SHANTiROSE

INNOCENT SIN-35






 城跡の周囲には村人たちが寄り集まり、不安そうに村長の戻りを待っていた。
 突然謎の魔法使いが現れて、モーリスがジギルの元へ連れて行ってから一時間近くが経っている。畑に落ちた巨大な鳥の死骸には大きなゴザが被せられているが、ランドール人がやってくればこんなもので隠せ通せるわけがない。なんの指示もないまま彼らがやってきたら、村人たちはどんな扱いを受けるか分からない。村人たちはただただ息を潜めてモーリスの声を待った。
 城跡の扉が開いた。最初に出てきたのはジギルだった。村人たちは一斉に「先生!」と叫びながら駆け寄った。
「みんな、鳥の死骸を運ぶ。手伝ってくれ」
 人混みを掻き分けて畑に向かうジギルに村人は戸惑った。
「先生、死骸をどうするんですか?」
「隠すんだ。早くしろ。まだ腐ってないだろう。嫌がらずに手伝って欲しい」
「隠す? そんなことしてどうなるんでしょうか!」
「ランドール人に見つかれば罰せられる。せっかく造り上げた僅かな文明さえ破壊されて、今まで以上に監視が厳しくなるかもしれないんだ。隠ぺいするしかない」
「そんな……」
 村人たちは青ざめて足取りを重くした。
「先生。隠したことが見つかったらどうするんですか?」
「素直に謝ったほうがいいと思います。私たちがやったのではないのだから」
 そうだ、という大きな声がこだました。
「あの女を突き出しましょう。私たちは今まで静かに平和に暮らしてきました。突然やってきた凶悪な魔法使いの蛮行を、なぜ私たちが匿わなければいけないんですか!」
 ジギルは足を止めて振り返った。
「あの女は俺たちと同じアンミール人だ!」
 珍しく大声を上げる彼に、村人は目を見開いた。
「……そして、高等な魔法使いだ」
 村人たちはざわめき始める。
「彼女の力を借りれば、新たな知識や能力を手に入れることができる。仮に彼女をランドール人に引き渡したところで、俺たちアンミール人にはなんの恩恵もない。ただ彼女が処刑されるだけだ。これからも、何の変化もなく、この檻の中で滅亡を待つだけなんだぞ」
「……せ、先生、でも、もし、見つかったら……」
「見つからない」ジギルは素早く否定した。「死んだのはマーベラスの使者である聖獣でななく、幸い、野生のものだ。そして何よりも、俺たちは今まで静かに、平和に暮らしてきた。突然野生の鳥を殺す動機なんかないんだ。証拠さえなければ簡単にランドール人を欺くことができる」
 村人は静まり返った。誰もが不安で青ざめている。
「な、なんのために、そんな危険なことを……」
「危険じゃない。当然のことだ」
「当然……?」
「野生の鳥を一羽殺しただけで、何をそんなに怯える必要があるんだ。俺たちは人間だ。罪もないのに罰せられる道理はない」
 いつもの「先生」と違う――後退りを始める村人もいた。ジギルはそんな反応も承知だった。村人に背を向け、畑に向かった。
「嫌なら俺一人でやる。時間がないんだ。もうすぐランドール人が来る」
 その言葉に、村人は更に震えあがった。聖獣に跨った、あの「赤マント」の魔法使いがやってくる……村人は空を見上げてうろたえた。
「先生、あの女は、信用できるんですか?」
「もしもランドール人のスパイだったらどうするんですか!」
「信用すると決めた」ジギルは足を止めずに。「証拠なんかない。こんな短時間であの女が何者かどうかなんて分かるわけがない。だから、決めたんだ。俺は信用する」
「……う、裏切られたら?」
「そのときはそのときに考える。今やろうとしていることは、今考えて出した答えだ。その次のことはあとで考える。今までそうしてきた」
「今のままではいけないんですか?」
「俺はあの女の持っている未知の力が欲しい。知識は、財産だ」
 村人たちは戸惑い、顔を見合わせた。その中で、数人がジギルの後を追っていく。
「おい……」
 それらを止めようとする者もいたが、彼らに着いていく者のほうが多かった。
「私たちはずっと先生の言う通りにしきた。先生はいつも正しかった」
 そんな様子を、城跡の影からモーリスとエミーが見つめていた。モーリスは村人と同じく蒼白していたが、エミーはその隣で不適な笑みを浮かべる。
「いいね。思った通りだ。あのガキ、賢いね」



