなのかが分かる印があるんだよ。彼は、まあ一応本物みたいだし……」
 やっぱり手紙を見てみたい。マルシオが、文字は読まなくていいから印だけでもと見せて欲しいと頼もうとしたとき、ミランダが大声を上げた。
「当然でしょ」立ち上がり、クライセンを睨む。「ロアはちょっと自分勝手なだけで、実力は本物なのよ。クライセン・ウェンドーラ、いくらあなたでも見下していい人じゃないんですからね」
 ミランダは言ったあと、急に恥ずかしそうに顔を赤らめた。クライセンに大口を叩く彼女を怒鳴ろうとしたティシラも、その様子に目を丸くする。
「あ、もしかして」カームが笑顔で手を叩いた。「あなたは、ロアという方のお弟子さん?」
「はあ? 違うわよ!」ミランダは更に顔を赤く染め。「あんな奴の弟子だなんて、失礼よ、あなた」
「なんだ、ロアの弟子か」とマルシオが呟く。
「僕はサイネラ様の弟子なんです。マルシオはクライセン様の弟子ですし、同じ魔法使いの弟子同士、仲良くしましょう」
「違うってば!」
 興奮気味のミランダを余所に、カームは彼女を輪の中に入れたがっていた。
「まあまあ、せっかく今からみんなで食事というところなんですから、あなたも一緒にどうですか?」少し声を小さくして。「僕もクライセン様やこの屋敷のことを知りたいと思っているんです。魔法使いなら誰でも同じはず。クライセン様はどっちでもいいと仰ってるのですし……ねえ、マルシオ」
 とマルシオに同意を求めた。マルシオは「そうだけど」と言葉を濁す。
「客が僕一人で緊張してたんだ。彼女も僕と同じ立場みたいだし、僕はいて欲しいんだよ。ねえ、いいだろう?」
 マルシオはカームに懇願され、うーんと喉を鳴らした。クライセンがどっちでもいいということは、ミランダがここにいても問題はないということ。あとはそれぞれの感情だ。カームは歓迎している。ティシラは警戒心丸出しだ。自分自身は、よく分からない。サンディルはきっと悪くは思っていないだろう。
「なあ、カーム」マルシオはカームに顔を寄せ。「お前って、もしかして、女に弱いのか?」
 カームはえっと短い声を上げ、赤面した顔を慌てて左右に振った。
「ち、違うよ! 何言ってんだよ。僕はただ、せっかくだからって思っただけで……!」
 うまく言い訳できない彼の姿は、それなりに図星のように見えた。ただでさえ友達の少ないカームのことだ。年頃の女性との付き合いもあまりなく、ティシラやミランダが近くにいる空間を新鮮に感じるのだろう。これ以上言うのは可哀想だと思ったマルシオだったが、聞こえていたミランダが今度はカームに指先を突き付けた。
「ちょっと、あなた! 私を変な目で見ないでくださる? 破廉恥だわ! 今私たちの間に性別など何の関係もないこと。相手の外見で結論を変えてしまうような軟弱な意志など、魔法使いを名乗るに不相応な愚者の極み!」
「違います、違います! もう、マルシオ、訂正してよ!」
 カームは泣きそうな顔になって助けを求めた。マルシオは余計なことを言ってしまったと反省し、ため息をついた。
「お前、ミランダって言ったか」ミランダに向き合い。「クライセンを知りたいってどういうことだよ。知ってどうするんだ」
「どうもしないわよ。私は真実を知りたいだけ。知っても、何もしないわ」
「真実?」
「この世界で彼が『魔法王』と呼ばれる理由よ」
「そんなの、調べれば分かることだろ」
「分からないから来たのよ。私が知りたいのは、本当にクライセン・ウェンドーラがこの世界の魔法使いの頂点に立つにふさわしい人格なのかどうかってこと」
 かなり失礼なことを、本人に聞こえる声で言っているなと、マルシオは呆れに似た感情を抱いた。血筋や能力は認めているものの、クライセンの性格に問題があるのではないかと言っているようなものだ。他人に厳しいわりに、彼女も十分不躾である。
 だが、そんな疑問を抱くのは彼女だけではない。世界のどこかで、何度も提起されてきた問題だった。マルシオとて通った道だ。もう今更、考えることもなくなったほど、遠い過去に思えることだった。
 クライセンがロアの関係者である彼女に何の感情も示さない理由が分かった。本当に「どうでもいい」のだ。ミランダの「なぜ」が解決しようがすまいが、誰にも、何も変えることができないから。認められないからと言って、クライセンが「イラバロスからリヴィオラを受け継いだ魔法使い」である事実を覆すことはできないし、納得するかしないかは個人の自由。納得する理由を探すかどうかも、個人の自由にすぎない。
「なんだ、そんなことか」
 マルシオがつまらなそうに言い捨てると、ミランダはむっと口を一文字に結んだ。
「だったら好きにしたらいい。帰りたいときは俺に言ってくれ、送ってやるから」
 ミランダを受け入れてくれたことにほっとしたカームは、笑顔で胸を撫で下ろした。
 ミランダは悔しさを噛み締めている表情でマルシオを睨んでいたが、空腹には勝てない。しかも、パイの香りは女の子には耐えられないほど甘美なものだった。ふんと顔を逸らしながら腰を上げる。
「一つ言わせてもらっていいかしら」
「なんだよ」
「私、甘いものに目がないの」
「…………」
 帰るとしても、目の前にあるパイだけは食べたいということ。ミランダの性格をまだ理解できるほど親しくない一同には、彼女の堂々とした態度に唖然とするしかなかった。
 ただ分かることは、悪人ではなさそうだということ。
 カームはマルシオの隣に、サンディルは上座に、ミランダはその向かいに腰かけ、招かれざる客を含めた食事会がやっと始まった。





   

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