SHANTiROSE

INNOCENT SIN-04






 鬼のような形相で水晶を見つめていたエミーが顔を上げた。
 クライセンは怖がることなく彼女に目を合わせる。何を言われても驚かない自信があった。何を言われても、受け入れる以外に選択肢がないからだ。
 だが、クライセンが考えていなかった言葉を、エミーは口走った。
「悪いね。分からない」
「えっ」
「私にはほとんど分からないね」
「ほとんど?」
「ああ……何か大きな、不吉な影が見えた。あんたには間違いなく災難が降りかかる。だがそれを敵と言うには、不確かなんだよ」
 エミーが分からないと言うからには分からないのだろう。彼女は普通の魔法使いとは違い、変に遠回しな言い方も、謎めいた意味深なこともしない。
「未来が分裂してるんだよ……いくつもの未来が見える。天使マルシオ、そしてクライセン、それと……魔女、ティシラ。それぞれが複数見える。それぞれの、そのときの選択によって道が別れている。どれも正しいという答えはない。だから、選ばなかった道の先がどうなっているかは誰にも分からない。存在しない世界だから、私にも見えないんだ」
 エミーの予言を冷静に聞きながら、クライセンは首を捻った。
「ふうん……マルシオの中に何がいるのかは見えない?」
 エミーはもう一度水晶の奥に目線を投げるが、これ以上は無駄だと視なかった。
「何もいない」
「何も?」
「何も見えない。だが……」
 エミーは立ち上がり、また暗闇の中に消え、中で物音を立てた。奥からものすごい音がする。押し込み積み上げていた荷物が崩れたのだろう。クライセンが手を貸したほうがいいだろうかと迷っていると、埃をかぶったエミーが戻ってきた。
 エミーは手に一枚の絵を持っていた。テーブルの上に広げ、ランプを近づけて照らし出した。
 そこには、マルシオによく似た天使が描かれていた。
「これは……?」
「これは私がノートンディルにいた頃に手に入れたものだ。どこかでもらったか、本に挟まっていたか覚えていないが」
 ロアが見ていた絵と似たもので、同じように彼の周りには五天使の姿がある。だが同じものではなかった。おそらく昔の絵描きが複製したものなのだろう。もしかしたら他にもあるのかもしれないし、どちらが先でどれがオリジナルで、誰が何を見て描いたのかは不明だが、もうそこは問題ではない。
 重要なのは、なぜ「神」の位置にマルシオがいるのかということ。
 エミーは「神」を「ルーダ」と呼んだ。今はその名前に意味がないことを知っている。だが名前がなければ認識も、説明もしにくい。
「これはルーダ神だ」絵の中のマルシオを指さし。「ノートンディルがあり、天使が地上にいた頃、天使たちは神のことを話さなかった。名もないと答えた。ならばルーダとは誰が名付けた? 神とはなんだ? 神はどこにいる? どう思う?」
 クライセンもその絵に釘づけになる。これが太古に描かれた絵なら、マルシオはまだ生まれてもいない。もしかすると神はいないのか? マルシオは神の生まれ変わりなのか? いろんな予想をしてみるが、どれも納得のいくものではなかった。
 そもそも神とは何なのだろう。ここに描かれている神がマルシオだとしたら、マルシオは今地上にいる。ならば五大天使は一体何を守っているのだろう――。
 確かに、分からない。クライセンは絵から目を離し、一息ついた。
 再度考えてみる。マルシオに何か違和感はなかっただろうか。考えてみるが、今は思い当たらない。
「どうだ」エミーも椅子に座り直し。「分からないだろう」
「ああ、分からないな」
「今は考えても無駄のようだな。だが、いつか選ばなければいけないときがくる」
「……どれを選んでも、間違いではないんだな」
「そうだ」
「そのときっていうのは、いつ?」
「遠くない未来だ」
「きっかけは?」
「選択次第だな」
「何を選んでも、そのときは来るのか? それとも避けられる?」
「避けられる……わけないだろうが」
「なぜ?」
「世の中に変わらぬものはないからだ」
 クライセンは「ああ、そう」と言いながら肩を落とす。しばらく薄暗い部屋の中で、ぼんやりとした。すぐに帰る気は起きない。こういうとき、この息苦しい閉鎖的な空間は居心地が、悪くないものだった。
「クライセン、お前の神は何と言っている?」
 エミーの問いかけられ、クライセンは気だるそうに目線を投げた。
「神だよ。死神」
「ああ……別に、何も」
「マルシオも神だろう。仲間ではないのか」
「なに? 分かってるくせに、わざとらしいな。あれは全くの別物だろ」
「そうだな。死神は人々に忌み嫌われ、影に潜む悪神。一方ルーダは人々に夢を見せる、華やかで美しい神――と、言われているが……」
「面白いね。そういうふうに比較したことなんかなかったよ」クライセンは苦笑し。「まあ死神は別に人が認識する必要のないものだし。ルーダは人間が勝手に崇めているだけで……」
「では、人はなぜ、いつからルーダを崇めていたのだろうな」
「…………」
「何もしないのに」
 クライセンは目を閉じた。今は考えないようにするため。
 必要なのは、マルシオをどうするかだ。ルーダとどういう関係があり、ルーダが何者だというのは、見たこともない人間がいくら想像しても及ぶわけがない。
 なぜ分からないのかが分かった。まずはマルシオが選ばなければいけない。だが本人は記憶を封じられてまだ何も選べないからだ。彼の選択によって、自分やティシラに選択肢という枝葉が見えてくる。その都度、いくつもの道ができ、どこまでも広がっていく。
 なんとなく、それほど悲観することはないような気がしてきた。
 選択に正解あるなら慎重にならなければいけないが、どれを選んでも間違いではない。それがエミーの信託だ。
 クライセンはエミーにお茶をもう一杯もらって一息つく。その後もくだらない世間話から、この二人だからこそ成立する危篤なやり取りなど、様々な話題で時間を費やした。