 ジギルはエミーに城跡の地下にいて、何があっても出てこないように指示を出した。
 村人にもエミーのこと、鳥のことは絶対に口にも態度にも出さず、知らないと言い張るように強く言った。
 村人はジギルの指示通り、鳥の死骸をゴザで包み、村の端にある墓地まで運んだ。穴を掘る時間はなかった。いくつかの墓標を倒し、空き地を作って死骸を置き、大量の土を被せて丘を作った。時折やってくるランドール人に、ここには入らないようにお願いしてある。死者だけは静かに眠らせて欲しいと。
 墓標を倒すことに異論を唱えた者は、当然いた。それもジギルは承知しており、あとで元に戻す、嫌なら他の方法を今すぐに出せと問い詰めて黙らせた。
 モーリスはその様子に不安を募らせた。一通り死骸を隠したあと、ジギルにそっと耳打ちする。
「君の作戦はうまくいくかもしれない。しかし、村人の反発は大丈夫なのか」
「反発?」
「君の強引なやり方に納得せず、言うことをきかない者が出たら……」
「そのときは、この村の終わりだ」
 ジギルはそれだけ言って踵を返した。
 作業が終わると、ジギルは村人を集めた。
「いいか。今から、普通の生活に戻るんだ。鳥も死んでないし、魔法使いもこなかった。ランドール人が来たら、怖がってもいい。逃げてもいい。無理に平静を保つ必要はない。ランドール人が怖いのは普通のことなのだから。俺たちは何も変わらない日常を過ごしていた。そこにランドール人がいきなりやってきて、身に覚えのない尋問をされる。俺たちは何もしていないのにだ。理不尽だが、仕方のないこと。いいか、そう自分に言い聞かせて暗示をかけるんだ」
 村人は理解はできても、彼の言う通りに演じ切れるかどうかに迷いを持っていた。
「大丈夫。俺たちはずっとそうしてきただろう。何もしていない。何も悪くない。だが自由を奪われ感情を制限されてきた。それは弱いからだ。敗けたからだ。仕方がないからだ。今も同じだろう。そうしなければいけないと強く思えばできる。今までできていたことを、できない理由はない」
 村人はもう、自分で考えて行動するという感覚が鈍っていた。
 ジギルの言葉を聞いているだけで、思考回路が組み替えられていく。従う相手がランドール人からジギルに変わるだけだ。簡単なことだった。
 村人の目から恐怖が消えていった。いつもの、些細なことで笑ったり泣いたりを繰り返す「無気力」な人間に戻っていく。
 モーリスだけは違った。普段彼も村人たちと同じ目線だった。それでうまくいっていた。何も疑問を抱くことはなかった。だが今、今まで自分がしていたことを、一つ高い位置から垣間見た瞬間、激しい寒気が体中を走り抜けた。
(……なんということだ。私たちは、まるで……植物のようだ)
 ふと数人が空を見上げ、遠くを指さした。村人が注目する先には、大きな鷲の聖獣が五羽、V字に並んで落陽線に向かって来ていた。その背中では、あの「赤マント」がはためいているのが見えた。
 ノートンディルの魔法軍の精鋭部隊マーベラスだ。モーリスを含む数人は村の中央にある広場に集合した。ジギルは「いつもどおり」城跡の裏口の影に潜み、皆を見守った。
 ノートンディル皇帝親衛隊マーベラス。彼らは清き純白の軍服を身に着け、すべての生物に光を授ける太陽を模した真っ赤なマントを背負っている。常に潔白であり続け、太陽に寄り添いその清き心に偽りないことを誓うという思いが込められたものだった。
 異様に派手な彼らは軍人というよりも身分の高い貴族のように見える。だがその容貌はよくある金持ちの趣味とは異なり、遠目でもマーベラスがそこにいることを分からせるためだった。あの赤いマントを敵が見れば恐れ、味方が見れば勇気が湧く。マーベラスという存在だけで人々の心を動かすためのものだった。
 いつしか誰かが言った「世界で最も美しい軍隊」という言葉は定着した。彼らはそのときが来れば、その目立つ姿で敵の標的となり、最前線で命を賭して戦う覚悟と勇気を持ち合わせている。何よりも、魔法大国の中でも生まれついて非凡な才能を持ち、その才能を磨き維持する努力を惜しまず、厳しい試験を乗り越え、そこから更に厳選されたエリートのみしか戴くことのできない称号だった。
 気取っているだとか悪趣味だとか、民間人の中にはよく思わない者もそれなりにいる。しかしマーベラスに形だけの者は存在しない。彼らは魔道の真理を悟った迷いなき神の子。欲に溺れたり力や地位に酔いしれるような精神の弱い者は、ここにたどり着くことはできない。その気高さ、そして計り知れない魔力の強さをその目で見た者は、誰も彼らに疑いをもつことはなかった。
 マーベラスに仕える聖獣は野生の巨大な鷲より一回り大きかった。鷲の分厚い翼が起こす風で、村の草花が大きく揺れる。村の広場に聖獣が降り立ち、その背ではためいていた赤いマントが村人を威嚇した。他の四羽の背にはノートンディル魔法軍の群青色の軍服を着た者が一人ずつ跨っている。
