SHANTiROSE

INNOCENT SIN-16






 気まずいお茶会が始まった。
 テーブルの上にはパイだけではなくサンドウィッチも並んでいる。マルシオが昨夜から用意していた材料があると言ってキッチンに戻った。それを待つあいだ、睨み合っていたティシラとミランダの空気に耐えられず、カームとサンディルもマルシオを手伝い、急いで準備を進めた。クライセンは素知らぬ顔で頬を撫でる緩やかな風を感じながらぼんやりしていた。
 切り分けたパイが全員の前に並んだところで、この中で一番明るいカームが両手を広げた。
「皆さん、改めまして、今日はお招きいただき感謝しています。こんな素敵で賑やかなお茶会なんて初めてで、ほんとに嬉しいです。皆さんともっと親しくなりたいです。どうぞ、よろしくお願いいたします!」
 盛り上げるつもりで大きな声を出したのだが、誰ひとり賛同してくれる様子はなかった。さすがのカームも苦笑いを浮かべて肩を竦める。マルシオはそんな彼を気の毒に感じつつも、この面子では仕方ないとも思う。
「カーム、そんなに気を使わなくていいよ」
「気を使ってるわけじゃないよ。ほんとに、楽しいと思ってる」
「ほんとに?」
「本当だよ。マルシオには普通でも、僕にとっては非日常なんだから」
 そんな会話をしているうちに、誰からともなくパイやサンドウィッチに手を出し始めた。相変わらずティシラの目線はミランダを追っている。
 そのミランダは、念願のパイを口にする。なんとなく、一同はその様子に注目していく。
 ミランダはパイを噛み締め、飲み込んだあと、はあっと深いため息をついた。
「なにこれ、信じられない」誰とも目を合わせず、独り言をつぶやく。「こんなおいしいパイ、初めてだわ。何が入っているの? どうやってこんな甘味と香りを内側に閉じ込めておけるの?」
 ミランダのような若い娘に褒めてもらえ、サンディルは感無量とでもいうように頷いていた。
「こんなの、お店にも売ってないわ。ねえ、これは誰が作ったの?」
 真剣な表情で尋ねるミランダに、マルシオがサンディルを指さした。
「あなたが? あなたはどなたかしら?」
「クライセンの父親、サンディル様だよ」と、マルシオが代わりに答える。
「え? この人が? こんな人がこんな甘美なお菓子を?」
 白髭のおじいさんとパイというギャップに更に驚いていたミランダは、その現実をすぐに受け入れた。
「ねえ、このパイのレシピ、教えてくださらないかしら」
 どこまでも図々しいミランダに、マルシオとカームが目を丸くしていた。サンディルはニコニコと微笑んでいる。
「誤解なさらないで。自分で食べたいときに食べたいだけなの。人様の技術で商売なんかしないから、見損なわないでくださいね。もちろん、必要なら情報料もお支払いするわ。お願いできます?」
 人にものを頼んでいるというのに顎を上げるミランダに、サンディルは微笑んだままこう答えた。
「お断りします」
 見た目とは裏腹な彼の冷たい返答に、クライセンを覗く全員が驚いていた。
「どうして?」ミランダは身を乗り出し。「私、こう見えて料理は得意なのよ。私で無理ならシェフの知り合いもいるし、家には調理器具も一通り揃っているの。何がご不満なのかしら」
「これには、市販で手に入らないハーブが入っておるのじゃ。作り方だけ真似ても、同じものはできないぞ」
「そんな……そのハーブはなんというものなのかしら。似たもので代用はできないのかしら? なくても、近い味は出せるのではないの?」
「儂のオリジナルのハーブじゃから、無理」
「では、それを売ってくださらない?」
「お断りします」
「どうして!」
 マルシオは最初、ミランダの失礼な態度が気に入らずにサンディルが断っているのかと思ったが、どうも違うようだ。
 おそらく、彼の言うハーブとは、魔薬のことなのだろう。
 確かにこのパイはおいしいが、安全が保障されていないものが入っているのかと思うと不安が募る。しかしサンディルは魔薬の生体も質も知り尽くしている。食べられるものを使っていると信じることにした。
「ミランダ、諦めろ」いじける彼女を、マルシオが宥めた。「いきなり来ておいて無理を強いるな」
「無理強いだなんて。お菓子の作り方を訊いてるだけじゃないの」
「ダメだって言われてるだろ。どうしてもって言うなら他の簡単なものでも訊いたらどうだ」
「そうですよ」カームが口を挟む。「よかったら僕も一緒にお話し聞きたいです」
「どうしてあなたと一緒にお菓子の作り方習わなきゃいけないのよ」
 しかしミランダに冷たく一瞥され、カームはまた体を縮めた。