*****




 クライセンが姿を消して四日目だった。
 夕刻、普通に玄関から「ただいま」と帰ってきた彼を、ティシラとマルシオの二人が急いで出迎えた。
「よかった……クライセン、どこに行ってたんだよ」
「なに? 何かあった?」
「だって、こいつが……」
 マルシオに指を指されたティシラは、顔を赤らめて慌てて彼の口を塞ごうと手を伸ばした。
「俺のせいでクライセンがいなくなったって、絡んでくるんだ……!」
「変なこと言わないで! あんたがクライセンに絡んだんでしょ。だから……」
 相変わらずだと思いながら、クライセンは二人の横を素通りしてリビングに向かった。



 とくに変わりのない室内を見回し、クライセンはソファに腰かける。喧嘩をやめて着いてきた二人も彼の向かいに座った。
「なあ、どこに行ってたんだよ」
「知り合いのところ」
「知り合い? 俺と関係あるのか?」
「え? どうして?」
「だって、俺と話してる途中に出て行ったから……」
 そんなことを気にしていたのかと、クライセンは呆れると同時、少々申し訳ない気持ちも抱く。
「関係ある」
「え!」
 ただいつもと同じように気まぐれに出掛けただけだと思おうとしていたマルシオは、クライセンの言葉に目を丸くした。脅かすつもりのないクライセンは手に持っていた小さな袋から白い箱を取り出し、固まるマルシオの前に置いた。
「これは……?」
「おみやげ」
 マルシオは箱を持ち上げ、ラッピングも何もされていない質素な箱を開けた。
 その中には、銀の粒が混ざった白いろうそくが入っていた。隣から覗きこむティシラもつい声を漏らしていた。
「わあ、きれいなろうそく」
「え、これ、もしかして……」
 マルシオの目が、みるみる輝き始めた。
「月光のろうそく?」
「そう」
「どうして? これ、どこで……」
 興奮してうまく言葉にできないマルシオに、クライセンは冷静に応える。
「あのバカみたいな本を書いた本人のところに行ってきたんだ」
「あ、あの本の? たしか、ええと……」
「エミー」
「そうだ、エミー・ザラ・ハーディ。え、でも、あれ、すごく古い本で、もう死んでるんじゃ……」
「生きてるよ」
「そ、そうなんだ」
「本の著者名を見て思い出したんだ。変なところに住んでるから時間がかかるんだけど、久しぶりに会ってみようと思って、ついでにね」
「じゃあ、これ、作り方を聞いてくれたのか?」
「それは秘密だって。だから本人が作ってたものをくれたんだ。作り方は……君が一流の魔法使いになれれば分かると思う。今はそれで我慢してくれ」
 マルシオは驚きと嬉しさで困惑していた。
 まさかクライセンがわざわざ遠くまで足を運んで、彼にとってはおもちゃのようなものをもらってきてくれるなんて想像もしていなかった。それにエミーが生きていること、クライセンと知り合いだということも驚きだ。
 そして彼の言葉どおりなら、クライセンは月光のろうそくの作り方が分かっているということ。教えて欲しい、が、自分が一流の魔法使いになれば分かると彼は言った――それはきっと、そうなれという激励なのだ。だとしたら、ここで教えて欲しいなんて言ってはいけない。マルシオは喉まで出かけたものを飲み込んだ。
「……ありがとう」
 一番大事な言葉を、マルシオはやっと言えた。期待もしていなかったし、彼が自分にここまでする義務も何もないことも分かっている。だからこそ嬉しかった。
 嬉しくて、冷たいはずのろうそくが、火がともったかのように温かく感じた。