 急いで駆け寄ったモーリスは彼の前に膝をつき、それに続いて村人たちも同じようにした。
 鷲の背から、軽やかに一人の魔法使いが地に足を付けた。金髪に紫の目はランドール人の中でも多い色だった。彼の名はアンバー。無表情だが敵意はない。穏やかな声で「立ってください」とモーリスに言った。
 アンバーは何度かここに着たことがあり、モーリスと村人の何人かとは顔見知りだった。当然ジギルとも面識はある。彼がいつも城跡に隠れていることも知っている。
「アンバー様、突然のお越し、一体何があったのでしょうか」
 モーリスが腰を上げると、アンバーは周囲を見回した。
「野鳥が騒いでいるという報せがあった。モーリス村長、何か知っているか」
「いいえ……」背後の村人を振り返り。「皆、何か知っているか」
 村人たちは声を出さず、一様に首を横に振った。
「そうか。一羽の鷲が命を落としたという報せだったが……」
 モーリスは内心、飛び上がるほど心臓が縮んだ。だが気を強く持ち、平静を装った。
「そう言えば、数羽の野鳥が低く飛んでいました」
「なぜ?」
「それは分かりません」
 アンバーはじっとある方向を見つめていた。その先には墓地がある。モーリスも村人も気が気ではなかった。
「死の匂いがする。誰か死んだのか」
 どう答えるべきか分からないまま、モーリスは返事をした。
「はい」
「死因は?」
「事故です。井戸に落ちて……」
 そこで、隠れていたジギルがのそりと出てきた。
「おい。それ以上は詮索するんじゃない」
 アンバーとその部下、そして村人のすべてが彼に注目した。
「あんたにとっちゃアンミール人の死なんか虫が死んだのと同じだろう。だが俺たちは全員が家族だ。冒涜したいなら外でやってくれ」
 ジギルは誰に対しても敬意なんか持ち合わせていなかった。いつもこうして無礼を働く。アンバーはもう慣れていた。
「死体をまだ埋めてないんだ。死肉の匂いを嗅ぎつけた鳥が騒いでたんだろう――あんたみたいにな」
 彼の暴言にアンバーの部下がざわつき、腰の剣に手をかけた。アンバー本人は素知らぬ顔で頬を緩めた。
「ジギル、君に人への愛情などなかったはずだ。私を侮辱するために死者を利用する君の言動のほうが、家族への冒涜だと思うが、どうだろう」
 ジギルは自分の性格を見透かしているアンバーに、ふんと鼻を鳴らすだけで反論しなかった。
「鳥が騒いだだけでいちいち見回りにくるなんて、マーベラスは暇なんだな」
「そうだな。最近は平和で私たちの威厳も形無しだよ」
「せっかくの派手な服も持ち腐れじゃもったない。そうだ、歌や踊りでもやってみたらどうだ」
「……貴様!」
 ジギルの挑発に、部下がとうとう剣を抜いた。ジギルはそそくさと城跡に逃げ隠れていった。
 アンバーは怒る部下に片手を上げて剣を収めさせた。モーリスが小さな体を震わせている。
「アンバー様、申し訳ございません……ジギルには、あとで言い聞かせますので。いえ、いつもやっているのですが、なかなか、口の減らない男でして……」
「知ってる。村長のせいじゃないことも。ジギルは見た目以上に賢く、そして、見た目以上に幼い。問題は、本人がそのことを自覚していないことだ」
 初めて聞く言葉だった。意味を考えながら、アンバーの瞳を覗き見た。アンバーはいつも遠くを見ているような、涼しい目をしている。彼の感情を読むことは困難だった。
「安心しなさい。私は君たちを疑ってはいない。何か不本意なことが起きただけだろう」
「……え。それでよろしいんですか?」
「通報があったら調査する。それが私たちの義務というだけ。何もないに越したことはない」
「でも、何も調べていませんよね」
「君たちはずっと平穏に暮らし、我々の信頼を得た。信頼がなければ少々手荒いことをする必要があったかもしれないが、それをすれば君たちの今までの努力に傷をつけることになる。私たちは人々を絶望させるわけにはいかない」
 ほとんどの人が温情だと思った。ただ、アンバーの言葉の裏を返せば、これからも静かにしていなさいという意味が込められている。
 安堵した村人を背に、アンバーとその部下は立ち去った。
 ジギルの言うとおりだった。いつも通りにし、何もないと言えば信じてくれる。聖獣の姿が見えなくなるまでアンバーを見送った後、村人たちは深い息を吐いて胸を撫で下ろした。
「皆、協力ありがとう」モーリスが村人に向かい。「私たちは何も悪いことはしていない。怖がらず、これからも平和に暮らしていこう」
「でも、村長、あの女はどうするんですか」
 村人の一人が発言すると、一同はまた暗い顔になった。
「ジギルと話し合う。ジギルはいつも正しかった。信じよう」
 まだこの時点では、これから始まることなど誰も予想もしていなかった。
 ただ一人を除いては――。





   

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