 朝食も終わった頃、ミランダはマルシオとカームに呼ばれて席を立ち、テーブルから少し離れたところに移動した。サンディルは屋敷に戻り、クライセンは一言も発することないままバルコニーに移動し、水パイプをふかし始めていた。ティシラはまだ席に座っており、遠目からクライセンを見つめている。本当は彼の隣に行きたいのを我慢し、マルシオたちのほうに目線を向けた。
「おい、お前」マルシオがミランダに。「もうパイは食べただろ。帰るのか? まさかパイの作り方を教えてもらうまでいるなんて言わないだろうな」
「失礼ね。そんなこと言わないわよ。私はお菓子の作り方を知りたくて来たわけじゃないのだから」
「じゃあ帰るんだな」
「いいえ、まだ目的は果たしてないもの」
 彼女の目的とは、クライセンの事を知ること。マルシオは怪訝な目を向ける。
「だったら、どうやったら目的を果たしたことになるんだよ」
 ミランダは黙り、少し考えたあと人差し指を立てた。
「せっかくなので……リヴィオラを見せていただけないかしら」
 マルシオとカームが同時にえっと短い声を上げた。
「太古に宇宙の創世神アスラがノートンディルに与えた『原始の石』、リヴィオラが、本当に彼を母体に選んだのかどうか、この目で見てみたいの」
「…………」
 マルシオはカームと目を合わせたあと、ミランダに向き直った。
「原始の石? 母体? なんだそれは」
「なあに? ご存じないの?」ミランダは呆れた顔で。「魔法使いなのに? そんなことも知らずによく魔法使いなんて名乗れるものね」
 マルシオとカームは何も言えず汗を流した。
「えっと」カームが恐る恐る。「勉強不足で申し訳ありません。よかったら、教えてもらえませんか?」
 素直に尋ねるカームを、ミランダはふんと鼻で笑った。
「あなた方にはそれぞれ師匠がいらっしゃるじゃない。そちらに教えてもらいなさい」
 マルシオは「それもそうだ」と思うと同時、態度の悪いミランダにむっとする。
「じゃあお前はロアに教えてもらったのか?」
 今度はミランダが眉を吊り上げた。
「私はロアの弟子じゃないって言ったでしょう!」
 ついムキになってしまったミランダは、気を取り直して呼吸を整える。
「……もういいわ。あなたたちでは話にならない。クライセン・ウェンドーラ本人と話をさせて……」
 言いながら、彼がいたはずのバルコニーに目線を投げる。だが、そこにクライセンの姿がなかった。どこに行ったのだろうと思う間もなく、ミランダの背を大きな影が覆った。慌てて振り返ると、そこに彼女を見下ろすようにクライセンが立っていた。
 ミランダは驚いて飛び退き、マルシオとカームも目を見開いていた。ティシラも、目を離した隙に消えた彼の姿を探し、いつの間にか移動していたクライセンをすぐに見つけ、慌てて駆け寄ってきた。
 クライセンは引きつるミランダに微笑み、片手を差し出した。
 その手には、銀の細工で装飾されたひし形の箱があった。
 マルシオはそれが何かすぐに分かり、大声を出した。
「クライセン、何やってんだよ」
「だってこれ、見たいんだろう?」
「なに?」ミランダは息を飲む。「これ、何よ」
「リヴィオラ」
 クライセンは箱の蓋にもう片方の手を添える。
「やめろよ。悪ふざけが過ぎる」
 ミランダとカームはすぐに動けず、マルシオは彼の手を掴んで止めた。ティシラは何が起こっているのか分からずにクライセンの背後に回って箱を覗き込んでいた。
「悪ふざけじゃないよ。見るくらい、別に減るものじゃないんだし」
「取られたらどうするんだ」
 また人を泥棒のように言うマルシオに、ミランダは怒りで顔を赤らめる。怒鳴る前に、クライセンが続けた。
「取られないよ。きっとここにいる誰も、これに触れることはできないから」
 そう言って、目を細める。
 ミランダはもっと強い怒りを感じ、口を一文字に結んだ。
 目の前にリヴィオラがある。まだ中身は見ていないが、それが分かった。無意識に手足が震えてしまっていたからだ。
 それはカームも同じだった。メガネのガラスと目の隙間で火花が散るような、チクチクとした痛みが走る。カームは目を閉じてマルシオに背中に隠れた。
「僕は見ないよ」
「カーム?」