 そんなマルシオの感動に水を差す者がいる。隣で口を尖らせているティシラだった。
 月光のろうそくの美しさ、そして何より、クライセンの優しさにティシラも感動していたのだが、あまりに嬉しそうな表情をするマルシオに、だんだん腹が立ってきていた。
「……なによ。つまんない」
 ふんと顔を逸らし、小声で呟くと、マルシオが現実に引き戻される。ティシラの気持ちは分かる。ただでさえ目立ちたがりでわがままな性格だ。自分だけ話の輪に入れず、面白いわけがない。マルシオが慌てて宥めなければと思うが、ろうそくを分けることもできないし、なんの手段もなかった。
 緊張が走る中、クライセンがまたも思わぬ行動に出た。
 もうひとつ、小さな箱を取り出し、いじけるティシラの前に差し出した。
「これは、ティシラへのおみやげ」
 ティシラは途端に頬を赤く染め、えっと短い声を上げる。箱は紫のベルベットに包まれており、ろうそくの入っていたそれよりは高級に見える。この中身はどう考えても、宝石だ。
 期待に胸躍らせて箱をゆっくり開けると、そこには、予想通り、大きなルビーのネックレスが輝いていた。
 嬉しすぎて目からハートが飛び散るティシラだったが、隣で見ていたマルシオはあまりに意外なことの連続で着いていけずにいた。こんな巨大な宝石、どんな金持ちでもそうそう手に入らないほど高価なものだということは分かる。だが、問題は赤い石の奥で渦巻く怪しい光だった。
「そのルビーは、持った人は次から次に謎の死を遂げてしまう、呪いの宝石なんだって」
 ある金持ちが奴隷を酷使し、汚い手で集めた金で手に入れたルビーだった。恨みを買ったその者は殺されルビーは奪われ、同じことが繰り返し続いた。憎しみが連鎖し、何十人もの血を浴びた宝石はもう誰の手にも負えなくなり、エミーのところにやってきたものだった。お祓いを依頼されたのだが、彼女はこのままのほうが美しいと感じ、できないと嘘をついた。依頼者は持っていても死ぬだけだと諦め、大金を抱えて帰っていった。エミーにとって貴重な宝の一つだったのだが、旧友との再会がよほど嬉しかったのか、クライセンに言い値で譲ってくれたのだった。
 マルシオは耳を疑った。そんなものを女にプレゼントするだけではなく、堂々と真実を告げる神経が理解できない。
 ティシラはきっと傷ついている……と思ったら、なぜか恍惚の表情を浮かべていた。
「素敵……! このくらいの大きさの宝石なら昔たくさんもらったの。でもこんなに禍々しく、深く濃厚な怨念のこもったルビーなんて見たことない。怒りや恨みのパワーで激しく光り輝いてる……ああ、なんてきれいなの」
 そんな彼女を見て、クライセンは満足そうに微笑んだ。
 マルシオにだけおみやげを渡せばティシラがいじけることを見越して、クライセンはエミーに女性へのプレゼントでいいものはないかと尋ねた。それでとっておきだと言われてこれを出され、一目で彼女に似合うと確信した。
「気に入ってくれると思ったよ」
「嬉しい。ありがとう。一生の宝物にするわ!」
 ティシラにとっては人間の怨念など、宝石を輝かせる化粧のようなもの。
 ティシラがヘソを曲げると面倒とはいえ、結局はマルシオのほうが感動をぶち壊されたような気分になっていた。

 その日の夜、マルシオはろうそくを、ティシラはルビーを枕元に置いて、なかなか眠れず、何度も指先で撫で、いつまでもいつまでも見つめていた。





   

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