「目が、潰れそうなんだ」
 カームの異常な反応を疑問に思ったマルシオだったが、彼の様子を気に留めている余裕がなかった。ミランダは、手足の震えを抑えながら手を伸ばす。
「私は見るわ。見せて」
 クライセンはマルシオの手を退け、蓋を空けた。
 そこから溢れ出した青い光は、まるで蒸気のように箱から溢れ出し、当たりを照らした。銀の箱に綺麗に収まっているリヴィオラは、照明に煽られているように強い魔力を放っていた。
 これは、クライセンの魔力に同調している状態だった。彼のいないところでは静かなただの石だということを、マルシオは知っている。カームは青い光から逃げるように、目を堅く閉じて頭を垂れていた。
 ティシラは少々目を顰めるだけで、物珍しそうにじっと見つめている。
 ミランダは数秒、呼吸をするのを忘れていた。深呼吸したあと、ゆっくりと、指先を近づけていく。自然と額から汗が流れ落ちてきた。手が更に震えていく。もう少しで触れる、その瞬間、クライセンはからかうように箱を逆さにして石を直接自分の手のひらに乗せた。
 ミランダははっと手を引っ込める。
 その石は、光を放ったまま、クライセンの手に収まっていた。
「ほら、ただの石だ。触ってごらん」
 クライセンは片足を引くミランダにリヴィオラを差し出し、挑発する。
 ミランダは悔しそうに唇を歪め、必死で手を伸ばした。
 しかし目を伏せ、手の力を抜いた。
「……もういいわ。早く箱にしまって」
「いいの?」
「いいから。早く!」
 顔を逸らして「負け」を認めたミランダに、クライセンは小さく笑ってリヴィオラを箱に収めた。
 やっと眩むような光が消えたところで、カームが大きなため息を吐いた。
「君の知りたいことは、これで知れたかな?」
 クライセンに言われ、ミランダは悔しそうに拳を握る。
 言葉でも態度でもなく、クライセンがリヴィオラに選ばれた魔法使いである証明を見せつけられた。
 一つの石に、触れるか触れないか。ただそれだけのことで。
 ミランダはリヴィオラの持つ力がこれほどのものだとは思っておらず、完全なる敗北を喫した。それでも、やはり腹が立つ。こんないけ好かない男が、どうして、と、さらなる不満を募らせていく。
「……まだよ」ミランダはぐっと踏ん張り。「事実は知ったわ。でも、まだ納得できない」
 きっとクライセンが純血のランドール人だからだ。他に行き場がないからリヴィオラは彼の手の中にあるのだ――そんなことを考えてミランダは再びクライセンに向き合った。
 だが、一同は既にミランダを置いて屋敷のほうへ歩を進めていた。
「クライセン、お前はどうしてリヴィオラをそうやっていい加減に扱うんだよ」
「だから、これはただの石だって。見たいって言う人がいたから見せただけだろ」
「そういうものじゃないだろ」
「そういうものだよ」
「ああ、マルシオ」まだ体の震えが止まらないカームは、マルシオにしがみついて必死で歩いていた。「朝からこれじゃ僕は体が持ちそうにないよ。リヴィオラなんて、いやもちろん、見たいよ。でも、せめて心の準備くらいはさせてくれよ」
「そんなこと、俺に言われても」
「そうだよね……マルシオはあれを見ても平気なの? ティシラさんも、なんともないの?」
「俺は別に……何度か見てるし」
「私も別に。興味ないし」
「そっかあ……やっぱり僕は未熟者だ。訓練すれば、僕もリヴィオラを肉眼で見ることができるようになるのかな」
「そんな訓練しなくていいよ」
「しなくていいのかなあ……でも、ティシラさんは興味がないだけで平気みたいだし、僕も興味をなくせばいいのかなあ。いや、それは無理だ。いつか間近で見てみたいよ」
 そんな会話を耳にしながら、クライセンは先のことを考えていた。
(……ティシラとマルシオが平気なのは、意味がある……やっぱりマルシオには……)
 声には出さない。今はまだ。
 その理由は、いずれ本人たちが知ることになる。そんな予感を抱いていた。
 一人取り残されたミランダは恥ずかしさと悔しさで憤り、強く地面を踏みながら一同を追いかけていった。





   

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